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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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京都の旅(3)
「駅はどっち?」
「あっち!」
とにかく駅に向かって歩こう。

途中、『菅大臣神社』に出会う。
菅直人元厚生大臣の神社ではない。(笑)
菅原道真の生誕地らしい。
お参りしておきましょう。
DSC03749.jpg
(菅大臣神社)


更にテクテク歩くも一向に駅が見えぬ。
夕方になり、風も冷たい。
コートを着ている拙者が寒いのだから“シミズ君”は更に寒いに違いない。
しかも、あと30分で駅前のホテルにチェックインしなければ・・・
う~ん・・・この辺でタクシーを拾うかぁ~
ついに歩くのを断念!タクシーでホテルに向かう。

夕食は・・・・
本来ならば「京料理」といきたいところだが、どうせ見栄えばかりで中身は大したことがなかろう、という拙者の偏見から却下。
「そうだ、ステーキを食べよう!」
タクシーで四条河原まで行ってステーキ屋さんを探す。
道案内は・・・・“シミズ君”
路地を歩いているうちに、どっちが北か南か、方向が全くわからなくなる。キョロキョロ・・・ウロウロ・・・
京都の路地で迷子になる『脱藩浪士』ぐらいみっともないものはない。
拙者は浪士だからのぉ~。
も~ちょっと颯爽と歩きたいものぞ。
それにしても、ステーキ屋を見つけようとするとなかなか見つからないものである。
多分・・・先斗町のほうへ行ったと思うのだが、ようやく念願かなってステーキ屋を見つけたので入る。

さぁ、食後に祇園で酒でも飲んでドンチャン騒ぎ!
・・・といきたいところだが・・・・
「ホテルに帰りましょう」と“シミズ君”
うむ、やむを得まい。お互いに懐が寂しいからのぉ~
というわけで・・・
貧乏侍は大人しくホテルに帰って寝たのでありました

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日記 | 20:33:29 | Trackback(0) | Comments(0)
長江家住宅
DSC03748.jpg
(京都市指定有形文化財・長江家住宅)


長江家は代々呉服の卸を営んできた。
屋敷地には、通りに面して二棟の主屋が建ち、その後方に離れ座敷と化粧部屋、その奥に土蔵二棟が並んでいる。
主屋北棟は、慶応4年(1868)の建築で、通り土間と居室をひとつの屋根で覆う通りにわ形式である。
一方の主屋南棟は明治40年(1907)の建築で、表の店舗部と奥の居室部を玄関部でつないだ表屋造り形式の建物である。
二棟の主屋は、一階に格子窓や大戸を備えて通り庇を付け、二階にむしこ窓を開くなど、京町屋の典型的な表構えをもつ。
離れ座敷は明治40年の建物で、座敷と次の間からなる。
化粧部屋は大正4年(1915)に建てられた天窓の付いた六畳室で、南側に浴室と脱衣室が取り付く。
旧蔵と新蔵はいずれも明治期に他所から移築された二階建ての土蔵である。
この住宅は、形式の異なる二棟の主屋を始めとして、離れ座敷や土蔵などが一連でよく残っている。
また、当家には建築関係の文書が多く残っており、当時の住宅の普請工程を知る上でも貴重である。

平成17年4月1日指定・京都市
(説明板より)

長江家住宅



建物 | 19:32:41 | Trackback(0) | Comments(0)
迷子みちしるべ
DSC03744.jpg
(誓願寺前の「迷子みちしるべ」)

明治10年建立。
正面に「迷子みちしるべ」
右側に「教ゆる方」
左側に「さがす方」
と彫ってあり、この石柱に紙を貼って迷子や落し物の情報交換をしたのだそうだ。

迷子みちしるべ


史跡 | 16:41:33 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(2)
さて、ここ『鳩居堂』で“シミズ君”はお買い物。
拙者は店内をブラブラと見学。
筆というのは高価なんだねぇ~
お香も売っていたが・・・・こういう世界はさっぱりわからん。

買い物も済んでブラブラと歩く。
どうも「新京極」を歩いているらしい。
「新京極」といえば、30年前に修学旅行で訪れたはずなのだが、全く記憶が無い。
DSC03746.jpg
(誓願寺)
『誓願寺』の前に「迷子の標柱」があった。
「これは是非写真を撮ったほうがいいですよ」と“シミズ君”が言うのでパチリ!
さらにその直ぐ近くに「和泉式部の墓所」
へぇ~こんなところにあるの?
どうやらここは『誠心院』の墓地らしい。
ここには「山口甚介一族の墓」もある。
和泉式部はこの誠心院の初代住職で、山口甚介は中興の祖らしい。
さらに、ブラブラと歩いていると、民家の脇に「幸野媒嶺生誕地」の碑を見つける。
DSC03747.jpg
(幸野媒嶺生誕地)
この人は、明治期の日本画家で明治初期の京都画壇の重鎮・・・らしいのだが、石柱のみか?
説明板を立てなきゃ、何をした人なのかさっぱりわからない。
これは観光協会が悪いのか?それとも教育委員会が怠けているのか?
地図も持たず、あっちを曲がり、こっちを曲がり・・・しながら歩いたので、自分がどこを歩いているのか知らない。
というわけで、この場所がどこなのかわからないので、多分二度と訪れることはできないだろう。(笑)

日記 | 15:04:35 | Trackback(0) | Comments(0)
京都電信電話発祥の地
DSC03742.jpg

(碑文)
京都電信電話発祥の地
明治五年 西京電信局
明治三十年 京都電話交換局
この地に建つ

京都電信電話発祥の地



史跡 | 11:36:00 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(1)
今日から1泊2日で“シミズ君”に同行しての『京都の旅』!
歴史に詳しい“シミズ君”が一緒なのだから、今回の旅が楽しくないわけがない。
午前7時45分発の特急で上野へ。
京都はさぞかし寒かろうと思い、拙者はコートを着てきたが、彼は奥さんにコートを着ていくように言われたのに断ったそうである。
皮下脂肪が多いのでコートは不要ということなのか?(笑)

常磐線はよく人身事故で遅れることがあるので、上野駅から東京駅での新幹線への乗り継ぎは本来30分もあれば十分なのだが、1時間の余裕をもつことを拙者は常としている。
予定通り到着すると暇をもてあそぶのだが、東京駅構内を血相を変えて走りたくはない。
今回は無事定刻に到着。
昼食は駅弁。車内で食べて昼過ぎに京都に到着する。

まず最初に、“シミズ君”のカバンを駅のコインロッカーへ・・・
鍵をかけた途端に「カメラをカバンから出すのを忘れた!」
「馬鹿だねぇ~」(笑)
300円が無駄になるかと思ったら、さにあらず。
彼と同じような人が多いのでしょう。
直ぐに鍵を開けてカバンからカメラを取り出し、再度300円を入れて鍵を締めたら、ちゃんと300円が戻ってきた!
なんという親切なコインロッカーでしょう。(笑)

最初に向かうのは『京都文化博物館』
「歩いても行けるかね?」
「歩いても行けると思いますけど・・・どうします?」と“シミズ君”
やっぱりタクシーで行くことにしたが、これは正解だった。
「とんでもなく遠いじゃねぇか!」
京都駅から歩いて行ったら日が暮れるところであった。
この時に彼が道案内人としてはかなり怪しい人物であることに気が付くべきであったのだが・・・(笑)
DSC03741.jpg
(京都文化博物館)
ここで開催されている『第29回全国水墨画秀作展』を見学するのが今回の目的。
“シミズくん”の絵の先生の作品も展示されている。
約460点もの作品を“シミズ君”から水墨画についての説明をもらいながら1時間半ほどかけて鑑賞。
こういう絵を見ると、ついつい自分でも描きたくなる。
描けるものなら描いてみたいものだ。

続いて“シミズ君”の次の目的・・・『鳩居堂』へ徒歩でブラブラと向かう。
拙者は石碑などを偶然見つけながら歩く。
『京都電信電話発祥之地』
『高倉宮跡』
「高倉宮って何?」
さすがは“シミズ君”!歴史に詳しい。
彼から説明を聞くが、聞く側の拙者は予備知識がゼロだから・・・さっぱりわからない。
『在原業平邸跡』
そして、『本能寺』に到着する。
DSC03743.jpg
(本能寺)
「おお!本能寺!寄り道をしよう!」
ここには織田信長の廟所がある。
その他に『浦上玉堂・浦上春琴の墓』『本能寺の変戦没者合祀墓』『徳川家重夫人供養塔』『菅中納言局庸子石塔』『島津義久夫人石塔』『日承上人墓』などがあった。
これまた、それぞれに“シミズ君”からご説明を頂いたのだがピンとこない。
普段からよく勉強をしていないとダメだねぇ~

さて・・・目的地の「鳩居堂」はどこかな?
あっちの方角?
「え~と・・・アッ!ありました!目の前です!」
あのねぇ~・・・・大丈夫かい“シミズ君”?

旅行 | 10:58:41 | Trackback(0) | Comments(0)