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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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フン公害
DSC04981.jpg

(長崎県長崎市・風頭公園)

確かに・・・フンは公害に間違いない!




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看板・標識・標語など | 18:02:08 | Trackback(0) | Comments(0)
宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
DSC04985.jpg

(長崎県長崎市)

宮地嶽八幡神社(みやじだけやはたじんじゃ)
八幡町の陶器で出来た鳥居で有名な神社。
寛永20年(1643)、天台宗の大覚院存性坊という修験僧が高麗町(今の八幡町)に大覚院を創建、正保3年(1646)に山城国から本社八幡宮を勧請して院内に祀ったのが起源。
承応2年(1653)に社殿が創建されて以来、市民は八幡町の八幡(やーた)様として親しみ参拝者が多かった。
元禄6年(1693)、二代良宝院存慶は寺号を白鳩山南岳院大覚寺と改め、宝永元年(1704)、黄檗宗に転向したため、単一の黄檗宗下の大覚寺となった。
しかし、八幡神社は従来のまま境内に安置され、宝永5年(1708)に改修、正徳5年(1715)修繕、元文5年(1740)再建されている。
明治維新の際、八幡神社と改称、住職は神官となった。
明治11年(1878)福岡県宗像郡津屋崎の宮地嶽神社を勧請して以後、この名が通称されるようになったが、鳥居の額には「八幡」「宮地嶽」が併記してある。
明治21年(1888)に白地に呉須染付の陶製の大鳥居が奉納された。
この鳥居は有田の香蘭社制作によるもので、陶器の鳥居は全国でも有田の陶山神社、佐賀の松原神社、愛知県の瀬戸神社に見るくらいで珍しい。
昭和3年(1928)に初めて神幸式を行い御神輿を銭屋川の清水で清め遷宮祭を行った。
祭神は応神天皇、神功皇后。

(説明板より)

DSC04984.jpg


登録有形文化財 宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
登録年月日 平成9年7月15日
この鳥居は、明治21年に有田磁器窯(じきがま)による大型細工でつくられた鳥居である。
親柱(おやばしら)部分に残る銘によって製造人が岩尾久吉(いわおひさきち)、角物細工人(かどものさいくにん)が金ケ江長作(かねがえちょうさく)、丸物細工人(まるものさいくにん)峰熊一(みねくまいち)であることが判明する。
有田に製作者が同一のものがひとつあるが、他に類例がない希少な存在として、平成8年10月に新しく文化庁が導入した文化財登録制度により、県内で初めて登録された。

長崎市教育委員会(平成10年3月設置)

(説明板より)

宮地嶽神社陶器製鳥居


史跡 | 16:47:50 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(3)
昼食後、『長崎原爆資料館』へ行く。
拙者としては全く興味はないし正直言って行きたくはない。
実は拙者は顔と手に火傷を負っている。
だから、こういう場所に行くと奇異の目でジロジロと見られるので気が進まない。
できれば避けて通りたいが・・・ここは長崎観光の定番。
子供達の教育のためにも我慢して行くかぁ~(笑)
いつか、何十年後かにこの子供達が今度は観光バスかなんかに乗って団体で訪れて、そういえば昔“おじちゃん”とここに来たなぁ~と思い出してくれたらありがたい。
子供達は多少なりとも興味を持ってくれたようだ。
原爆でケロイドを負った人達の写真や模型が展示されている。
なんとも辛い。
拙者自身がケロイドを負っているのだから・・・何も写真を見なくったって拙者を見ればいいのであって・・・
子供達はこの写真を見てどう思ったであろうか?
見学を終え、今度は路面電車で『新中川』駅まで行き、そこから徒歩で『シーボルト邸跡』と『シーボルト記念館』へ行く。
細い路地を歩くが、途中で迷子になりそうになり拙者としては不安で一杯。
そういう中でも子供達はチンタラチンタラと携帯電話でメールを書いてるのか、ゲームをやっているのか・・・携帯電話を見ながら付いて来るんだから現代っ子の行状には呆れるばかり。
ようやく無事に目的地に到着。
時刻は1時40分。
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(シーボルト宅跡)
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(シーボルト記念館)
「おじちゃん、シーボルトって日本を追放されたんだよね?」と甥が言う。
おお!偉いじゃないか、よく知ってるじゃないか。
「何で追放されたの?」
「あのなぁ、目の前のパネルに書いてあるだろう!自分でよく読め!」
どうして、こう楽をしたがるかなぁ~
聞いたほうが早いなんて・・・・とんでもねぇ。
自分で調べろって!
相変わらず一人の子どもは「疲れたぁ~もう歩けねぇ~」とブツブツ言っている。
何を言うか!携帯で遊んでいるくせして・・・・
よし、少し懲らしめてやろう!
「おい、今度は風頭山の頂上にある坂本龍馬の銅像を見に行くぞ!」
「山に登るのぉ~ゲェ~」
ムフフ・・・ざまぁみろ。
・・・と思って風頭山に向かうが、道は細く急な坂。
しかも道順がさっぱりわからん。
懲らしめるつもりが、こちらが息が切れてツライ、ツライ(笑)
DSC04980.jpg
(風頭山頂上の坂本龍馬像)
46歳、老骨に鞭打ってようやく到着する。
ここで一服して、坂を下りて『亀山社中跡』に向かう。
DSC04982.jpg
(亀山社中跡)
石碑が建つのみで詳しい説明板はない。
よくもこんな不便な場所に『社中』を作ったものだ。
それにしても、やっとの思いで辿り着いたのに石碑のみとは・・・
観光協会や教育委員会は何をしてるんだろうか?
DSC04983.jpg
(龍馬のぶーつ像)
『亀山社中』の直ぐ近くに『龍馬のぶーつ像』があった。
「おい、このブーツに足を入れてみろ。記念写真を撮ってやるから」
「おじちゃ~ん、坂本龍馬って足が大きかったんだねぇ~」と甥っ子。
「そんなにでかいわけねぇだろ・・・アホか!」
周りの観光客に思いっきり笑われる。(汗)
時刻は3時。
それ!急げ!次は『出島』に行くぞ!
今度は坂を下るだけだから楽なはずだが・・・
相変わらず1名がチンタラチンタラと歩いている。
参ったなぁ~
路面電車に乗り『出島』へ。
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(ミニ出島・出島の模型)
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(出島の復元建物)
その昔、出島があった場所に出来た、いわゆるテーマパーク。
当時の建物を復元して資料の展示などがされているのだが・・・
あれほどチンタラとしていた子どもは今度はじゃれて遊び始め見学というのには程遠い。
何をしに来たのか・・・・
さすがに拙者は子供達を放り出して一人で見学することとする。
約1時間15分・・・・じっくりと見学する。
子供達にとってはつまらなかったろうが・・・・
拙者は満足。
さて、時刻は5時。
以上をもって本日の旅行は終了!さぁ、ホテルに帰ろう!
路面電車の駅で電車を待つ間に子供達がじゃれあって仕舞いには線路にまでおりてはしゃぐ始末。
プチン!切れた!
今春から中学生になるというのに・・・・何をしておる!
「電車には乗らん!ホテルまで歩くぞ!」
『エ~ッ・・・歩くのぉ~」
「お前ら、電車から外の景色を見てなかったろ?ここからホテルまでは歩ける距離だ!だから歩く!」
夕食は今晩も外食。今夜は甥っ子の提案で天ぷら屋で天ぷらを食べる。
今晩の風呂はホテルの大浴場を使うこととする。
子供達は大はしゃぎ。
まぁ、他に客はいないからこれは黙認してやろう。
「さて、明朝は早いぞ。空港へ行って鹿児島に移動する。寝坊したらアウトだから早く寝ろ!」
・・・と言っても言うことを聞く連中じゃない。
まぁ、口うるさい(?)親から離れられて嬉しくて仕方がないのだろう。
寝やしない!
こっちは歩き過ぎてクタクタじゃ。
付き合いきれんわ~

旅行 | 15:40:50 | Trackback(0) | Comments(0)
原爆落下中心地
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(長崎県長崎市)

原爆落下中心地
ここは原子爆弾が投下された中心地です。
この説明板の右側にある黒御影の石柱はその中心地を示しています。
1945年8月9日午前11時2分、爆撃機B29により投下された原子爆弾は、この地上500m上空でさく裂、爆風と熱線と放射線によって市街地は廃墟と化しました。
そのため長崎市の北部一帯は全焼し、約15万人の死傷者を出しました。
「75年草木の生じることなし」といわれたこの地も、今や平和公園として訪れる人々に世界の恒久平和を訴える発信地となっています。
(長崎原爆資料館に当時の惨状を示す原爆被災資料を展示しています。)

(説明板より)

原爆落下中心地


史跡 | 14:35:04 | Trackback(0) | Comments(0)
長崎刑務所浦上刑務支所跡
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(長崎県長崎市)

長崎刑務所浦上刑務支所跡
長崎刑務所浦上刑務支所は、松山町・岡町・橋口町の三か所にまたがる丘の上にあり、敷地約2万平方メートル、庁舎面積約1万3千平方メートルの爆心地にもっとも近い公共の建物であった。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、一発の原子爆弾のさく裂により、職員、官舎居住者、受刑者及び刑事被告人計134名が死亡した。
周囲の高さ4メートル、幅0.25メートルの鉄筋コンクリート塀は、ほとんど根元から倒壊し、木造庁舎も炊事場の煙突1本を残して倒壊全焼した。

(説明板より)

長崎刑務所浦上刑務支所跡


史跡 | 14:23:27 | Trackback(0) | Comments(0)
平和祈念像
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(長崎県長崎市)

平和祈念像
この平和祈念像は、史上最大の惨禍によって瞬時に数多くの同朋市民を失い、筆舌につくし得ない悲惨苦に当面した長崎市民が、世界恒久平和の実現を広く世に訴えこの惨禍を再現せしめてはならないという切なる念願により、世界恒久平和のシンボルとして昭和30年(1955年)8月の原爆10周年記念日に建立されたものであります。
平和祈念像は、国内はもとより、海外からも拠出された浄財によって、彫刻界の権威、北村西望氏製作による全長約10mの青銅男神像であり、上方を指した右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は平けく安らけくと平和のすすめる姿であり、頑丈な体躯は絶者の神威を示し、柔和な顔は「神の愛」または「仏の慈悲」を表わし、また軽く閉じた目は戦争犠牲者のめい福を祈っている姿であります。
なお、折り曲げた右足はめい想即ち静、立った左足は救済即ち動、何れも神仏の特性を表現したものであり本像はその規模において、またその思想において、この種の彫刻としては、世界にもその類を見ない雄大な芸術作品であります。

長崎市

(説明板より)

平和祈念像建立のことば
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が、この地上空でさく裂し、方五粁一帯を廃きょと化し、死者7万3千余、傷者また7万6千余におよんだ。
哀愁悲憤の思いは、今もなお胸を裂くものがある。
私ども生き残った市民は、被爆諸霊の冥福を祈り、かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、自ら起って、世界恒久平和の使徒となることを決意し、その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。
かくて、私たちは、平和祈念像建設協賛会を組織し、内外の熱烈な協賛のもとに、昭和26年春、工を起こしてより、ここに4年、念願の像を完成し、除幕の式を挙げた。
この日原爆十周年の日の前日である。
私は、30万市民とともに、この平和祈念像が、万人に仰がれ、世界平和の保持に大きな貢献をなすものと信ずる。

昭和30年8月8日
長崎市長 田川 努

(銘板より)

平和祈念像



史跡 | 13:54:45 | Trackback(0) | Comments(0)
如己堂
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(長崎県長崎市)

如己堂(にょこどう)
長崎市名誉市民、永井隆医学博士の病室兼書斎。
島根県出身の永井博士は、長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻した。
当時は結核患者が多く、医療機器も不十分だったことから、放射線を過量に受け、「慢性骨髄性白血病、余命3年」と宣告された。
その2ヵ月後、原爆を被爆し大けがを負って、妻までも失ったが、被災者の救護活動に積極的に取り組み、ついには寝たきりとなってしまった。
しかし、科学者としての不屈の研究心とカトリック信徒としての厚い信仰心もあって、病床にありながら十数冊もの著書を執筆した。
博士は、この建物を「己の如く隣人を愛せよ」との意味から『如己堂』と名づけ、ここで2人の子どもと生活した。
そして、ここから世界中の人々に戦争の愚かさと、平和の尊さを発信し続け、昭和26(1951)年5月1日、43歳で永眠した。
博士の恒久平和と隣人愛の精神は、今も多くの人に受け継がれており、如己堂はその象徴となっている。

長崎市教育委員会

(説明板より)

如己堂



史跡 | 13:20:07 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(2)
今日は朝から雨!
天気予報と話が違うじゃねぇか!
こいつらの普段の行いが悪いに違いない・・・と子供達の顔を見る。(笑)
朝食を食べ・・・・さぁ!出発だ!
まずはタクシーで『長崎県護国神社』
「護国神社?」
「そう!戦争で亡くなった長崎県出身者をお祀りしておる!ご挨拶に行くぞ!」
わかろうがわかるまいが関係ない。とにかく、おじちゃんは行きたいのだ!
しかし、タクシーの運転手さんまでもが・・・「護国神社?どこだっけかぁ~」なんだから子供に理解させること自体が無理か。
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(長崎県護国神社)
お参りの仕方を子供達に教えてお参りをするが・・・・
一人の子供は「あ~疲れた~」を連発して全くお参りする気がない。
まだタクシーにしか乗ってねぇだろ!
よし、ここから歩くぞ!
幸いにも雨も止んだので、ブツブツ文句を言う子供を尻目にドンドン歩く。
途中で、『如己堂・長崎市永井隆記念館』を見つける。
よし、ここを見学する!
永井隆は医学博士。妻を原爆で失い、自らも被爆。幼い子供を残して他界した。その思いを思うと胸が詰まる。
わが甥は医者の息子。何かを得てくれたら・・・と思う。
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(長崎市永井隆記念館)
続いて『浦上天主堂』に向かう。
行ってみてがっかり・・・何も見るものはない。
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(浦上天主堂)
次は『平和公園』
長崎に来たら、ここに行かねばなるまい。
しかし・・・子供の一人は相変わらずチンタラチンタラと歩いてくれるので、他の二人がこのペースに巻き込まれる。
こいつらに合わせていたら時間が無駄になる。
無視してドンドン歩く。
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(平和祈念像)
時間はちょうどお昼。
近くの中華店で昼食をとる。

旅行 | 11:01:06 | Trackback(0) | Comments(0)