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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
59歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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管内史跡巡り
今日は快晴!ドライブ日和。
日立法人会事務局の”朝日さん”が迎えに来てくれた。
彼の運転で今日は日立法人会管内の史跡巡りに出かける。

まず最初は北茨城市から。
大津港・・・ここは文政7年に英国の捕鯨船の乗組員が上陸して大騒ぎとなった場所。ペリーが来航する30年も前の出来事だから、異国人を見た人は腰が抜けたであろう。残念ながら「ここが上陸地点」とわかる石碑等はない。
大津岬灯台、五浦岬公園とまわる。
五浦岬公園では歌碑を発見。発見したは良いがなんて書いてあるか達筆過ぎて読めない!読めない歌碑では何の意味もないのではないか?
こういう歌碑を「自己満足の碑」と拙者は呼ぶことにしている。
建てた人だけが自己満足するだけで後世には伝わらない碑である。
困ったものだ。
続いて岡倉天心記念館、天心邸、六角堂、岡倉天心の墓、日本美術院研究所跡とまわる。
ちょうどお昼となり、”朝日さん”お奨めのカツ丼屋さんへ向うも残念ながら定休日。やむを得ず別の店を探してカツ丼を食べる。
石焼カツ丼
(石焼カツ丼)
この店のカツ丼が珍しい。『石焼カツ丼』!
簡単に言うと石焼ビビンバみたいなカツ丼。
ご飯の下の部分が焦げてパリパリとなかなかの食感。予想以上のおいしさに感激しました。

さて、食後は南下して高萩市へ。
長久保赤水のお墓を偶然見つける。赤水は江戸時代に日本地図を編纂した有名な人。高萩市の出身。
長久保家の墓所の墓石の殆どが「赤水長久保」という風に姓名が逆に記されている。何故なんだろうねぇ?
続いて向ったのは松岡小学校。若かりし我が母は、その昔この学校の教壇に立っていたのである。ここ周辺は美観地区として整備されているのだが、裏山の龍子山城跡は未整備の様子。雨の降った翌日のことで、山道がぬかっていたので登るのを断念。
どうも整備が中途半端なんだよなぁ~
この地区には松村任三の生家もある。少し朽ちた長屋門。任三は明治~大正期の植物学者で、ソメイヨシノなどに学名を付けて世界に紹介した日本植物学の生みの親。
長久保赤水にしてもこの松村任三にしても非常に有名な人にもかかわらず顕彰が足りない。銅像の一つでも建ててもらいたいと思うのだが・・・
市民に問題があるのか、行政に問題があるのか、それとも子孫に問題があるのか、知る人ぞ知るというレベルでは余りにも悲しい。
日立に向かい常磐自動車道と平行に走ると、途中で「小場(おば)遺跡」の説明板を発見!
しかし、縄文時代中期の集落跡との説明板はあれど・・・どこが遺跡なのかさっぱりわからない。
説明板の真下なのか?

日立市に戻り向かうは旧多賀郡十王町の石尊山頂上。
狭い山道を山頂へ向かい車で登るが、一人じゃ怖くて行く気が起こらない場所。
ここに「海軍航空隊員殉難の碑」が建っている。
昭和19年9月、千歳から豊橋に向かって飛んでいた九六式陸上攻撃機が悪天の中で、この山腹に衝突、8名の搭乗員が殉職したのである。
時間は4時半。今回の史跡巡りはここまで。
家まで送ってもらい解散となる。

今回集めた資料は拙者が整理して”朝日さん”が管内史跡探訪に載せてくれることになっている。
が・・・自分のHPに鎌倉へ行った資料を載せるのもままならないというのに、さらに忙しくなってしまった。
自分の首を絞めるような真似をしてしまったかも。
急いで整理せねば・・・

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日記 | 21:37:55 | Trackback(0) | Comments(0)