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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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史跡めぐりして帰宅する
一夜明けて、今日は帰宅する日・・・
副会長二人は伊勢神宮を参拝してから帰宅するということで、早朝にチェックアウトした。
拙者は、別行動・・・(大笑)
いつものように史跡巡りをしながら帰宅することにする。

ホテルをチェックアウトして、向かったのは「谷川士清(ことすが)旧宅」である。
近鉄名古屋線の「津新町」駅で下車・・・
一昨日、津駅と間違えて降りてしまった駅である。(大笑)
ここからテクテクと歩いて向かう。

171_convert_20200204123723.jpg(谷川士清旧宅)

行ってみて、初めて知ったのだが・・・・(大汗)
この建物は国指定史跡なのだそうだ。

入館料は無料・・・
管理人が詳しく案内してくれた。(喜)
この建物が建っている場所の目の前の道は、昔の「伊賀街道」なのだそうだ。
昔は、お殿様の行列も通った道である。
当時のままの道幅なのかな?・・・・思ったより狭い道である。(当時は広い方だったかもしれないが)
周囲は閑静な住宅が並んでいるという感じ・・・
誰も歩いていない・・・(汗)
この建物は昭和52年に解体復原されたものだそうだが、国指定史跡のためだろうか・・・内部の写真撮影は禁止だそうだ。(涙)

この谷川士清さんは、もともとは医者だったそうだが・・・・
有名な著書は『日本書紀通証』という『日本書紀』の全巻の最初の注釈書・・・
20数年かけて研究を続けて著わしたそうだ。
もうひとつが『和訓栞』という本。
これは五十音順の国語辞典で全93巻・・・・
これまた日本最初の本格的な国語辞典である。
この本は生前に完成できず、子孫によって受け継がれ明治20年頃になって、ようやく93巻が完成したらしい。
特徴は五十音順・・・
現在の国語辞典が五十音順なのは谷川士清のおかげである。
医者なんだけど国学者・・・しかも、すごい国学者だと思うのだが、残念ながら松坂の本居宣長のほうが有名なのである。
国学者としては賀茂真淵とか平田篤胤とかも有名なのだが・・・
谷川士清の名を聞くことはまずない・・・・誰も知らないと言っていいかも・・・
何でだろう?
本居宣長より21歳も年上なんだけど・・・・大先輩なんだけど・・・
もっと有名になってもおかしくはないと思うのだが・・・・

我が郷土の偉人・長久保赤水(せきすい)と同じかも‥‥
長久保赤水は、伊能忠敬が日本地図を作製する約50年前に緯度経度線の入った日本地図を描き、明治時代まで一般人にも愛用されるという地図を作ったにもかかわらず、なぜか伊能忠敬の方が有名なのである。(涙)
何でだろう?・・・・世の中とはそういうものかも・・・(汗)
本当にすごい人は、あまりチヤホヤされないのかも・・・(苦笑)
(本居宣長や伊能忠敬は、大した人物ではないというわけではないのですが・・・)
だから、こういう隠れた偉人に出会うのが楽しい。

我が水戸藩に関係するところでは・・・
徳川光圀の『大日本史』の中の記述に間違いがあることを指摘した本を著している。
本人は、間違ったことが後世に伝わってしまうのはいけないということで、親切心で指摘したのだろうが、問題になってしまった様で・・・(苦笑)
領国から出ることを禁じられたらしい。
何だかんだと、いろんな話を伺い、大いに楽しめた。(喜)

続いて向かったのは、この近くにある谷川士清の墓・・・

176_convert_20200204143608.jpg(谷川神社)

谷川神社に到着!
この神社・・・谷川士清が祭神である。
で・・・この隣りにお墓があるはずなのだが・・・
なんと!・・・立ち入り禁止!(涙)

186_convert_20200204143733.jpg(谷川士清墓所)

残念無念・・・(大涙)
やむなく、駅に戻る。
時刻はまもなく午後1時・・・駅前で昼食・・・・

187_convert_20200204144513.jpg

ここから近鉄名古屋線で「白子」駅に向かう。
次に向かうのは「鈴鹿医療科学大学白子キャンパス」で・・・
そこは昔、鈴鹿海軍航空隊があった場所。

白子駅前の観光案内所で場所を確認・・・・
白子キャンパスまで徒歩で行こうかと思ったら、かなりの距離だそうだ・・・(汗)
やむなくタクシーで向かうことに・・・

188_convert_20200204152017.jpg 189_convert_20200204152106.jpg



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鈴鹿海軍航空基地跡

昭和13年、第一鈴鹿海軍航空基地がこの地に開設され、鈴鹿海軍航空隊が開隊しました。
この航空隊は、「鈴空」と呼ばれ、大井海軍航空隊とともに偵察専修の教育機関でした。
終戦までの約7年間で約2万人の飛行兵を育成したと言われています。
戦局が悪化した昭和20年からは実戦部隊である特攻隊の基地となりました。

また、この周辺には第二鈴鹿海軍航空基地、第二海軍航空廠鈴鹿支廠、三菱重工業名古屋航空機製作所三重工場など軍事関連の諸施設がありました。

これらの施設が出来たことで、飛行兵を目指す少年たちを中心に、教官や技術者など3000人余りの人たちが全国から集まりました。
日曜日になると軍服に身を包んだ「海軍さん」たちが町にあふれ、「くらぶ」や「下宿」と呼んだ一般の民家で寛いだり、映画を見たり、食事を楽しんだりしました。
下宿の娘と結婚した教官や、終戦後も家族同然の付き合いを続けた少年飛行兵など、航空隊員と地元の人びととの深い交流が生まれていきました。
「白子の町は航空隊で賑わいましたよ」と、当時を知る人は語ります。

そして、昭和20年8月15日、日本の敗戦とともにこれらの諸施設も廃止されました。
今では、当時の面影をしのぶものは、番兵塔と正門だけとなりました。

※昭和16年6月の改定により一等航空兵は一等飛行兵に階級呼称が変更になりました。

NTT西日本贈呈
(説明板より)



この鈴鹿海軍航空隊には、ちょっとした思い入れがある。
昭和19年9月、この基地の所属機が北海道から愛知県へ向かう途中、悪天候の中、拙者の父の実家がある村の山に激突し、搭乗員8名全員が殉職したのである。
その山の頂上には慰霊碑が建っていていて、ずいぶん昔に見に行ったことがある。
殉職者の中には新婚早々の人や、奥さんが妊娠6か月という人がいたので、いやぁ~可哀想だなぁ~と思ったことを覚えている。
それで、「鈴鹿海軍航空基地」というのが頭に残っていたので、是非、一度、ここを訪れたいと思っていたのである。

208_convert_20200204152758.jpg

周囲を散策・・・・
このあたりも基地跡だろうか?

さて・・・帰りますか・・・
タクシーの中から景色を見ながら来たので、何とか歩いて駅まで行けるだろう。
これも「運動」である。(笑)
少し、歩かねば・・・・
途中で、タクシーの中から見かけたコンビニに辿り着く。
よし、道順は間違っていないな・・・(大笑)
ここで飲み物を買って一服!
と・・・水戸藩士の“シミズくん”から電話が・・・・(驚)
「今晩、夕飯でもどうですか?」というお誘いの電話だが・・・・ちょっと無理!(大笑)
「どこにいるんですか?」と尋ねられたが・・・・あれ?・・・ここ・・・どこだっけ?(大汗)
得意の度忘れである!(涙)
「え~と・・・ここはどこだっけ?・・・三重県?・・・あっ、鈴鹿だ!鈴鹿!」(苦笑)

再び歩き出し・・・ようやく駅に戻る。
何だかんだで、1時間くらいかかったのではあるまいか?(笑)

白子駅から名古屋駅に向かい、新幹線で東京へ行き・・・・無事に帰宅する。
う~ん・・・充実した一日が過ごせた!
大満足である!(大喜)

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旅行 | 12:24:01 | Comments(0)
三重県に行く!
明日、三重県津市で法人会の全国大会が開催される。
ということで・・・拙者は広報委員として“取材”を兼ねて参加するついでに1日早く自宅を出て“旅”をすることにした。
恒例のパターンである。(笑)

朝、自宅を出て、東京駅で新幹線に乗り名古屋で乗り換え・・・
名古屋駅からJR快速みえ号に乗り、津駅でJR紀伊本線の各駅停車に乗り換え「高茶屋」という駅で下車した。
降り立って初めて知ったのだが・・・小さな無人駅である。(驚)
駅には必ずタクシー乗り場があるものと思っていたのだが・・・そんなものはない・・・
たまたま、おばあさんがいたので、この近くでタクシーが拾える場所がないかと尋ねたら・・・
「タクシー?このあたりでタクシーなんていうものを見たことはないですねぇ~」とおっしゃる。
ゲゲゲッ!・・・である。(大汗)
近くの郵便局へ行き、局員の方にタクシー会社の電話番号を教えてもらい郵便局まで来てもらう事にした。
いやぁ~近くに郵便局があって助かった!

ここに来た理由・・・
それは、香良洲町にある「香良洲歴史資料館」を見学するためである。
この資料館がある場所は、昔、三重海軍航空隊があった所で、いつか行ってみたいと思っていた場所なのである。
この航空隊は予科練の航空隊である。
我が親父が予科練に志願した時、この三重航空隊に行けるものと思って志願したらしい。
三重まで「官費旅行」(国のお金で旅行ができる)と喜んでいたそうだが、世の中はそうそう甘くはない・・・(笑)
茨城県には土浦航空隊に予科練があるのである。
なにも目の前の予科練ではなく遠方の三重県まで行くわけがなかろう?
というわけで・・・親父は目の前の土浦航空隊に入ることになり「失敗した!」と予科練に志願したことを後悔したという。(大笑)

30分以上待って・・・ようやく迎えに来たタクシーで「香良洲歴史資料館」(別称:若桜会館)へ・・・・

089_convert_20200126182249.jpg(香良洲歴史資料館)

ここの門柱は三重海軍航空隊の正門を移設したものである。

空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出してきそうな感じだったので、まず最初に急いで敷地内の「慰霊碑」等を見て回る。

084_convert_20200126184139.jpg
(予科練各期の碑が並ぶ)

各碑を見て・・・ようやく館内を見学・・・
職員の方に尋ねたら、館内は撮影禁止とのこと・・・残念・・・
(この館内展示品の写真をかなりの量掲載しているHPを見たことがあるが‥・撮影禁止のはずなんだけどなぁ~無許可で撮影掲載したのかね?・・・だとしたら・・・マナー違反だよなぁ)

館内の三重海軍航空隊関係の展示資料を見ていて・・・驚いた!
「森崎湊」という人の遺品が展示されていたのである!(驚)
この人の『遺書』という本を小学6年生か中学1年生の時に市立図書館から借りて読んだことを覚えている。



森崎湊という人は、終戦の時、割腹自決をした人で、確か士官候補生かなにか、若い人だったと記憶している。
この本を読んだ当時、自分の年齢と比較したことを覚えているから・・・
多分20歳前後だったような気がする。
そういう若い人が、終戦の時に何で自殺なんかしたんだろうと不思議だった。
戦争が終わったんだから、家に帰って家族に会えるのになぁ~・・・・と思ったことをよく覚えている。
死ななくていいのに、なんで自殺なんかしたのかなぁ~
だから、鮮明に記憶に残っているのかもしれない。
拙者は元来記憶力の悪い人間で、本を読んでも書名も著者名も覚えていないことが多いのだが、なぜかこの本の書名と著者の森崎湊の名前はよく覚えているのである。
不思議なことだが、それだけ、この本を読んで衝撃を受けたんだろうなぁ~
この本は、森崎湊の残した日記をまとめた本だったように記憶している。
内容は詳しくは覚えていないが、とにかく「ものの考え方」がすごくしっかりしていて、さすが軍人さんは違うなぁと思ったことは覚えている。

まさか、ここで森崎湊の遺品に出会うとは!(大興奮である!)

1時間半ほどの見学を終えて、タクシーを呼んで帰ることにした。
で・・・来た時はJRの駅だったが、そこから少し離れているが、帰りは近鉄で帰ってみようと思った。(笑)
最寄りの駅は「久居駅」である。
が・・・この駅の読み方が分からない。(大笑)
久居駅を「くい駅」と呼んで運転手さんに笑われた・・・
正しくは「ひさい駅」というのだそうだ・・・(大汗)
何とも固有名詞は難しい・・・(苦笑)

で・・・タクシーに乗って移動中に思い出した!
森崎湊は基地の近くの海岸で割腹自決を遂げたのである。
しまった!海岸に行くのを忘れた!(大汗)
なんと間抜けな事か・・・
眼と鼻の先に来ていたのに・・・
森崎湊は、最期にどんな景色を見ていたのか・・・・
あ~あ~40数年ぶりの“再会”だったのに・・・失敗した・・・
この地に再び来る機会があるかどうか・・・(涙)

タクシーの運転手さんとのお喋りの中・・・・
拙者が茨城県から来たと話したら、運転手さんが「NHKの朝ドラの『ひよっこ』の“奧茨城”っていう村は実在しないんでしょ?」と言う。
この村は架空の村だが、拙者の母の実家の近く、従姉の住む村がロケ地・・・
そのロケ地のまとめ役をしたのが従兄で、その家もロケに使われたということを話したら、運転手さんは大興奮。(大笑)
実は拙者は、NHKが好きじゃないので、このドラマは見ていない・・・(大笑)
以前、法人会広報委員会の取材という事で従兄に案内してもらいながらロケ地を巡ったので、その時の話などを御披露・・・
「いやぁ~うちの家内が『ひよっこ』の大ファンなんですよ!いやぁ~いい土産話ができました!」と運転手さんが大喜び。
へぇ~そんなにいいドラマだったの?(苦笑)
こちらも、ロケ地の話で喜んでもらい、いい土産話が出来ました。(笑)

久居駅に到着したら、目の前に銅像が・・・・

092_convert_20200128123527.jpg

『上野英三郎博士とハチ公』という銅像である。
ん?・・・ハチ公って渋谷駅前の忠犬ハチ公?
どうしてここに・・・
碑文を読んでみたら、どうやら、このハチ公の飼い主の上野博士は、現在の津市元町で生まれた人なので・・・ということで、ここに銅像が建てられたらしい。
へぇ~・・・・である。(笑)

本日の宿泊場所は津駅前のホテル・・・・
というわけで近鉄線で津駅に向かったのだが・・・・
降り立った駅が意外と小さい・・・
あれ?・・・・津駅にしては、ずいぶん小さいんじゃないか?(大汗)
駅名を確かめたら津駅の一つ手前の「津新町駅」だった!(驚)
ボケ~っとしていたのか、駅名を聞き間違えたのか・・・
ありゃ・・・ひとつ前の駅で降りちゃた!
なんで、降りちゃったかなぁ~(涙)

これも何かの縁ということで、運動がてら一駅歩いてみることにした。
こういう時はタブレットの地図は便利である!
昔だったら、こういうことは絶対できなかっただろう。

109_convert_20200128125537.jpg(お城西公園)

津市役所のすぐ隣りの「お城西公園」に辿り着く・・・
「西公園」というのは、もしかしたら津城の西の丸跡なのかな?
ここに、『明治天皇臨幸記念碑』という大きな記念碑が建っていた。

108_convert_20200128130332.jpg(明治天皇臨幸記念碑)

が・・・・周囲の木々の枝が邪魔で碑の裏の碑文が読めない!(涙)
この枝・・・切ってくれないかなぁ~
もしくは碑文を記した説明板を設置してくれたらなぁ~
それにしても全国を旅していると、こういう明治天皇の行幸記念碑などをよく見かけるのだが・・・
昭和天皇の記念碑って見ることがない・・・(汗)
何でだろう?

更に歩くと・・・櫓が・・・・
津城の模擬三重櫓である。

120_convert_20200128141438.jpg(津城・三重櫓)

ん?・・・ここには以前、来たことがある・・・(汗)
平成16年だ・・・・
15年ぶりの再会か?(笑)
あの時は、どうやってここに来たのか、どのあたりを歩いたのか、全く記憶にないが・・・(苦笑)
時刻はまもなく午後6時・・・・日が暮れて、写真を撮るのも、もう限界である。

ここから広い道路(伊勢街道)に出て、真直ぐ津駅に向かって歩く・・・・
途中、谷川士清(ことすが)、松尾芭蕉、藤堂高虎の小さな銅像を見つける。
あれ?・・・・これ、以前に写真撮ったなぁ~(汗)
写真を撮ったことは覚えているが、場所は全く記憶にない・・・(大汗)
ここだったっけ?
以前に、この道・・・歩いたの?(汗)

1時間以上もかかったと思うが・・・ようやく津駅前のホテルに到着し、チェックインを果たす。
さて・・・夕食を食べる場所を探しに駅前をウロウロと散策することにした・・・・(笑)

食後、タクシーで「大門町」という場所に向かう。
明日、我が法人会から“シミズ副会長”と“タドコロ副会長”がやってくる。
で・・・全国大会式典後に飲みに行く場所を下調べしておくように命じられているのである。(笑)
確か、津の繁華街は大門町だと聞いていたので行ってみることにしたのだが・・・
運転手さんの話では、「かなり寂れてますよ~」とのこと。
実際に行ってみたら・・・あらら・・・寂れている・・・
我が町の“繁華街”と似たり寄ったりである。
タクシーを降りて歩き回って見たが、外に立っているのは中国人のマッサージ嬢ばかり・・・
辻々で、声を掛けられるが、こちらは飲み屋の下見に来ているので・・・お断り!(笑)
大門町をくまなく歩きまわった末・・・適当に1軒の店に入って見たが・・・接客がイマイチ・・・(大汗)
これじゃダメだな・・・・
店を出て、再び“徘徊”・・・(笑)
結局、これといった店が見つからなかったので、ホテルに戻ることにしたのだが・・・・
「タクシー乗り場」の看板が立っている場所を何か所か見つけたが、どれもタクシーが停まっていない・・・(汗)

携帯電話からタクシー会社に電話をしてみたら、今は車が出払っているので無理とのこと・・・(唖然)
参ったなぁ~(大汗)

大通りに出て見たら、夕方に歩いた道である!
初めて歩く道は、多少遠くても見るもの何でも面白いので、結構歩けるものだが・・・・
一度歩いた道だと、ここから駅までどのくらい歩かねばならないかを知ってるので、気が重くなるものである。
ウロウロしていたら、運よくタクシー会社を見つけたので、そこで無線でタクシーを呼んでもらった・・・
かなりの時間待たされたが、なんとかタクシーに乗ることが出来て歩かずに済んだ。(喜)
う~ん・・・ここまで飲みに来ると、帰りの交通手段が問題だな・・・
運転手さんの話では、大門町は寂れてしまっているので、タクシーはみんな駅前に行って客待ちをしているのだそうだ。
だから大門町の「タクシー乗り場」に居てもタクシーは来ないとか‥・(大汗)
う~ん・・・大門町で飲むのは避けた方がいいな・・・(苦笑)

とにかく今晩の“探検”はこれで終了!

旅行 | 20:11:50 | Comments(0)
青野原駐屯地に行く
ホテルをチェックアウトして・・・・
加古川で乗り換え青野ヶ原駅で下車する。
1時間ちょっとの移動である。

184_convert_20191205124800.jpg 186_convert_20191205124831.jpg
(青野ヶ原駅)

今日、陸上自衛隊青野原駐屯地にお邪魔する目的は・・・
この駐屯地内に移設された「青野ヶ原 戦車隊之碑」の写真を撮るため・・・(笑)
今度発行する戦友会の会報の表紙の写真をどうしようかと思っていた。
以前、病院の敷地内にこの碑があるというので探しに来たことがあったが、その病院の移転先に行ってしまい大失敗!(大涙)
移転前の病院は別の場所にあり、現在は廃墟になっていると病院職員から知らされた。
碑も雑草に覆われているだろうとのこと・・・
半日がかりで探した挙句が空振りだったのである。(涙)
わざわざ兵庫県まで来たのに・・・下調べが甘かった。(苦笑)

その後、この碑が陸自の駐屯地に移設されたことを知った。
この碑は我が師団隷下の戦車第6連隊の生還者などが中心になって建立したものである。
ようやく念願叶って会報の表紙を飾ることが出来る。
事前に駐屯地には訪問の目的を伝えておいてある。

さて・・・駅に降り立ったはいいが・・・無人駅・・・(汗)
タクシーもない・・・(大汗)
駅の目の前には住宅が迫っているという小さな駅である。
とりあえず駅に降り立ったことを駐屯地に電話で伝え、徒歩で向かうことにした。

タブレットの地図を頼りに、田園風景の中を歩き、緑深い小高い丘に向かう。
この丘のダラダラした上り坂が意外にキツイ・・・・(涙)
普段の運動不足のせいで息が切れる。(涙)
まもなく駐屯地・・・というところで、いきなりの雨!(驚)
ザーッと降ったかと思ったらピタリと止んだ・・・
奇襲攻撃である。(笑)
駅から歩いて約40分後、無事に駐屯地に到着!

202_convert_20191205205021.jpg
(陸上自衛隊・青野原駐屯地)

駐屯地の広報班の方の出迎えを受けて、早速、敷地内に移転された記念碑まで案内していただく。

187_convert_20191205205139.jpg

真ん中の碑が「青野ヶ原 戦車隊の碑」で・・・
向かって左側の碑は「戦車第19聯隊」の有志が建てた碑・・・
昭和58年に建立されたものである。
向かって右側の石碑は、崩し字で刻まれているので、よくわからないが、淺沼組という業者が昭和15年に何かを竣工したことを記念した碑のようである。
その斜め後ろに「騎兵学校跡地之碑」と書かれた木柱が・・・
昭和62年に建てられたもので、これも移転の時に一緒に持ってきたのだろう。
しかし、騎兵学校というのは千葉県の習志野にあったはず・・・
おかしいなと思ったのだが、どうやら終戦の年に千葉から兵庫県の青野ヶ原へ移転したらしい。
当時は、もう馬に乗って戦うような時代ではなかったはずだが、学校だけは残っていたのかな?
本土決戦を想定しての千葉からの移転かな?

無事に目的を達成し・・・
ついでに資料室を見学させていただけるというので、資料室にお邪魔する。
ここは、一般の方向けに公開してはいないようである。
特別に見せてもらっちゃった。(笑)
展示品の中に、我が師団の戦車第3旅団長、重見少将の写真が展示されていた。
あらら・・・重見少将!
フィリピン戦について、少々お話をさせていただいたのだが・・・
どうもピンとこないようで・・・(苦笑)
広報班の方の話によると、幹部自衛官は戦史を勉強するが、一般隊員は戦史を勉強することはないそうである。
というわけで・・・戦時中の話を聞いても、よくわからないのだそうである。
そういうことなら、まぁ~仕方がないかも・・・
しかも、この駐屯地は高射特科群の駐屯地で、いわゆる防空部隊なのである。
我国に侵攻してくる敵航空機に対して地対空誘導弾で迎撃する部隊なのである。
我が師団は戦車師団なので・・・戦車の話をされても戸惑うのも当然かな?(笑)

結構長時間お邪魔をしてしまったが、無事、目的が果たせて大満足・・・・
広報班の方に見送られて駐屯地を辞する。
帰り、同じ道を歩くのも面白くないので、試しに逆方向へ歩いて帰ることにした。
「青野ヶ原駅」の次の駅が「社町駅」で、駐屯地は、この2つの駅のちょうど中間地点にあるのである。
ということで・・・「社町駅」に向かって歩く。

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(社町駅)

駐屯地を辞して歩き続けること約45分で駅に到着!
面白いデザインの駅である。
当然(?)・・・無人駅だった。(笑)

ここから加古川まで戻り、加古川で乗り換えて姫路まで行き、姫路で新幹線に乗って東京へ・・・
そして、無事に帰宅する。(喜)
充実した「小旅行」だった・・・大満足である。

旅行 | 12:34:59 | Comments(0)
別府に行く!
我が戦友会会員の“ヤスダさん”・・・・
最近、連続して何通もの手紙を寄こしてくれるのだが、ご高齢のせいだろうか、書いてあることはみんな同じ・・・(苦笑)
とにかく「死にたい」とか「長生きすべきじゃなかった」とか「前世でなにか悪いことでもしてバチがあたったのだろうか?」という話ばかりなのである。(大汗)
こりゃ、ちょっとマズイなぁ~(大汗)
随分前に自宅を処分して、某病院に入っていた。
ここを「終の棲家にしてくれていい」と院長御夫妻に言われていたそうだが・・・
その後、どういう経緯があったのかは知らないが、別の病院に移ることになった。
で・・・本人に経緯を尋ねても要領を得ない・・・(汗)
「前の病院からは何の音沙汰もない」としきりにこぼすので、かなりショックだったのだろう。
精神的にかなり参っているようである。
ということで・・・こりゃ、会いに行って元気づけてあげねばと、おせっかい・・・(大笑)
赤の他人の95歳のおばあちゃんだが・・・(笑)
甘いものが好きなので、お菓子を持参して顔を見に行くことにした。(笑)

で・・・今までは羽田から飛行機で大分に行ったが・・・
たまには変わったことをしようと思い、今回は電車で行ってみることにした。(笑)
昨日の午前10時に家を出て、特急や新幹線を乗り継いで別府に到着したのは、午後6時半である。(大笑)
いやぁ~一日がかりの移動である!(大笑)

別府駅近くのホテルに泊まって、病院の位置を下見し・・・
本日、午前10時に病院を訪ねた。
本人には事前に手紙で知らせておいたが、病院にも見舞に行くことを事前に電話で伝えておいた。
で・・・ご本人に会ったら・・・
ポカ~ン!(唖然)
しばらくの間、拙者が誰なのかわからないという顔をして突っ立っていたのには驚いた。
間もなく、思い出したのか・・・「何でここにいるんですか?」と驚いている。(大笑)
おい、おい、おい・・・である。(大笑)

「手紙に今日の10時に会いに行きますよって書いておいたんですけど・・・」
「え?・・・そんなこと書いてありましたっけ?」
「わざと大きな字で、そこのところは書いておいたんですけど・・・・」(大汗)
「あら~そう?全然覚えてないわ」
「甘いものを持って会いに行きますよって書いておいたんですけど・・・」(大汗)
「あっ!それは覚えてます!」(笑)
なんてこった・・・お土産だけは覚えているなんて・・・(苦笑)
「前もって来ると分かっていたらお茶を用意しておいたのに・・・」と“ヤスダさん”
だから・・・前もって連絡しておいたんですけど・・・(苦笑)

それから1時間半・・・
誰も会いに来てくれない・・・というような、何だかんだの愚痴を聞いてあげて・・・(大笑)
お別れ・・・
とにかく誰かが会いに来て何だかんだとお喋りするのは大事なことだと思う。

8時間もかけて会いに来て1時間半のおしゃべりで帰るというのもおかしな話かもしれないが・・・(笑)
あまり長時間になると疲れるだろうし・・・ね・・・(笑)

別府駅までテクテクと向かい、駅で食事をして、特急に乗り込み小倉へ向かう。
で・・・車内でふと思った・・・
いつも書いている法人会のコラム記事・・・
全国の税務署と近くの史跡などの話を書いているのだが、今年はまだどこにも行っていない。
夏号の発行を間近に控えているに、こりゃマズイ・・・(大汗)
小倉で新幹線に乗る予定を急遽変更して、小倉で途中下車することにした。(笑)
で・・・タクシーに乗って向かったのは、小倉税務署!(大笑)

142_convert_20191201155343.jpg(小倉税務署)

『全国税務署巡り』と題したコラムを書いているが・・・
税務署のことなんか全く紹介していない。(大笑)
ただ税務署の建物の写真を載せているだけ・・・(大笑)
記事の内容は税務署と全く関係のない「史跡」の話である。(大笑)
が・・・4年間も連載していると、結構、好評を得るもので、「面白い」と言ってくれる人が増えた。(大笑)
こんな記事を載せている法人会会報は、全国に441ある法人会の中で我が法人会だけだろう。(大笑)

いつものように税務署の建物の写真を撮って、周辺を散策してみる。
ここ小倉税務署が建っている場所は、戦前に「小倉造兵廠」があった場所である。
と・・・近くの公園に・・・見つけた!
小倉造兵廠の跡地を示す記念碑!(大喜)

165_convert_20191201160543.jpg 163_convert_20191201160511.jpg

よし!・・・これで記事が書けるぞ!(大喜)
周囲をグルリと回って、税務署の向かい側に着いたときに、史跡の説明板が設置されているのに気が付いた!
ここは「小倉城外堀跡」だそうである。

168_convert_20191201161114.jpg(小倉城外堀跡)

よし!・・・これで更に記事が書けるぞ!(大喜)

来るときはタクシーに乗ってきたが、帰りは徒歩で小倉駅に向かう。
頼りになるのはタブレットの地図である。(笑)

途中で、建物に大きな幕があるのを見つけた・・・・

176_convert_20191201173034.jpg 175_convert_20191201173238.jpg

なんと!「五代目工藤會壊滅作戦推進中」と書いてある・・・・(唖然)
名指し?(苦笑)
恐ろしい場所なんだなぁ~・・・ここは・・・(唖然)

更に歩くと、小倉城に辿り着いたが、平成23年に訪れたことがあるので、今回は・・・通過!(笑)

途中、駅の近くで「伊能忠敬 測量200年記念碑」を見つけた。(喜)
以前、この近くを歩いたような覚えがあるのだが・・・気が付かなかったなぁ~(汗)

177_convert_20191201182234.jpg(伊能忠敬 測量200年記念碑)

直ぐ近くに珍しい形の塔が・・・
「広告塔」というものだそうだ。

181_convert_20191201182451.jpg(広告塔)

小倉駅から新幹線で新神戸に向かい、三宮に行く。
明日は陸上自衛隊の駐屯地を訪問することにしている。
ということで・・・三宮に一泊する。
ただ別府に行くだけではもったいない・・・(笑)
どうせなら一石二鳥を狙うのである。(大笑)

旅行 | 08:51:54 | Comments(0)
今日は大人しく帰宅する(笑)
ホテルで朝食を食べ・・・・チェックアウト・・・・
我がメンバーは、ホテル解散である。
会長と常任理事の二人は、これから、どこかの温泉に向かい一泊してから帰るという。
我が広報委員長は鳥取空港から羽田に向かい帰宅・・・
そして、拙者は、電車で帰宅である。(笑)

いつもなら、これから数日、旅を続けるところなのだが・・・
何日も家を留守にしているというのが、どうしても落ち着かない・・・(大汗)
こういう時に、留守番役をしていた親父がいないというのは不便である。(苦笑)
何の役にも立たぬ親父だと思っていたが・・・(笑)
う~ん・・・死なれてみると、結構役に立っていたんだと思う。(笑)

昨晩の深酒で全員が二日酔い気味・・・(大笑)
レンタカーを借りて温泉に向かうという会長一行に、駅まで乗せて行ってやろうかと声をかけてもらったが断る。
テクテク・ブラブラと歩きながら、駅に向かうほうがいい・・・(笑)
普段の運動不足の解消にもなるだろうし・・・
意外な史跡に巡り合うかもしれない・・・(笑)

駅の方へ向かって歩いて行ったところ、線路の近くの交差点に何やら銅像らしきものが・・・(驚)

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椅子に座っている銅像・・・・
「石破二朗知事の像」とある。
あらら・・・もしかして、現衆議院議員の石破茂さんのお父さん?

この銅像の後ろの小さな公園に石碑が・・・

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この碑は「鳥取鉄道高架記念之碑」というものだった。

ここをちょっと散策して鳥取駅へ・・・・
10時46分発の「スーパーはくと6号」で新大阪へ・・・・
新大阪で「のぞみ24号」に乗り換え東京へ・・・
東京から特急に乗って夜7時には自宅に帰り着いた。

移動だけで丸一日かかったが・・・
鳥取から茨城まで、その日のうちに帰ってこれるとはねぇ~
正直言って驚きである。(笑)

旅行 | 20:05:11 | Comments(0)
鳥取大会
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式典会場の「とりぎん文化会館」に戻り、登録の受付・・・
ここで、ネームタグと資料と引換券をもらう。
引換券は500円の商品券が2枚・・・
会場の中でやっている物産展で、1000円までの買い物ができる。(喜)
これは、毎度のこと・・・どこで全国大会が開催されようと、この特典はつくのである。(笑)

で・・・早速、物産展会場へ・・・
拙者は毎回、物産展で事務局用のお土産を探して、この引換券と交換する。
事務局は、いつもお留守番・・・(大笑)
年に一度くらいは良い思いをしてもらおうと思い、事務局にお土産を贈ることにしている。
で・・・この500円券2枚は、いわば“呼び水”で・・・
さらにお買い物をするわけ・・・(苦笑)
さて、何かないかと、キョロキョロ、ウロウロ・・・
試食、試飲をしながら会場を歩く・・・
と・・・気が付いた・・・
いつも親父に何か甘いものをと・・・お土産を買うのだが・・・
あ・・・親父は死んでいるんだっけ・・・(苦笑)
う~ん・・・お土産を買っても仕方がないな・・・(苦笑)
どうも、いつもの行動パターンを取ってしまった自分に苦笑い・・・

事務局へのお土産を宅急便で送り、続いて会場の座席の確認・・・
資料によれば、全国から410の法人会が集まり、その人数は、約1600人である。
会場は各都道府県別に座席が決まっている。
我が茨城県の座席は、おおよそ60席ほどか?
ここを確認して、次には我がメンバーの記念撮影場所を決めるため会場入り口に戻る。
なにせ、証拠写真を撮らねば・・・
撮影場所2カ所ほどを決めて、後発の会長たちを待つが・・・・来ない!(唖然)
午後2時から記念講演会が始まるというのに・・・
残り10分である!(大汗)

と・・・雨脚が強くなったところに傘もささずに会長たちが歩いてやってきた・・・(唖然)
途中までアーケードだったので傘を持たずに来たという。(唖然)
早速、会場入り口と会場の中の既に決めておいた場所で、大会スタッフにカメラを渡して急いで記念撮影!
そら、急げ!
「で・・・座席はどこ?」と広報委員長・・・
「こちらです!急いで!あと5分!」と拙者・・・(大汗)

ギリギリで、会場に入り、座席につく・・・・
もう、相変わらずのんびりしているんだから、こっちとしては心臓が止まる思いである。
なにせ、広報委員としては、証拠写真の撮影をしくじったら、会報に記事が書けないからねぇ~

記念講演は、(株)「大山どり」の島原社長が『大山どりの奇跡~35歳、どん底からの挑戦~』と題して行なった。
で・・・・常任理事は途中退席し・・・我が広報委員長は寝息を立てている・・・(大汗)
こっちは写真を撮りながら、講演の内容をメモするので、忙しい・・・・
ウトウトなんかしていられない・・・(汗)

講演会の後に20分ほどの休憩・・・・
この間に、広報委員長を物産展に案内して、お土産を買ってもらう。(笑)

委員長の買い物のお付き合いをして、相変わらずギリギリで式典に間に合う。(大汗)

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来賓の祝辞・・・
最初に、平井鳥取県知事が挨拶に立った。
この人は話が上手である。
最近の首長さんは挨拶が上手な人が多い気がする。(笑)
この大会の関係役員や他の来賓の方々等、十数名(いや、数十名かも?)の肩書とお名前を何も見ずにスラスラと口に出したのには会場が騒然となった。(驚)
で・・・ご本人は・・・「先ほど名刺を交換しまして・・・」とケロリと言ってのけた。
いやぁ~その記憶力の良さには会場の誰もが驚いたことだろう。
これで一気に会場にいる参加者を“掴んだ”のである。(唖然)
いやぁ~すごい・・・の一言・・・
挨拶も、面白い・・・
「鳥取にはスタバはないけど、砂場はある」の名言で有名な知事である。
続いて挨拶に立った市長の代理の方(名前を失念)は開口一番「知事の後はやりずらい」を連発して笑いを取った。
しかし、この方も話が上手だった。

広報委員としては、会報に載せる記事を書かねばならないので必死でメモを取る。
実は拙者は、こういうメモを取るというのが苦手なのである。
話を聞いているうちメモを取るのを忘れてしまい・・・あとになってから何の話だったか思い出せないという事がしばしば・・・(苦笑)
今回は、そういうわけにはいかない・・・
なにせ広報委員長は再び寝息を立てて寝ているし、他の二人も中座したまま戻ってこない・・・(唖然)
つまり、話を聞いている人は拙者一人しかいないのである!(涙)
後になってから他のメンバーに話の内容の確認を取るということが出来ないのである!(大汗)

メモを取りながら原稿の素案も考える。
見開き2ページぐらいのスペースに写真数枚と原稿・・・・
記念講演会の内容と、来賓の挨拶を含めた式典内容だけの「報告書」では面白くない・・・(笑)
最後に“オチ”を作らねば・・・(笑)
拙者がいつも心がけるのは、記事の中に面白い“オチ”を入れることなのである。(大笑)
ただの事実の羅列では読んでいても面白くあるまい?

式典後は会場を別の場所に移して「大懇親会」が開催されるが・・・
我々は参加しない・・・(苦笑)
毎度のことなのだが、誰も行こうとしないのである。(汗)
どうせ混んでるし・・・食べ物は少ないし・・・ということらしい。
拙者としては、「大懇親会」にも参加して、その様子の写真を撮り、アトラクションなども記事に書きたいのだが・・・
皆が行かないなら拙者一人で行ってもねぇ~・・・・と断念・・・・(涙)
ということで・・・会報の記事は記念講演会と式典の話だけで作らねばならぬこととなった・・・(大汗)

大懇親会には行かず、一度、本日宿泊のホテルに戻る。
拙者も、ようやくチェックイン・・・
一休みして、4人で夕食を食べに出かける。
すでにお店は予約済みだという。
そういうところは手早いんだよなぁ~(苦笑)

会長が「それで・・・会報の記事は誰が書くことになっているの?」とご質問・・・
「え?当然、広報委員長でしょ?」と拙者
「おい、おい、君が書くんだろう?」と委員長・・・
「いやぁ~広報委員長を差し置いて私が記事を書くなんて・・・そんな恐れ多いことは出来ません!」と拙者。
「委員長が寝息を立てて寝ていたから、記事は大丈夫かなと思って・・・それで聞いたんだけどね」と会長。
「えっ!うそ!」と委員長が大慌て・・・(大笑)
「委員長・・・とうぜん、メモを取っていたんでしょ?」とからかう。

食後はネオン街に繰り出し、ちょっと飲みに・・・・
これは会長の意向を最優先・・・
大会委員会から配布されたナイトマップで、飲みに行くスナックを決めていたようである。(唖然)
どうして、こういうことはテキパキとできるのかね?・・・この人たち・・・(大笑)

2軒目のお店は行き当たりばったり・・・(会長がホテルに帰りたがらない・・・)(大笑)
支払いは割り勘だが、この2軒目の拙者の支払いはしなくていいと委員長が言う。
「え?なんで?」
「原稿料!ねっ、原稿料ということでさぁ~・・・ここは僕が払うから・・・」と委員長。(大笑)
「え?そうですかぁ~・・・そういうことであれば、仕方がないなぁ、私が原稿を書きましょう!」(大笑)
どうせ、拙者が原稿を書くことになるのは最初から明白なのだが、こういう気遣いをしてくれるから、広報委員長は憎めない。(大笑)

スナックを2軒ハシゴして日付が変わった時刻にホテルに戻り・・・解散!(笑)
お疲れさまでしたぁ~

旅行 | 17:01:56 | Comments(0)
鳥取を散策
今日は、午後2時から法人会の全国大会の式典がある。
我が会からは会長、広報委員長、常任理事の3名が飛行機で鳥取入りをし、会場で合流する予定。
で・・・・単独で前泊している拙者は、午前中、時間があるので、少し町を散策することにした。

270_convert_20190427211306.jpg(JR鳥取駅)

鳥取駅って、こんな駅舎だったっけ?
鳥取には今から14年前・・・平成16年11月に一度だけ来たことがある。
この時は、同じ法人会の青年部の全国大会が鳥取で開催され、それに参加するため来たのである。
が・・・記憶が・・・ない!(大笑)
こんな駅だったかなぁ~・・・・である。(苦笑)

鳥取駅から、徒歩でテクテクと式典会場へ向かうことにする。

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途中で、「荒木神社」という社を見つけた。
この「荒木神社」は「神道黒住教 鳥取大教会所」の中にある。
黒住教とは、珍しい名前の宗教である。
で・・・・ここに荒木又右衛門の屋敷があったらしい。
そういうわけで、「荒木神社」という社がここに設けられたらしい。
へぇ~・・・である。

後発組から午前11時過ぎごろに、鳥取空港に到着したと携帯電話に連絡が入った。
とりあえず、一安心である。
以前、徳島での全国大会の時は、広報委員長が飛行機に乗り遅れたため大遅刻となったことがあった。(大笑)
その時は、当会からの参加者は、委員長と拙者の2人だけ。
拙者は会場で無事に合流できるかどうかと冷や汗をかきながら待つ羽目になったので・・・(苦笑)
まさか今回も・・・と内心、心配していたのだが、無事に到着したらしいのでホッとした。(笑)

商店街をテクテクと歩くが・・・まったく記憶にない・・・(涙)
14年前に来た時も歩いたと思うのだが・・・もしかしたらタクシーで移動したのかなぁ~
それで記憶にないのだろうか?
まもなくお昼なので、早めに商店街の蕎麦屋で昼食をとる。

今日も天気が悪い・・・小雨が断続的に降る。
食後、再び会場に向かって傘をさして歩いていたら、どこからか拙者の名を呼ぶ声が・・・(驚)
ふと、声のする車道のほうに目をやったら、タクシーの窓から手を振る人が・・・
ゲゲッ!広報委員長!(驚)
しかも会場とは反対方向に向かって走っている・・・(唖然)
早速、携帯電話で連絡を取り合う。
こういう時って、携帯電話は便利である。
「なんで逆方向に走ってるんですか?」
「まだ時間があるでしょ?・・・今から昼飯を食べに行くから・・・じゃぁねぇ~!」とのこと。(苦笑)
それにしても、タクシーの中から、よく拙者を見つけたよなぁ~
傘をさして歩道を歩いているんだから顔なんか見えないと思うのだが・・・
それとも、傘をさしていても、そんなに拙者は目立つのか?(苦笑)

277_convert_20190427213339.jpg(とりぎん文化会館)

全国大会の式典会場は「とりぎん文化会館」・・・・
14年前の式典も、ここで開催されたことは覚えているが、その時は「県民文化会館」って言ってたような気がする・・・
14年の間に名前が変わってしまったらしい。

この会館の道路を挟んだ反対側に「鳥取敬愛高等学校」というのがある。
ここに「吉田貞先生」のレリーフの碑と石碑が建っていた。

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この吉田貞さんという女性は、明治生まれの教育者で、女子教育に尽力し、裁縫女学校を設立した方だそうで、その学校が現在の「鳥取敬愛高等学校」となっているらしい。
この学校は基本的には今でも女子校のようだが、普通科の特別進学コースだけは男女共学らしい。
う~ん・・・男子生徒の数が何人なのかは知らないが・・・男としては、ちょっと通い辛そうな・・・(苦笑)

受付時間には、まだまだ早いが、念のため「とりぎん文化会館」に立ち寄ってみる。
ここは鳥取藩の藩校「尚徳館」があった場所だそうで、文化会館の隣りの県立図書館のところに石碑が建っている。

286_convert_20190427222623.jpg(尚徳館記碑)

この図書館、正確には県立公文書館の建物の脇に銅像があった。
「岸本辰雄先生」という方の胸像で、江戸時代の嘉永4年に生まれ明治45年に亡くなられた方。
明治法律学校、すなわち現在の明治大学の創始者だそうだ。
あれ?・・・14年前に、ここに銅像なんてあったかなぁ~
銅像好きの拙者が見落とすわけはないはずなのだが・・・記憶にない・・・(大汗)

288_convert_20190427223000.jpg(岸本辰雄先生像)

この県立公文書館の敷地の角に武家門がある。
これは、14年前に来た時に写真に撮ったことを覚えている。(苦笑)
ん?・・・こうなると、拙者は、まだらボケか?(大笑)

298_convert_20190427224144.jpg(箕浦家武家門)

まだ時間に余裕があるので、鳥取城の方へ雨の中歩いてみることにした。
途中、神社脇の小さな緑地公園内に石碑を見つけた。

301_convert_20190427230228.jpg(因伯新道紀功碑)

この碑は、説明板によれば、明治になって「鳥取県」となった時の道路整備事業を記念して建てられたものらしい。

更に、鳥取城に向かって歩くと・・・
吉川経家の銅像がある。
14年前に、この銅像の写真を撮ったが、あまり写りが良くなかったので、再度写真を撮ろうと思っていたのだが・・・
生憎の天気のおかげで、前回以上に良い写真が撮れなかった・・・(大涙)
ガッカリである・・・・

302_convert_20190428142220.jpg 306_convert_20190428142259.jpg

ここを真直ぐ行くと、「大手登城路跡」にある「擬宝珠(ぎぼし)橋」に行きつく。
14年前に来た時は、何ということのないコンクリートの橋だったような記憶があるが・・・
復元事業の一つとして、木製の橋に架け替えられていた。
で・・・今月の8日に完成して、「渡り初め」が行われたと、地元の新聞に載っていた。
つい3日前に完成した橋!(大喜)
グッドタイミングで見学できた!

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この橋の復元を皮切りに「大手登城路」の復元整備が行われるのではないかと思う。
橋を渡った先には城の大手門である「中ノ御門」、そこを通って更に奥に鳥取城最大の門である「太鼓御門」を復元することになるのかな?
でも、手前の橋を最初に木製の橋に架け替えちゃったのでは、門を復元する時の資材の搬入に支障が出るのではあるまいか?(苦笑)
奥の方から復元して行って、最後に、コンクリート製の橋を壊して木製の橋にしたほうが良かったのではなかろうか?
などと・・・余計な心配をする・・・・(大笑)
ちゃんと、そのあたりのことは考えてやっているのだろうから、素人が心配することはないのだろうが・・・(苦笑)
最終的に二之丸の三階櫓まで復元出来たらすごいだろうなぁ~
10年後くらいに再び鳥取に来るようかな?
いやぁ~ワクワクする・・・・
いいなぁ~こういうお城がある町って・・・我が町にはないからなぁ~(涙)
うらやましい・・・(笑)

そろそろ受け付け開始の時間となるので、「とりぎん文化会館」へ戻ることにする。
14年ぶりに再び鳥取城跡に登りたい気もしたが・・・・
雨の中を歩いたんじゃ靴が泥だらけになるので諦めた・・・(大笑)

旅行 | 10:23:18 | Comments(0)
鳥取に向かう
予定通り、15時07分発のJR赤穂線の電車で鳥取に向かう。
で・・・相生という駅でJR山陽本線に乗り換える。
で・・・まっすぐ鳥取に向かうかというと・・・さにあらず・・・(大笑)
相変わらず“悪い虫”が騒ぐのである。(苦笑)
上郡という駅で途中下車することにした。
実は、この町の役場の前に大鳥圭介の銅像が建っているのである。
その情報を知った以上、ここを素通りするというのは銅像好きの拙者としてはできない・・(大笑)

とりあえず、ここで一旦降りて、1時間後の16時44分発の特急「スーパーはくと」で鳥取に向かうことにした。
この電車を逃すと、次の便まで2時間ぐらい待たねばならないようである。
こんな小さな何もなさそうな町に2時間も待つというのはねぇ~(汗)
ということで、与えられた時間は約1時間・・・
時間を無駄には出来ぬ。
先に特急券を購入しておいて、それからタクシーに乗って役場まで行くことにする。

その前に・・・駅前に観光案内所があったので立ち寄ってみる。
ネットでも情報を得られるが、拙者の経験から言うと、ネットだけでは不十分である。
いや、もしかしたらネットの方が充実していないかもしれない。
観光案内所にはパンフレットや資料があるのに、ネットには載っていないということもよくあるのだ。
そういうわけで、できるだけ観光案内所に立ち寄って資料を集めることにしている。

大鳥圭介の銅像は役場の前に建っているが、役場の内部に郷土資料館(資料室?)もあるらしい。
大鳥圭介の生家は「ふるさと交流館」として復元されているらしい。
そのほかにも、国指定史跡の「白旗城跡」とか・・・
足利尊氏に味方して新田義貞と戦った赤松円心の木像がある「円心館」とか・・・
古墳群とか・・・
平安時代の『今昔物語』や『枕草子」の中にも登場する「野磨駅家(やまのうまや)跡」(国指定史跡)などがある。
ゲッ、何もない田舎の町だと思ったら、やたらと国指定史跡があるではないか・・・(大汗)
しかし、夕方・・・・今からじゃ、すぐ日が暮れてしまいどこも見学は困難となるだろう・・・
ここは我慢して、銅像だけを撮影して鳥取に向かうしかないな・・・(涙)
不思議なことに、ここは兵庫県のはずなのだが、岡山県のパンフレットも置いてあった。
案内所の方に尋ねたら、この町のすぐ隣りは岡山県なのだそうである。(唖然)
位置関係が全然わかっていなかった・・・・(恥)
というわけで、すぐお隣りにある史跡等の観光パンフレットも置いてあるのだそうだ。

小さな町だからと言って侮れないな・・・結構、見所がある・・・
しばし、案内所の方とお喋りをして、タクシーに乗って役場に向かう。
タクシーの運転手さんに目的を話したら・・・
「銅像?へぇ~・・・そんなものあったかな?」
「え?町役場の前にあるらしいんですけど・・・」
「あ~・・・そう言われれば、何か立っていたような気がしますねぇ~」
「ええ!大鳥圭介の銅像ですけど・・・有名な人でしょ?この人・・・」
「あ~・・・そう、大鳥圭介って有名ですよ。この町の出身ですけど、へぇ~その銅像って大鳥圭介の銅像なの?」
こりゃ、駄目だ・・・
二人で大笑い・・・

役場の前でタクシーに待ってもらう。
「写真を撮ったら、また駅に戻ってください。10分もかからずに終わりますから・・・」と言ったら運転手さんに呆れられた。(大笑)

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大鳥圭介という人は、江戸時代に生まれた人・・・・
緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだり、ジョン万次郎から英語を学んだりしている。
その後、幕府の歩兵奉行になり、戊辰戦争では箱館の五稜郭で土方歳三や榎本武揚と共に新政府軍と戦った。
戊辰戦争後、牢屋に入れられるが、のちに赦免されて明治政府の高官となり活躍。
第3代目の学習院になったり、清国や朝鮮国の公使になったり、教育や外交でも活躍して、明治の末に死去している。
そういう偉人なのに、銅像は、どうやらここにしかないらしいので、是非、写真を撮りたかったのである。(笑)

ササッと写真を撮って、再びタクシーに乗り込む。
う~ん・・・貴重な銅像の写真が撮れて大満足!(大喜)
「これを撮るためにわざわざ来たんですか?」
「そう!」(喜)
運転手さんは・・・・唖然・・・(大笑)

269_convert_20190426144547.jpg(上郡駅)

駅に戻り、駅舎内で自販機で買ったジュースでも飲みながら時間を潰そうと思ったら・・・
下校時間とぶつかったのか、高校生らしい男女で小さな駅舎内は大混雑!(唖然)
とても座ってジュースを飲むなんてことは無理・・・(涙)
やむなく、再び観光案内所に顔を出し、喫茶店が近くにないか尋ねる。
最近は、駅前に喫茶店がないという町が多くなったような気がする。
ここも一見して、それらしき店が見当たらない・・・・
が・・・1軒、あると教えていただき、その喫茶店でコーヒーを飲みながら時間を潰すことにした。
お店のおばさんと雑談・・・・これがまた楽しいのである。(喜)
日本全国を旅して、喫茶店のお店の方とおしゃべりをしたことが、いい思い出となるのである。
地元の話を聞いたり・・・いい勉強にもなる。
結構、「観光で立ち寄りました」と話すと、「え?こんなところに何か見るものなんてあるんですか?」と驚かれることが多い。(大笑)
地元の人にとっては何でもないようでも・・・拙者にとっては“お宝”なのである。(笑)
今回も同様・・・
「銅像?茨城県から・・・わざわざ・・・????」と呆れられた・・・(大笑)
しかも、今回は・・・
「鳥取?今から?鳥取に行く途中で立ち寄ったの?????」が加わった・・・(大笑)

予定通りの特急に乗り、約1時間ちょっとで鳥取に到着!
駅前のホテルを予約していたのだが・・・
そのホテルを探すのに手間取り、散々迷いに迷って、ようやくホテルに到着・・・
しかも・・・裏口から入ってしまった・・・(大笑)
最近のホテルは洒落たホテルが多くなり、大きな看板を掲げるわけでもない。
自動ドアの横に洒落たアルファベットで書かれたホテル名が間接照明で照らされているという感じが多い。
こうなると、ホテルの入り口とは気付かず、近くまで来ているんだけどなぁ~と周囲をウロウロする羽目になる。
非常に迷惑・・・・
看板は、遠くからでも、すぐにわかるように、大きなものをビルの側面なり屋上に取り付けてもらいたいものである。(怒)

旅行 | 17:04:53 | Comments(0)
赤穂を散策!(その2)
大石神社を出て、ようやく赤穂城を“攻める”・・・(笑)

154_convert_20190415141344.jpg(二の丸門跡)

二の丸門跡の近くに、山鹿素行の銅像が建っている。
銅像好きの拙者としては、実は、この銅像がお目当て・・・(笑)

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が・・・なんと、台座の方が大きくて、肝心の山鹿素行先生の姿がよく見えない・・・(大汗)
どうも学者さんの銅像というのは座像が多い。
やはり座っている姿の方が学者らしいということなのだろうが、こう高い位置にあると、近づいた時に見上げることになるわけで・・・そうなると顔しか見えないということになるのである。(涙)
天気の悪さも手伝って、写真撮影に苦労する。(涙)
ただ、素晴らしいのは、台座に嵌められた碑文について、漢文で書かれた碑文と、その書き下し文を書いた説明板が設置されていたこと!(大喜)
これは、すばらしい!
こういう銅像で、碑文や書き下し文の説明板を設置しているところは、日本全国でも珍しいと思う。
是非とも他の地域でも真似してもらいたいものだ。

その先に「二の丸庭園」があった。
その当時は、ひょうたん型の広大な回遊式公園だったらしい。
現在は「旧赤穂城庭園」として国の名勝に指定され、平成14年から復元整備をしているらしい。

179_convert_20190415143410.jpg(二の丸庭園)

この庭園のすぐ隣に復元された赤穂城本丸門がある。
当時の門は明治10年代後半に取り壊されたそうで、平成8年に復元された。

183_convert_20190415143949.jpg(復元された本丸門)

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(復元された本丸門を本丸の内側から見る)

本丸門を抜けると、そこは本丸・・・(当たり前だけど・・・笑)
本丸には御殿、番所、倉庫等の建物と天守台、池泉などがあったらいい。
で・・・御殿は・・・
その跡にコンクリートの板が載せられているようで、座敷などの間仕切りなどが表示されていた。
たぶん、このコンクリートの下に当時の礎石などが並んでいるのではなかろうか?
今ブームの本丸御殿の復元が出来たら面白いだろうなぁ~と思う。

194_convert_20190415151211.jpg(御殿跡)

199_convert_20190415151445.jpg(本丸庭園・大池泉)

211_convert_20190415151714.jpg(天守台)

赤穂城は天守台は築いたが天守閣というのは作られなかったという。
ん?・・・なんでだろう?(苦笑)
ここまで石を運んで築いたのに・・・この天守台、無駄になっちゃったわけ?
資金と労力が無駄?
もったいない・・・・(苦笑)

202_convert_20190415152218.jpg(天守台の頂上からみた池泉)

203_convert_20190415152242.jpg(天守台の頂上からみた御殿跡)

時刻は午後1時過ぎ・・・・
ここからテクテクと20分ほどかけて花岳寺に向かう。

217_convert_20190415152700.jpg(花岳寺)

221_convert_20190415163948.jpg(二代目 大石なごりの松)

山門をくぐって入ると、すぐ目の前に大きな松が・・・
「二代目 大石なごりの松」と石柱に刻まれていた。
揮毫は陸軍大将・林銑十郎である。

このお寺は藩主浅野家の菩提寺である。
ここには義士墓所や義士宝物館、義士木像堂などがあり、拝観料を支払って見学する。

228_convert_20190416000128.jpg(義士墓所)

ん?・・・東京の泉岳寺にも義士のお墓があったと思うが・・・
どうも、こちらのお墓は遺髪墓らしい。

義士木像堂には千手観音像があった。
千手観音は大石家の守り本尊だそうだ。
あらら・・・確か子年生まれの拙者の守り本尊も「千手観音」である。
何という縁か・・・(驚)

ここには「大石家先祖の墓」、「義士家族の墓」、「浅野家三代の墓」、浅野家断絶後の赤穂城主である「森家の墓所」などもある。

一通り、ササッと拝観して、拝観受付兼売店で、受付のおばさんとおしゃべり・・・
ついでにちょっとした資料を購入・・・

と・・・境内に「雨情の歌碑」がある!(驚)
まさかの野口雨情!
何でここに碑が建っているんだろう?
受付のおばさんに尋ねたら、昭和11年に野口雨情がこの寺に来たそうで、そこで歌を詠んだという。
へぇ~・・・である。
昭和11年は拙者の母が生まれた年・・・
で・・・母は雨情の親戚・・・(笑)
ということは・・・拙者は雨情の親戚でもあるわけで・・・
雨情のお孫さんに「私は遠い親戚ですよね?」と言ったら「なに言ってるの、それほど遠くないでしょ!」と笑われたことがある。
ということで・・・それからは、拙者は雨情の親戚でもある・・・と名乗ることがある。(大笑)
受付のおばさんに、そういう話をしたら驚かれた。(笑)
それにしても、母が生まれた年に来ていたとはねぇ~
で・・・そこへ拙者が何も知らず訪れるとはねぇ~・・・・奇遇である。(笑)
しばし、おばさんと雨情の詠んだ詩の話で盛り上がる。(嬉)

244_convert_20190416002422.jpg(雨情の詩碑)

時刻は午後2時を過ぎた・・・
受付のおばさんに別れを告げて駅に向かう。

赤穂には、民俗資料館や歴史博物館もある。
博物館好きの拙者としては見学したい気持ちは山々なれど・・・
15:07発の電車に乗らねばならぬ。
やっぱり、もう1泊しないと見切れなかったか・・・(涙)

旅行 | 13:08:13 | Comments(0)
赤穂を散策!(その1)
今日の午後3時には、赤穂を離れて鳥取に向かわねばならない・・・
というわけで・・・要領よく見て歩かないと・・・(笑)
ホテルをチェックアウトして、早速出発!

009_convert_20190402134812.jpg(播州赤穂駅)

駅前に大石内蔵助の銅像が・・・

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銅像大好きな拙者としては嬉しくて仕方がない!(大喜)

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駅からテクテク歩いて10分ほどで「息継ぎの井戸」という場所に到着・・・
この井戸は、江戸城の松之廊下での刃傷事件を知らせに江戸から来た使者が、ここで飲み水を飲んで、一息ついてから赤穂城に向かった場所だそうである。

ここから5分とかからず、「赤穂城」に到着!

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大手門の向かい側に、面白い形の郵便ポストが・・・(笑)

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今日は、あいにくの天気である・・・雨がチラチラと降ってきた・・・(涙)

城内に入って行くと、まもなく屋敷門が現れた。
「近藤源八宅跡長屋門」「大石邸長屋門」である。
城内に屋敷があったのか?

城跡を見て回るのは、後回し・・・(苦笑)
まずは、本命の大石神社に行かねば!

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参道の両側に石像が・・・・
向かって右側に並んでいるのが、「表門隊」・・・大石内蔵助以下23体。
向かって左側に並んでいるのが、「裏門隊」・・・大石主税以下24体。
「表門隊」とか「裏門隊」って何だろう?(苦笑)
実は、この討ち入りについて、拙者は全く知識がないのである・・・(大笑)
「忠臣蔵」は有名な話なのにねぇ~(大汗)

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境内にある「義士宝物殿」は大正時代の初めに湊川神社の宝物館として建てられたもので、それがこの地に移築されている。
赤穂義士と楠木正成が共に「忠臣」という縁で移築されたのかな?

「義士木像奉安殿」には四十七士などの木像が展示されていた。

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見学を終え・・・喫煙所で一服・・・・
雨も降ったり止んだり・・・
そうだ!水戸藩士の“シミズくん”に赤穂に来ていることを教えてあげよう!(笑)
何か欲しい資料があれば買って行ってやろうと思い電話する。
が・・・なんと、携帯電話のバッテリーが・・・(唖然)
昨晩、ホテルで充電しておくのを忘れた!
なんたることぞ・・・・
とにかく、用件のみ手短に伝え・・・手短に回答させる。(大笑)

境内には、大石内蔵助の銅像が立っていた。
これまたラッキー!
この神社で、石像を加えて3体の「像」をゲット!(大喜)

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続いて「大石邸庭園」を見学・・・・
先ほどの「大石邸長屋門」の内側にある庭園である。
うまいことに雨がやみ、日差しがさしてきた。

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この長屋門の中には、松之廊下の刃傷事件を早駕籠に乗り江戸から知らせに来たシーンを表わした蝋人形が展示されていた。

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庭園の中に「稲荷社」があった。

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この稲荷社は「大石稲荷社」といい、常陸(今の茨城県)の笠間の稲荷大明神を勧請したものだそうだ。
笠間は浅野家の前領地である。
というわけで・・・赤穂は我が茨城とは縁がある場所なので、茨城県人の一人として、ここに来なければなるまいと思っていたのである。(笑)
ただ、よくわからないのが、説明板に「今日では水商売の人々の信仰が厚い」と書かれていること・・・(笑)
なんで、水商売の人達が、そんなに信仰しているんだろう?

時刻は12時・・・・
お昼を食べたいが、どこかでゆっくり・・・というわけにはいかぬ。
3時の電車に乗らねばならぬのだから・・・(大汗)
そういうわけで、境内の茶店で軽く食べ、空腹を紛らわすことにした。(笑)
ついでに、水戸藩士の“シミズくん”に頼まれた、赤穂の名産「塩味饅頭(しおみまんじゅう」を買い、宅配便で送ることにする。
ところが・・・この茶店の2人のオバチャンは宅配便など手配したことがないというのである!(唖然)
宅配便を利用する客などいないということか?(苦笑)
オバチャンたち・・・「初めてのことなので・・・」と苦笑い・・・
あ~でもねぇ、こ~でもねぇと言いながらなんとか発送の準備が出来た。
で・・・・「伝票は?」
「はぁ?伝票?」
「お客様控の伝票をください」(苦笑)
「はぁ?控?・・・どこにあるんでしょう?」
ダメだこりゃ・・・(大笑)
皆で大笑いしながら、何とか出来た・・・
万が一を想定して、私の連絡先と、この茶店の連絡先を交換する。
もし、宅配便の料金が間違っていたら連絡をくれれば、あとから送金するからと伝える。(大笑)
よくよく手間がかかってしまったが、おかげで先ほどまでいた団体客がいなくなった・・・
団体客のおかげで本殿の写真が撮れなかったのである!
ようやく写真が撮れる!(大喜)

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旅行 | 10:42:37 | Comments(0)
赤穂に行く
10月11日に鳥取県鳥取市で法人会の全国大会が開催される。
で・・・拙者は広報委員として参加する。
写真撮影と記事を書くのが拙者の“任務”である。(笑)
が・・・いつもの悪い虫が・・・(大笑)
今日から兵庫県の赤穂市に行くことにした。(大笑)
仲間たちからは「どうして鳥取で開催されるのに、赤穂に行くんだ?」と笑われたが・・・
実は、十年以上もまえから、行ってみたいなぁ~と思っていたのだが、なかなか機会がなかった。
今回、調べてみたら、赤穂に行って、そこから真直ぐ北上すれば鳥取に行けることがわかったので、思い切って赤穂に行くことにしたのである。(笑)

10時過ぎの特急で東京に向かい、東京から新幹線で姫路へ・・・
姫路で山陽本線に乗り換え「播州赤穂」駅に着いたのは午後4時半・・・
駅ビルの中にある観光案内所で資料を集め、隣接するホテルにチェックインした。

今日は、移動だけで終わる・・・(苦笑)

旅行 | 16:31:19 | Comments(0)
松本に行く
以前、妹のライブコンサートに行った時に、ヴァイオリン奏者の“ヨコヤマさん”とファゴット奏者の“ヤマガミさん”から、今度、松本でコンサートがあるので、良かったら聴きに来てくださいと誘われた。
曲目はバッハの曲だそうである。
拙者は音楽のことに関しては全くの無知なので、バッハの曲名など全く知らない。(笑)
が・・・なんとなくバッハの曲が好きなのである。(笑)
ちょうど、松本に用事があるので、そのついでにと思い、コンサートの前日の今日、松本に向かうことにした。

上野駅から12時10分発の「新幹線あさま611号・長野行き」で長野へ向かう。
長野で「特急ワイドビューしなの16号・名古屋行き」に乗り換え・・・
午後3時頃に松本駅に到着。

で・・・最初の用事は・・・「松本税務署」訪問!(大笑)
拙者は法人会の会報に全国の税務署の訪問記を連載している。
以前、わが地元の税務署署長から「松本税務署は洒落た綺麗な建物ですよ」と言われたことがあったので、いつか訪問してみたいなと思っていたのである。
ただ、税務署に行くだけが目的では面白くない・・・(大笑)
ちょうどタイミングよく、コンサートのお誘い・・・
拙者はどうしても一石二鳥を狙ってしまう性格なので・・・(大笑)
松本行きを決心・・・そして最初に「松本税務署」を訪問することにした。

018_convert_20181221224347.jpg (松本税務署)

松本駅からタクシーを飛ばして松本税務署へ・・・
で・・・唖然・・・
ん?どこが洒落ているんだ?
確かに、一般的に役所の建物は灰色で殺風景なので、それから比べたらマシな方だと思うが・・・
「松本城にマッチした建物なんですよ~」と、うちの税務署長が言っていたが・・・
う~ん・・・申し訳ないけど・・・どういう美的感覚なんだろう?(大笑)
拙者が想像していたのは、天守閣の屋根が乗っているような形の「帝冠様式」なのかなと思っていたのだが・・・(大汗)
ただのビルだった・・・(涙)
う~ん・・・どうやって記事を書こう・・・(涙)

この税務署の近くに松本城がある。

021_convert_20181221225437.jpg(松本城)

松本城は、外国人の観光客なども多く、混んでいて、天守閣に登るまで「30分待ち」の看板が出ていた。(汗)
拙者は10年前に松本城に来ている・・・
というわけで、今回はお城を見学するのをやめる。(笑)

直ぐ近くに「松本市立博物館」があった。

022_convert_20181221230038.jpg(松本市立博物館)

市立博物館?
さて、10年前に、ここを見学した記憶がない・・・・(大汗)
お城のすぐ近くなのに、ここに来た記憶がない・・・
博物館が大好きなのに・・・ここを素通りしたのか?(大汗)
館内に入って見たが・・・やっぱり記憶がない!(唖然)
10年経ったら記憶から消えてしまったのだろうか?
ついに来たか?・・・認知症・・・(大笑)

『チェコの城と宮殿」展という特別展が開催されていた。

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チェコのお城の写真パネルの展示。
お城は好きだが、外国のお城には、それほど興味がないのだが・・・
あら、あら、結構、良い城があるんだぁ~
外国の城は石造りの廃墟みたいな古城ばかりかと勝手に思っていたのだが・・・
あらら・・ちょっと行って見てみたい城がいくつかあった。(笑)

博物館の“受付嬢”とおしゃべりしたところ・・・
この特別展は、チェコ大使館とのコラボなのだそうである!
あらら~・・・
思った通り、チェコ・センターが関わっている。
このチェコ・センターのセンター長は“エバさん”という女性で、以前、お会いしたことがある。
あらぁ~彼女が関わっているんだぁ~
なぜだか、すごく嬉しい・・・(笑)
この間は、三島でチェコの画家、ミュシャのコレクターの喫茶店に偶然入って、ミュシャの絵を偶然見たし・・・
今度は松本で、チェコのお城展!
う~ん・・・なんという縁だろう?(笑)
ん?・・・チェコづいている?
しかも、この特別展は明日で閉幕だということで、ギリギリのタイミングで出会ったのである。
これまた、なんというタイミング!
縁があるんだろうなぁ~

博物館が閉館するまで見学をして、ブラブラ歩きながら駅前のホテルに行くことにする。

ちょっと逆方向、遠回りになるが、市役所の方へ向かったら、市役所の隣りで「明治天皇聖蹟」の碑をみつけた!(大喜)

023_convert_20190101200806.jpg(明治天皇聖蹟碑)

続いて、さらに当てもなくブラブラ・・・
川と言うか、濠と言うか・・・その沿いに何やら洒落た洋館が・・・
行ってみたら、和洋折衷のような建物・・・

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この建物・・・耳鼻咽喉科の医院である。
へぇ~洒落た建物だなぁ~(喜)
文化財に指定されていないのかなぁ~

この川沿いというか掘り沿いには、なぜか医院や歯科医院、眼科医院などがいくつも並んで建っている。
何でだろう?
昔から「病院通り」??

この建物の向こうにも、石造りの古い建物が建っていた。
そのままドンドン行くと、益々駅から遠ざかってしまうので、ここでUターン・・・
と・・・
途中で、これまた石造りの古い建物が・・・

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この建物は、建築設計の会社の建物で、大正14年(1925年)に建てられたものらしい。

そのままブラブラ歩いて駅前のホテルに向かい、無事にチェックイン。
う~ん・・・いい運動になった!(喜)

旅行 | 14:49:29 | Comments(0)
危うく乗り遅れる
今日は帰宅する日・・・
ホテルをチェックアウトして空港行きリムジンバス乗り場に向かう。
もう何度も利用しているから慣れてもいいはずなのだが・・・(苦笑)
やっぱり年1回の利用では不安感はぬぐえない・・・(笑)

無事に、“いつものように”・・・バスに乗り大分空港へ・・・
空港ビルに入ったら、驚くほど混んでいた・・・(唖然)
空港会社のカウンターには長蛇の列・・・
今から座席の指定を受けようと並んでいるのだろうか?
近くに出ていた掲示板を見たら、どうも霧のため午前の便は運航を取りやめたらしい。
拙者が乗る便はお昼過ぎの便だが、羽田からの便が折り返しということなので、その羽田からの便が天候次第では着陸するかどうか分からないという。
あらら・・・・拙者はどうしたらいいんだろうか?(大汗)
こういう時に、飛行機に乗り慣れていないと、どうしていいかわからない。
近くの係員に尋ねたら、チケットはあるし、既に座席の指定も取っているので、そのまま搭乗口に向かって良いと言う。
「スキップ」とか何とか言うやつを、ネットでカチャカチャと意味も分からずやってプリントアウトして持ち歩いている。
何が何だかわからんが・・・(苦笑)・・・・とにかく、この長蛇の列に並ばなくていいのなら、大助かりである。(笑)
が・・・飛行機が着陸するかどうかもわからないのに検査場を通って搭乗口に行ってもいいのだろうか?
わからん・・・・

空港内の、いつものレストランで、いつもの窓際の席で昼食を食べ、コーヒーを飲む。
滑走路は閑散としている。
霧ねぇ~・・・一見、ただの明るい曇り空程度にしか思えないのだが・・・・
飛行機の爆音が聞こえるが姿が見えないところをみると、どうも空港上空に霧が低く垂れこめているんだろう。
ここから滑走路は良く見えるんですけど・・・(笑)
上空からは真っ白で滑走路が見えないのだろうか?
それにしても、この近代化された時代に、滑走路が見えないから着陸できないなんて考えられないんですけど・・・
電波誘導の自動着陸装置って付いてないのかね?

到着予定時間が過ぎても飛行機は降りてこない。
ときおり、上空で爆音がするばかり・・・・
空港の上をグルグル旋回しているのだろう。
それにしてもかわいそうなのは、この飛行機に乗っている乗客である。
目と鼻の先に空港があるのに着陸できず30分近くグルグル旋回しているのである。
イライラしているだろうなぁ~
拙者はレストランでコーヒー飲みながら空を見上げているから気楽なものだが・・・(苦笑)

この時間帯に大分空港に来るのは、大阪からの便と、羽田からのJALとANAの2便・・・
3機とも降りてこない・・・
JALでは、福岡空港へ移動して福岡から羽田行きの便に乗った方が良いのではないかという案内のアナウンスを流した。
夕方4時ごろの便に間に合うし、座席にも余裕があるとかって言っている。
え~・・・・福岡に移動するの?
拙者はANAに乗るので、良かったが、もしJALのチケットを買っていたら、このアナウンスに大いに悩まされただろう。
こうなったら腹を決めて、運を天に任せるしかあるまい。
ANAは「天候を確認中」というアナウンスばかりで、他には何の情報もない・・・(汗)
「情報化時代」って本当かねぇ~
世の中、肝心な情報は全く入らず、どうでもいいような“情報”ばかりが氾濫しているような気がしますが・・・(苦笑)

まもなく大阪からの便が着陸した!
プロペラ機である。
続いてJALのジェット旅客機が着陸してきた。
で・・・・うちのANAは?(大汗)

7月1日に東京で伯父の1周忌の法要がある。
今日帰宅して家に泊まり、明日30日に上京して前泊して法事に出かける予定である。
できれば今日中に帰宅したいんですけど・・・(苦笑)
1日の余裕を敢えて設けていたので、最悪の場合にも対応は可能だが・・・・
こういう万が一を想定して、1日くらい余裕を作っておくのは“常識”である。(大笑)

ようやくANAがゴーッという轟音を発しながら着陸した。
が・・・空港内のANAのアナウンスは、天候の状況によっては着陸できない可能性があるので、現在状況を確認中ですとか何とか言っている。
あ・の・ね・・・・すでに空港に横付けしてるんですけど・・・(汗)
外を見てないのかね?

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これから乗客を降ろして、燃料を補給して・・・・となると、まだまだ時間がかかるだろう。
とりあえず乗る飛行機は到着したんだから、今日中には帰宅可能だろう。(笑)
これは、亡き伯父のご加護かな?(大笑)

で・・・喫煙所に行ってタバコを吸って時間をつぶし・・・・
更に読書をしながら時間を潰す。
そろそろかなぁ~ちょっと早いけど早めに搭乗口に向かうかぁ~
ということで、検査場の長蛇の列に並び、無事通過して搭乗口へ・・・
と・・・あれ?・・・・
混んでいると思っていた搭乗口はガランとしている・・・(汗)
なんでだろう?
隣りの搭乗口あたりにはたくさん人が集まっているんですけど・・・

飛行機に乗り込んで・・・驚いた!
満席である!
全員が既に座席に座っていて、拙者が乗り込んですぐにドアが閉められた!(大汗)
ということは・・・拙者が最後の乗客?(唖然)
搭乗開始のアナウンスなんか聞いていないんですけど・・・
搭乗口でも「急いでください」とも言われなかったんですけど・・・
心なしか、全乗客から「お前が遅いから出発が遅れたじゃないか!」と責められているような冷たい視線を浴びる。(大汗)
うそぉ~・・・・なんか、すごく偉そうにしているように見えちゃったじゃない!(大汗)
参ったなぁ~
ノンビリし過ぎた!(苦笑)

無事に離陸し・・・・羽田へ・・・・
一時はどうなるかと思ったが、今日中に帰宅出来て良かった。

旅行 | 14:08:02 | Comments(0)
宇佐海軍航空隊の戦跡を歩く
昼食後、時間に余裕がないので、あとはタクシーで回ることにした。
向かうは、宇佐海軍航空隊関連の戦跡・・・・
事前に、それほど詳細に調べたわけではない。
どうせ回り切れないだろうと思っていたので、主だったところだけを見て歩くことにした。

まずは・・・「宇佐空の郷」という施設・・・
ここに宇佐海軍航空隊(宇佐空)の資料が展示されているとか・・・

348_convert_20171001001514.jpg(宇佐空の郷)

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室内の中にド~ンと置いてあるのが、宇佐海軍航空隊の隊門・・・
主な展示物は、これだけで・・・(苦笑)
あとはパネル展示・・・
ボランティアガイドの“オジサン”にお話を伺う。
予科練や神風特攻隊の話・・・「おたくは詳しいですねぇ~」とおだてられた。
だから・・・拙者は予科練のあった茨城県から来たんだって・・・
フィリピンでの神風特攻隊の慰霊祭にも参加してるんだって・・・(苦笑)
そんなに詳しいわけじゃないけど、他の人より多少知っているだけ。(笑)

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外にある「隊門」はレプリカだそうだ・・・・

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この敷地の角が「隊門」跡だそうだが・・・
なんで、ここにレプリカの隊門を置かなかったのかな?

タクシーの運転手さんは、拙者より歳が若いが、連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将(元帥)の大ファンだそうだ。
というわけで・・・意気投合して話が弾んでしまったので、彼のお薦めの場所を回ることにした。(大笑)

次に向かったのは・・・・宇佐空の施設の廃墟・・・・

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宇佐海軍航空隊の落下傘整備所跡である。
かなりの廃墟・・・・
一応、市の史跡らしいが・・・
う~ん…もう少し何とかならんかなぁ~

次に向かったのは「城井一号掩体壕」という市の史跡・・・
飛行機を敵の空襲から護るための飛行機用の壕である。
タクシーの運転手さんは、この「掩体壕」というのが、どういうもので、どうやって造るのか・・・そういうことは全く知らないとのこと。
おいうわけで・・・・質問攻めである。(苦笑)
おかげで、おかしなことになった・・・
拙者がタクシーの運転手さんに個人的に講義をする羽目となったのである。
ん?・・・タクシー代を払いながら、教えるのか?(大笑)

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近くには慰霊碑があり、その後ろで何やら工事が・・・
どうも造成工事のようだが、タクシーの運転手さんが言うには、ここに宇佐空の資料館が建てられる予定なのだとか・・・
へぇ~そりゃすごい。
完成後に見に来るのが楽しみである。(笑)

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直ぐ近くを通る直線道路は、宇佐空の滑走路跡だという。

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時刻は午後3時・・・
他にも掩体壕があるらしいが、それらを見て回る時間はないので諦めて次の場所に向かう。
次に向かったのは、「宇佐市平和資料館」・・・・

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プレハブ小屋なのには驚いたが・・・
どうやら、この資料館が、あの掩体壕の後ろの土地に移ってリニューアル・オープンするらしい。
ますます楽しみである。

館内を、資料館の方にご説明をいただきながら見学する。

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これは「桜花」のレプリカ・・・・


特別攻撃機 桜花一一型

全長6.07m、全幅5.12m、全高1.15m、全重量2.14t
昭和19(1944)年海軍航空技術廠で開発された特攻のための兵器です。
航空隊員が1名乗り込んで機体ごと体当たりするため、人間爆弾とも呼ばれています。
胴体はジュラルミン等の金属、翼はベニヤ板等の木材で作られており、機首部分には重さ1.2tの爆弾が取り付けられていました。
母機である一式陸上攻撃機(一式陸攻)に吊るされて運ばれ、敵艦を発見すると切り離されました。
一式陸攻から放たれた桜花は、尾部にある3本の火薬ロケットを順番に噴射させ、時速600km以上に加速して突入しました。

(説明板より)



こちらは、零戦21型のレプリカ・・・・

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零式艦上戦闘機二一型

映画「永遠の0」で使用された「零式艦上戦闘機二一型」の実物大模型です。
鉄製の骨組みに合板を貼り付けて下地を作り、その上からアルミ板お接着し、本物に近い質感が再現されています。
機体表面の沈頭鋲(ちんとうびょう)(※)やコクピットなど、細部にわたり再現されています。
タイヤは本物の「疾風(はやて)」のタイヤを使用しています。
垂直尾翼には第721海軍航空隊(神雷部隊)を示す「721」の番号が記されています。
製作は、有限会社大澤製作所が行いました。

※外版と骨組をつなげる鋲で、空気抵抗を減らす為に平らな頭の物が使われました。

(説明板より)



撮影用のコクピット(操縦席)の模型もあり、ここに座って記念写真の撮影ができる。
う~ん・・・・座ってみたい気もしたが・・・
いい歳した大人が・・・という気もしないでもない・・・・(苦笑)
子供のころから零戦が好きだったが、座るのを諦めた。(大笑)

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この資料館は、これらの実物大のレプリカと若干の展示品と解説パネルのみ・・・・
予想以上に早く見終わってしまった。(汗)
時刻は午後3時30分・・・・
まだ少し余裕がある。
ということで・・・このままタクシーを貸し切り状態にし、更に少々遠方まで足を延ばすことにした。(笑)

次に向かったのは「双葉の里」と呼ばれる場所である。
ここは、どうやら横綱の双葉山の生誕地らしい・・・・
銅像があるようなので、銅像の写真を撮りに寄ってみた。(喜)

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「道の駅」っぽい感じである・・・

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『超六十連勝力士碑』というのが、建物の前にド~ンと建っていた。
う~ん・・・これ・・・何?(汗)
この碑には、63連勝の第4代横綱・谷風、63連勝の第69代横綱・白鵬、69連勝の第35代横綱・双葉山の3人の名が手形と共に刻まれていた。
へぇ~・・・・である。
「横綱・双葉山」って、すごい人なんだ~(苦笑)
「双葉山」という名は、どこかで聞いたことがあるなぁ~という程度・・・
69連勝とは知らなかった・・・(大汗)

資料館を見学する。

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見学後、資料館の方にお茶をすすめられ、みんなでしばし雑談。
拙者が茨城から来たと言ったら・・・
横綱・稀勢の里、大関・高安の話で大盛り上がり!(唖然)
みなさん、2人の大ファンなのだという。(汗)
話に熱がこもるのはいいのですが・・・
実は拙者は相撲に全く興味がないのである。(大汗)
だから知識が全くない!(大笑)
しまった・・・やっちまった・・・「茨城県から来ました」なんて言わなければよかった・・・
みなさんの話に付いて行けない・・・(大涙)
他県の方々が茨城出身の力士のことに、やたらと詳しいのに、当の茨城出身の拙者は全く知識がない・・・(大汗)
何を言われてもチンプンカンプン・・・答えようがない・・・
冷や汗ものである。(大涙)

この資料館のすぐ裏手に、双葉山の生家があるというので見に行く。

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ここをサラッと見学し・・・・時刻は午後4時30分。
今日の観光は、ここで終了!
意外にも多くの場所を回れたので大満足である。
最寄りの駅までタクシーで向かい、運転手さんとお別れ。

478_convert_20171006155027.jpg (柳ヶ浦駅)

この駅前に蘇鉄が植えられていた。
説明板があったので読んでみたら、この蘇鉄は宇佐海軍航空隊の庁舎の庭に植えられていたものを、戦後、ここに移植したものだという。
最後の最後に、宇佐空の戦跡を見つけて感激!(喜)

このあとは・・・別府駅に向かい、ホテルに戻り、今日の行動を終える。

旅行 | 12:06:50 | Comments(0)
宇佐神宮に行く
前回、“ヤスダさん”にお会いした時に、「史跡好きならば、ここを拠点に少し回ってみてはどうか」と言われた。
病院に訪問するついでに、別府を中心に史跡巡りをしたら・・・ということである。
つまりは・・・ちょくちょく遊びに来て欲しいということかな?(笑)
で・・・この間は、宇佐海軍航空隊に関する新聞記事の切り抜きを送ってきた。
そうなると・・・行かねばなるまい?(苦笑)
わざわざ新聞記事を送って来たということは、ここを見学するついでに病院に顔を出してくれということなのだろう。

というわけで・・・今日は、宇佐に行くことにした。(笑)
ホテルはそのまま・・・
今晩も、もう1泊して明日帰ることにしてある。
まる一日、宇佐周辺を見て歩くことにした。

電車で宇佐駅まで行き、そこからタクシーで宇佐神宮に向かう。
宇佐に行ったら、まずは「宇佐神宮」でしょ?(笑)

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宇佐神宮には初めて来たが、さすがは「神宮」っていうくらいだから、結構、広い感じである。



宇佐神宮御由緒

当神宮は全国に4万社あまりある八幡宮の総本宮であります。
神代に比売大神(ひめおおかみ)が馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、欽明天皇32年(571)応神天皇の御神霊が初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を御巡幸ののち神亀2年(725)に亀山の一之御殿に御鎮座になりました。
また天平3年(731)比売大神を二之御殿にお迎えし、のち弘仁14年(823)神託により神功皇后(じんぐうこうごう)が三之御殿に御鎮祭されました。
皇室は我が国鎮護の大社として御崇敬篤く、特に八幡大神が東大寺大仏建立援助のため神輿にて上洛されたこと、また和気清麻公が天皇即位にかかわる神託を授かった故事などは有名であり、伊勢の神宮に次ぐ宗廟、我が朝の太祖として勅祭社に列せられております。

(説明板より)



参道を歩く人は無く・・・・閑散としている。
テクテク歩いていたら、韓国人の団体客たちとすれ違った・・・・
まもなく、小さな可愛い機関車を発見!(苦笑)

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(宇佐参宮線26号蒸気機関車)

この機関車は明治24年にドイツで製造された蒸気機関車で、大正5年に開業した宇佐参宮線で使用されていたものだそうだ。
当時は、宇佐神宮に来るのに汽車に乗って来ることが出来たらしい。
宇佐参宮線は昭和40年に廃止されたとのことであるから、そのころには、参拝客は自家用車か観光バスでやって来る人が多くなって汽車に乗る人がいなくなったのかも・・・

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(宮本武蔵 誠心直道之碑)

ちかくに「誠心直道之碑」というのが建っていた。
宮本武蔵と言えば熊本県だが・・・なんで大分県の宇佐にこの碑が建っているのかと思ったら、近くに説明板があった。
それによると、「正統兵法二天一流」が宇佐市在住の方が宗家として相伝されたため、熊本から大分の宇佐の地に宗家が移ったためらしい。
以前、福岡県北九州市の小倉城で「誠心直道の碑」というのを見た覚えがある。
この碑を建てた“団体”も二天一流の宗家と名乗っていたが・・・・
更に熊本県の霊巌洞で、二天一流の由来の説明板を見たことがあるが、こちらも別の“団体”で宗家とのこと。
う~ん・・・兵法二天一流というのはいくつもの流派に分かれているのだろうか?
それで、こちらの“団体”はあえて「正統宗家」と名乗っているのか?
よくわからん・・・
まるで和菓子屋の「元祖」「本家」「総本家」みたいな感じなのかな?
若かりし頃、京都の銘菓「生八つ橋」を「本家でもなく総本家でもなく分家で買ってみたい」と言ってお店の人にヒンシュクを買ったことがあるが・・・(大笑)
いったい、どの“団体”が直系なのだろう・・・という気がしないでもないな・・・(大汗)

直ぐ近くに種田山頭火の碑が建っていた!
お久しぶりの山頭火との再会である。(喜)
全国を旅していると、時々、バッタリと山頭火の碑に出会うことがある。
これがなんとも嬉しい・・・

228_convert_20170918224550.jpg (種田山頭火の碑)


種田山頭火

自由律俳人・種田山頭火、本名・正一。
明治15年山口県防府市に生まれる。
早稲田大学を病気中退し帰郷、結婚して父と酒造場を開業する。
一方、荻原井泉水が創刊した新傾向俳句誌『層雲』に投句し入門、やがて同人・選者として活躍した。
大正5年に酒造場は失敗、破産する。
熊本に移り無軌道な酒に浸って市電を止める事故を起こしたのを機に出家得度。
九州をはじめ東北地方まで全国を行乞漂泊の旅を続けた。
ここ宇佐神宮には、昭和4年と13年に訪れており、禅僧でありながらも殊のほか敬虔なおもいで参拝している。
昭和14年四国霊場巡拝を終え愛媛県松山市に「一草庵」を結んだが、昭和15年10月11日同庵に歿した。
山頭火は、花鳥諷詠や季語を約束とする五・七・五の定型俳句とは異なり、「俳句といふものは・・・魂の詩だ、心のあらはれを外して俳句の本質はない」と言い、その人生や俳句においても、より真実なるものを模索し非定型を貫いた。
行乞流転の旅にあって詠んだ数々の日本語独特な口語のリズムを生かした自由律作品は、いまも多くの人のこころを捉えている。

(碑文より)



このすぐ近くに、「神武天皇聖蹟菟狭顕彰碑」というのが建っていた。

249_convert_20170919145925.jpg (神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑)

石碑などに目が行ってしまい、なかなか先に進めない・・・(大笑)
宇佐神宮って・・・まだ先だよね?(苦笑)

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境内に大きな池が・・・・蓮の花が咲いていた。

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立派な建物を発見!(笑)
なかなかの建物である。

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写真の左側が「宇佐神宮儀式殿」で、右端の建物が「宇佐神宮庁」の建物・・・

更に進むと「茅の輪」があった・・・

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説明板によれば、この「茅(ち)の輪(わ)くぐり」というのは、盛夏を乗り切る方法の一つなのだそうだ。
茅の輪をくぐることで、心身の穢(けが)れや厄を払う儀式なのだそうである。
以前、水戸藩士の”シミズくん”に付き合って某神社に行った時に、彼は茅の輪をくぐっていたが・・・(笑)
う~ん・・・たぶん彼は穢れていたからやったのだろうが・・・(大笑)
拙者には自分の心身が穢れているという自覚はない。(大笑)
が・・・
周囲を見渡したら誰もいないので、ちょっとやってみるか・・という気になった。
決して拙者は穢れていないのだが・・・(笑)
説明板に書かれている作法によると・・・
まず、正面に立ち一礼をするのだそうだ。
この時に、正月から現在まで健康でいられる感謝を込めるのだそうだ。
次に左回りで一度、茅の輪をくぐる。
その次に今度は右回りで茅の輪をくぐり・・・
と・・・ここまでやっていたら、周囲に参拝者がチラホラと集まっていた。(驚)
ゲゲゲッ!なんとも恥ずかしい・・・(大汗)
しかし、途中でやめるというのもねぇ~・・・・マズイでしょうねぇ~
で・・・最後にもう一度、左回りで茅の輪をくぐり、正面に立って一礼をする。
この時、この夏から来年の正月まで健康でいられますように・・・という願いを込めて一礼するのだそうだ。
よし!他人の視線を散々浴びながら・・・(涙)・・・「茅の輪くぐり」は終了!
これで、来年の正月まで健康でいられるよな?

更に進む・・・・

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「宇佐神宮社叢(しゃそう)」
国指定天然記念物

この御(み)山は亀山、また小椋(おぐら)山とも称し、森の大部分はイチイガシ(一位樫)、クスノキを優占種とする常緑広葉樹林でほぼ自然の状態で残されている。
高木層、亜高木層、低木層はほとんど常緑樹で占められているため、四季を問わず緑深い神域が保たれている。
イチイガシは常緑広葉高木で、樹高30mに達し幹の直径が1.5mになるものがある。
樹皮は灰黒褐色であるが、皮目が多く薄片となってはげ落ち波状の模様が残る。
葉には鋭い鋸(のこぎり)歯の表面は光沢があるが下面は黄褐色の短い毛が密生している。
他のカシ類と同様に堅果(どんぐり)が出来る。

(説明板より)



「イチイガシ」・・・ねぇ~
どの木がイチイガシ????
植物に関する知識が全くないので、さっぱりわからん・・・(涙)

更に進むと色鮮やかな門が・・・
あら・・・すごい・・・

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この門をくぐると・・・これまたビックリ・・・

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あらぁ~この屋根・・・すごいなぁ~
これ・・・・杮葺きかな?
ここを回り込むと・・・そこが宇佐神宮・・・・
これが本殿かな?

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これまた素晴らしい建物である。(喜)
この宇佐神宮は、参拝の仕方が他の神社とは違っているらしい。
説明板に「二礼、四拍手、一礼」と書いてあった。

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この説明に従い、ニ礼して、パン、パン、パン、パンと四拍手して、一礼・・・・
ところが、他の参拝客はみなさん、パンパンパンパンと猛スピードで四拍手するのである!(驚)
え~!(驚)・・・そうやるのか?
パン、パン・・・と拍手の間にワンテンポ入れるんじゃないのか?
説明文には四拍手のテンポまでは書いてはいない・・・
パンパンパンパン!・・・・では、なんとも気忙しい気がするんですが・・・
本当はどっちが正しい四拍手の仕方なんだろう?
うっかり社務所の人に尋ねるのを忘れた・・・・(汗)

社殿は一つに見えるが、「一之御殿」「ニ之御殿」「三之御殿」と三つに分かれていて、それぞれに賽銭箱がある。
仕方がない・・・三つともお参りするしかない・・・(苦笑)
そのたびに賽銭箱にお賽銭を入れねばならぬ。

社殿の反対側に「宇佐神宮奥宮 大元神社遥拝所」というのがあった。

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説明板によると・・・・
『左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)です。宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています』とある。

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へぇ~・・・あんな遠くの山が発祥の地ですか・・・・
あそこに行くのは大変だろうなぁ~(大汗)

参拝を終え、帰ろうかなと・・・
途中、「若宮神社」というところに帰路を示す看板があったので、これに従うことにした。

297_convert_20170920161446.jpg (重要文化財・若宮神社)

この帰路は「下宮経由」とのこと・・・・
うまくハメられた・・・(苦笑)

303_convert_20170920162045.jpg (下宮)

この下宮(げくう)も一之御殿から三之御殿の3つに分かれていて、それぞれに賽銭箱が設けられている。
社員旅行のついでに立ち寄ったという感じの他の参拝客が「小銭がなくなったから、俺はパス!」と言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。
やたらと賽銭箱があるので、あっという間に小銭が無くなってしまうのである!(大汗)
こう言っては、失礼かもしれないが・・・・商売上手である・・・(苦笑)
幸い、拙者の財布には、小銭がたんまりあったので助かったが、宇佐神宮に来るときは小銭を十分に用意しておいた方が良さそうである。(大笑)

この境内に兆竹(さましだけ)というのがあった。

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兆竹 (さましだけ)

往古、宇佐神宮では神事や豊穣、国家の大事を決する時の神意の卜占を、摂社若宮神社の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷まし」たといわれる。

(説明板より)


どうでもいいことだが・・・なんで「兆」と書いて「さまし」と読ませるのだろう?
「さましだけ」なら「冷竹」でもいいと思うのだが・・・・(笑)

更に戻って・・・・境内の一角にある公衆トイレのところが喫煙所となっているので、そこで一服・・・(笑)
そこへ、ワーワーキャーキャーと騒ぎながらやって来た一団・・・
韓国人のツアー客たちである。
中年のオバチャンたちは、ほぼ全員が真っ黒いサングラスをかけているという異様な雰囲気・・・(苦笑)
今にも雨が降りそうな、どんよりとした曇り空なのに・・・・真っ黒いサングラスとは・・・ねぇ~
ファッションなんでしょうが・・・
日本人の中年女性には、こういうサングラスをかける人はいないよな。
やっぱり韓国人というのは、感覚的に、どこか違うんだろうなぁ~
それにしても・・・偶然なのかもしれないが、やたらと何組もの韓国人ツアー客に会うんですけど・・・
宇佐神宮は、韓国人に人気のある観光スポットなのか?

時刻は12時を過ぎている・・・
近くに宝物館があるが、ここに行ったら、たぶん拙者のことだからじっくりと見学してしまうかもしれない・・・
そうなると、今日は宇佐神宮だけで終わってしまうような気がする。
それだけでは勿体ない気がしないでもない。
ここは・・・宝物館があることに気が付かなかったということで・・・無視することにする。(大笑)

一服後、更に境内を散策してみる。

「頓宮」というのが、境内のはずれの寂しい場所に建っていた・・・(苦笑)

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頓宮

頓宮(とんぐう)は仮殿(かりどの)、御仮屋(おかりや)ともいわれ、当神宮では夏越神幸祭(なごしのしんこうさい)(7月31日~8月2日)が斎行される際に三基の神輿(みこし)(御鳳輦・ごほうれん)がこの頓宮まで御巡幸ののち遷御(せんぎょ)される。
この大祭は明治以前まで御祓会(おはらいえ)御禊会(みそぎえ)とも称されたが、古式による独特な祓いの儀、菅貫神事(すがぬけしんじ)が今も行なわれている。
また現在の頓宮は昭和7年より始まった昭和大造営の折に新築されたものである。
古く元慶4年(880)には33年毎の式年造替が行われ、この頓宮一帯に上宮、下宮、若宮の各本殿と寸分たがわない白木造りの「仮殿」が建てられた。
しかしこの仮殿の造営も中世戦乱のため次第に行われなくなり、延宝8年(1680)には神橋付近に頓宮が造営され昭和初期まで使用された。
尚、宝物殿には我が国最古の建築指図である「宇佐宮仮殿地判指図」(国重文・鎌倉時代)や、「応永の古図」また「宇佐宮絵図」数点が展示されており参考にされたい。

(説明板より)



ここから更に奥に向かい、宇佐神宮の境内の外側に、どうも「和気清麻呂」の碑があるらしい。
ちょっと行ってみるかと、雑草の生い茂る細道を歩く・・・

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どうやら、あの木々で鬱蒼とした小山辺りにあるようである。

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一歩、足を踏み込んで・・・・唖然!
シマッタ・・・この石段・・・・(大涙)

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登るのを諦めて引き返そうとも思ったが・・・・
ここまで来て引き返すのもねぇ~
相変わらずの運動不足による呼吸困難と筋肉痛を伴う“登山”である。(苦笑)
しかも、服装は、いつものようにスーツにビジネスシューズである。(大笑)
こういうところを歩くにはふさわしくない格好である。(大笑)

323_convert_20170920202447.jpg (和気清麻呂公の碑)

まもなく、大きな石碑が見えた・・・・
これが「和気清麻呂公の碑」である。
宇佐八幡神託事件で活躍したということで、大正4年に、この碑が建立されたらしい。
文字は日本海海戦で活躍した東郷平八郎の揮毫である。

更に、奥のほうに神社があるらしいので・・・・
ここまで来たら、もう、ついでということで行ってみる。

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大尾山

天平神護元(765)から16年間、現在の上宮があった場所です。
11世紀中頃には参議源資通(みなもとのすけみち)により蓮台寺が創建されました。

(説明板より)


摂社 大尾神社

御祭神 八幡大神

八幡大神は奈良の都の大仏開眼式に臨まれ、宇佐へご帰還ののち、天平神護元(765年)この大尾山にしばしの間鎮座するとの御託宣により山上に本殿を造営、15年間お鎮まりになった。
この間、神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は「宇佐使」として当地に参向、皇統を守護する託宣を受けられた。
大神が本宮へ還御されたのち神勅拝受の聖蹟として八幡大神の御分霊を祀り、大尾神社と称された。

(説明板より)



どうも“神様の話”はよくわからない・・・・(大汗)
帰る途中、もう一つ神社があったので寄ってみた。

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末社 護王神社

御祭神 和気清麻朝臣命

神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は宇佐使として当地に参向「我国は開闢以来君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神のご託宣を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。
山上の摂社大尾神社附近は神託を受けた旧蹟である。

(説明板より)



滑る落ち葉に神経を使いながら、山を下り・・・・
宇佐神宮に戻り・・・・参道わきの店を覗く。
定休日で閉まっているのか、潰れてしまったのか、シャッターが閉まっている店が何軒もあった。
なんとも活気のない“商店街”であるが・・・
こんなに参拝者がいないのなら、仕方がないかも・・・
またもや韓国人ツアー客たちが、たむろしていたが、彼らがここでお土産を買うとは思えない・・・
そうなるとパッとしないよねぇ~(苦笑)
たまたま覗いたお店に「ふくろうグッズ」があったので、妹へのお土産に一つ購入・・・
でも、お店の人は・・・シラ~ッ・・・・(汗)
まぁ、そうなるのも無理はないか・・・・

時刻は午後1時を過ぎていたので、近くの食堂で遅い昼食をとる。

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旅行 | 10:06:55 | Comments(0)
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