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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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今度は愛知に行く
何故か早起きしてしまった。
今日は、三ヶ根山で開催される『比島観音例大祭』と『戦車第二師団の会総会』に出席のため愛知に行く。
甥っ子はさすがに疲れが出たのだろう、グッスリと寝ており、ピクリとも動かない。〈笑)
早朝から開業医の義弟に肺のレントゲンと血液の採取を受ける。
どうも我が母君から頼まれたそうな。
拙者が病院へ行きたがらないので、ちょっと検査してくれと・・・
タバコを吸っている割には肺は異常なし!(どんなもんだい!)
血液検査は後日報告をしてくれるという。
まぁ、お手数をおかけしてなんとも申し訳なし。
九州旅行で使用した衣類等は妹に宅急便で我家に送ってもらうこととして、事前に預けておいたスーツに着替える。
愛知旅行用の着替えは別のカバンに入れてあるので、それを持って出発。
今回は、九州旅行用と愛知旅行用の2つのカバンを用意しておくという用意周到で大掛かりな〈?)旅行なのだ!〈笑〉

朝食をご馳走になり、東京駅へ向かう。
新幹線で豊橋まで行き、一泊して翌日の行事に備える予定。
新幹線に乗った途端に・・・目まいが・・・!
あれ?
今までこんなことがなかったのに・・・
ついに旅の疲れが出たのかな?
昼食は新幹線の中で駅弁を食べる。
豊橋で乗り換えて蒲郡駅へ。
ここで名鉄西尾線に乗り換えて吉良吉田駅へ。
時刻は午後2時。
DSC05012.jpg
(吉良吉田駅)
今日は吉良町を散策することにする。
吉良吉田駅の近くの本屋さんで地図を買い、これを見ながらテクテクと『尾崎士郎記念館』に向かって歩く。
ちょっと距離があるが、普段の運動不足の解消のため歩かねば!
“尾崎士郎”って、どこかで名前は聞いたことがあるが、何をした人かは知らない。
知らないけど、「記念館」っていうんだから一度見てみよう。
DSC05008.jpg
(尾崎士郎記念館)
記念館に行ってわかったのだが・・・(笑)
尾崎士郎は作家で『人生劇場』という小説で有名な人なのだそうだ。
小さな記念館なので、あっという間に見学終了!
続いて『養泉寺』を目指して更に歩く。
記念館から歩くこと40分。
地図を見ると近くまで来ているはずなのだが、寺らしきものが見当たらない!
畑と農家ばかりでさっぱりわからん!
近くの畑で作業している方々に聞きながら歩く。
ようやく小さな目立たない寺に到着する。
DSC05009.jpg
(養泉寺)
ここには第1001海軍航空隊の慰霊碑がある。
訓練中に殉職した7名の慰霊碑。
戦争で戦死した人も可哀想だが、訓練中に殉職というのも可哀想だ。
戦わずして命を落としてしまうなんて・・・・
以前、この寺に慰霊碑があるのを知って是非訪れたいと思っていたのだが、念願かなってようやく訪問できた。
感無量。
DSC05010.jpg
(第1001海軍航空隊滑空隊慰霊碑)
時刻は4時。
日も暮れかけて、もう限界だな。
本当はもっと歩いて吉良さんゆかりの地も回りたかったのだが・・・
次回にするしかないなぁ~
吉良さんは、あの“忠臣蔵”で殺された吉良さん。
赤穂義士って・・・あれはどう考えてもテロリストだよなぁ~〈笑)
今日の旅はここまで。
テクテクとまた吉良吉田駅に向かって戻る。
途中で『健康街道』という道と出会う。
DSC05011.jpg
(健康街道)
靴を脱いでここを歩くそうな。
チョット・・試してみたい気もしたが痛そうな気がするんだけど・・・
靴を脱ぐのは面倒だし・・・さすがにクタクタだし・・・
ということで、試すのをやめた。
立派な「街道」なんだけど・・・誰も歩いてな~い!(笑)
もったいないような気もするなぁ~
DSC05013.jpg
(吉良吉田駅)
時刻は5時。
これから豊橋に戻るが・・・
吉良吉田駅のホームには誰もいない!
寂しいなぁ~
夕暮れ時ゆえに益々寂しいなぁ~〈笑)
今晩は豊橋駅近くのホテルに泊まる。

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旅行 | 22:43:27 | Trackback(0) | Comments(0)
島津家庭学校跡
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(鹿児島県鹿児島市)

島津家庭学校跡
ここには、明治26年(1893)、30代島津忠重(明治19年10月生まれ)のために島津家庭尋常小学校がつくられ、市内の大竜小学校から30名の生徒が選抜されて共に学びました。
のちに島津家庭尋常高等小学校となりましたが、忠重の弟達が全員卒業した明治34年(1901)に廃校となりました。
校長にははじめ中村宏が、のちに東京から視学官色川圀士が任じられました。
校舎は、木造平屋建の本舎と別棟に剣術道場があり、のちに理化学実験器具や標本用の一室もつくられました。
校庭は100坪(のちに倍加)とほかに馬場があり、「棒倒し」や「艦長あそび」が行われていました。
また、周囲には、子供達が立派に成育するようにと栴檀の木が植えられました。

(説明板より)

島津家庭学校跡


史跡 | 22:14:45 | Trackback(0) | Comments(0)
近代薩摩焼発祥の地
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(鹿児島県鹿児島市)

近代薩摩焼発祥の地
極東の宝石といわれ、西欧諸国で「SATSUMA」と呼ばれて珍重され近代薩摩焼はこの地で誕生した。
幕末の薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)は、西欧の近代産業を導入した工場群「集成館(しゅうせいかん)」をこの地に設置し、軍艦製造を中心としたさまざまな産業をおこした。
そして、その一環として、海外との積極的な貿易振興を目的に、在来の薩摩焼の製法に改良を加え、貿易品としての近代薩摩焼を創製した。
斉彬はこの地に御庭窯を築き、多くの陶工たちとともに研究を重ね、藩窯としての風格を備えた華麗な焼物を完成させている。
また、「SATSUMA」の名は、明治時代以後日本各地で製造され海外に輸出された美しい陶器の総称にもなった。

(説明板より)

近代薩摩焼発祥の地


史跡 | 21:56:57 | Trackback(0) | Comments(0)
鶴燈籠
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(鹿児島県鹿児島市)

鶴燈籠
この石燈籠(いしどうろう)は、日本で初めてガス灯を点した燈籠です。
28代島津斉彬(しまづなりあきら)は、蘭学者らにガス灯の用法を書いた蘭書を翻訳させ、安政(あんせい)4年(1857)8月に磯別邸の浴室付近にガス室を設置し、園内の鶴燈籠(つるどうろう)をはじめとする石燈籠に点火しました。
横浜でガス灯が点火したのは明治5年(1872)のことですが、薩摩でガス灯が点火したのはそれより15年も前のことでした。

(説明板より)

鶴燈籠

史跡 | 21:45:03 | Trackback(0) | Comments(0)
反射炉跡
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(鹿児島県鹿児島市)

反射炉の建造と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、島津斉彬(なりあきら)に大きな衝撃を与えました。
嘉永(かえい)4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、日本が西欧諸国の植民地にされるのではないかという危機感を抱き、海洋に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の近代化と産業育成に力を注ぐべきだと考えました。
反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたもので、嘉永5年に着工し、安政(あんせい)3年(1858)ようやく鉄製砲の鋳造に成功しました。
また反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備され、これらの工場群は「集成館(しゅうせいかん)」と命名されました。
生麦事件に端を発した文久(ぶんきゅう)3年(1863)薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、現在は基礎部分だけがのこされています。

(説明板より)

反射炉跡


史跡 | 21:35:05 | Trackback(0) | Comments(2)
電信使用の地
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(鹿児島県鹿児島市)

電信使用の地
島津第28代藩主斉彬は、安政4年(1857年)本丸からここ探勝園までの間に日本で初めて電信通信を始めました。
線の長さは、約三百余間(500~600メートル)ありました。

(説明板より)

電信使用の地



史跡 | 21:12:51 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(6)
さぁ、今日は旅の最終日だ!
今日は一日、市内観光をする。
ホテルをチェックアウト後、目の前の『照国神社』を参拝。
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(照国神社)
『島津斉彬像』『島津久光像』『島津忠義像』がある。
『照国文庫資料館』を見学。
ここからタクシーで『鹿児島県護国神社』へ。
途中、『平田靭負屋敷跡』に立ち寄る。
まぁ、拙者に付き合わされるんだから子供達も迷惑だろうが・・・
早くも子供の一人がグダグダし始める。
タクシーの運転手さんから声をかけられても返事もしない。
プチン!拙者は切れてしまった~!
「運転手さんが何度も声をかけてくれているのに返事をしないとは何事だ!」
「はぁ~」
なんとも冷めた表情で返事を返してきた。
この野郎~・・・と思ったが、よく考えたら相手は小学生。
今の子供は・・・・呆れるばかり。
『鹿児島県護国神社』を参拝。
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(鹿児島県護国神社)
拙者は慰霊碑や記念碑等の写真撮影で大忙し。
子供達は・・・完全に飽きてしまいジュースを飲んでおしゃべり。
ここからタクシーで仙巌園に向かう。
ここで昼食を食べ御土産買い。
7年前にもここでお土産を買って送ったのだが、今回も同じ店でお土産を買い、戦友会のお世話になっている方や友人などにお土産を送る。
7年前にも来たことなどを店員とおしゃべりしながら送り状を書く。
かなりの量のお土産を発送したので、お店の人が2箱ばかりをタダにしてくれ、更に消費税分もサービスしてくれた。
ありがたし。
子供達もお土産を購入したようである。
あとで足りない場合は空港で買えばいい。
『尚古集成館』を見学。
『鶴嶺神社』参拝。
更にタクシーで『南州神社』に向かう。
本来は徒歩やバスを利用して移動したいのだが、今日は最終日。
とにかく出来るだけ多くの場所を見て歩こうとするとタクシーを利用するしかない。
『南州顕彰館』を見学。
またもや例の一人の子供が資料館内部で携帯でおしゃべりしたりメールを送信したり。
更に他の子供を巻き込んで、とうとう最初から最後までゲームについて何やらおしゃべり。
「あのなぁ~ちゃんと見学しろよ!」
躾が出来てないというか・・・
この子供、全く興味もないのにこの旅に加わったらしい。
親から言われたから・・・・というだけで加わったのだから当然自覚などない。
別にどうでもいい・・・というのが見え見え。
参ったなぁ~
続いて直ぐ脇の『西郷隆盛の墓』『南州神社』に行く。
このあと、駐車場で昼寝中の運転手に頼んで城山まで乗せてもらう。
途中、『西郷隆盛最期の地』『西郷隆盛洞窟』に立ち寄る。
『城山の展望台』で休憩。
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(城山展望台から見た景色)
ここから桜島が見えるのだが、今日は黄砂のせいで霞んでしまいよく見えない。
ここからタクシーを拾って今度は『西郷隆盛生誕の地』へ向かう。
途中で『西郷隆盛像』に立ち寄るが逆光!
夕方じゃ駄目だ!朝のうちに訪れるべきだった・・・失敗!
運転手さんが「記念写真を撮ってあげますからみんな並んで~」と言ってくれたのだが・・・
子供達は・・・シラァ~として応じない。
全くこいつらは・・・・拙者一人、仕方がないから記念写真を撮ってもらう。
『西郷隆盛誕生地』でタクシーを降りてここからは徒歩で観光。
『大久保利通生い立ちの地』『大久保利通像』『樺山資紀邸跡』を見て歩き駅に向かう。
5時10分のバスで鹿児島空港へ。
空港で夕食。
最後の食事だから・・・ということでステーキを頼む。
旅の途中で各自から更に1万円の拠出を行い、今回の旅での現地での経費は各自2万円で納まる予定だったが・・・
ステーキの他に子供達がフルーツパフェを頼んだので赤字となる。
まぁ、仕方がない。
最後なんだからケチっても仕方あるまい。
7時10分発全日空630便で羽田へ。
8時45分羽田着。
新宿駅で子供達を迎えに来た親たちに引渡し解散!
拙者は甥っ子と一緒に妹の家に向かい宿泊。
無事に旅が終ったぁ~
怪我や病気などの事故がなくてよかったぁ~

旅行 | 18:45:58 | Trackback(0) | Comments(1)
天保山砲台跡
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(鹿児島県鹿児島市)

天保山砲台跡
「撃てエー」天保山砲台什長・鎌田市兵衛の合図で号砲が轟き、錦江湾を威圧していたイギリス艦隊との間に戦いが開始されました。
1863年(文久3年)7月2日(太陽暦8月15日)正午に始まった砲撃戦は、薩軍の必死の戦いで、イギリス側にも大きな損害を与えましたが、わずか3時間で城下は壊滅的な打撃をうけ、最新式アームストロング砲の威力を思い知らされたのです。
天保山砲台は、島津家27代藩主斉興(なりおき)が緊張感高まる対外情勢に備えて着手、1850年(嘉永3年)に竣工しました。
さらに、後を継いだ斉彬(なりあきら)も藩の沿岸各所に砲台を築造、大砲を集成館で作らせ、海防にあてたのです。
天保山で行われた城下士全体の連合調練を、斉彬自らが閲兵するほど、熱心に取り組んだと伝えられています。
薩英戦争で海外の先進技術に目覚めた薩摩藩は、その後イギリスへの留学生派遣を行うなど、西洋技術の吸収につとめました。
当時の砲台のうち、この天保山と祇園之洲(ぎおんのす)に砲台跡があります。

(説明板より)

天保山砲台跡



史跡 | 16:22:24 | Trackback(0) | Comments(2)
九州旅行(5)
さぁ、朝だ!
このホテルを予約したのには理由がある。
このホテルの部屋から桜島がよく見えるのだ!
「おい!桜島だぞ!凄いだろう!」
しかし・・・子供達は起きな~い!
DSC04992.jpg
(部屋から見た桜島、時刻は午前6時28分)
あ~あ~この景色を見せてやりたかったのになぁ~
ホテルをチェックアウトしてまもなく甥っ子が忘れ物に気が付いた。
「おい、部屋はちゃんと確認したんだろ?」
「デジタルカメラを机の引き出しの中に入れておいたのを忘れてた!」
何でそういうことをするかなぁ~
大事なものだからということで引き出しの中に入れておいたというのだが・・・
どうもこいつの思考回路は理解できぬ。
急ぎホテルに戻る。
さて、今日は鹿屋の海上自衛隊基地に向かう。
DSC04993.jpg
(フェリー)
鴨池港から垂水港行きのフェリーに乗る。
「どうだ!フェリーだぞぉ~」
しかし・・・子供達は無感動。
ありゃ、またもや作戦失敗!〈笑)
DSC04994.jpg
(フェリーから見た桜島)
「おい、あれが桜島だ!凄いだろう!」
しかし・・・子供達は無感動。
またもや2連発で失敗。
垂水港から鹿屋までバスで移動。
子供達は・・・寝ている!
こいつらぁ~寝てるかゲームをしているかのどちらかしかしてない。
景色を見ろよ!
全く参るなぁ~
DSC04995.jpg
(海上自衛隊鹿屋航空基地史料館)
ここは拙者が来たかった場所だから・・・・
まぁ~勝手に見てくれと子供達のことは放り出す。
ここには以前、東京の「船の科学館」にあった二式大艇が移転されており、また復元された零戦が展示されている。
昼を過ぎたが、近くに食事をする場所が無い。
なんとも不便な場所だ。
テクテクと歩きハンバーガーショップを見つけ、そこで昼食。
タクシーを拾い近隣を観光。
『旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊碑』『神雷特別攻撃隊別杯の地(野里小学校跡)』『垂水海軍航空隊之碑』を廻る。
全て拙者の趣味!〈笑)
子供達にとっては退屈であったろうが・・・・
フェリーで鹿児島に戻り、徒歩で市内観光をしながらホテルに向かう。
『天保山公園』に着く。
「おじちゃ~ん、鬼ごっこしていい?」
又かよぉ~
子供達は公園を見ると走り回りたがる。
それだけの元気があるなら、もうちょっとしっかりと歩いてもらいたいものなのだが・・・〈笑)
近くに坂本龍馬の新婚旅行の像である『坂本龍馬新婚の旅碑』や『調所広郷の像』がある。
チェックインの時間が迫ってきたので、途中でタクシーを拾い照国神社前のホテルに向かう。
今日の御宿では夕食は部屋食。
最後の晩は少し贅沢をしよう!〈笑〉
「今晩の夕食は部屋食だぞ!御膳が出るんだぞ!凄いだろ~」
ホテル料金は子供料金が適用される。
これがいけなかったか・・・
スリッパ、浴衣は幼児用のものが用意されていた!〈笑〉
一応、小学校高学年って言っておいたんだけどなぁ~
さて、お楽しみの部屋食の夕食。
大人と子供ではメニューが違うのだが・・・
ディズニーのマグカップにオレンジジュースが入っていたのには笑うしかない。
さすがに子供達も「何これ~俺たちを馬鹿にしてるのかぁ~日の丸の旗が立っていたら“お子様ランチ”じゃねぇかよ~」
アララ・・・またもや失敗しちゃったかな?〈笑)
まぁ、いいじゃねぇか、どうせやることが子供なんだし・・・
食事も“お子様ランチ”でいいでしょ。
とはいうものの、御膳は品数豊富。文句はあるまい?
おじちゃんの御膳にはエビフライは載ってないけど、お前たちの御膳にはエビフライが載っているんだから・・・文句言うな!〈笑)
風呂は大浴場。
「さぁ~もう寝ろ!」って言っても聞きやしない。
何でこんなに元気なのかねぇ~
いい加減疲れて早々と寝てもいいと思うのだが・・・・

旅行 | 15:08:26 | Trackback(0) | Comments(1)
九州旅行(4)
今日は長崎から鹿児島へ移動する。
とにかく急げ!飛行機に遅れたら大変なことになる!
「ほら、ほら、部屋を片付けて!忘れ物はないか?ちゃんと確認しろよ!」と大忙し。
子供達は・・・・の~んびり。
朝食後、空港行きのバスで長崎空港へ。
長崎からはプロペラ機・オリエンタルエアブリッジ531便で移動する。
子ども料金適用。
正規料金1万4500円のところが22歳以下割引で9千円。
その代わり・・・22歳以下であることを証明するものを見せねばならない。
さて、空港でチェックイン。
「では、年齢証明書を・・・」
ところが、ここでトラブル発生!
なんと、我が甥っ子が証明書を持ってくるのを忘れてた!
まさか・・・我が身内が大ドジを踏むとは・・・
「ちゃんと確認したのか?」
「ママに言っておいたんだけどなぁ~カバンの中に入れてくれたと思っていたんだけどなぁ~」
「自分でちゃんと確認しなかったのか!ママにばかり頼っているからこういうことになるんだ!」
「さぁ~大変だぞ~お前だけ飛行機に乗れないぞ~」と散々脅す。〈笑)
な~に、飛行機に乗れないわけじゃない。大人料金になってしまうだけなのだが・・・
どこをどう見ても小学6年生が22歳以上には見えないのだが(笑)規則は規則。
なんとか特別に承諾してもらい飛行機に向かう。
DSC04988.jpg
(カナダ・ボンバルディア社製DHC-8-201型)
操縦士2名、客室乗務員1名、客室座席数39席の飛行機。
もしかして・・・先日胴体着陸事故を起こした飛行機と同じカナダの会社の飛行機かな?
まぁ、いいかぁ~〈笑)
子供達はジェット機には乗ったことがあるだろうが、プロペラ機にはのったことはあるまい。
ということで、わざとこの飛行機に乗って鹿児島へ行くことを企画したのだが・・・
子供達は無感動!
はしゃいでいるのは・・・拙者だけ。
なんだかなぁ~
DSC04989.jpg
(機内から見た雲仙普賢岳)
「おい、普賢岳が見えるぞ!」
しかし・・・子供達は・・・寝ている!
ガッカリ・・・
30分ほどのフライトで鹿児島空港へ到着。
今日は知覧へ行く予定なのだが、7年前一人で初めて鹿児島に来たときには空港から知覧行きの直行バスがあったのだが、いつの間にやら廃止となっていた。
仕方がないので、鹿児島中央駅へ行き、知覧行きのバスに乗り換えることとする。
鹿児島中央駅?
以前来たときは「西鹿児島駅」って言っていたような気がするが・・・
駅前がガラリと変わってしまっていたのに驚く。
まずは駅前で昼食。
拙者は・・・勿論カツ丼!〈笑)
DSC04990.jpg

バスで1時間強で知覧の「特攻観音入口」に到着。
子供達の御目当ては・・・むらさき芋のソフトクリーム!
なんだかなぁ~
「おじちゃんも食べる?」
仕方がない・・・付き合うかぁ~
DSC04991.jpg
(知覧特攻平和会館)
桜の花の蕾はまだ固い。
少し来るのが早かったか~
ここで子供達は何を感じ取ってくれるか・・・・
と、思っていたのだが・・・子供達はそれぞれどこかに行ってしまい姿が見えぬ!
まぁ、いいかぁ~
付きっ切りでいられたら息が詰まるだろう。
いつか、またここを訪れようと自分から思ってくれることを期待する。
もう少し大人になったらわかってくれるだろう。
見学を終え帰りのバスまで時間がある。
子供達はまたもやソフトクリーム!(オイ、オイ・・・笑)
会館の脇に広い公園。
「おじちゃ~ん、鬼ごっこしていい?」
はぁ?
公園を走り回って大はしゃぎ・・・
生意気なところもあるが、やっぱり子供だなぁ~
「大いに遊べ!」
何が思い出に残るかわからんから・・・これも良かろう。
バスで鹿児島市内に戻り、さぁ、夕食だ!
7年前に訪れたことがある喫茶店を探す。
ここの「さつまあげ定食」が安くて美味しかったのだが・・・
「あれ~廃業している!」
店の入口に「廃業しました」の貼紙が・・・
あ~思い出の場所が無くなった・・・
まぁ、他人のことは言えないが・・・拙者も廃業したんだから・・・
近くのトンカツ屋で夕食を食べてホテルへ向かう。
歩いて行きたいところだが、外は真っ暗。
ちょっと危険だから・・・贅沢にもタクシーを利用する。
ホテルは7年前にも宿泊した『鹿児島東急ホテル』
4人一部屋で予約したが、ベッドだけで部屋は一杯とのこと。
ちょうどコネクティングルームが空いているとのことで、2部屋に急遽変更させていただいた。
子供達は隣の部屋でテレビを見ながら大騒ぎ。
拙者はマッサージを呼ぶ。
来たのは・・・7年前にお会いしたマッサージ師の方。
「あれ?以前お会いしましたよね」と先方から言われた。
「よく憶えていますねぇ~7年前にお会いしてますよ。お久しぶりです」
意外や意外・・・望外の再会に7年前の思い出話で盛り上がる。
その間、子供達はドタバタドタバタ・・・
参ったなぁ~
「少し大目に見てあげなさいよ」とマッサージ師さんにたしなめられる。
まぁ、隣近所に迷惑をかけねばいいのだが・・・・

旅行 | 12:00:27 | Trackback(1) | Comments(1)
フン公害
DSC04981.jpg

(長崎県長崎市・風頭公園)

確かに・・・フンは公害に間違いない!




看板・標識・標語など | 18:02:08 | Trackback(0) | Comments(0)
宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
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(長崎県長崎市)

宮地嶽八幡神社(みやじだけやはたじんじゃ)
八幡町の陶器で出来た鳥居で有名な神社。
寛永20年(1643)、天台宗の大覚院存性坊という修験僧が高麗町(今の八幡町)に大覚院を創建、正保3年(1646)に山城国から本社八幡宮を勧請して院内に祀ったのが起源。
承応2年(1653)に社殿が創建されて以来、市民は八幡町の八幡(やーた)様として親しみ参拝者が多かった。
元禄6年(1693)、二代良宝院存慶は寺号を白鳩山南岳院大覚寺と改め、宝永元年(1704)、黄檗宗に転向したため、単一の黄檗宗下の大覚寺となった。
しかし、八幡神社は従来のまま境内に安置され、宝永5年(1708)に改修、正徳5年(1715)修繕、元文5年(1740)再建されている。
明治維新の際、八幡神社と改称、住職は神官となった。
明治11年(1878)福岡県宗像郡津屋崎の宮地嶽神社を勧請して以後、この名が通称されるようになったが、鳥居の額には「八幡」「宮地嶽」が併記してある。
明治21年(1888)に白地に呉須染付の陶製の大鳥居が奉納された。
この鳥居は有田の香蘭社制作によるもので、陶器の鳥居は全国でも有田の陶山神社、佐賀の松原神社、愛知県の瀬戸神社に見るくらいで珍しい。
昭和3年(1928)に初めて神幸式を行い御神輿を銭屋川の清水で清め遷宮祭を行った。
祭神は応神天皇、神功皇后。

(説明板より)

DSC04984.jpg


登録有形文化財 宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
登録年月日 平成9年7月15日
この鳥居は、明治21年に有田磁器窯(じきがま)による大型細工でつくられた鳥居である。
親柱(おやばしら)部分に残る銘によって製造人が岩尾久吉(いわおひさきち)、角物細工人(かどものさいくにん)が金ケ江長作(かねがえちょうさく)、丸物細工人(まるものさいくにん)峰熊一(みねくまいち)であることが判明する。
有田に製作者が同一のものがひとつあるが、他に類例がない希少な存在として、平成8年10月に新しく文化庁が導入した文化財登録制度により、県内で初めて登録された。

長崎市教育委員会(平成10年3月設置)

(説明板より)

宮地嶽神社陶器製鳥居


史跡 | 16:47:50 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(3)
昼食後、『長崎原爆資料館』へ行く。
拙者としては全く興味はないし正直言って行きたくはない。
実は拙者は顔と手に火傷を負っている。
だから、こういう場所に行くと奇異の目でジロジロと見られるので気が進まない。
できれば避けて通りたいが・・・ここは長崎観光の定番。
子供達の教育のためにも我慢して行くかぁ~(笑)
いつか、何十年後かにこの子供達が今度は観光バスかなんかに乗って団体で訪れて、そういえば昔“おじちゃん”とここに来たなぁ~と思い出してくれたらありがたい。
子供達は多少なりとも興味を持ってくれたようだ。
原爆でケロイドを負った人達の写真や模型が展示されている。
なんとも辛い。
拙者自身がケロイドを負っているのだから・・・何も写真を見なくったって拙者を見ればいいのであって・・・
子供達はこの写真を見てどう思ったであろうか?
見学を終え、今度は路面電車で『新中川』駅まで行き、そこから徒歩で『シーボルト邸跡』と『シーボルト記念館』へ行く。
細い路地を歩くが、途中で迷子になりそうになり拙者としては不安で一杯。
そういう中でも子供達はチンタラチンタラと携帯電話でメールを書いてるのか、ゲームをやっているのか・・・携帯電話を見ながら付いて来るんだから現代っ子の行状には呆れるばかり。
ようやく無事に目的地に到着。
時刻は1時40分。
DSC04978.jpg
(シーボルト宅跡)
DSC04979.jpg
(シーボルト記念館)
「おじちゃん、シーボルトって日本を追放されたんだよね?」と甥が言う。
おお!偉いじゃないか、よく知ってるじゃないか。
「何で追放されたの?」
「あのなぁ、目の前のパネルに書いてあるだろう!自分でよく読め!」
どうして、こう楽をしたがるかなぁ~
聞いたほうが早いなんて・・・・とんでもねぇ。
自分で調べろって!
相変わらず一人の子どもは「疲れたぁ~もう歩けねぇ~」とブツブツ言っている。
何を言うか!携帯で遊んでいるくせして・・・・
よし、少し懲らしめてやろう!
「おい、今度は風頭山の頂上にある坂本龍馬の銅像を見に行くぞ!」
「山に登るのぉ~ゲェ~」
ムフフ・・・ざまぁみろ。
・・・と思って風頭山に向かうが、道は細く急な坂。
しかも道順がさっぱりわからん。
懲らしめるつもりが、こちらが息が切れてツライ、ツライ(笑)
DSC04980.jpg
(風頭山頂上の坂本龍馬像)
46歳、老骨に鞭打ってようやく到着する。
ここで一服して、坂を下りて『亀山社中跡』に向かう。
DSC04982.jpg
(亀山社中跡)
石碑が建つのみで詳しい説明板はない。
よくもこんな不便な場所に『社中』を作ったものだ。
それにしても、やっとの思いで辿り着いたのに石碑のみとは・・・
観光協会や教育委員会は何をしてるんだろうか?
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(龍馬のぶーつ像)
『亀山社中』の直ぐ近くに『龍馬のぶーつ像』があった。
「おい、このブーツに足を入れてみろ。記念写真を撮ってやるから」
「おじちゃ~ん、坂本龍馬って足が大きかったんだねぇ~」と甥っ子。
「そんなにでかいわけねぇだろ・・・アホか!」
周りの観光客に思いっきり笑われる。(汗)
時刻は3時。
それ!急げ!次は『出島』に行くぞ!
今度は坂を下るだけだから楽なはずだが・・・
相変わらず1名がチンタラチンタラと歩いている。
参ったなぁ~
路面電車に乗り『出島』へ。
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(ミニ出島・出島の模型)
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(出島の復元建物)
その昔、出島があった場所に出来た、いわゆるテーマパーク。
当時の建物を復元して資料の展示などがされているのだが・・・
あれほどチンタラとしていた子どもは今度はじゃれて遊び始め見学というのには程遠い。
何をしに来たのか・・・・
さすがに拙者は子供達を放り出して一人で見学することとする。
約1時間15分・・・・じっくりと見学する。
子供達にとってはつまらなかったろうが・・・・
拙者は満足。
さて、時刻は5時。
以上をもって本日の旅行は終了!さぁ、ホテルに帰ろう!
路面電車の駅で電車を待つ間に子供達がじゃれあって仕舞いには線路にまでおりてはしゃぐ始末。
プチン!切れた!
今春から中学生になるというのに・・・・何をしておる!
「電車には乗らん!ホテルまで歩くぞ!」
『エ~ッ・・・歩くのぉ~」
「お前ら、電車から外の景色を見てなかったろ?ここからホテルまでは歩ける距離だ!だから歩く!」
夕食は今晩も外食。今夜は甥っ子の提案で天ぷら屋で天ぷらを食べる。
今晩の風呂はホテルの大浴場を使うこととする。
子供達は大はしゃぎ。
まぁ、他に客はいないからこれは黙認してやろう。
「さて、明朝は早いぞ。空港へ行って鹿児島に移動する。寝坊したらアウトだから早く寝ろ!」
・・・と言っても言うことを聞く連中じゃない。
まぁ、口うるさい(?)親から離れられて嬉しくて仕方がないのだろう。
寝やしない!
こっちは歩き過ぎてクタクタじゃ。
付き合いきれんわ~

旅行 | 15:40:50 | Trackback(0) | Comments(0)
原爆落下中心地
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(長崎県長崎市)

原爆落下中心地
ここは原子爆弾が投下された中心地です。
この説明板の右側にある黒御影の石柱はその中心地を示しています。
1945年8月9日午前11時2分、爆撃機B29により投下された原子爆弾は、この地上500m上空でさく裂、爆風と熱線と放射線によって市街地は廃墟と化しました。
そのため長崎市の北部一帯は全焼し、約15万人の死傷者を出しました。
「75年草木の生じることなし」といわれたこの地も、今や平和公園として訪れる人々に世界の恒久平和を訴える発信地となっています。
(長崎原爆資料館に当時の惨状を示す原爆被災資料を展示しています。)

(説明板より)

原爆落下中心地


史跡 | 14:35:04 | Trackback(0) | Comments(0)
長崎刑務所浦上刑務支所跡
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(長崎県長崎市)

長崎刑務所浦上刑務支所跡
長崎刑務所浦上刑務支所は、松山町・岡町・橋口町の三か所にまたがる丘の上にあり、敷地約2万平方メートル、庁舎面積約1万3千平方メートルの爆心地にもっとも近い公共の建物であった。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、一発の原子爆弾のさく裂により、職員、官舎居住者、受刑者及び刑事被告人計134名が死亡した。
周囲の高さ4メートル、幅0.25メートルの鉄筋コンクリート塀は、ほとんど根元から倒壊し、木造庁舎も炊事場の煙突1本を残して倒壊全焼した。

(説明板より)

長崎刑務所浦上刑務支所跡


史跡 | 14:23:27 | Trackback(0) | Comments(0)
平和祈念像
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(長崎県長崎市)

平和祈念像
この平和祈念像は、史上最大の惨禍によって瞬時に数多くの同朋市民を失い、筆舌につくし得ない悲惨苦に当面した長崎市民が、世界恒久平和の実現を広く世に訴えこの惨禍を再現せしめてはならないという切なる念願により、世界恒久平和のシンボルとして昭和30年(1955年)8月の原爆10周年記念日に建立されたものであります。
平和祈念像は、国内はもとより、海外からも拠出された浄財によって、彫刻界の権威、北村西望氏製作による全長約10mの青銅男神像であり、上方を指した右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は平けく安らけくと平和のすすめる姿であり、頑丈な体躯は絶者の神威を示し、柔和な顔は「神の愛」または「仏の慈悲」を表わし、また軽く閉じた目は戦争犠牲者のめい福を祈っている姿であります。
なお、折り曲げた右足はめい想即ち静、立った左足は救済即ち動、何れも神仏の特性を表現したものであり本像はその規模において、またその思想において、この種の彫刻としては、世界にもその類を見ない雄大な芸術作品であります。

長崎市

(説明板より)

平和祈念像建立のことば
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が、この地上空でさく裂し、方五粁一帯を廃きょと化し、死者7万3千余、傷者また7万6千余におよんだ。
哀愁悲憤の思いは、今もなお胸を裂くものがある。
私ども生き残った市民は、被爆諸霊の冥福を祈り、かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、自ら起って、世界恒久平和の使徒となることを決意し、その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。
かくて、私たちは、平和祈念像建設協賛会を組織し、内外の熱烈な協賛のもとに、昭和26年春、工を起こしてより、ここに4年、念願の像を完成し、除幕の式を挙げた。
この日原爆十周年の日の前日である。
私は、30万市民とともに、この平和祈念像が、万人に仰がれ、世界平和の保持に大きな貢献をなすものと信ずる。

昭和30年8月8日
長崎市長 田川 努

(銘板より)

平和祈念像



史跡 | 13:54:45 | Trackback(0) | Comments(0)
如己堂
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(長崎県長崎市)

如己堂(にょこどう)
長崎市名誉市民、永井隆医学博士の病室兼書斎。
島根県出身の永井博士は、長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻した。
当時は結核患者が多く、医療機器も不十分だったことから、放射線を過量に受け、「慢性骨髄性白血病、余命3年」と宣告された。
その2ヵ月後、原爆を被爆し大けがを負って、妻までも失ったが、被災者の救護活動に積極的に取り組み、ついには寝たきりとなってしまった。
しかし、科学者としての不屈の研究心とカトリック信徒としての厚い信仰心もあって、病床にありながら十数冊もの著書を執筆した。
博士は、この建物を「己の如く隣人を愛せよ」との意味から『如己堂』と名づけ、ここで2人の子どもと生活した。
そして、ここから世界中の人々に戦争の愚かさと、平和の尊さを発信し続け、昭和26(1951)年5月1日、43歳で永眠した。
博士の恒久平和と隣人愛の精神は、今も多くの人に受け継がれており、如己堂はその象徴となっている。

長崎市教育委員会

(説明板より)

如己堂



史跡 | 13:20:07 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(2)
今日は朝から雨!
天気予報と話が違うじゃねぇか!
こいつらの普段の行いが悪いに違いない・・・と子供達の顔を見る。(笑)
朝食を食べ・・・・さぁ!出発だ!
まずはタクシーで『長崎県護国神社』
「護国神社?」
「そう!戦争で亡くなった長崎県出身者をお祀りしておる!ご挨拶に行くぞ!」
わかろうがわかるまいが関係ない。とにかく、おじちゃんは行きたいのだ!
しかし、タクシーの運転手さんまでもが・・・「護国神社?どこだっけかぁ~」なんだから子供に理解させること自体が無理か。
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(長崎県護国神社)
お参りの仕方を子供達に教えてお参りをするが・・・・
一人の子供は「あ~疲れた~」を連発して全くお参りする気がない。
まだタクシーにしか乗ってねぇだろ!
よし、ここから歩くぞ!
幸いにも雨も止んだので、ブツブツ文句を言う子供を尻目にドンドン歩く。
途中で、『如己堂・長崎市永井隆記念館』を見つける。
よし、ここを見学する!
永井隆は医学博士。妻を原爆で失い、自らも被爆。幼い子供を残して他界した。その思いを思うと胸が詰まる。
わが甥は医者の息子。何かを得てくれたら・・・と思う。
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(長崎市永井隆記念館)
続いて『浦上天主堂』に向かう。
行ってみてがっかり・・・何も見るものはない。
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(浦上天主堂)
次は『平和公園』
長崎に来たら、ここに行かねばなるまい。
しかし・・・子供の一人は相変わらずチンタラチンタラと歩いてくれるので、他の二人がこのペースに巻き込まれる。
こいつらに合わせていたら時間が無駄になる。
無視してドンドン歩く。
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(平和祈念像)
時間はちょうどお昼。
近くの中華店で昼食をとる。

旅行 | 11:01:06 | Trackback(0) | Comments(0)
西洋料理発祥の碑
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(長崎県長崎市)

西洋料理発祥の碑
わが国西洋料理の歴史は16世紀中頃、ポルトガル船の来航に始まり、西洋料理の味と技(わざ)は鎖国時代、唯一の開港地長崎のオランダ屋敷からもたらされた。
1800年代にいたり、横浜、神戸、函館などが開港され、次第に普及し、更に東京を中心に国内に大きく輪を広げ、日本人の食生活に融和(ゆうわ)され現代の隆盛となった。
ここに西洋料理わが国発祥を記念しこの碑を建てる。

1977年 社団法人 全日本司厨士協会

(説明板より)

西洋料理発祥の碑

史跡 | 23:55:13 | Trackback(0) | Comments(0)
わが国ボウリング発祥の地
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(長崎県長崎市)

わが国ボウリング発祥の地
日本最古のボウリング場は、わが国最初の英字新聞であり初の近代活版新聞である「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」に1861年(文久元年)6月22日の日付で新装開店の広告が掲載された、インターナショナル・ボウリング・サロンである。
この史実をもとに、昭和47年より6月22日を「ボウリングの日」として制定した。
その後、開港されていた横浜や神戸にも、ボウリングサロンが次々とオープンした。

1864年(元治元年)横浜
5月7日付の英字新聞「ジャパン・ヘラルド」に、横浜開港当時、外国人居留地であった現在の“港の見える丘公園”内にボウリングサロンが開店したという広告が掲載された。

1869年(明治2年)神戸
4月20日神戸に、ボウリングレーン付の駐在外国人の会員制クラブ「ユニオンクラブ」が誕生した。その後現在の神戸市庁舎南隣の東遊園地に移転し、「神戸クラブ」の名称で長い間親しまれた。

1952年(昭和27年)東京
12月20日に、東京・神宮外苑、現在の秩父宮ラグビー場付近に、米軍の格納庫を利用し、民間商業施設として日本初のボウリングセンターがオープンした。
2002年で50周年を迎えた。

2003年(平成15年)6月22日「ボウリングの日」
社団法人 日本ボウリング場協会

(説明板より)

わが国ボウリング発祥の地

史跡 | 23:51:10 | Trackback(0) | Comments(0)
国際電信発祥の地跡
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(長崎県長崎市)

国際電信発祥の地跡
明治4年(1871)長崎~上海(中国)、長崎~ウラジオストック(露国)間にデンマーク系の大北(たいほく)電信会社によって、海底電信線が開通した。
これで日本と世界が初めて即時に情報交換ができるようになった。
ここが最初に設けられた通信所である。

(説明板より)

国際電信発祥の地


史跡 | 23:31:55 | Trackback(0) | Comments(0)
九州旅行(1)
今日から4泊5日の九州旅行!
小学校を卒業したばかりの甥と同級生2人を連れて4人で九州旅行!
彼らにとっては“小学校卒業旅行”ということになるかな?
新宿駅で子供達と合流して羽田空港へ。
9時45分発の全日空663便にて長崎に向かう。
長崎空港からバスで長崎駅へ。
長崎空港って・・・島だったのねぇ~
時刻は2時。駅前の食堂で遅い昼食。
「腹が減っては戦は出来ぬわぁ~」
勿論、拙者は好物のカツ丼である!
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(カツ丼)
満腹!満腹!
さぁ~行くぞ!
長崎には便利な路面電車が走っている。
どこまで乗っても1回大人100円。子供は半額の50円。
これに乗って出かけるか!
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(長崎駅前の路面電車乗り場)
旅先での支払いは各自から拠出したお金を専用の財布に入れる。
まずは各自1万円づつ出し合って合計4万円。
会計係はジャンケンで決めて日替わりで子供達にやらせる。
おじちゃんは財布を預けたままで何もしない。
「お~い、払っておけ!」てな調子だ。
最近の子供は頭がいいのか悪いのかさっぱりわからぬ。
学校の成績は3人ともかなりいいらしいのだが・・・
路面電車に乗るんだから小銭を用意しなくちゃならんだろ~
・・・となれば、事前にどこかで細かくしておかねばならんだろ?
いざとなってから小銭がないといって大騒ぎ。
「お前らは馬鹿か!」

まずは、遠いところから見てまわるか・・・
『大浦天主堂』に行く。
現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会。
国宝である。
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(浦上天主堂)
続いて『グラバー園』
グラバー園にはグラバー邸以外にもいくつもの建物があることを知った。
4時から5時までの1時間かけて見てまわる。
しかし・・・子供達は早くも飽きてしまっている。
ベンチに座って携帯のメールやらゲームをやっている。
携帯電話を持たせたのが間違い。
禁止すべきだった・・・
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(旧グラバー住宅)
「おじちゃ~ん、喉がかわいたぁ~ジュース買っていい?」
「駄目!買うんじゃねぇぞ!」
ここへ来る途中で“ザボンジュース”を売っている店があったので、そこで飲ませてやろうと思っているんだから・・・・
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(絞りたてのザボンジュース)
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(ビワゼリー)
“ザボンジュース”とついでに“ビワゼリー”を食べる。
「ザボンなんて食べたことねぇだろ~」とは言ったものの拙者も今までに2回しか食べた記憶が無い。(笑)
ここで自腹を切って1,800円のザボンを1個買う。
ホテルに行ったら食べさせよう!
ホテルにチェックインして夕食は外食。
長崎といえば・・・“ちゃんぽん”でしょ?
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(長崎ちゃんぽん)
何故か我が甥っ子は“チャーハン”
おい、おい、どうしてそうなるかなぁ~
デザートはホテルで“ザボン”
皮は風呂に入れて“ザボン風呂”にしたのだが・・・
誰も喜ばない!誰も感動してくれない!
あ~1,800円も払って買ったっていうのにさぁ~
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(ザボン風呂)
子供達は風呂より携帯でメールを書くのが忙しい。
何たることぞ!


旅行 | 20:42:58 | Trackback(0) | Comments(0)
スクロール地図
来週から連続して旅に出る。
事前に旅先の情報を得たいのだが、これがなんとも面倒臭い。
ガイドブックをわざわざ買うのももったいない気がするし・・・
現地の観光案内所に行ってから考えるというのもいいのだが、もし案内所が見つからなかったり閉まっていたらどうしようなどと思う。

インターネットにiタウンページというのがある。
スクロール地図が非常に使いやすい。
しかし・・・ノートパソコンを持参で旅行しなくちゃならないのか?
ちょっと荷物になるなぁ~
このiタウンページには口コミ情報もたくさん載っているが、拙者が得たい情報は史跡関係。
どこに石碑や銅像や記念館があるのかというマニアックな情報を得たいのだが・・・
残念ながら企業や店舗の情報が多い。
口コミ情報には投稿も出来るようだが、史跡関係の情報は載せられるのだろうか?
どうも店舗の紹介だけのような気もするのだが・・・・

試しに携帯でも見られるかどうかやってみた。
携帯でインターネットを見るのは初めて。
なんとかかんとか接続したが・・・
検索はやっぱり「お店」とかだった。
史跡巡り・歴史の旅用に使おうなんていうのは無理かなぁ~
携帯電話を使いこなせる人ならもっと便利に使えるのだろうが・・・・
どうも拙者は不器用で・・・・折角のチャンスを生かせぬぞ。
参ったなぁ~

img445b9d9c5c144a.jpg

http://itp.ne.jp/




日記 | 16:59:06 | Trackback(0) | Comments(2)
スタンプ
最近、億劫がって手紙を書くことがまたまた少なくなってしまった。
これではマズイな~とは思うのだが・・・・

戦友会の会報等の発送用の封筒には、既に拙者の名前を入れて印刷はしているのだが・・・・
普通の封筒や葉書に差出人の住所や名前を書くのが面倒臭い。
やっぱり、スタンプを作ろうかな?
シヤチハタXスタンパーというのがあるらしい。
どちらかというと仕事用、会社の書類管理用というイメージがあるが、差出人のスタンプにも使えるよね?
値段がさほど高くないなら作っちゃおうかな~

img145d90d1996b0a.gif

http://allabout.co.jp/1/211872/1/product/211872.htm


日記 | 16:06:21 | Trackback(0) | Comments(0)
法事
今日は母方の祖父母の17回忌法要。
前から風邪気味だったが、ついに京都で風邪が本格的になってしまった。
家で寝ていたほうがいいかも・・・と思ったが、いや、いや、これは無理しても行かねばなるまい!
この程度で休んではご先祖様に申し訳ない。

ということで、マスクをして母の実家に向かう。
住職が来てお経を読む。
拙者は京都で歩き過ぎたので、実は足が筋肉痛。
これで正座するのだから・・・・いやぁ~辛いこと。
しまったぁ~と思っても既に遅し。

お墓参り後に昼食会。
和気藹々で爆笑の連続。
とても法事をしているとは思えない明るさ。
まぁ~これも供養ということで・・・・許してもらいましょう!

日記 | 15:24:58 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(6)
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(八坂の塔)
『八坂の塔』というのは『法観寺』というお寺の五重塔のことらしい。
この敷地内に木曽義仲の首塚があったのには驚いた。
木曽義仲のお墓は滋賀県大津の義仲寺にあるんだけど・・・
首がここにあって、胴体があっちにあるのか?
この五重塔の内部に入れるので入ってみる。
五重塔の内部を見るのは初めて。
2階まで登れるので構造の一部も見学できる。

さて、ここを出て、ブラブラと坂を下りる。
“シミズ君”から六道なんとか・・・っていうところの話を聞く。
この世とあの世の境がどうとか、こうとか・・・
よくわからないのだが・・・この近くらしいので、その六道何とか・・・というところに向かう。
が、しかし・・・『水戸藩士』の道案内であるから・・・
「どこ?どの辺り?」
「え~と・・・・わからない」(笑)
しばらく歩くと寺らしきものが・・・
「あそこじゃないのか?」と拙者。
「そうですね。あそこです!」と『水戸藩士』
しかし・・・
「おい!建仁寺って書いてあるぞ!」(笑)
「あれぇ~?建仁寺でしたか~」
おいおい・・・『水戸藩士』を頼った拙者が甘かった。
やっぱり、地図とかガイドブックっていうのは必要だわぁ~。

いいや。六道なんとか・・・・っていうところは諦めて、ここを見よう!
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(建仁寺)
敷地内に『道元禅師・修行の遺跡』や『栄西禅師茶徳顕彰碑』があった。
栄西が、この建仁寺を創建したらしいのだが、説明板には「明庵栄西(みんなんようさい)と仮名が振られている。栄西は「えいさい」と読むと思っていたのだが・・・
どちらが正しいのだろうか?

『建仁寺』は建物の中には入らず、庭だけを見て出る。
そろそろ帰ろうか?
「そうですね。じゃ、祇園の方に出てタクシーを拾って駅に行きましょう!」と『水戸藩士』
というわけで、歩き始めたのだが・・・
「この道でいいのかな?」
質問した拙者が馬鹿だった。
「さぁ?初めて歩く道なので・・・知りません」との答えが返ってきた。
唖然・・・・
祇園ってどっちだよ~(泣)
言ってるほうもいい加減なら、聞いてるほうもいい加減という珍道中。
とにかく大通りに出てタクシーを拾って京都駅に向かう。

『水戸藩士』と『脱藩浪士』の二人旅は無事予定通り(?)に終わった。
思いがけず非常に充実した旅だったのだが・・・

実は拙者が出かける4日前から拙者の親父はどこかに旅に行って不在だった。
ところが拙者が帰宅してみると・・・
親父が『生八橋』を食べている!
ゲゲッ!
親父は、どうやら京都に行っていたらしい!
“シミズ君”の、いいかげんな道案内のおかげ(?)で路地裏をウロウロしたことが良かったのかも。
観光名所を巡っていたら親父にバッタリ会っていたかもしれぬ。
京都で親子の対面なんぞはしたくないわい!
あ~危なかった!危機一髪である。
知らぬが仏とはまさしくこの事ぞ!
改めて“シミズ君”に感謝!感謝!

日記 | 21:05:30 | Trackback(2) | Comments(0)
翠紅館跡
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(翠紅館跡)

翠紅館(すいこうかん)
ここに、幕末の頃、西本願寺の別邸で、翠紅館と呼ばれる屋敷があり、たびたび志士たちの会合の場所となっていた。
文久3年(1863)正月27日には、土佐藩武市半平太、長州藩井上多聞久坂玄瑞ら多数が集り、ついで同年6月17日にも、長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守らがあつまった。
この数年前から攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあったが、これら各藩志士代表者の会議で、攘夷の具体的な方法が検討された。
世にこれを翠紅館会議という。
同年8月13日には、孝明天皇の大和行幸の詔書が出されて攘夷運動は頂点に達した。
しかし8月18日に政変が起こって攘夷派は失脚、代って公武合体派が主導権を握り、幕末の政局は混迷の度を加えていった。

京都市
(説明板より)

翠紅館跡

史跡 | 19:18:26 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(5)
『京都霊山護国神社』は京都ではマイナーな場所ではあろうが、拙者は何度も参拝に来たことがあるが“シミズ君”は訪れたことがないというので、ご案内した。
この神社の脇には維新の志士たちのお墓がある。
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坂本竜馬中岡慎太郎の墓)
維新の志士たちの墓・供養塔がたくさん建ち並んでいるのはいいのだが・・・・
名前を見ても何をした人なのか全くわからないという人物が多い。
もし、顕彰するという考えがあるのなら、個々に説明板を設置してもらいたいものだ。
この他に、大東亜戦争の慰霊碑やパール判事の顕彰碑などがある。
これらを約1時間半かけてじっくりと見る。
もしかしたら“シミズ君”には退屈だったかも・・・

続いて神社の直ぐ近くにある『霊山歴史館』を見学。
ここに最後に訪れたのは平成11年1月21日。
拙者にとっては8年ぶりの訪問である。
この時に学芸課長の木村氏に偶然お会いし、「水戸藩から来ました!」などと冗談混じりの挨拶をし、氏からは「茨城県の知事さんがこの間来たけど、知事さんって面白い人だねぇ~」と言われ、しばし茨城談議となったことを覚えている。
龍馬暗殺の真犯人は誰か 龍馬暗殺の真犯人は誰か
木村 幸比古 (1995/06)
新人物往来社

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その時に、この本を買って著者の木村氏のサインを頂いた。
あれから8年かぁ~
あっという間だなぁ~
約1時間ほど見学。
若い人やアベックが何組も見学に来たのは意外だった。
ここがデートスポット?

護国神社の坂を下り、途中の左側に『翠紅館跡』や『青竜寺』の説明板を見る。
“シミズ君”から「『八坂の塔』に行きませんか?」と言われる。
『八坂の塔』って何?
行ったことがないから行ってみよう!

日記 | 18:04:51 | Trackback(0) | Comments(0)
福井藩邸跡
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(福井藩邸跡の碑)

この油小路二条下る西側(現京都国際ホテル)の一帯には、江戸時代後期、福井藩の藩邸があった。
藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の「京大絵図」に描かれている。
藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛を指定して、各種の連絡事務に当たった所である。
福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられたのに始まる親藩の雄藩で、石高は最大68万石、江戸中期以降は32万石。
幕末に松平慶永が藩主となってから、人材を登用して藩政を改革し、水戸藩とともに幕府政治の改革に乗り出し、更に、公武合体運動を進めて、幕末政局に一方の旗頭となって活躍した。
この藩邸は、幕末の福井藩の活躍にとって大きな役割を果たした。

京都市
(説明板より)

福井藩邸跡


史跡 | 16:24:50 | Trackback(0) | Comments(0)
京都の旅(4)
「やっぱり、京都の朝食といえば朝粥ですよねぇ~」と“シミズ君”
「おお!朝粥!いいねぇ~」
さて、食堂に行って頼んだのは・・・
拙者は朝粥、“シミズ君”は普通のご飯の和定食!
「おい!話が違うじゃねぇか!」(笑)
猫舌の拙者は“シミズ君”に乗せられて粥なんぞを頼んでしまった!
『脱藩浪士』には『水戸藩士』の考えがよくわからぬ。

今日はどこへ行こうか・・・
二条城に天守閣跡があるというが拙者は見たことがない。
是非見たい!・・・ということで二条城に行くことにした。
二条城前で一瞬目が釘付けになった場所がある。
今から3年前、ここで今は亡き『戦車第二師団の会』の大谷会長とお別れした。
「また来年お会いしましょう!」と声をかけていただき、「会長!お元気で!」とタクシーに乗って駅に向かう会長を見送ったのが最後。
翌年、会長は急死され、再びお目にかかることは出来なかった。
あの時のタクシーに乗り込む会長の御姿が目に浮んだ。
あれからもう3年も経つのかぁ~・・・・

この時に二の丸御殿の内部を見学しているので、今回は敷地内だけを見ることにして御殿内部には入らないことにした。
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(天守閣跡)
これが天守閣跡なのかぁ~
焼失していなかったらどんな天守閣だったのだろうか?
約1時間半かけてブラブラと散策。
「ついでに外も1周してみよう!」
「えっ!二条城の周りを1周するんですかぁ?」と“シミズ君”
普段の運動不足解消のため歩く!

1周回ったところで“シミズ君”が「面白い建物がこの近くにあるので見に行きましょう」と言う。
“シミズ君”を道案内に歩くが・・・・
歩けど歩けど目的の建物に辿り着かない。
「あれ?無くなっちゃったのかな?」
結局、断念して道を引き返す。
途中で『豊臣秀吉妙顕寺城跡』の碑に出会う。

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(京都国際ホテル)
『京都国際ホテル』が建っているところに『橋本佐内寓居跡』と『福井藩邸跡』の碑が建っていた。
このホテルには過去に何度か来たことがあるのだが、こういう碑が建っているとは知らなかった。

丁度お昼になったので、『京都国際ホテル』の裏にある寿司屋で昼食を食べる。
店の人に尋ねたところ『面白い建物』は道を1本左に入ったところにあるとのこと。
どうも『水戸藩士』の道案内は当てにならぬわ。(笑)
この面白い建物とは、『顔の家』と呼ばれる人の顔の形をした家なのだそうだ。

食後、ホテルからタクシーに乗って『京都霊山護国神社』に向かう。


日記 | 09:00:00 | Trackback(1) | Comments(0)
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