投稿日:2010-05-25 Tue

旧北海道庁函館支庁庁舎
(北海道指定有形文化財)
旧北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年)に修復整備されたものです。
特徴のひとつに柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が柱頭飾り(コリント式)と中央部に膨らみのある(エンタシス風)巨大な4本の柱で支えられています。
明治末期の函館を伝えるこの洋風建築物は、北海道開拓の歴史上価値が高いことから、昭和60年(1985年)北海道有形文化財に指定されています。
現在は、1階を元町観光案内所として利用し、2階は「写真歴史館」として“北海道写真発祥の地 函館”の歴史を伝える貴重な写真機器や資料を展示しています。
また、ここ元町公園は、江戸時代には松前藩の藩所や函館奉行所が、明治維新後は開拓使函館出張所や函館県庁函館区役所等が置かれ、常に行政府の中心となっていたところです。
函館市
(説明板より)
投稿日:2010-05-25 Tue

旧函館区公会堂
明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、12,000戸余りを焼失した。
この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」が組織され、建設資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。
当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗などの多くを焼失したにもかかわらず5万円の大金を寄付したため、これをもとに明治43年(1910年)現在の公会堂が完成した。
この建物は北海道の代表的な明治洋風建築物で左右対称形となっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表わしている。
昭和49年5月、国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして修復された。
函館市
(説明板より)
投稿日:2009-11-04 Wed

明治記念館(旧八戸小学校講堂)
明治記念館の由来
明治記念館は八戸市堀端に八戸小学講堂として、明治14年(1881)8月に竣工した、県内に現存する最古の洋風建築である。
洋風の下見板張りの外壁が真壁として納まり、柱頂部には飾を載せ、胴蛇腹と軒蛇腹とを備えている。
明治14年の明治天皇東北御巡幸に際し行在所として用いられた。
昭和4年には八戸市図書館となり、御聖蹟として維持される。
昭和37年に櫛引八幡宮境内へ移築し、その際窓回り等に若干の改造が加えられてはいるが、「明治」の雰囲気を色濃く伝えており、「明治記念館」として現在に至る。
(現在は直会所・神前結婚式控室・会議室等に使用している。県重宝平成3年3月13日指定)
より大きな地図で 明治記念館 を表示
投稿日:2009-11-02 Mon

旧弘前市立図書館
明治39年3月に竣工したこの建物は、斎藤主・堀江佐吉らが東奥義塾の敷地に建てて、市に寄付したものです。
設計・施工は堀江佐吉で、木造洋風・ルネッサンス様式を基調とした手法に和風様式が随所にとり入れられています。
外観は石積基礎に白しっくい塗り壁、屋根はレンガ色の鉄板葺き、各階の軒先蛇腹・窓の形・屋根飾り・八角形の双塔を左右に配して柱型を強調するなど、洋風技法の水準の高さを感じさせています。
その後、昭和6年まで市立図書館として利用されましたが、図書館の移転にともなって堀江家の子孫に払い下げられ、市内富野町に移築されていたのを平成2年7月市制百周年記念施設のひとつとして、現在の場所に復原したものです。
一階は旧図書館の形態を復原して公開し、旧図書館の関連資料の展示を行なっています。
二階は郷土の出版社の出版物を展示し、郷土の文学の動向や文芸団体の活動を紹介しています。
またビデオ映像によって文学碑めぐりを放送しています。
(説明板より)
より大きな地図で 旧弘前市立図書館 を表示
投稿日:2009-11-02 Mon

重要文化財
昭和47年5月15日 文部省指定
青森銀行記念館
この建物は、当行の母体となった旧第五十九銀行(明治12年―西暦1879年―1月第五十九国立銀行として創立)本店として明治37年(西暦1904年)に建築されたものである。
昭和18年(西暦1943年)10月第五十九銀行ほか数行合併して青森銀行が創立された後は弘前支店に転用して来たが昭和40年(西暦1965年)5月に支店新築にあたり、この地に移転し、第五十九銀行時代の貴重なる記念物として又当地方における明治期の文化財として永く保存することにしたものである。
設計施工は、当時名匠といわれた当市の棟梁堀江佐吉の手によるもので構造は木造(欅材を多く用う)ルネッサンス様式の洋風建築として、この地方に極めて貴重なものとされる。
昭和47年10月1日
青森銀行
(説明板より)
より大きな地図で 青森銀行記念館 を表示
投稿日:2009-11-02 Mon

「弘前教会」のあらまし
弘前教会は、明治8年(1875)10月、「弘前公会」の名で創設された東北最古のプロテスタント教会です。
同年6月、東奥義塾の英語教師ジョン・イングの感化によって14名の学生が洗礼を受けたことがきっかけとなり、塾長の本多庸一が初代牧師となって出発しました。
以来聖書を唯一の基準とする福音主義の立場に立ちつつ、メソジスト派の果敢な伝道精神を受けついで、津軽一円にキリストの愛の教えを広めて来ました。
また、弘前学院(聖愛高校)もこの教会から誕生しました。
現在の礼拝堂は明治39年(1906)に建てられたもので、弘前教会の長老桜庭駒五郎の設計、名工堀江佐吉の子斉藤伊三郎の施工によるものです。
明治の洋風ゴシック式木造建築として極めて貴重な建物です。
弘前市
(説明板より)
より大きな地図で 弘前教会 を表示
投稿日:2008-11-19 Wed

草野家住宅
日田市豆田町127・128
草野氏はもと筑後国の領主であり、豊臣秀吉の九州征伐に敗れ、その一族が日田に逃れ帰農したと伝えられる。
寛永18年(1641)に豆田に移り、元禄のころ(1688~1704)現在地に居を構え、屋号を枡屋(ますや)、商標を田(かくじゅう)と定め、製蝋(せいろう)業を営むとともに御用達、庄屋もつとめた。
現在残っている建物は9棟で、店と居宅、隠宅などが土間や前栽を取り込んで連なり、その奥に蔵が配置される。
このうち「仏間と次の間・座敷蔵」は明和9年(1772)の大火を免れた元禄年間の建物と伝えられ、主屋は安永の頃(1774頃)に再建された。
大分県内の町屋では現存最古の建物であり、何れも質も高く風格のある建築とひときわ目立つ主屋大屋根妻のなまこ壁は、天領であった豆田町並の象徴となっている。
なお長年にわたる建物の老朽化が進んでいることから、昭和62年度から2年間にわたって玄関棟の保存修理が行われ、平成7年度からは座敷蔵の保存修理が行われている。
昭和60年3月29日 大分県有形文化財指定
日田市教育委員会
(説明板より)

投稿日:2008-06-18 Wed

重要文化財
国指定昭和49年5月21日
大阪府立中之島図書館
本館左右翼 三棟
この建物は 住友吉左衛門が図書館として本府に寄附されたもので 住友本店技師長野口孫市氏及び技師日高胖氏の設計監督のもとに明治33年に着工同37年1月に竣工したものである
建物は 煉瓦及び石造三階建てで中央に円屋根をつけた十字形平面の本館と左右翼(大正11年増築)からなっている。
外観では高い4本の柱の列立する正面ポーチとその後方に挙げられた円屋根が意匠の要であり 内部では 半球形のドームを頂く円形ホールがもっとも特徴的である
全体としてネオ・バロック様式の傾向が見られるが これをよく消化して独自の造形美を形成しており明治時代の日本人建築家による極めて水準の高い作品である
大阪府教育委員会
(説明板より)

△ PAGE UP