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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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京都の旅(6)
DSC03756.jpg
(八坂の塔)
『八坂の塔』というのは『法観寺』というお寺の五重塔のことらしい。
この敷地内に木曽義仲の首塚があったのには驚いた。
木曽義仲のお墓は滋賀県大津の義仲寺にあるんだけど・・・
首がここにあって、胴体があっちにあるのか?
この五重塔の内部に入れるので入ってみる。
五重塔の内部を見るのは初めて。
2階まで登れるので構造の一部も見学できる。

さて、ここを出て、ブラブラと坂を下りる。
“シミズ君”から六道なんとか・・・っていうところの話を聞く。
この世とあの世の境がどうとか、こうとか・・・
よくわからないのだが・・・この近くらしいので、その六道何とか・・・というところに向かう。
が、しかし・・・『水戸藩士』の道案内であるから・・・
「どこ?どの辺り?」
「え~と・・・・わからない」(笑)
しばらく歩くと寺らしきものが・・・
「あそこじゃないのか?」と拙者。
「そうですね。あそこです!」と『水戸藩士』
しかし・・・
「おい!建仁寺って書いてあるぞ!」(笑)
「あれぇ~?建仁寺でしたか~」
おいおい・・・『水戸藩士』を頼った拙者が甘かった。
やっぱり、地図とかガイドブックっていうのは必要だわぁ~。

いいや。六道なんとか・・・・っていうところは諦めて、ここを見よう!
DSC03757.jpg
(建仁寺)
敷地内に『道元禅師・修行の遺跡』や『栄西禅師茶徳顕彰碑』があった。
栄西が、この建仁寺を創建したらしいのだが、説明板には「明庵栄西(みんなんようさい)と仮名が振られている。栄西は「えいさい」と読むと思っていたのだが・・・
どちらが正しいのだろうか?

『建仁寺』は建物の中には入らず、庭だけを見て出る。
そろそろ帰ろうか?
「そうですね。じゃ、祇園の方に出てタクシーを拾って駅に行きましょう!」と『水戸藩士』
というわけで、歩き始めたのだが・・・
「この道でいいのかな?」
質問した拙者が馬鹿だった。
「さぁ?初めて歩く道なので・・・知りません」との答えが返ってきた。
唖然・・・・
祇園ってどっちだよ~(泣)
言ってるほうもいい加減なら、聞いてるほうもいい加減という珍道中。
とにかく大通りに出てタクシーを拾って京都駅に向かう。

『水戸藩士』と『脱藩浪士』の二人旅は無事予定通り(?)に終わった。
思いがけず非常に充実した旅だったのだが・・・

実は拙者が出かける4日前から拙者の親父はどこかに旅に行って不在だった。
ところが拙者が帰宅してみると・・・
親父が『生八橋』を食べている!
ゲゲッ!
親父は、どうやら京都に行っていたらしい!
“シミズ君”の、いいかげんな道案内のおかげ(?)で路地裏をウロウロしたことが良かったのかも。
観光名所を巡っていたら親父にバッタリ会っていたかもしれぬ。
京都で親子の対面なんぞはしたくないわい!
あ~危なかった!危機一髪である。
知らぬが仏とはまさしくこの事ぞ!
改めて“シミズ君”に感謝!感謝!

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日記 | 21:05:30 | Trackback(2) | Comments(0)
翠紅館跡
DSC03754.jpg
(翠紅館跡)

翠紅館(すいこうかん)
ここに、幕末の頃、西本願寺の別邸で、翠紅館と呼ばれる屋敷があり、たびたび志士たちの会合の場所となっていた。
文久3年(1863)正月27日には、土佐藩武市半平太、長州藩井上多聞久坂玄瑞ら多数が集り、ついで同年6月17日にも、長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守らがあつまった。
この数年前から攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあったが、これら各藩志士代表者の会議で、攘夷の具体的な方法が検討された。
世にこれを翠紅館会議という。
同年8月13日には、孝明天皇の大和行幸の詔書が出されて攘夷運動は頂点に達した。
しかし8月18日に政変が起こって攘夷派は失脚、代って公武合体派が主導権を握り、幕末の政局は混迷の度を加えていった。

京都市
(説明板より)

翠紅館跡

史跡 | 19:18:26 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(5)
『京都霊山護国神社』は京都ではマイナーな場所ではあろうが、拙者は何度も参拝に来たことがあるが“シミズ君”は訪れたことがないというので、ご案内した。
この神社の脇には維新の志士たちのお墓がある。
DSC03753.jpg
坂本竜馬中岡慎太郎の墓)
維新の志士たちの墓・供養塔がたくさん建ち並んでいるのはいいのだが・・・・
名前を見ても何をした人なのか全くわからないという人物が多い。
もし、顕彰するという考えがあるのなら、個々に説明板を設置してもらいたいものだ。
この他に、大東亜戦争の慰霊碑やパール判事の顕彰碑などがある。
これらを約1時間半かけてじっくりと見る。
もしかしたら“シミズ君”には退屈だったかも・・・

続いて神社の直ぐ近くにある『霊山歴史館』を見学。
ここに最後に訪れたのは平成11年1月21日。
拙者にとっては8年ぶりの訪問である。
この時に学芸課長の木村氏に偶然お会いし、「水戸藩から来ました!」などと冗談混じりの挨拶をし、氏からは「茨城県の知事さんがこの間来たけど、知事さんって面白い人だねぇ~」と言われ、しばし茨城談議となったことを覚えている。
龍馬暗殺の真犯人は誰か 龍馬暗殺の真犯人は誰か
木村 幸比古 (1995/06)
新人物往来社

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その時に、この本を買って著者の木村氏のサインを頂いた。
あれから8年かぁ~
あっという間だなぁ~
約1時間ほど見学。
若い人やアベックが何組も見学に来たのは意外だった。
ここがデートスポット?

護国神社の坂を下り、途中の左側に『翠紅館跡』や『青竜寺』の説明板を見る。
“シミズ君”から「『八坂の塔』に行きませんか?」と言われる。
『八坂の塔』って何?
行ったことがないから行ってみよう!

日記 | 18:04:51 | Trackback(0) | Comments(0)
福井藩邸跡
DSC03751.jpg
(福井藩邸跡の碑)

この油小路二条下る西側(現京都国際ホテル)の一帯には、江戸時代後期、福井藩の藩邸があった。
藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の「京大絵図」に描かれている。
藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して、各種の連絡事務に当たった所である。
福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられたのに始まる親藩の雄藩で、石高は最大68万石、江戸中期以降は32万石。
幕末に松平慶永が藩主となってから、人材を登用して藩政を改革し、水戸藩とともに幕府政治の改革に乗り出し、更に、公武合体運動を進めて、幕末政局に一方の旗頭となって活躍した。
この藩邸は、幕末の福井藩の活躍にとって大きな役割を果たした。

京都市
(説明板より)

福井藩邸跡


史跡 | 16:24:50 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(4)
「やっぱり、京都の朝食といえば朝粥ですよねぇ~」と“シミズ君”
「おお!朝粥!いいねぇ~」
さて、食堂に行って頼んだのは・・・
拙者は朝粥、“シミズ君”は普通のご飯の和定食!
「おい!話が違うじゃねぇか!」(笑)
猫舌の拙者は“シミズ君”に乗せられて粥なんぞを頼んでしまった!
『脱藩浪士』には『水戸藩士』の考えがよくわからぬ。

今日はどこへ行こうか・・・
二条城に天守閣跡があるというが拙者は見たことがない。
是非見たい!・・・ということで二条城に行くことにした。
二条城前で一瞬目が釘付けになった場所がある。
今から3年前、ここで今は亡き『戦車第二師団の会』の大谷会長とお別れした。
「また来年お会いしましょう!」と声をかけていただき、「会長!お元気で!」とタクシーに乗って駅に向かう会長を見送ったのが最後。
翌年、会長は急死され、再びお目にかかることは出来なかった。
あの時のタクシーに乗り込む会長の御姿が目に浮んだ。
あれからもう3年も経つのかぁ~・・・・

この時に二の丸御殿の内部を見学しているので、今回は敷地内だけを見ることにして御殿内部には入らないことにした。
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(天守閣跡)
これが天守閣跡なのかぁ~
焼失していなかったらどんな天守閣だったのだろうか?
約1時間半かけてブラブラと散策。
「ついでに外も1周してみよう!」
「えっ!二条城の周りを1周するんですかぁ?」と“シミズ君”
普段の運動不足解消のため歩く!

1周回ったところで“シミズ君”が「面白い建物がこの近くにあるので見に行きましょう」と言う。
“シミズ君”を道案内に歩くが・・・・
歩けど歩けど目的の建物に辿り着かない。
「あれ?無くなっちゃったのかな?」
結局、断念して道を引き返す。
途中で『豊臣秀吉妙顕寺城跡』の碑に出会う。

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(京都国際ホテル)
『京都国際ホテル』が建っているところに『橋本佐内寓居跡』と『福井藩邸跡』の碑が建っていた。
このホテルには過去に何度か来たことがあるのだが、こういう碑が建っているとは知らなかった。

丁度お昼になったので、『京都国際ホテル』の裏にある寿司屋で昼食を食べる。
店の人に尋ねたところ『面白い建物』は道を1本左に入ったところにあるとのこと。
どうも『水戸藩士』の道案内は当てにならぬわ。(笑)
この面白い建物とは、『顔の家』と呼ばれる人の顔の形をした家なのだそうだ。

食後、ホテルからタクシーに乗って『京都霊山護国神社』に向かう。


日記 | 09:00:00 | Trackback(1) | Comments(0)