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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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湊川神社に行く
今日は帰宅する日だが、その前に1か所だけ行きたい場所がある・・・
「湊川神社」!(笑)
なぜなのか、どうしても寄ってから帰りたい・・・
前回、神戸に来た時にも行こうとしたが、ちょうど雨が降り出したため断念した。
今回、二度目のチャレンジである。(笑)

ホテルをチェックアウトして三宮駅から神戸駅に向かい、神戸駅からブラブラと徒歩で向かう・・・
タブレットの地図を見ていて気が付いた・・・・
前回、「神戸文化ホール」まで来ていたのだが、ここから歩いてすぐのところに「湊川神社」があったのだ!(驚)
あのとき、そのまま歩いていけば、雨が降る前に到着していただろう。
どうしてわけのわからん地下鉄に乗ってウロウロとしちゃったんだろ?(苦笑)
タブレットの地図は表示部分が限られている。
画面をスクロールしなければ、つい、見落としてしまう・・・
ここが紙に印刷されている地図との大きな違い。
紙の地図なら、一目でわかったはずである。
が・・・紙の地図では自分の“現在位置”がわからない・・・(苦笑)
ここが方向音痴の人間のツライところである。(大笑)
何にでも、長所、短所というものはあるものだ・・・

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何やら門の前が賑やかである・・・・なんでだろう?(笑)

まずは、門をくぐってすぐのところにある、楠木正成のお墓に行きお参りする。
この墓碑は徳川光圀が建立したという。

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すぐ近くに、水戸光圀公の銅像が・・・・
う~ん・・・我がイメージとはかなり違う、グロテスクに見える銅像なのだが・・・
本当は、こういう顔の人だったのかな?(苦笑)
この銅像を造ったのは平櫛田中という人なのだが・・・
以前、この人が造った岡倉天心像を見たことがあるが、やっぱり、どこか“枯れている”という感じの銅像だった。
これが朝倉文夫さんが造ると、また違った雰囲気の銅像になるのだろうが・・・
拙者としては、どちらかというと朝倉さんの造る銅像が好きである。(笑)

順序が違ったが・・・(笑)
ようやく本殿をお参りする・・・

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なにやら大勢の人が集まって、昇殿されていた・・・
まもなく開式の案内・・・どうも「楠公祭」というのが行われるらしい。

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本殿参拝後、宝物殿を見学・・・

そして再び本殿に向かう。
この裏辺りに「楠木正成自刃の地」があるらしいのだが、行き方がわからなかったので社務所で尋ねてみた。
と・・・「神職と一緒でなければ中には入れません」と巫女(?)さん・・・
「今日は楠公祭で神職は忙しいので・・・」と言われた。(汗)
「そうですかぁ~・・・・じゃぁ、又の機会に・・・」と話していたら、後ろから「私がご案内しましょう」と神主さん。
あらら・・・お忙しいところ申し訳ない・・・(大汗)
タイミングよく、神職さんにご案内いただけることとなった。

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この場所が、「自刃の地」らしい・・・
門扉は閉まっていたが、鍵を開けていただき内部へ・・・・

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ここでお参りをし・・・・神職からお話を伺う。
さらにこの奥のなにもなさそうに見える場所が、どうも「自刃の地」らしい。
今となっては明確ではないのだろうが、どうも、当時の住民の証言に基づいているらしい。
この場所に遺体があった・・・ということか?

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「今日は楠木正成の命日なんですよ」と神職。
あらら・・・たまたま訪ねたらところなのだが・・・命日でしたか・・・(汗)
それで楠公祭が行われているのだそうだ。
楠木正成は有名な人なので名前だけは知っているが、実は詳細は全く知らない・・・(大汗)
南朝とか北朝とか言われても、その時代には全く興味がないので記憶に残らないのだろう。
例えていえば、田中角栄という人は有名だが、何をした人なのかを知らないのと同じ・・・(大笑)
拙者の場合、田中角栄が自民党なのか社会党なのかも知らないに等しいという無知ぶり・・・(苦笑)
楠木正成さんねぇ~・・・はぁ~・・・????(苦笑)・・・・なのである。

「この湊川神社は、水戸光圀公が楠木正成を顕彰してくれたおかげで出来た神社といっていいと思います」とのこと。
「そう!その光圀さんの茨城県から来ました!」と言ったものの・・・・
命日も知らずにノコノコとやって来たのだから威張れたもんじゃない・・・(大汗)
シマッタ・・・(大汗)
この湊川神社と茨城県、水戸徳川家とは今でも何らかのお付き合いがあるのかどうかとお尋ねしたところ、全く何もないとのこと・・
それもちょっと寂しい話である。
「では、私の方から茨城県知事によく言っておきましょう!」と言ったら笑われた・・・(大笑)

「5年に一度、武者行列をやるので、来年がその年なので、是非、見に来てください」とのこと。
武者行列は、地元で、企画、運営をしたことがある。
見るより“取り仕切る”ほうが拙者は好きなのだが・・・(笑)
「見るんじゃなくて、手伝ってくれと言われたら喜んで取り仕切っちゃうんですけどぉ~」と言ったら、また笑われた・・・

不謹慎かもしれないが、冗談連発で笑いながらの見学となってしまった・・・
ご案内いただいた神職さんには大変失礼をしてしまった。(大汗)
あとになってから・・・反省・・・

駅前に戻り、近くの喫茶店で昼食をとり・・・・帰途につく・・・
今日もまた充実した時間が過ごせた・・・
感謝、感謝・・・

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旅行 | 10:39:57 | Comments(0)
淡路島へ行く
昨晩のうちに神戸に来て1泊・・・・
今日は、淡路島の泉家さんのお宅を訪問する。
高速バスに乗り約1時間でお宅に到着・・・・
奥様と大阪在住の娘さんのお迎えをいただいた。
「わざわざ遠くから・・・」と恐縮されたが、泉家さんには、どうしてもお線香をあげたいのである。
時間がかかろうが、カネがかかろうが、どうしても訪問してお線香をあげたいのである。
ご家族には余計な気を遣わせることになって申し訳ないが・・・
自分の気が済まない・・・
泉家さんからは、たくさんのことを学ばせていただいた・・・
どういう形でお礼をすればいいのかが、わからない・・・
お線香をあげて手を合わせる事しかできない・・・
これでご勘弁ねがうしかない。
今回の降って湧いたような戦友会解散が、うまく回避できたのは、もしかして泉家副会長のお陰かも・・・
とりあえず、戦友会は無事に存続できそうですとご霊前にご報告する。
で・・・・ご家族と、しばし思い出話を話する。
あ~やっと気持ちが落ち着いた・・・

ずいぶん昔に、泉家さんから淡路島の観光マップやらの資料を頂いたことがある。
「あんた、史跡めぐりが好きなんだって?是非、淡路島に来なさいよ」と言われて慰霊祭の時に渡された・・・(笑)
資料には泉家さんがいろいろと書き込みをしておいてくれていた。
が・・・それから何年も、そのまま放置してしまい・・・
ようやく2年前にお宅を訪問したが、時間に余裕がなく、そのまま真直ぐ本州に移動してしまった。(汗)
今回は・・・泉家さんから誘われた淡路島の観光をしてから帰ろうと思う。(笑)

タクシーを呼んでもらい、お宅を辞する。
淡路島は交通の便が不便なようなので・・・・(汗)
タクシーで向かうことにした。(笑)
目的地は・・・「高田屋嘉兵衛公園」!(喜)

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「高田屋嘉兵衛公園」・・・別名は「ウェルネスパーク五色公園」というらしい・・・・
なんで2つも名前を付けるのだろう?
「高田屋嘉兵衛公園」だけでいいと思うんだけどなぁ~(笑)

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公園内に銅像が・・・・
映画『瀬戸内少年野球団』のモニュメントだそうだ・・・
この映画を見たことはない・・・(苦笑)
だいたい拙者は邦画はつまらないと思っているので、邦画は見ない・・・(苦笑)
だから、何の話なのかは分からぬが・・・
ここ淡路島で撮影されたので、ここにモニュメントを建てたらしい。

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近くに、もう一つ銅像が・・・・
「日露友好の像」という銅像・・・
高田屋嘉兵衛翁とゴローニン提督の銅像だが、出来がイマイチ・・・・(大汗)
制作者名を見てみたら、ロシア人だった・・・
やっぱりねぇ~・・・・どう見ても日本人が作ったようには見えなかったんだよねぇ~(汗)

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三笠宮崇仁親王殿下のお手植えの五葉松があった!
ここに殿下もいらっしゃっていたんだ!(大喜)
旅の行く先々で殿下のお手植えの樹木に会うたびに嬉しくなってしまう。
久しぶりにまた殿下にお会いしたような気持ち・・・・
100歳でお亡くなりになられた殿下を偲ぶ・・・・
この五葉松は生き生きと育っているようで安心した。
殿下はここに平成10年4月24日に訪れているらしい。

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公園内にある「高田屋嘉兵衛顕彰館」を見学する。
この建物には3つの名前が付けられている。
「高田屋嘉兵衛顕彰館」「歴史文化資料館」「菜の花ホール」である。
で・・・・「菜の花ホール」の表記が一番大きく出ている。
うっかりすると、ここが資料館だと気づかずに通り過ぎるところである。
なんで、3つも名前を付けるのかね?(苦笑)

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以前、北海道の函館に行った時に、高田屋嘉兵衛の屋敷跡を訪れたが、その「屋敷図」が展示されていた。
へぇ~こんなに広い屋敷だったんだぁ~

館内の見学を終え、職員の人と、しばし雑談をして・・・(笑)
次に向かったのは、公園内にあるらしい高田屋嘉兵衛のお墓・・・・
ところが公園の案内図(イラストマップ)があまりにも簡略し過ぎで、おおよその場所は分かるが、正確な道順がわからない。
こんなイラストマップは困ったものだ・・・(大汗)
散々探し回って、ようやく公園の隅に「道標」を発見!

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この細道を下りて行き・・・ようやく墓所に辿り着いた・・・(大汗)

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拍子抜けするほど、小さく、質素なお墓である。
弟さんと並んで眠っている・・・・
小さな墓石がチョコン・・・というお墓は高田屋嘉兵衛の遺言でそうなったのか、それとも子孫がケチったのか?(苦笑)
高田屋嘉兵衛は文政10年(1827年)に59歳で亡くなっている。
早いと言えば早いよなぁ~
拙者が57歳ですから・・・・拙者が2年後に死ぬようなものである。
早い!(笑)
高田屋嘉兵衛は、亡くなる10年ほど前に家業を弟に譲って隠居の身となった・・・
この点、拙者も45才を過ぎたところで“隠居”したんだから、同じようなものだが・・・(大笑)
やったことのスケールの大きさは高田屋嘉兵衛には遠く及ばない・・・(大涙)
人間の出来が違うんだろうなぁ~
あ~我が人生を振り返ると・・・後悔ばかりである。(笑)

この公園始発の高速バスが1時間に1本程度の間隔で出ている。
時刻は午後3時40分・・・(汗)
急いでバス乗り場へ向かう。
乗客は拙者一人・・・・(唖然)
これで採算が合うのだろうか?・・・という気がしないでもないが・・・・
次のバス停は「五色バスセンター」・・・・
公園のある高台を下りて、まもなくの場所にある。
と・・・・ありゃ!(驚)
ここは、「高田屋嘉兵衛生誕地」のすぐ隣ではないか!
大きな石碑も建っている!
あらら・・・・
途中下車は出来ないので、車窓から見るしかない・・・(涙)
失敗したぁ~
ここまで歩いてきて、ここから乗れば良かったんだ・・・
「五色バスセンター」なんていう名前だから気が付かなかった・・・
「嘉兵衛生誕地跡前」とかという名前にしておいてくれれば良かったのに・・・・(涙)
いつか、また、来るようか?(苦笑)

高速バスで終点の「三宮バスターミナル」まで行き、徒歩でホテルに向かう。
で・・・・偶然見かけた神社・・・・
ちょっと気になったので立ち寄ってみる。

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「一宮神社」というらしい・・・
小さな目立たぬ神社である。

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ここの手水舎に驚いた!
この“建築物”は大和郡山城主・本多忠直の屋敷の門を移築したものだそうだ。
あらぁ~・・・・である。
すごいものを見つけちゃった!(大笑)
大和郡山城には行ったことがあるので、親近感が湧く・・・(笑)

ここを参拝して・・・ホテルにチェックイン・・・・

旅行 | 10:11:39 | Comments(0)
戦友に会いに行く
今日は我が戦友会の“戦友”に会いに行く日・・・・
ホテルをチェックアウトして、まずは水戸藩士の“シミズくん”へのお土産を買いに行く。
今回、堺に宿泊することを話したら、是非買ってきて欲しいお土産があるという。(笑)

普通は、旅に出てもお土産を買うということは滅多にない。
たまたま土産物屋で見つけて、これは是非食べてもらいたいなぁ~と思った時しか買わないのである。(大笑)
例外は“戦友”の皆さんと、その奥様方・・・
以前は旅先から何十箱とお土産を宅急便で送ったが、その後、鬼籍に入られた方が多くなり今では贈る相手が大激減した。
“戦友”の皆さんはご高齢になられ、もうどこからも手紙も来なければ何も届かないという方が多いようである。
で・・・拙者が旅先からお土産を送ることにした。
突然、自分宛てに宅急便が届いたら驚くだろうし、喜ぶだろう・・・
それに独居老人の場合、宅配業者が訪ねることで安否の確認にも役立つかもしれないと思ってのことである。

我が戦友会の“戦友”は全国各地に散らばっている。
というわけで、日本列島の端に行った時が一番お土産を多く買った・・・(笑)
北海道に行った時は、宅配料金も含めてお土産代が10万円を超してしまった!(大笑)
もう1回北海道に来ることができるほどの金額を使っちゃった!(大笑)
鹿児島県では宅配料金を含めて7万円も使ってしまった!(大笑)
でも、金額の問題ではない・・・目的は喜んでもらえたら嬉しいという、それだけの事である。
カネは天下の回りもの・・・・いつかは何かの形で戻ってくるだろうと信じている・・・(大笑)
だから、いつも運が良いのかもしれない・・・(笑)
お土産のお礼に守っていただいている気がする。

お土産買いは、まず初日にお店を下見する。
で・・・何も買わない・・・(笑)
ホテルに帰って、誰に何を送るかを決めて一筆箋に手紙を書く。
で・・・翌日、同じお店に行く。
「あ~昨日来た人ですね」と言われるが、「どうせ買わないんでしょ」という顔をされる。(大笑)
そこで・・・
「これを5箱、これを10箱、これを3箱、これを5箱・・・」と次々と注文・・・
この時の唖然とした店員さんの顔を見るのが楽しい!(大笑)
送る相手によって品物を変える。
一人暮らしの人に饅頭が36個も入っているお土産を送ったのでは迷惑であろう?
そういうところへは、美味しいものを少しだけ送ることにしている。
「宅急便代の方が高いんですけど、いいんですか?」と店員に言われることがしばしばだが・・・(笑)

全てのお土産に昨晩書いておいた一筆箋を貼ってもらう。
一番大変なのが宅急便の伝票書き・・・
何十枚も書くので、伝票だけを先にもらってコーヒーショップでコーヒーを飲みながら書いたこともある。
懐かしい思い出である。
どのお店でも言われたのが「こんなに買うお客さんは初めてです」・・・(大笑)
申し訳ないからと、飛行機の中で食べてくれとか電車の中で食べてくれと、お土産を頂くことが多い。
それだけで、もう幸せ気分・・・・(喜)
今では送る相手もいなくなり、こんなお土産買いは二度と出来ない・・・(涙)
寂しい限りである・・・・

お土産のお礼状が届くが、これがまた楽しい。
「こんな美味しいものを息子夫婦にはもったいないから、婆さんと二人でこっそりと食べています」という礼状を頂いたときは思わず大笑いしてしまった。
奥さんと二人で別室で、こっそりと食べている姿が目に浮かぶ。(大笑)
確か敦賀に行った時でないかと思うが、羽二重餅を送った時に「何十年ぶりに食べました。昔を思い出し懐かしかったです」と喜んでもらったこともあった。
昔、この方が町内会の旅行で行った時に買ったものと同じだったそうで・・・(笑)
喜んでいただけたら、こちらも嬉しい・・・拙者の方が幸せ気分である。(喜)

今回は、“シミズくん”からお土産を指定されている。
これは、ある意味ありがたい・・・
お土産は何を買おうかなんて悩まなくて済む。(笑)
時間があって指定されたものが買えたら買うが、駄目だったらゴメン!お土産はないよぉ~である。(笑)
今日は午前中、時間が取れたので、彼が希望するお土産を売っているお店に向かう。
お店の場所をネットで調べたらホテルからそれほど遠くはない。
タクシーで行くには近いが、徒歩で行くにはちょっと遠いという微妙な位置にお店がある。(大笑)
時間に余裕があったので徒歩で行くことにした。
で・・・歩いていて気が付いた・・・
この辺りを10年前にウロウロと歩いたことがある!(笑)
拙者の記憶力は“まだらボケ”状態である・・・・
お店に到着して、指定されたお土産を買ったが・・・
お店の人から「賞味期限は本日ですので、気をつけて下さい」と釘を刺された・・・(唖然)
今晩帰宅する予定だが、今晩中に彼に渡して、今晩中に食べろと言うのは酷であろう。
「明日まで大丈夫だよね?」と言ったら「絶対ダメです!今日中に食べてください」と女子店員さん・・・
「自己責任ということで・・・・明日でもいいよね?」と言ったら「今日中に食べてくださいとしか言えません」と頑なである。(汗)
周囲のお客さんからはあきれ顔で睨まれた・・・(涙)
なんという面倒くさいものを指定してくれたのか・・・・“シミズくん”!!!(苦笑)
なんと!水戸藩士“シミズくん”のお土産買いで午前中を丸々潰し・・・(大笑)・・・南海鉄道・堺駅に戻り、駅近くの喫茶店で昼食・・・

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大阪には我が戦友会の会員が何人かいる。
遺族会員だが従軍経験者でもある“フジイさん”のご自宅が、意外にも堺駅からそれほど遠くないことを昨晩地図を見ていて気が付いた。
電車で移動しようとすると大きく迂回するようなので遠いと思っていたが、徒歩ならば最短コースを歩いて30分くらいで行けるようである。
昨晩と今朝、お電話をしたが、応答なし・・・
残念ながら目と鼻の先に来ているがお会いすることが出来なかった。
まぁ、アポが取れていたら午前中にお土産買いになどできなかったので、ある意味、これはこれで良かったのかも。
“シミズくん”に土産を買ってあげなさいという天命であろう!(大笑)

もう一人の方は戦友で、事前に連絡したのだが、16日は都合が悪いという。
「いやぁ~残念だぁ~」を連発される。(苦笑)
「また大阪に来ることもありますから・・・その時に改めて・・・」と言ったが・・・
相手は今までお会いしたことのない方である。
たぶん90歳は超しているだろうから、「また今度」では会えるかどうか・・・(大汗)

で・・・今回アポが取れたのは戦車第6連隊の戦友である“ショウジさん”。
10年ほど前に慰霊祭でお目にかかっている。
久しぶりの再会である。
堺から南海特急に乗り途中で各駅停車に乗り換えて約30分ほどでご自宅のある駅に到着・・・
駅まで迎えに出ていてくださった。
杖もつかず元気に歩かれているが、お歳を尋ねたら90歳だという。
「あと5年・・・95歳までは生きたいねぇ~」とおっしゃる。
奥様は入院中で一人暮らし・・・
ご自宅にあがって、おしゃべり・・・
この戦友を訪ねるのも、実は戦友会の会報の為でもある。
みなさんご高齢になられ、遠方への外出が出来なくなった。
当然、慰霊祭にも参列できない・・・
これでは戦友会に入っている意味がなくなってしまう。
ならば・・・ということで、拙者が会いに行っておしゃべりして、その様子を「会員訪問記」として会報に載せることにしたのである。
そういう活動をし続けて、ずいぶん経つが・・・
都合が合わず、お会いすることもなく他界された戦友も多い・・・
昨年の内に無理してでも会いに行けば良かった・・・というような後悔は山ほどある。
生存している戦友の数も激減した今、あと1~2年のうちに戦友への訪問記は終末を迎える事になるだろう。

事前のアポ取りの時、「フィリピンへ行ってすぐに終戦になったから、ろくに戦ってないから、話すことは何もないんだけど・・・」とおっしゃっていたので、「とにかく久しぶりに顔を見に行くということで・・・」と、今回は拝み倒しての訪問である。
「お元気なお姿を拝見したらすぐに帰りますから、1時間ぐらい時間をください」とお願いした。
が・・・「話すことは何もない」どころではなく、「話すことが沢山」であった。(大笑)
“ショウジさん”は、少年戦車兵第5期生だという。
たしか、第5期生でフィリピンに行った人はほとんどいなかったと思っていたのだが・・・
というのも、5期生の内、繰上げ卒業した200名ほどがすぐさまフィリピンに派遣されたが、途中で輸送船が沈没しているのである。
たぶん全滅していると思っていたのだが、“ショウジさん”の話では、自分の中隊の乗った輸送船は無事だったが、そのほかの船は全部沈められて同期生は全滅したという。
戦後、フィリピンから生還した第5期生は10人もいなかったようである。
話はトントン弾み「話すことは何もない」どころではなく、メモを取る暇もない・・・(苦笑)
更には「あっ、この話は書かないでね」の連発!(苦笑)
活字にしてはいけない話、オフレコが多すぎる・・・(大笑)
これじゃ会報に「会員訪問記」は書けない・・・(大涙)
「お会いしましたが、話の内容は公開できません」では・・・ねぇ~・・・(涙)
参ったなぁ~(苦笑)
1時間程度の訪問のはずが、3時間・・・・
それでも時間が足りない・・・
が・・・拙者は今日中に帰宅しなくてはならないのである。
今から急いでここを出て新大阪に向かい新幹線で東京へ行って、ギリギリ最終の特急に乗れるかどうか微妙なタイミング。
乗り損ねたら一大事である。
後ろ髪を引かれる思いでご自宅を辞し、帰途につく・・・・
「話すことは何もない」に騙された・・・(大笑)
再度、訪問して、話の続きを聞かねば・・・・(大笑)

旅行 | 10:36:14 | Comments(2)
とんだ勘違い!
今日のメインの用事は・・・「戦車の碑」の写真を撮ること。(笑)
ずいぶん昔に戦車第6連隊の戦友から青野ヶ原というところに戦車の碑を建立した話を聞いたことがある。
年1回発行の戦友会会報の表紙の写真のネタが切れた・・・
今年の会報の表紙の写真に、この「戦車の碑」の写真を載せようかと思った・・・・
で・・・名古屋に行くついでに神戸まで足を延ばしたわけである。

ホテルをチェックアウトして、まずは手近なところにある“史跡巡り”から始める。(笑)
ホテルのすぐ近くにあったのが「宮城道雄生誕の地」碑である。

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宮城道雄・・・・どこかで聞いたことがあるような・・・(汗)
どうも作曲家らしいのだが・・・どんな曲を作った人なのかは全然しらない・・・(大汗)

続いて向かったのは「生田神社」・・・・
以前にも、ここを参拝したことがあるので2回目の訪問だが、本来の目的地はここではない。
とりあえず、近くに来たので、参拝する。(笑)

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本来の目的地は、この生田神社のすぐ近くにある「神戸税務署」!(大笑)
拙者は「法人会」の広報委員として会報に記事を書いている。
シリーズで書いているコラム記事が「全国税務署巡り」!(大笑)
税務署を巡って何が面白いのかという気がしないでもないが・・・(大笑)
誰も見向きもしない税務署を巡って、税務署を紹介するふりをして、実は近隣の史跡などの紹介をする記事である。(大笑)
大分県の別府税務署の記事では、温泉地ということで「入湯税」についての話を絡ませて書いた・・・
東京の渋谷税務署の記事では、2・26事件の話を絡ませて書いた・・・
「税務署巡り」は、いつも行き当たりバッタリである。
旅行のついでに近くに税務署があれば写真を撮影しておく。
で・・・どんな記事にするかは、後から考える・・・(大笑)
これが、なかなか難しいのである。
話のネタを見つけるのが大変・・・
しかも、この会報は我が地元の税務署の方々も読むので下手な記事は書けない・・・(大笑)
今回は、神戸税務署を撮影しておいて、後から記事を考えることになるが・・・
う~ん・・・どういう記事を書こうか・・・(大汗)
「源平合戦」に絡ませて書いてみようか?(苦笑)

DSCN4478_convert_20170709194723.jpg (神戸税務署)

税務署の写真を撮って・・・・駅に向かう。
とにかく「さんのみや」という町は各線が入っていて交通の便が良いが駅が多いので、田舎からやって来た者にはサッパリわからん。
「三宮」と「三ノ宮」・・・・どの駅に行けばいいんだ?
「三宮」という駅に各線が全部入ってくれていたら駅は一つでわかりやすいのだが・・・
JR、阪急、阪神、神戸市営、神戸高速・・・各駅が微妙な距離感で存在しているので訳が分からん・・・(涙)
ところで、拙者はどの会社の電車に乗ればいいんだ?(大汗)

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ネットで調べ・・・・「阪急神戸三宮駅」から目的地の「市場駅」へ向かう。
途中で乗り換え、1時間以上もかかってようやく「市場駅」へ・・・

DSCN4482_convert_20170709205436.jpg (市場駅)

あ~・・・・(汗)
ホームしかない・・・無人駅だ・・・・(涙)
タクシーはいないわなぁ~・・・これじゃ・・・・
「戦車の碑」は、某病院の敷地内にあるということまでは調べておいた。
で・・・その病院は現在は名前が変わっていることも調べておいた。
で・・・その病院へ行くわけだが・・・
駅を出て山の方へ坂道を延々と30分ほど歩く・・・
なんかおかしい・・・
こんな山の奥にあるのか?
病院は山を削って造成されたような場所に建っていた。
ん?・・・・こんな急斜面が続くような場所に戦車連隊があったのか?
病院の敷地内を探してみたが「石碑」らしきものが見当たらない。
今日は土曜日・・・
診療時間は終わったのだろうか・・・閑散としていたが、病院内に入り職員の方に尋ねてみた。
と・・・
なんと!病院は名称が変わっただけではなく移転もしていたのである!(驚)
女子職員の方が「その碑は移転前の病院のほうにありまして・・・ここではないんです」と言う。
うそぉ~!(驚)
移転前の病院は、現在は廃墟となっているという。(唖然)
調べが中途半端だった・・・(涙)
まさか移転した新しい病院の方に来てしまったとは・・・
道理で地形的におかしいと思ったんだよなぁ~(苦笑)
「戦車の碑」は今も廃墟となっている敷地内にあると思うが、出入り口は封鎖されていて内部には入れないし、外から写真を撮るのも無理だろうとのこと。
今日は土曜日なので管理部門はお休み・・・
改めて管理部門に連絡をして相談していただければ、敷地への立ち入りの許可がもらえると思うとのこと。
あらら・・・まいったなぁ~
何だかんだと2時間以上もかけてやって来たのに・・・空振りである。(苦笑)
廃墟となっているというのでは、「戦車の碑」も雑草に埋もれていて写真を撮れるような状態ではないのでは?
会報の表紙に「戦車の碑」の写真掲載は断念するしかあるまい。
職員の方にお礼を言って失意のどん底気分で・・・(大笑)・・・・帰途につく・・・・
なんだかんだと往復4時間以上も無駄遣いしてしまった・・・(大泣)

「湊川公園駅」で下車し、駅構内で遅めの昼食をとり「湊川公園」へ・・・・
ここに楠木正成の銅像があることは、前回、神戸に来た時に調べておいたので寄ってみる。

DSCN4491_convert_20170709215057.jpg DSCN4486_convert_20170709215009.jpg

「湊川公園」からテクテクと徒歩で「神戸文化ホール」に向かう。
ここに孫文の銅像があるらしいことも事前に調べておいた。

DSCN4493_convert_20170709215910.jpg (孫文先生の像)

ここから三宮へ戻り、更に大阪へ向かい堺駅に行く。
今晩は堺駅近くのホテルに宿泊する・・・
名古屋、神戸の次は大坂である!(大笑)
今から10年前の平成19年に、ここ堺駅に来ているはずなのだが・・・・駅を降りて周囲を見ても全く記憶が蘇らない。(苦笑)
間違いなく、ここに来ているのだが・・・当時とは違う出口に出てしまったのかも・・・(汗)

DSCN4504_convert_20170709221326.jpg (堺駅南口)

今晩はここで、この間、一緒にパラオで行動した新聞記者の“サイトウさん”と夕食を食べる予定・・・
パラオでは、ゆっくりお喋りが出来なかったので・・・
折角の機会なので、堺駅まで呼び出して・・・(笑)・・・夕食に付き合ってもらう。
駅前の居酒屋で、食事をしながらお喋りをする。
散々飛び回った本日の締めくくりとして充実した時間が過ごせた・・・感謝!(喜)

旅行 | 14:38:56 | Comments(0)
会長宅を訪問する
今日は会長宅を訪問する日・・・・
訪問は午後に・・・ということにしておいたので、午前中は“観光”をすることにする。(笑)

ホテルをチェックアウトして向かったのは・・・愛知県護国神社!
近くに来ているんだから、お参りしなければバチが当たるというものであろう?(苦笑)
英霊にご挨拶せねば・・・
この愛知県護国神社は3回目の参拝となる。
平成15年と平成20年に参拝した。
最後に参拝してから、もう9年も経つのか?(唖然)
かなりの御無沙汰である・・・・

テクテクと護国神社に向かって歩いていたら、「県警本部西」の交差点のところで石碑を見つけた・・・
なんだろうと思って見たら、「野砲兵第3連隊」の碑である。

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これと同じ碑を9年前に名城東小公園で見たぞ・・・
あれ?・・・9年の間に、ここに移転されたのか?
それとも同じ碑を2つ作って別々の場所に設置したのか?

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護国神社の桜は満開を過ぎ、散り始めていた・・・
参拝後、境内の奥の方にある各部隊の慰霊碑を参拝・・・
時刻は、まもなくお昼になるので、少し早めの昼食を敷地内にある食堂でとる。

護国神社を出て、更に歩く・・・・
折角の機会である・・・こういう時に歩いて普段の運動不足を解消せねば・・・(苦笑)

名城小学校のところに「説明板」が・・・
その説明板によれば、ここは蘭方医で植物学者でもある伊藤圭介の生誕地らしい・・・
伊藤圭介の銅像は8年前に鶴舞図書館前でお目にかかった・・・(笑)
あ~あの方がここで生まれたのかぁ~

DSCN4464_convert_20170704170724.jpg (名城小学校)

更にテクテクと歩いて行ったら、またまた何やら「説明板」らしきものを見つけた!(喜)
近づいてみたら・・・「西川鯉三郎免許の跡」と書いてある。
この人は振付師らしいが・・・
「免許の跡」って、どういう意味なんだろう?
「生誕の地」とか「自宅跡」とか「稽古場跡」というのならわかるのだが・・・
「免許の跡」ねぇ~・・・わからん・・・(汗)

DSCN4466_convert_20170704170757.jpg (西川鯉三郎免許の跡)

更にテクテクと歩き・・・途中でコーヒーショップに立ち寄ってコーヒーを飲み・・・(笑)
地下鉄に乗って会長宅に向かう。
拙者は我が戦友会の会長宅に訪問したことがない。
よくよく考えてみれば、事務局長の拙者が今まで一度も会長宅を訪問したことがないなんて異常かもしれない・・・(苦笑)

会長は体調不良のため、すでに“終活”に入られたことはメールで知ってはいたが・・・
その徹底ぶりには驚いた。
ご自宅の中は必要最小限のものだけしか残っていない・・・・(汗)
ご自宅の各部屋は家具も何もなくガランとしている・・・
まるで荷物も持たずに昨日引っ越してきました・・・という感じ・・・(大汗)
いやぁ~すごい・・・
拙者も、このくらい徹底して整理をすることが出来たらいいのだが・・・
うらやましい限りである。

会長と拙者は、以前からストレートにズケズケと物を言い合う仲である。
というわけで、変な気づかいをしながら・・・という回りくどい話をすることがない。
で・・・最初に、会長が死んだときの会としての対応についての話である・・・(苦笑)
生き死にの話をストレートに語り合うんだから他人が聞いていたら呆れるかもしれない・・・(大汗)
会長としては、死去したときには会に対して連絡はしないという。
簡単に言うと・・・風の便りで知ってくれ・・・ということらしい。
これはご家族の意向なのだと思う。
葬儀に参列されたり、香典だの供花だのをいただいたら“義理”が出来てしまうので、そうなると後が大変だからすべてお断りしたいということのようである。
いつ死んだのかがわからなければ、そういう義理事は発生しないだろうということか・・・
そういう気持ちはよくわかる。
義理事ができると、正直言って後が面倒なのである。
ご家族としても、父親が亡くなったと同時に戦友会とは縁を切ってしまいたいと思うのも当然である。
これは会長のご家族の方針ということで、その方針に従うことを事務局長として確約する。

で・・・次は本題である今後の会の運営についての話し合い・・・
開口一番に「会を解散します」には、再び驚かされた。(愕然)
自分亡き後の後継者がいるかどうか、会長を引き受けてくれる人がいるかどうかと尋ねられるだろうと想定していたので、この間の会計監査の時に監査役の“シゲミさん”に次期会長を打診したのだが・・・
まさかの一方的な“解散”宣言・・・
これには参った・・・
会長は、ご自身が元気なうちに全てのことに始末をつけてしまいたいというお気持ちらしい。
それが現会長の責任の取り方で、自分が死んだ後のことは知りません・・・という無責任なことはしたくないという気持ちは良くわかる。
が・・・会の実務は事務的な事も会計も、すべて拙者一人でやっているのである。
極端な言い方、失礼を顧みずに言うならば、会長が誰であろうと、仮に会長がいなくても、拙者が元気なうちは会の運営は出来てしまうのである。
実務担当者の拙者が”余命僅か”ということであれば、ちょっと会の運営は難しいだろうから、解散ということもあり得るが・・・そうでなければ慰霊祭の開催も、今まで通りに出来てしまうのだが・・・
拙者の考えを尋ねることなく一方的に「解散」を言われたのには驚いた・・・
まぁ、会長のお気持ちもわからないでもないし・・・ここで議論を戦わせても仕方がなかろう・・・(涙)

もしかしたら、ご自身の葬儀と絡めて会の解散を考えたのかも?
つまり、会自体を解散してこの世から消してしまえば、その後、“元会長”が死亡しても連絡をする義理はない・・・
この世に「会」がないんだから・・・・
しかし、在任中に死亡したり、または会長職を辞した後でも戦友会自体が存続していたら連絡しないわけには行かなくなるかもしれないとの思いからなのかもしれない・・・
だから自分が元気なうちに戦友会を解散してしまおうということなのかもしれない・・・
そう思われるのも無理はないと思う。
が・・・人数は激減したとはいえ会員はいるわけで、毎年、会費を振り込んでくれている。
参列者数が激減したとはいえ、永代神楽祭には毎回必ず参列してくれている遺族会員もいるのである。
戦没者の慰霊をできるだけ続けようという方々がいる以上、そうそう会長の“思い”だけでサッサと解散するというわけには行かないと思う。
我が戦友会は、生還者たちの親睦団体ではなく、戦死した戦友の慰霊をするために生還者と遺族が集まって組織された「慰霊団体」なのである。
それゆえ、「最後の一兵となるまで」慰霊活動は続けると、今は亡き生還者の皆さんとお約束したわけで、会を維持するために拙者が入会し事務局長を引き受けたわけで・・・
つまり・・・会長が死ぬまで続けるというのではなく、拙者が死ぬまでは続けるということなのである。(苦笑)
ということで・・・ここで解散するというのは、ちょっと早すぎる気がしてならない・・・

一応、会長のお気持ちは、それはそれとして頂いて・・・善後策を練って、お考えを覆させることを考えた方が良いだろう。
ということで、会長のお気持ちを聞かせていただき、ご自宅を辞す。

名古屋駅まで戻り、そこから今度は神戸に移動して、今晩は神戸に宿泊することとする。
精神的にドドッと疲れた・・・(大汗)

旅行 | 10:37:12 | Comments(0)
名古屋に向かう
今日から名古屋方面に行く・・・
ここ数年、我が戦友会の会長にお会いしていない。
会長が体調不良のためということもあるのだが・・・
お見舞いと言ったら大げさになるので、会の打ち合わせを兼ねてということで、会長に会いに行くことにした。
で・・・そのついでに、神戸、大阪まで足を延ばしてブラブラと旅をすることにした。(笑)
こうなると、何を目的に出かけるのかと言われてしまいそうだが・・・(笑)

朝、家を出て・・・お昼に東京駅から新幹線で名古屋駅へ・・・

まずは、大好きな史跡巡り!(苦笑)
最初に向かったのは、「中村公園」・・・別名「秀吉清正公園」とも言うらしい。

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桜が満開である!(喜)

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この「中村公園」には、ずいぶん昔に一度だけ訪れたことがある。
ずいぶん昔だと思うから・・・25年ぐらい前ではなかろうかという気がするが・・・
とにかく、社会人になって、出張で名古屋に来たついでに立ち寄った覚えがあるのである。
が・・・公園の前まで来たが・・・全く記憶がない!(大笑)
あれ?・・・・である。(汗)

DSCN4391_convert_20170623173157.jpg (豊国神社)

この公園の中に「豊国神社」というのがある。
御祭神は豊臣秀吉である。
この公園に来て豊国神社をお参りしないはずはないのだが・・・・記憶にない!(大汗)

DSCN4392_convert_20170623173352.jpg (豊公誕生之地碑)

すぐちかくに「豊公誕生之地」碑が建っていた。
当然、これも記憶にはない・・・(苦笑)

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「中村公園」には池もある・・・・が・・・・これも記憶にはない・・・(苦笑)

DSCN4407_convert_20170623173522.jpg (橘中佐碑)

「橘中佐碑」というのを見つけた!
橘中佐とは、日露戦争で戦死した橘周太陸軍中佐のことで、“軍神”である。
が・・・なんで、ここに碑が建っているんだろう?
橘中佐は長崎県の出身である。
また、戦死したときは静岡の歩兵第34連隊の第1大隊長だった。
もしかしたら、明治35年、陸軍少佐の時に「名古屋陸軍地方幼年学校」の校長だったので、それで名古屋に碑を建てたのだろうか?
でも、なんで「中村公園」に建てたんだ?
よくわからん・・・
説明板が設置されていないのが残念である。

DSCN4408_convert_20170623173547.jpg (中村公園文化プラザ)

すぐ近くに「中村公園文化プラザ」という建物が建っていた。
なぜか、この建物だけは記憶にある。
なんでだろう?(苦笑)
この建物の中に資料館があるのだが・・・
もしかしたら、休館日に来てしまい、見学できなかったので、悔しさのあまり、それで記憶に残っているのだろうか?(苦笑)
資料館を見学してみたが・・・当然、記憶にない・・・(苦笑)

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DSCN4414_convert_20170623213055.jpg (石田三成自筆密書)

『石田三成自筆密書』(複製)というのが展示されていた。
石田三成の自筆である!(驚)
この密書は石田三成が真田昌幸に徳川家康打倒の構想を伝えたものだとのこと・・・・
「密書」というのは、読んだら燃やしてしまうものだと思っていたが、今の世まで残っていたのか?(唖然)
この密書を受け取った真田昌幸は、このヤバイ代物を大事にとっておいたのか?(汗)
後々、何かに使おうとしていたのだろうか?

他の資料館や博物館では、こういう古文書は、ただそのまま展示されていることが多い。
が・・・ここでは、読み下し文と現代語に訳した文も掲示されているのである。
なんと親切な事か!(喜)
これはすばらしい展示の仕方だと思う。

「中村公園」を出て、すぐ近くにある「妙行寺」に向かう・・・・

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この「妙行寺」は加藤清正の誕生の地だそうだ。
ここには初めて来たような気がする・・・
来たことがあるのか、ないのかがわからないなんて、なんと記憶力の悪いことか・・・(涙)

続いて、すぐ近くにある「常泉寺」に向かう・・・・

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ここは豊臣秀吉の誕生の地だそうである。
あれ?・・・・「誕生の地」の碑は中村公園にあったのだが・・・
なんでここに碑を建てず、向こうに建てたんだろう?(苦笑)
この「常泉寺」は「中村公園」に隣接するような場所に位置しているので、「この一帯が生誕の地」ということになるのだろうか?
豊臣秀吉が、そんなに広大な屋敷で生まれたとは思えないのだが・・・(苦笑)
この寺の境内に「豊太閤産湯の井戸」というのがある。

DSCN4446_convert_20170623221256.jpg (産湯の井戸)

それにしても、加藤清正と豊臣秀吉ってご近所同士だったのか?(大汗)

時刻は午後4時・・・・
今日は名古屋駅前のホテルに宿泊する。
ここまでは名古屋駅から電車に乗ってやって来たが、帰りも電車では芸がない・・・(笑)
ということで・・・・徒歩で名古屋駅まで向かうことにする。
約1時間歩いてホテルに到着!
う~ん・・・いい運動になった!(笑)

旅行 | 16:05:12 | Comments(0)
帰国!
軽く仮眠をとるが、結構、グッスリと寝たみたい・・・(大笑)
前回、別のツアーで来たときはホテルに宿泊したため、仮眠なんてもってのほか。
寝坊したら大変である!
というわけで・・・マッサージを呼んでマッサージをしてもらいながら時間を潰したが・・・
今回は、“別荘”である!(笑)
寝坊しても誰かが起こしてくれるだろうと「高を括って」熟睡した。(大笑)

荷物の最終チェックと家の中の掃除・・・
といっても、この“別荘”の最高齢宿泊者の拙者は・・・何もしない・・・(笑)
ほとんど、最年少者の“ナカムラさん”が、やってくれた!(喜)
感謝、感謝である。

靴底が無くなった我がトレッキングシューズは、他のゴミと一緒に棄てることにする。
一緒にフィリピンの山岳地帯を歩いた、長年の“戦友”とも、ここでお別れである。
思い出の多い靴なのだが・・・(涙)
スーツケースには余計なスペースはないので、持ち帰れない。
まぁ~持ち帰っても使い物にならない靴だから無駄と言えば無駄なのだが・・・
思い出がねぇ~・・・あるからねぇ~
こういう思い出に執着してしまうところが拙者の欠点でもある。
だから、なかなか自宅も我が部屋も、物が捨てられず片付かないのである。(大汗)

午前1時過ぎ、現地旅行社の送迎車に乗り空港に向かう。
途中で別のアベック客をピックアップ。
どういうわけか、日本人というのは(特にアベックは)、こういう時に挨拶をしない。
我々がいるのが見えないという、“無視”する態度・・・・(唖然)
後から乗り込んでくるのだから会釈くらいあってもいいと思うのだが・・・
わざわざ気を使って席を移動して空けてあげたんだし・・・
「すみません」とか「ありがとうございます」くらいの一言があってもいいと思うが・・・無視である。
まぁ、最近の若い人は、こういうものなのだろう・・・
こういうことにムカッとくるんだから、拙者も歳を取ったものだ・・・(苦笑)

成田行きの便なので、当然、チェックインカウンターには日本人の行列が・・・(汗)
中には、もめてゴタゴタしている連中もいたが・・・・
拙者はスムーズにチェックインを済ませ、手荷物検査もスムーズに通り搭乗口へ・・・
以前と同様、相変わらずの混雑・・・
拙者は、この搭乗口で待つというのが好きではない。
とにかく他の乗客を見ているとムカムカしてきてしまうのである。(苦笑)
横柄な態度のチンピラ風の連中がいる・・・・
馬鹿丸出しで、はしゃいでいる連中がいる・・・・
あ~なんと品(ひん)のない連中か・・・・
そういうのを見るのが嫌なのである。
というわけで・・・拙者は読書をして過ごす・・・(笑)

午前4時55分発、デルタ航空282便で成田に向かう。

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午前6時30分・・・機内食が出る。
う~ん・・・一応、これが朝食・・・である・・・・(苦笑)

午前9時20分ごろ、成田空港に到着。
荷物を受け取ったら、皆さんにお別れの挨拶をしようと思っていたのだが、みんなの姿が見あたらない。
仕方がない・・・心の中で・・・(大笑)・・・「お疲れさまでした!お世話になりましたぁ~!」と言って・・・(大笑)
空港を出る・・・・

旅行 | 17:34:42 | Comments(0)
靴が“オシャカ”!(驚)
DSCN4310_convert_20170530215907.jpg (我が“別荘”)(大笑)

今日は、パラオ本島の“探索”と“観光”・・・・(笑)
相変わらずお天気はイマイチである。

まずは、第二次編成の戦車隊の戦車が埋没している場所を再訪問して、遺族の“サカイさん”のための「お別れの挨拶」・・・・
続いて、日本人住民がいたという「大和村」の位置の確認の探索をしたが、残念ながら、ここだと明確にはわからなかった。
なにせ、70年以上も前だし・・・今では村は消滅してジャングル化しているし・・・
おおよその位置関係の確認に終わる。

“某所”で珍しいものを偶然見つけた!
今で言うところの「ロードローラー」である!(驚)
こりゃすごい!
・・・・と、大興奮しているのは拙者だけ・・・(大笑)

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これは、ローラーで道路や滑走路を圧し固める機械である。
軍用のものなのか民間のものなのかはわからない。
以前、ラバウルで、このローラーの部分だけを見かけたことはあるが、車体全体を見たのは初めてである。
しかも、ほぼ原型を留めているのであるから驚きである!
う~ん・・・これ、欲しいなぁ~(大笑)

次に向かったのは「パイナップルの缶詰工場跡地」・・・・
当時はパイナップルを栽培していたんだろうか?
今は、どこにもパイナップル畑らしきものは見当たらないのですが・・・・

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次に向かったのは、墜落した零戦があるという“某所”・・・・
車を降り、山道を歩くこと30分以上かかるという。

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この真っ赤な土は、鉄分が含まれているからなのだろうか?
以前、フィリピンの北部ルソン・サラクサク峠でも見たことがあるし、ソロモン諸島のツラギでも同じ色をした土を見たことがある。

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これは・・・ボーキサイトの山・・・・
ボーキサイトはアルミニウムの原料である。
で・・・日本統治時代は、こういう山を削ってボーキサイトを日本に輸出していたのだろう。

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途中で見かけた花・・・・
何という名前かは知らない。
蘭の一種か?
それとも金魚草(キンギョソウ)の一種か?
拙者は花は好きだが知識がない・・・(大汗)

この地層も珍しい・・・
赤土の間に黄色の土が・・・
う~ん・・・・
カスタードクリームを挟んだチョコレートケーキ?(大笑)

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DSCN4332_convert_20170530223533.jpg (途中で見た景色)

歩き始めて30分以上もかけてようやく“現地”に到着する。
なにせ普段の運動不足が効いた・・・・
なだらかな道でも息が切れる・・・(涙)
いやぁ~これが炎天下だったら完全にダウンしていたかもしれない。

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丘のなだらかな斜面に不時着したという感じの零戦の残骸・・・・
現地の人の話によれば、1機の零戦が燃えながら飛んできて、ここに不時着したという。
何時頃の話かはわからない・・・
通常なら激突するであろうが、最後の最後まで不時着することを狙って着地したのであろう。
綺麗に不時着している。
しかし、現存しているのはエンジン部分と両主翼と尾翼だけ・・・・
胴体部分は完全に消滅している。
焼け落ちてしまったのかもしれない。
燃えていたのは操縦席のある胴体部分か?
3枚あるプロペラのうち1枚は、曲がりもなく真直ぐに立っている。
ということは、完全にプロペラが止まった状態で不時着したのか?
プロペラが空転であっても回っていたら、必ず内側に曲がっているはずである。
ということは・・・滑空して不時着したものと思われる。
型式は不明・・・・
翼端の形状からすると零戦21型か、22型、52型あたりだろうが・・・
草に覆われていて主翼の翼端に折り畳み機構があるかないかが、よく見えない。
翼端を折り畳める形ならば21型か22型・・・・
折り畳み機構がなければ52型ということになるのだが・・・・

DSCN4365_convert_20170530231149.jpg (仮埋葬地跡)

草に覆われ、ちょっと見づらいが、ここに穴がある。
機体の残骸から少し離れたところにあるのだが・・・
この零戦が墜落(不時着?)した時、地元の住民が駆け付けたらしいが、既に搭乗員は死んでいたという。
この残骸から想像するに、操縦席は火に包まれていたのではなかろうか?
全身やけどで、焼死に近かったのではなかろうか?
そこで地元の人たちが機体から少し離れた場所に穴を掘り、搭乗員を仮埋葬したという。
たぶん戦後のことだと思うが、その後、掘り返されて遺骨は日本に還ったという。
この搭乗員が誰なのかは知らない・・・・
その穴が今も残る。
ここに埋まっていたんだ・・・・お線香をあげて慰霊する・・・・

と・・・・まもなく、一気に雨が降り出してきた!(驚)
拙者はポンチョを着ていて大丈夫だったが・・・・
さぁ!帰りましょう!・・・ということになる。
ところが、歩き出したら何かが足にまとわりつく・・・・
ペタペタと何かが貼りついているような・・・
足を上げてみて驚いた!
靴底が剥がれてめくれているのである!(唖然)

このトレッキングシューズ・・・・
もう15年以上も前に購入したものである。
寿命と言えば寿命なのかもしれない・・・(涙)
ついに靴底が剥がれ落ち、左足は大丈夫だが、右足は靴底のない靴となってしまった・・・(大汗)
しかし、靴は高価なものを買っていて正解だった。
靴底がないのに、靴底があるのである。(大笑)
二重構造か三重構造になっているのだろう。
かなりしっかりしている靴底がまだ健在だった・・・
剥がれ落ちたのは靴底のギザギザの滑り止めの1枚だけだったようである。
雨の中をしばらく歩いてみたが、靴の中に水が入ってこないんだから大したものだ。(驚)

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土砂降りの雨の中を30分以上もかけて歩いて車のところまで戻る・・・
他の人たちはサッサと歩けるが・・・こっちは靴底が無くなり歩きづらいことこの上ない・・・
滑って転んで、今度は洋服が泥だらけ・・・なんてことになったら最悪である。
慎重に歩けば歩くほど、みんなから置いてけぼりを喰わされ、ほとんど一人で豪雨の山の中をさ迷っている“敗残兵”のようなことになってしまった。(大笑)
そのうち、ジワジワと雨水が靴の中に沁み込んできた!(涙)
もうグズグズ状態である。(大涙)

時刻はお昼・・・・
ここへ来る途中の小さなお店で、各自で昼食を買っておいた。
どこか屋根のある場所で雨宿りをしながら食事をするということで、海岸の方へ出た。
小さな船着き場のある場所で昼食ということになる。

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すごい豪雨である・・・・集中豪雨!(驚)

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拙者がお店で買ったのは、地元の人の手作りの“お弁当”・・・(笑)
こういう手作りの“お弁当”が店の棚に置いてあったので買ってみた。(笑)
平べったい“おにぎり”の上に平べったいソーセージのようなハムのようなものが乗っていて海苔で巻いてある。
生産者の名前が包んであったサランラップに書いてあったような気がしたが・・・・
これが、なかなか美味しい!
それに、誰か地元の人が作った手作りのサンドイッチ・・・(笑)
これも予想外に美味しかった。
日本人に合う味?(笑)
これに他の人が買ったバナナを1本いただき・・・
これで今日の昼食は終了!(大笑)・・・・安上りである。(大笑)


この豪雨で午後の計画は全て“オジャン”である。(笑)
この土砂降りの中、いや、仮に雨がやんだとしてもドロドロにぬかる中、ジャングルの中を歩くのは無理である。
ということで、急きょ、無難な“観光”に予定を変更!(笑)
パラオの国会議事堂を見学することになった。(笑)

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今日の行動は以上!(笑)

“別荘”に戻る途中、町の中のショッピングモールに立ち寄る。
で・・・他の人たちは、店内を見学・・・
拙者は靴探し!(苦笑)
拙者は日本からトレッキングシューズを履いてきていたので、履き替える靴を持ってきていない。
靴一足をスーツケースに入れると、他の物が入り切らなくなるし、スーツケースも大型になってしまう。
というわけで、トレッキングシューズを履いたままだったのだが、こういうことが起こると不便である。
とにかく何でもいいから帰国時に履く靴を探さねば・・・・
とりあえず、靴屋は見つかったが・・・・
置いてあるスポーツシューズの色は、どれもこれも原色で派手な色のものばかり・・・(唖然)
いくらなんでも黄色とか赤とかピンク色の靴を履いて帰国したくない・・・(涙)
さらに値段が高い!
日本円で軽く1万円はする・・・(大涙)
さらに・・・サイズがわからない!(大泣)
全てインチ表示である。
今履いている靴は泥だらけだし足はビショビショである。(泣)
こんな状態で“試し履き”というわけにはいかないだろう。
いやぁ~参ったぁ~(泣)
お店の女子店員に頼んで、足のサイズを測ってもらい、試し履きをせず、適当な靴を買うことにした。
とにかく自宅に帰るまでの“応急処置”である。

続いてお土産屋さんに立ち寄る。
この店には前回、別のツアーで来た時にも立ち寄ったことがある。
ここで皆さんは“お買い物”・・・・
と・・・いきなり停電!(驚)
拙者は洞窟探検用に高輝度のLEDの懐中電灯を持っていたので、これを“ヨコハマさん”に貸し、天井を照らして買い物をするよう指示する。
天井に光を当てると、その反射で結構、周囲が薄明るくなるのである。
拙者は、前回同様、ここでコーヒーを飲むことにして頼んでいたのだが・・・
停電のため、当然、コーヒーメーカーは動かない・・・(苦笑)
回復するまで、しばらくの間、待つこととなる。
この停電は、豪雨のせいなのだろうか?
拙者が子供の頃は、雷雨になると、よく停電をしたものだが、最近は、全くと言っていいほど停電に遭ったことがない。
そういう生活に慣れてしまうと、停電になると不便さを感じるものだが・・・・
なぜか、とても楽しい・・・(大笑)
おお!久々の停電である!真っ暗!(大笑)
こういうこともあるから、この国に来るときは、洞窟探検をしなくとも懐中電灯はカバンの中に入れておいた方がいいかも・・・(大笑)

“別荘”に戻り、シャワーを浴びて、服を着替え、帰国の準備・・・
明日の真夜中に帰国するのである。
少し休んで、夕食に出かける。

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“最後の晩餐”である。(大笑)
新聞記者の“サイトウさん”と遺族の“サカイさん”は、この後、夜10時に空港に向かいグアム島経由で帰国する。
我々“別荘”組は、日付が変わった翌日の午前4時過ぎの飛行機で帰国する。
というわけで・・・この“夕食会”をもって、今回のツアーは解散ということになる。
お疲れさまでした。

食後、“別荘”に戻り、帰国の準備と片付け・・・そして仮眠・・・・

旅行 | 21:56:11 | Comments(0)
戦車隊の調査
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部屋のテラスに出て、朝の一服・・・・(笑)
う~ん・・・今日も天気が悪そうである・・・(涙)

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(プライベート・ビーチ)

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ホテルの目の前の海に、小島が見える。
戦時中、第14師団戦車隊の戦車が、ここから、あの島を標的に射撃の訓練をしたそうだ。
命中率が良く、かなりの腕前だったとか・・・

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朝食を食べ、出発・・・・

“ナカムラさん”は、あの沖に見える小島まで、カヤックか何かで行って釣りをするので同行しないとのこと。
わざわざ、そのために釣竿を持参してきたそうで、おかげで空港で追加料金を取られたそうだ。(笑)
そこまでして釣竿を持ってきたのに、釣りをせずに帰国するわけにはいかないという。(笑)
「あの島に残る戦車の不発砲弾を踏んでドカン!・・・となるんじゃないか?」とか・・・
「途中でカヤックが転覆して鮫に食われて海の藻屑となるんじゃないか?」とか・・・
「干潮になって潮が引いてしまい、カヤックを担いで帰ってくるようになるんじゃないか?」とか、散々からかう。(大笑)
拙者は釣りは全くしないので、わからないが・・・
好きな人は、どうしてもやりたくなるんだろうねぇ~

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(拙者が泊まった「ドルフィンベイ・リゾートホテル)

最初に向かったのは・・・相変わらずの・・・・“某所”・・・(笑)
ここに第14師団戦車隊の戦車が埋没している。
戦闘後、米軍により破壊された日本軍戦車が、ここに“遺棄”された。
拙者は7年前にも、ここを訪れていて、今回が2回目である。
今回は“ヨコハマさん”が金属探知機を持ち込んで、それで埋没している戦車の位置を測定することになっている。

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この戦車は日本軍の九五式軽戦車・・・
横倒しになって埋まっている。
7年前に来たときは、地表には車輪しか出ていなかったが、ずいぶん表土が流れたのか、車体の一部も地表に現れていた。
米軍の記録によれば、車内に日本兵の遺体を残したまま“遺棄”したとされている。
掘り出して中を確認すれば、ご遺骨を見つけることが出来るかもしれないが、その許可を得るには日本とパラオの政府間で話し合わないと難しいと思う。

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こちらは、砲塔が無くなって、砲塔の取り付け部だけが地表に現れている九五式軽戦車の車体・・・・

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こちらは、車輪だけが地表に出ている戦車・・・
たぶん、逆さまにひっくり返って埋まっているのではないかと思われる。
これら地表に現れている戦車の位置の測量などを行う。

ペリリューで戦った戦車隊の戦車は九五式軽戦車17両である。
そのうちの1両は、旧飛行場跡の近くに野外展示され、“観光名所”として使用されている。
ということで、残るは16両ということになる。

地表に出ていないものは、金属探知機で探索するが、2両が重なって埋まっている可能性は否定できない。
金属探知機が反応した地点の測定などをして“ヨコハマさん”が記録を取る。

これらの戦車を掘り出したいものだが・・・・
米軍は戦闘後、撃破した日本軍の戦車の写真を撮影して残している。
掘り出した戦車と、当時の写真を比較して、弾が当たった跡等を比較すれば、どの戦車が何という戦車なのかがわかる。
当時、戦車隊の戦車にはペンキ(?)で、それぞれ名前を書いていたのである。
例えば、隊長の戦車には「さくら」と書かれていた・・・
今では消えてしまっているだろうが、戦闘直後の写真には、戦車を特定するこの名前が写っている。
戦車が特定できれば、乗員が誰だったのかも絞れる・・・
その遺族からDNAの提供を頂ければ、ご遺骨が出てくれば、DNA鑑定で、どなたの遺骨かがわかる・・・
そうなれば、ご遺族に直接、ご遺骨を渡すことが出来る・・・ということになるのだが・・・
そう、うまくいくかどうかはわからないが、できるところまでは、やってあげたいものだと思う。

今日も天気はよろしくない・・・(苦笑)
時々チラチラと雨が降る曇り空である。
が・・・
これが、もし晴れていたら、暑くて仕方がない。
雨模様の曇り空は、ある意味、良かったかも。
バテずに済む。

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埋没戦車の位置確認作業を終え、次に向かったのは“某所”・・・
ここの草むらの中にコンクリート製の建物がある。
これが、第14師団戦車隊の弾薬庫跡。

続いて、またまた“某所”に移動・・・(笑)

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ここは、第14師団戦車隊の駐屯地跡。
この道は戦車が通った道だから・・・「戦車道」と呼んでいいかも・・・
周囲は樹木に覆われ、何が何やらさっぱりわからない。

DSCN4289_convert_20170530135748.jpg (この草の向こうに壕がある)

当時の壕などの配置図に従って測量をしながら駐屯地跡を探索する。
「〇〇から25mのところに本部壕があるはず!」といった具合に、巻き尺で測量しながらの探索である。
で・・・その結果に従い、道から外れジャングルをかき分けて内部に入り込む。(苦笑)

DSCN4286_convert_20170530135545.jpg (戦車隊本部壕)

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ここで人骨らしきものを見つける。
「これ、骨じゃないですか?どうですか?」と、またまた呼ばれて駆けつける。(苦笑)
形からいうと頭蓋骨の頭頂部のような気もするが・・・拙者は人骨の専門家ではない。(大汗)
“ヨコハマさん”は、拙者が何でもかんでも知っていると思ってか、鑑定を求めるのだが・・・・(大笑)
う~ん・・・どうでしょう?(汗)
人骨であるという確率は半々かなぁ~(汗)
とりあえず、これもまた、同行しているガイドさんに、日本の厚生省の遺骨収集団が来た時に見てもらうよう頼む。
(この頭蓋骨と思われるものの写真は、あえて掲載しないこととする)

周囲は、かなり岩が崩れ落ちている。
ここに頭蓋骨があるとなると、これらの岩を取り除けば、その下に、もっと人骨が埋まっている可能性が高いということになるが・・・
問題は、何で、ここに人骨があるかということ。
ここは本部壕である。
ここから戦車隊の戦車が出撃して飛行場奪還のため突っ込んで行き、全滅したのである。
その時に誰か本部壕に残っていて、のちに戦死したのか?
それとも、戦闘後に退却した生存者が、ここに立て籠もって戦って戦死したのか?
そのあたりの詳しい資料を見たことがないので、何ともわからない。
そういう戦史を知っていれば違和感はないのだが・・・
“この物体”が人骨であるとすれば、なんで、ここに人骨があるんだろう?
ちょっと違和感を感じる。

続いて、すぐ近くにある「整備隊壕」を探索・・・・

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「変なものを見つけたんですけど・・・これ、なんですか?」の声・・・・
駆けつけてみると・・・工具がポツンと1個だけ置かれていた。
モンキーレンチである。
これ・・・工具ですけど・・・(汗)
ということは・・・やっぱり、ここは整備隊壕で間違いないということか?
それにしても、モンキーレンチねぇ~
当時、日本軍はモンキーレンチなんか使ったのだろうか?
他には工具類は見当たらない・・・
長さといい、形といい、日本の箸と思われる“物体”が、そばに添えられていた。
ちょっと疑問が残るが・・・当時の配置図と見比べても、ここが「整備隊壕」で間違いなさそうである。

とにかく戦後70年以上も経っているのである。
その間に、いろんな人がこの洞窟陣地に来ているだろうし・・・・
戦闘終了直後に、米軍もここに来ているだろうし・・・
本部壕のすぐ近くに赤さびた未使用の鉄条網の束が放置されていた。
鉄条網(有刺鉄線)のトゲの形状からして、明らかに日本軍のものではない。
いつごろここに放置されたのかは、わからないが、かなりの量の未使用の鉄条網の束である。
こうなると、我々の目に触れる“遺品”が果たして、本当に当時(戦時中)のものかどうか、判断するのが非常に難しい。

DSCN4291_convert_20170530135845.jpg (戦車壕跡)

道路わきの「戦車壕」跡は草木に覆われて、ちょっと見たくらいではわからない・・・
ヤブの中に分け入って、地形を足裏で確認して、ようやくわかる。
ここには戦車2台分の「戦車壕」があった。
戦車壕は“コの字”の形に掘られた戦車の“駐車場”である。(笑)

ちょうど、お昼となったので、一旦ホテルに戻り昼食をとる。

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魚釣りに行っていた“ナカムラさん”は、無事に魚が釣れたそうで、大漁!
ホテルに頼んで料理してもらい、我々にも一人一匹づつごちそうしてくれた。
いやぁ~申し訳ないねぇ~・・・・散々からかったのに・・・(大笑)
何という魚なのかは知らないが、美味しかった・・・(喜)

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午後は博物館を見学・・・

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“ヨコハマさん”が、ここに戦車隊に関する各種資料を提供している。
よくやるなぁ~・・・・大したものである・・・脱帽である。

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ホテルをチェックアウトして、ホテルのモーターボートでパラオ本島に戻る。
今回は、同じホテルの宿泊者である初老の外国人御夫妻も一緒・・・・
ドイツ人ぽかったけど、どこの国の人かは知らない・・・(笑)

DSCN4301_convert_20170530205354.jpg (ペリリュー島を離れる)

今日の夕食は、以前に一度だけ行ったことのあるレストラン・・・・
ここの料理・・・・一品の料理の量が馬鹿みたいに多いのである!(大笑)
それで今でもよく覚えている。
今回も同様である・・・(大笑)
いやぁ~懐かしい・・・・この量!(大笑)

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我々が泊まった“別荘”は・・・・ごく普通の一般の家である。(笑)

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DSCN4309_convert_20170530212254.jpg(拙者の部屋・かなりピンボケ!)(笑)

旅行 | 15:27:35 | Comments(0)
久々のペリリュー島!
“ナカムラさん”が用意してくれた朝食をいただき、“別荘”を出発!
今日は、これからモーターボートでペリリュー島へ向かう。

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青い空に白い雲・・・・エメラルドグリーンと群青色のコントラストの海のはずが・・・
天気が悪い!(涙)
前回は低気圧接近の影響で海が大荒れ・・・
今回は荒れはしなかったが、ペリリュー島の方角に、明らかに雨雲とわかる黒い雲が立ち込めている。
あ~あ~・・・・残念だぁ~
晴れていたら最高の景色なのになぁ~(涙)

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パラオ本島を出発して、ちょうど1時間後にペリリュー島に着いたときは・・・雨!(涙)
しかも結構激しい雨である・・・(汗)
拙者は「雨男」ではないはずなのだが・・・
だれか、この中に、“普段の行ないが悪い人”がいるに違いない・・・(大笑)

最初に向かったのはペリリュー州知事のところ・・・
アポを取っておいたらしいが、不在!(苦笑)
まぁ~そんなものでしょう・・・南国では・・・(笑)
仕方がないので、今度はペリリュー島の酋長のところへ挨拶に行く。
酋長とお会いして来島したことを伝え簡単にご挨拶・・・

次に向かったのは、「ペリリュー小学校」・・・

DSCN4215_convert_20170516110653.jpg (ペリリュー小学校)

校長先生にお会いしてご挨拶・・・
リーダーの“ヨコハマさん”が「お土産」の文房具等を用意してきたので、それを贈呈。
校長先生から小学1年生のクラスに寄贈してくれるようにとのお話をいただき、「贈呈式」(?)となる。(笑)

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突然の訪問客に、「お土産」である。
子どもたちは大興奮!(大笑)
このくらいの子供というのは、どこの国の子供でも本当にかわいい・・・
これが大人になると、犯罪を犯したり戦争を起こしたりしてしまうのだから・・・これが不思議だ。(笑)
いっそのこと、人類はすべて子供だけ・・・となったほうが地球は平和かもしれない・・・(大笑)

拙者が初めてこの小学校を訪問したのは2010年のこと。
あの時も小学1年生のクラスを訪問した。
彼らは、もう“中学生”になっているだろう。
あの時に撮った彼らの写真を焼き増しして持ってくれば良かったと、この時になって気づいた・・・(汗)
しくじった・・・(苦笑)

次に向かったのは、“洞窟陣地”・・・
ペリリュー島観光の“定番”である。

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次に向かったのは、「日本人墓地」・・・・
雨の降る中、ここにある慰霊碑の前で「慰霊祭」を執り行う。
拙者は、いつものように三笠宮殿下からいただいた菊花の模様の入った「恩賜のタバコ」を供える。
これは、もうずいぶん前に殿下から頂いたもの。
このところの「禁煙ブーム」(正確には嫌煙ブームか?)のおかげで、宮内庁も「恩賜のタバコ」の生産を中止することとなった。
拙者が戦没者の慰霊をしているのを知って、「これで最後です」ということで、最後の数箱をくださった。
大切に今まで保管していたタバコで、これを持参してお供えしたのだが・・・・
大失敗!
雨の中、迂闊にも、そのままお供えしてしまったのである!!(ゲゲッ!)
あっという間にタバコはびしょぬれ・・・・(涙)
シマッタ!
ビニール袋に入れてお供えすべきだった!
貴重な1箱を一瞬で失うこととなる。(大涙)

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その後、ホテルにチェックイン・・・
コテージ風のホテルで、拙者は宮司の“タガワさん”と同室。

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このホテルで昼食をとり、その後、一休み・・・・

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午後は、日本政府が建てた慰霊碑に向かい、そこで慰霊祭を執り行う。
神主の“タガワさん”は、ここをメインということで、正装して慰霊祭に臨む。
土砂降りに近い雨の中での慰霊祭となり、結構、大変だった・・・・(汗)

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次に向かったのは零戦の残骸のある“某所”・・・・
雨のせいで、沼地と化していた・・・(汗)

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次に向かったのも・・・“某所”・・・・
とにかく“某所”と書くしかない。
あまり正確な位置を教えると“マニア”に荒らされる可能性がある。
この国が課しているルールというのを守らない“マニア”が結構いる。
まぁ・・・拙者を含め・・・・“マニア”だから、こんなところまでやって来るのだろうが・・・(大笑)
「触るな」「位置を変えるな」「持ち去るな」と言われたら、守るべきだ。
理不尽であろうと、何であろうとルールはルールである。
ルールを無視するような輩には情報は与えるわけにはいかない。
ということで・・・“某所”

この“某所”で、ご遺骨を見つけた。
以前に二度ほど、この“某所”には来たことがあるが、その時は遺骨など見当たらなかったのだが・・・
たぶん落ち葉などで覆われていたのだろう。
その後の風雨で表面が飛ばされたか流されたかして地表に現れたものと思われる。
骨の太さから想像すると、腕の骨のようである。
(あえてご遺骨の写真は載せないことにする)

周囲には薬莢が集中して散乱していた。
この薬莢が日本軍の物かどうかは拙者にはわからない。
一か所に集中しているということは、三八式歩兵銃のような単発式の銃のものとは考えられない。
たぶん、軽機関銃のような連発式のものではなかろうか?
だから一か所に集中して十数発の薬莢が落ちているのではなかろうか?
ここの地形、米軍の進撃方向等々から、このあたりの戦闘状況が想像できる。

周辺を探索・・・
石を積んだ場所・・・「石塁」と呼ぶべきだろうか?
明らかに人工的に造られたものである。
日本軍の第一線陣地跡ではなかろうか?
向いている方向からしても、上陸してきた米軍に向かって「抵抗線」を成している。

相変わらず“ヨコハマさん”から「ちょっと来て!これ、日本軍のものですか?」との声が飛ぶ。
で・・・ジャングル内を飛び回るので・・・写真を撮っている暇がない・・・(涙)

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これは、米軍の水陸両用戦車の車輪の一部・・・

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飛行機のエンジンとカウリング・・・・
すぐ近くに翼の一部と思われるものもあった。
なんで、こんなところに?・・・・という気がしないでもないが・・・
米軍のものか日本軍のものかは不明・・・・

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問題は・・・これ・・・
う~ん・・・これ、どこかで見た記憶があるのだが・・・・
どこで見たんだっけかなぁ~
どこかの戦争博物館とか軍事博物館で見たような気がするのだが・・・
何だっけかなぁ~・・・これ・・・
とうとう思い出せなかった・・・(涙)

今日の“行動”は、以上・・・・
ホテルに戻り、夕食・・・
無理のない余裕のある行動計画なので体調を崩さずに済む。
ありがたい・・・(喜)

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033.jpg (ホテルから見た夜景)

旅行 | 10:30:33 | Comments(0)
埋没戦車の調査と慰霊
まもなく“某所”に到着する。

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“ヨコハマさん”の話では、ここに「第二次戦車隊」が駐屯していたのではないかと思うとのこと。
当時撮影した写真を参考に、背景の丘の形を見比べて、「駐屯地跡」を推定すると、ここではないかという。

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特徴のない平坦な背景では、なかなか難しいが・・・
ここが当時の幹線道路であり、平坦な場所ということから戦車の移動には便利であることは地形的に言える。
駐屯地にするには“適所”であるといえる・・・
一応、ここを「駐屯地跡」ということで“認定”することにする。(笑)

このパラオの防衛を担当していたのは栃木県宇都宮で編成された第14師団・・・
この師団には「第14師団戦車隊」という戦車部隊があった。
この部隊は、拙者が関係している戦車第2師団隷下の戦車第6連隊で編成されたという。
各地から兵員をかき集めて戦車第6連隊内で約3ヵ月ほど訓練をして、九五式軽戦車17両で編成され、制式に「第14師団戦車隊」となり転出していった。
そういう意味でも、我が部隊とは縁がある。
で・・・この「第14師団戦車隊」はペリリュー島へ派遣され、現地で米軍と交戦し全滅した。
で・・・パラオには「戦車隊」は無くなってしまった。

パラオは南方各地へ向かう輸送船の中継基地でもあった。
特に、ニューギニア戦線へ向かう輸送船が、ここを利用していたようである。
各種雑多な部隊が一時的にパラオに上陸したが、次の輸送船の手配によっては、そのまま一部の兵員が残ってしまったりしていた。
その中で、「南洋第6支隊」(愛媛県松山で編成)の戦車中隊と「独立自動車第42大隊」の戦車小隊の戦車が残されていた。
本隊はニューギニアに向かったが、戦車は輸送船に載せることができなかったのだろう、パラオに兵員と共に残置されたのである。
そこでこの戦車を集めて新たに「第14師団戦車隊」を編成したのである。
我々は便宜上、「第二次戦車隊」と呼ぶ。
この戦車隊は九五式軽戦車17両で編成されていたとも、13両だったともいわれているが、よくわからない。
この戦車隊はパラオ本島の防衛に付き、そのまま終戦を迎えている。
その「第二次戦車隊」の駐屯地がここではなかろうかということで確認のため訪れたのである。

で・・・周囲を散策してみたら・・・「自動車」の残骸を見つけた!

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日本軍の「小型自動車」の残骸のようである。
となると・・・「九五式小型乗用車」・・・・通称「くろがね四起」と呼ばれる、小さな乗用車ということになる。
が・・・かなりボロボロとなっている残骸である。
よくわからない・・・(涙)
四角い箱のような形の鉄板も見受けられる。
もしかして、これは荷台か?
となると・・・これは乗用車ではなく「九五式小型乗用車」を改造した「九五式小型貨物自動車」となるが・・・
拙者の知識不足ということで、なんとも情けない話なのだが、暫定的に、とりあえず「くろがね自動車」ということにしよう。(苦笑)

さらに“某所”に向かう・・・・(笑)

道路から一歩踏み込んだジャングルの中に戦車の残骸がある。
この戦車は「第二次戦車隊」に所属する戦車で、終戦時に日本軍の手で破壊されたものであることが分かっている。
が・・・どこに埋没しているのかは明確ではなかったが、去年だったか、“ヨコハマさん”と新聞記者の“サイトウさん”が、これを見つけて、“サイトウさん”の手で新聞に記事が掲載された。
で・・・今回、改めて確認のため訪問。

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ジャングルに埋もれている日本軍の九五式軽戦車・・・

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それらの戦車の内部の様子・・・・

DSCN4138_convert_20170509155709.jpg (ジャングルの中を探索中)

生還者の証言では、戦車を一列に並ばせて爆破して廃棄したという話である。
ジャングルの中は木や枝が邪魔をしているが勝手に切り倒すわけには行かない。(笑)
埋まっている戦車も、地面を掘り返して確認することもできない。
パラオでは戦跡や遺品等に勝手に手を触れることは法律で禁止されている。
現状を変えてはいけないのである。
これに違反すると・・・多額の(たしか100万円だったかな?)罰金か懲役1年の罰を受けることになる。
というわけで・・・地表に出ている部分だけを見て埋没戦車の位置を確認する。
で・・・その位置をGPSで測定して記録する。

ここに日本軍の戦車が埋まっているということを州政府は全く知らなかったという。
戦車の台数は果たして17両なのか13両なのか・・・
今回の調査は州政府と州政府を通して地主の許可を得ての調査である。
以前、日本人の“某マニア”が無許可でペリリュー島の戦跡を歩き回り大問題となったことがある。
その“某マニア”が誰なのかは拙者は聞いて知っているが、今更、本人を責めても仕方がない。
が・・・おかげで、そのとばっちりを受け、戦跡の調査に制限を受けてしまっている。
我々も“同類”だと思われるのは甚だ迷惑である。
ここは“他人の土地”であるのだから、必ず正規の手順を通して許可を得てやってもらいたいものだ。

生還者の証言のように“一列に並んで”いるというより、蛇行している感じで何両かの戦車が埋まっていた。
見ようによっては、2列か3列に並んでいるようにも思える。
もし戦車の数が17両だったとしたら、それを一列に並べるというのは、土地の広さからいって無理な話ではあるまいか?
かなりの長さになってしまう。
結局、確実に、これは戦車だ・・・といえるものは数台しか確認できなかった。

ここで、宮司の“タガワさん”が略式の慰霊祭を催行する。

続いて向かったのも・・・“某所”・・・・(笑)

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ここにあったのは朽ち果てたトラックである。
ここまでボロボロの状態で“シャーシ”しか残っていないと、よくわからない。
バラバラに散らばっている部品は草に覆われてしまっているので、手掛かりにならない。
この樹木や草を刈り取りたい衝動に駆られるが・・・・(大笑)
手を触れるわけにはいかないので我慢、我慢・・・(涙)
可能性として高いのは「九七式自動貨車(トラック)」ではなかろうか?

戦車の探索の時もそうだったが・・・(笑)
“ヨコハマさん”から、彼が何か見つけるたびに「これは何ですか?」の質問が飛ぶ。(苦笑)
拙者は、それほど専門知識を有しているわけではないのだが・・・(大汗)

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時刻は午後1時・・・・
移動途中の東屋(?)で、旅行社が用意してくれた弁当を食べる。
これがまたおいしいのである!(大喜)
やっぱり外で食べる食事というのは格別のものがある。

昼食後、続いて向かったのは現地で「KOKUSAI(コクサイ)」と呼ばれている場所・・・
ここに「国際電気通信(株)」(昭和13年設立)の施設があったので、現地人から「コクサイ」と呼ばれているとのこと。

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このコンクリート製の廃墟が、国際電気通信(株)の、たぶん、無線電話施設ではないかと思う。

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すぐ近くに鉄塔が倒れている・・・
無線塔か?

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この廃屋の天井の丸い穴・・・・
爆弾で空いた穴ではないことは明確である。
拙者の想像だが・・・これは鉄塔からこの建物の中へケーブルを引き込む穴ではなかろうか?

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大きな機械が1台残されていた。
これは・・・もしかしたら発電機ではなかろうか?
すぐ隣に同じ大きさの土台が残っていたところをみると、もしかしたら同じ機械を2台並列に置いていたのではなかろうか?
つまり、1台は予備で、万が一、1台が故障もしくは点検・整備などで停止した場合でも不都合が出ないための措置・・・
並列となれば、その可能性は高いだろう。
操作盤(もしかしたら整流器?)の残骸も残っていた。
この建物にあるのは、これだけ・・・・
あとはガランとしている・・・

廃墟の“観光”をして・・・つぎにまた“某所”に向かう・・・

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ジャングルの中に車輛が埋もれていた・・・
写真では見づらいのだが、これは特殊車両である。
皆さんから「これは何ですか?」と質問される。
これは飛行機のエンジンを始動するための「エンジン始動車」もしくは「エンジン起動車」という特殊車両である。
主に陸軍が使っていた車輛だと思うが・・・
パラオには陸軍の飛行機もいたんだっけ?(汗)
肝心な戦史の方を記憶していない・・・(大汗)
「こりゃ、珍しい車輛だ!回収して復元したいなぁ~」と言ったら呆れられた・・・(苦笑)

すぐ近くに、別の車輛・・・・

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「これ、トラックですよね?」の声・・・・
たぶん「九七式四輪自動貨車」か、もしくは「一式四輪自動貨車」か・・・という感じ・・・
この周囲の草を刈り取れば、もっとよくわかるかもしれないのだが・・・残念・・・・
一応、これは「九七式四輪自動貨車」ということにしちゃおう・・・(大笑)

以上で、今日の“調査”は終了・・・・

旅行 | 13:28:38 | Comments(0)
久々のパラオ!
今回のパラオ行きは、旧知の“ヨコハマさん”からのお誘い・・・
現地のジャングルに埋没している日本軍の戦車の調査と戦没者の慰霊が目的。
ということで・・・お誘いを頂いた。
が・・・一体、何人ぐらいで行くのか、結局わからないまま・・・(笑)
「一緒に行きませんか?」・・・「OK!」で決めちゃったから詳細は分からない。(苦笑)

昨晩、成田空港で一緒に行く青森の神社の宮司さんと合流。
初対面だが、こういう時は携帯電話というのは便利である。
電話でやり取りをしながら無事にランデブー(笑)
成田から向かうのは我々2人だけ。
“ヨコハマさん”は先に現地入りしている。
他の人は、どうも福岡の方らしいが・・・別の便でグアム経由で向かったらしい。
ということは・・・全部で何人だ?(大笑)
みんなバラバラに出国して現地集合・・・

20時15分発のデルタ航空でパラオのコロール国際空港へ向かう。
約5時間弱の飛行である。

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で・・・
本日の午前1時過ぎに空港に無事到着。
現地旅行社の送迎ワゴン車で“別荘”に向かう。
時刻は午前2時・・・・日本とパラオには時差はない・・・

今回、パラオではホテルに泊まらず、一戸建ての“別荘”を借りている。
参加者のうち、4名が、ここに宿泊することになっているという。
挨拶もそこそこにシャワーを浴びる。
が・・・どうも10分だか15分だかしかお湯が出ないそうである。(唖然)
それもトータルで・・・ということだから、4で割ると・・・(大汗)
とにかく手早く洗って流さねばならない・・・
こういう不便さが、またいいんだなぁ~(喜)

この“別荘”にはベッドルームが3部屋ある。
“ヨコハマさん”と彼の知人の青年“ナカムラさん”がそれぞれ一部屋・・・
拙者と宮司の“タガワさん”がツインルーム一部屋で同室である。
リーダーの“ヨコハマさん”以外は全員初対面である。
とりあえず急いで仮眠を取る。

朝食は“ナカムラさん”が早起きして用意してくれた。
彼は、以前、船に乗っていて、そこで料理を担当していたとか。
というわけで・・・食事担当は彼ということで、拙者は楽をさせていただいた。(大喜)

朝食後、ホテルに宿泊している別の参加者と合流・・・
遺族の“サカイさん”と新聞記者の“サイトウさん”の2人である。
新聞記者の“サイトウさん”とは、以前、日本軍の戦車についての問い合わせをいただき、メールでやり取りをしたことがあるが、お会いするのは初めてである。
というわけで・・・
結局、参加者は拙者を含めて6名であることが、この時、わかった・・・(大笑)

最初に向かったのは、「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル・・・・
超高級なリゾートホテルである。
一度は泊まってみたいものだが、日本円で1泊4万円~5万円ほどするんじゃなかろうか?(大汗)
無理だな・・・(涙)

DSCN4076_convert_20170509125620.jpg DSCN4075_convert_20170509125430.jpg

ここは戦時中、日本海軍の水上機基地があった場所である。

このホテルに併設されている旅行会社で、島内“観光”の手続きを行う。

で・・・旅行社のワゴン車に乗り、次に向かったのはガスパン州政府の事務所・・・
州知事を表敬訪問し、今回の調査に関する打ち合わせと許可を頂く。

DSCN4091_convert_20170509130202.jpg (ガスパン州政府)

DSCN4083_convert_20170509130137.jpg (州知事と打ち合わせ)

知事との面談を終え、次に向かったのは・・・・“某所”・・・

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ここに戦時中、小さな港(漁港?)があったのではないかということだが・・・
日本軍の「大発(大発動艇)」の「舟艇基地」の跡のような気がしないでもないが、確証はない。

続いて向かったのは・・・さらに“某所”・・・(笑)

DSCN4095_convert_20170509132336.jpg (途中の景色)

DSCN4094_convert_20170509132308.jpg (途中の高台から見た景色)

旅行 | 10:54:59 | Comments(0)
ホテル周辺を散策して帰国
今日は帰国する日・・・・
余裕をもって、午後の便で帰国することにしている。

DSCN3986_convert_20170405115502.jpg DSCN3985_convert_20170405115426.jpg

(圓山大飯店のロビー)

ロビーに行って・・・1階のレストランで朝食。
バイキングなのだが、食べるものがほとんどない!(苦笑)
しかも、中国人(大陸から来た観光客か?)のマナーの悪いこと・・・(大汗)
列には割り込むわ・・・その場で立ったまま食うわ飲むわ・・・(唖然)
“超高級ホテル”のイメージ台無しである・・・(涙)

食後、ホテルの周囲を散策することにした。
実は、これも拙者がここに宿泊した目的の一つなのである。(喜)
前回、台湾に来た時、この近くを通ったら“狛犬”を見かけた。
圓山大飯店が建っているこの場所には、戦前には「台湾神宮」という日本の神社があった。
たぶん、当時の“狛犬”ではなかろうかという気がするのである。
というわけで・・・それを確かめる目的もあって、ここに宿泊し、午前中に時間を作って、帰国は午後の便としたのである。

DSCN3988_convert_20170405171709.jpg (圓山大飯店)

この場所に立って、その昔、記念写真を撮ったことがある。
26歳くらいの若い女の子のガイドと二人で・・・(大笑)
ホテルのコーヒーラウンジでコーヒーとケーキを食べたんだよなぁ~
彼女は、どうしてるかなぁ~(笑)
あれから20年以上も経っているから・・・・彼女も“オバチャン”になっているんだろうなぁ~(大笑)
今回の旅行の前に、あの時使った現地旅行社を調べてみたが、どうも“消滅”してしまっているらしい。
倒産したのか、廃業したのか知らないけど・・・
あの社長さんも、面白い人だったんだけどなぁ~
また会いたいなぁ~・・・と思ったときには「時すでに遅し」か・・・・(涙)

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拙者の部屋は・・・7階の角の部屋である・・・(笑)

ホテルの裏手に“遊歩道”があったので、このホテルの建っている丘から降りてみる。
と・・・・公園が・・・

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「剣潭公園」(Jiantan Park)という名の“公園”だが・・・・
公園というより、「緑地帯」みたいな感じ・・・
ここの道路に面したところに“狛犬”がいた!(大喜)
前回、移動する車内からチラリとしか見ていなかったので、どのあたりだったか記憶が曖昧だったが・・・
あっさりと見つけることができた!(喜)
方向音痴の割には、シッカリしたものである。(大笑)

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この狛犬・・・台湾神宮にあったものだろうか?
どうも顔つきが日本的じゃないんだよなぁ~(苦笑)
台湾神宮にあった狛犬であると証明できる証拠は見つからなかった・・・
というわけで・・・「推定・台湾神宮の狛犬」ということにしよう・・・(笑)

この公園の上の方・・・つまり、ホテルの裏山へ行ってみる。

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が・・・急な階段は多いわ、道は狭いわ、我が膝は笑うわ、普段の運動不足で息は切れるわ・・・・最悪である。(苦笑)
“朝の散歩”ということだろうか、地元の人が何人も、この“山道”を歩いてくる。
すれ違うのも大変・・・
一応、皆さんには、その都度ご挨拶・・・・
前回、中国語の「おはよう」を教えてもらったはずなのだが、すっかり忘れてしまった・・・(涙)
仕方がないので「ハロー!」と「ニー・ハオ!」の連発。(笑)
返事をしてくれない人もいるが・・・返事をいただけると、嬉しいものである。

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途中の見晴らしのいいところで市街を眺め、これ以上、登るのはあきらめてホテルに戻ることにする。
時刻は午前9時半・・・・

ホテル内のお土産屋さんが並ぶアーケードに行ってみる。
と・・・・龍の置物がド~ンと置いてあった。

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お店の“オバチャン”が、日本語で声をかけてきて、この龍について説明をしてくれた。
なんでも、台湾神宮にあったもので、戦後も、そのまま残ったものだという。
ここが台湾神宮であるという“証拠”はこれだけしかないとのこと。
へぇ~・・・・である。
近くに中国語・英語・日本語の3か国語で記された「説明板」があった。

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百年金龍簡介

龍山公園の銅竜は戦中に供出の憂き目にあい、台湾神社も空襲で損壊しましたが、剣潭山の銅竜だけは戦火を中を無傷で生き抜きました。
その霊気は百年の間衰えることなく、「龍尾穴」の名は四海にとどろきました。

1952年、蒋介石総統夫人の蒋宋美齢女史が、国賓の接待場所として選んだのがこの地でした。
ここに台湾を代表する国際観光ホテルが誕生することにだったのです。
あの銅竜も生きつづけています。
拝みにくる人もあとを絶たず、1987年には金のメッキを施し、金竜となりました。
いまも圓山の風水を好んで多くの日本人客が訪れます。
そしてその多くのお客様が金竜をお参りくださいます。

(説明板より)


日本語の説明文には、誤字があり、おかしな文章も見受けられるが・・・(苦笑)
それは愛嬌として・・・
中国語の方に大きな間違いが・・・(大汗)
日本語、英語とも「戦時中に」とあるが、中国語では「二次大戦後」となっているのである。
第二次大戦後に日本による金属供出はあり得ないだろう…(笑)
中国語、英語、日本語を読み比べてみると内容が微妙に違う・・・(汗)
たとえば・・・・
中国語では「龍山公園の銅龍は日本軍によって溶かされて大砲になった」と書いてある。
英語では「龍山公園の銅龍は溶かされて大砲になった」と書いてある。
(誰によって・・・ということは書かれていない)
で・・・日本語の方には「大砲」などとは書かれていない。
まぁ、こういう微妙な違いも愛嬌とみていいかな?(苦笑)

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拙者の部屋のベランダ・・・(大笑)
なに?・・・この広さ?・・・である。
ここに一部屋作れるんじゃないか?
ここにキングサイズのダブルベッドが置けるんじゃないか?(大笑)

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ベランダから、ホテルの裏山の方を見る。
う~ん・・・ちょうど目の前、真下辺りに、神社の本殿があったのではなかろうかと思える雰囲気・・・

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ベランダから見た拙者の部屋!(笑)
う~ん・・・・殺風景・・・面白くない・・・(大笑)

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昨晩、夜景を撮った方向を見る。
川の向こうに見えるのは・・・・空港である。

時刻は10時を過ぎたので、そろそろチェックアウトすることにするが・・・
部屋が多いので確認に手間取る。(大笑)
今日はガイドは来ない・・・
自分で全部やらねばならない。
部屋を出る寸前、ガイドから部屋に電話がかかってきた。
「昨晩は大丈夫だったか?」という確認と・・・
「台中の母から電話があって、またぜひ遊びに来てくださいといってました」との伝言であった。
なんとも嬉しい電話である。
こういう気さくなところは、とてもいいのであるが・・・(苦笑)
これがガイドではなく、友人というのなら全く問題なしなんだけどねぇ~(大笑)

自力でチェックアウトして、タクシーで空港に向かう。
が・・・台北には空港が2つあるから、間違われると大変である。
拙者が使うのは、ホテルから見える、目の前の「松山空港」の国際線である。
拙者は中国語が話せないから・・・(笑)
昨日のうちにガイドに中国語でタクシーの運転手に見せる「行先」のメモを書いてもらった。
これを運転手に見せる。
タクシーの運転手は、非常に不愛想な女性ドライバーだった。
空港に到着し、チップも含めて料金を払ったら、やっと笑顔で挨拶してくれた・・・(大笑)

タクシーのドライバーからもらったレシート・・・・これが結構面白い。
「計程車乗車証明」という紙である。
乗った時刻は・・・10時43分
降りた時刻は・・・10時59分
と記載されている。
他に「停等時間」として6分15秒と記載されている。
これは信号待ちや渋滞で車が停止した時間のことだろう。
ホテルから空港まで約15分かかったが、そのうちの6分15秒は信号待ち等で止まっていた・・・ということになる。(笑)
しかも・・・「里程」として5.2kmと記載されていた。
これは・・・実際に走ったホテルから空港までの距離ということだろう。
こりゃ面白い・・・
日本のタクシーのレシートはどうなっていただろう?
いつもよく見ないで捨てちゃっているのでわからないが・・・
ここまで詳しくは印字されていなかったような気がする。
で・・・料金は・・・195ドル(約700円)・・・・
結構な料金である。
拙者の部屋から空港が見えるという距離なのにねぇ~(笑)
これが市内のホテルからだったら、いくらになるのだろう?(汗)

DSCN4021_convert_20170405221829.jpg (台北松山空港)

この空港は前回も使ったので・・・・
喫煙所は外にしかないことは知っている。(笑)
中に入る前に、まずは一服・・・である。(大笑)

チェックインも出国手続きも非常にスムーズ!(大喜)
マニラの空港とは大違いである!
前回にも立ち寄ったコーヒーラウンジで、前回同様、サンドイッチとコーヒーの“昼食”をとり、搭乗まで読書をして時間を潰す。

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13:30発のANAに乗り・・・17:30羽田に無事に到着!

旅行 | 11:48:51 | Comments(0)
憧れの圓山大飯店に泊まる!(大喜)
台中から台北まで新幹線で約1時間・・・
午後6時ごろ、台北駅に到着し、タクシーでホテルに向かう。

今回の最後の“目玉”!!(笑)
以前から、一度は泊まってみたいと思っていた「圓山大飯店」に最後の日の晩には泊まりたいと、旅行社に希望を出しておいたのである!(大喜)
昔は“国賓クラス”の人が宿泊する超高級ホテルだと聞いたことがある。
高嶺の花だったのだが・・・今では誰でも泊まれるんだとか・・・(大汗)
最近は“国賓”は市内の高級ホテルに宿泊し、ここには泊まらないことが多いのだとか・・・
まぁ、市街地から離れた場所に建っているから何かと不便だからだろう。
それにホテルも古いし・・・(苦笑)

で・・・・行って見たら・・・あら、あら、あら・・・・
普段着を着た中国人の“団体さん”でごった返している。(汗)
さらにはTシャツにGパン姿の“中東の人たち”がロビーにたむろしている・・・(唖然)
高級ホテルのはずだったんだけどなぁ~(苦笑)
なんだろ・・・この客層は・・・(唖然)
さすがに西洋白人のお客さんたち(年配のご夫婦とか)は、それなりの服装をしていたが・・・

フロントでチェックイン・・・
しばらくパソコンをいじってモタモタしている・・・・
と・・・フロントの男性が何か言ったが、よく聞き取れなかった・・・
確認をしたら「部屋のグレードをアップさせていただきました」と英語で言われた・・・
「はぁ~そうなんですか・・・アップ・グレード?」
「はい、スイート・ルームです」とのこと・・・
「へっ?スイート・ルーム????」(驚)
「ラッキーですね!スイート・ルームですよ!」とガイドが大喜び。(大笑)
「あれ?おたくの旅行社がアップ・グレードを手配したのか?」
「いえ、私は何もしてませんけど・・・いやぁ~ラッキーですねぇ~」(大笑)とガイド・・・

やはり人間、身なりが大切なのかも・・・(大笑)
この日の拙者の身なりはネクタイを締めてジャケットを着用・・・
TシャツにGパン・・・なんていう客たちの中では、こういう“紳士”は目立つ・・・(大笑)
たぶん、中国人の団体客などのおかげで、シングルルームが埋まってしまったので、この“紳士”にスイート・ルームに移動していただこうということになったのだろう。(大笑)
いやぁ~やっぱり“身なり”は大事である。

部屋に入ってみて驚いた!

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ありゃぁ~広い!!(驚)
ここに一人で泊まるのか?(苦笑)

隣りの部屋はベッドルームである。

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その隣が・・・「化粧室」(?)
大きなクローゼットがあり、中にふわふわのバスローブが入っていた。(笑)

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その奥がバスルーム・・・・
バスタブのお風呂とシャワールームとが分かれている。
う~ん・・・どっちを使おうか・・・(笑)

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ここに今晩、寝るだけのために泊まるのである!
あ~なんと勿体ないことか・・・(涙)

とりあえず荷物を部屋に置いて、食事をしに行くことにする。

フロントで女の子に拙者の部屋のグレードを聞いてみた。(笑)
拙者の部屋は、このホテルの上から2番目のグレードの部屋で、正規料金は「2万6000」だという。
え?・・・2万6千円って、ずいぶん安いなぁ~(苦笑)
と思ったら・・・・
「円じゃないですよ。台湾ドルで2万6000です!」と笑われてしまった。
日本円に換算すると「1泊9万円くらいの部屋です」とのこと。
ゲゲッ・・・そりゃ、すごい・・・(驚)
いやぁ~どうしよう・・・益々落ち着かねぇぞ・・・これ・・・

タクシーで街の中の繁華街に行き、適当に見つけた小さな食堂で夕食を食べる。
その後、ガイドの案内でマッサージに行く!(喜)
やっとマッサージを受けることができる。(笑)
ガイドは、ここで帰宅・・・
マッサージ後、お店の送迎車でホテルまで送ってくれると言われたが断る。
折角、繁華街に来たのに、真直ぐホテルに戻ったのではもったいない・・・(大笑)
“探検”をせねば・・・(大笑)

夜の繁華街を歩くというのは、方向音痴の拙者にとっては、かなりのリスクなのだが・・・
交差点には「〇〇路」とか、“通り”の表示が出ているし・・・
道路は碁盤の目のようだし・・・
たぶん迷うことはなかろうと思ったのだが・・・これが、やっぱり大間違い・・・(大汗)
迷った・・・(苦笑)
どこかで見たことがある景色だと思ったら、同じ道を何度も歩いている・・・(大笑)

客引きから声をかけられることが何度かあったが・・・(笑)
拙者の財布には1500ドル程度しか残っていない。
日本円で約6千円くらいである。
いつも海外に行くときは財布をいくつか用意して行くことにしている。
現地用の財布には現地の通貨しか入れていない。
今回も日本円もクレジットカードも別の財布に入れたままホテルに置いてきている。
というわけで・・・「日本円が使えます」とか「カードが使えます」と言われても無理・・・(笑)
日本円を取りにホテルに戻るには遠いし・・・(大笑)

帰りのタクシー代を考えると・・・手も足も出ない。(笑)
これ・・・何かと“誘惑”に弱い拙者には好都合である。
カネがないんだから、誘われても飲みに行けない・・・(大笑)

道端で若い女の子に中国語で誘われた・・・(唖然)
拙者は中国語は全く話せない・・・(汗)
すると・・・彼女はスマホのアプリを使って“翻訳”をして拙者に見せた。
「可愛い女の子がいます」とか「安いです」とか・・・(大笑)
おお~なんと便利な事か・・・
しかし、答える拙者のほうの携帯は“ガラ系”である。(大笑)
そんな便利なアプリなんて見たことねぇぞ・・・(大汗)
彼女がスマホを突き出してきたが・・・使い方・・・知らねぇし・・・(苦笑)
結局、身振り手振りに加えて日本語で、「カネがない!」と伝えて断る。(大笑)

交差点で信号待ちをしていたら日本語ペラペラの客引きの“おばさん”に声をかけられた。
面白いことに、このあたりの客引きは名刺を渡す時に「名刺を渡してもよろしいですか?」と誰もが丁寧に尋ねてくる。(笑)
なんでだろう?
この”おばさん”も丁寧だった。
正直に「1500ドルしかもっていないから無理!」と断ったが、よく考えたら帰りのタクシー代も必要である。(笑)
そうなると、使えるのは・・・1000ドル程度か?
所持金が1000ドル程度では危ない、危ない・・・支払いの時にトラブルことは間違いない。(大笑)
多少、ボッタクリに遭うことは想定して多めに持っていなければ安心して酒も飲めぬ。(笑)
ということで、お断りしたが、その代わり、しばらく交差点で、この“おばさん”と世間話をして過ごす。(大笑)

「それじゃね!」と“おばさん”と別れ、また歩き出す・・・・
右に曲がり左に曲がりと適当に歩いていたら、大きな交差点にぶつかった。
「あらぁ~!何してんのぉ~?」と声をかけられる。
ん?・・・・さっきの“おばさん”である!(驚)
あれ?・・・いつの間にか、さっきの交差点に戻っていた・・・(大汗)
なんとも格好悪いな・・・これ・・・(苦笑)

これ以上、歩き回っても意味はない・・・(笑)
この繁華街がどんな感じの場所かは、よくわかったので・・・(苦笑)
タクシーを拾ってホテルに戻る。

ホテルは全室禁煙である。(涙)
フロントの女の子に喫煙所を尋ねたら2階に1箇所だけあるという。
「あ!、ベランダではタバコを吸っちゃダメですからね!」と笑いながら釘を刺された・・・(苦笑)
う~ん・・・先を読まれたか・・・(大笑)

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突き当りの部屋が「喫煙所」・・・目立たないから探すのに苦労した。(翌朝撮影)

一服して部屋に戻る。
カーテンを引こうと思ったら・・・やたらと重い。
で・・・部屋にやたらとスイッチがあるので、適当に押していたら、カーテンが動いた!(驚)
あら・・・電動カーテンだったの?(大笑)
こういう高級な部屋に泊まった事がないからねぇ~・・・知らなかった・・・(大汗)

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部屋から見た夜景!

テレビを見ようと思ったら、チャンネル数が極端に少ない!(唖然)
市内のホテルならば、かなりのチャンネルが映るのだが・・・
気のせいかもしれないが・・・政府に逆らうような局は見ることができないという感じ・・・
台湾独立派に傾いているようなテレビ局の映像は流れない・・・
ニュースを流す局も数局・・・・しかも同じニュースしか流していない。
いやぁ~面白くない!(怒)
例えて言えば・・・NHKしか流していないという感じ・・・
他のホテルと違うところは、日本の「NHK第1」、「NHK第2」、「NHKワールド」が映るくらいだろうか?
あ~あ~面白くない・・・・
で・・・映画を見てみたら、なんと!
映像と音声が、かなりズレているのである。
なにこれ?・・・・である。
口がパクパク動いてから、しばらくして音声が流れてくる。
見ていて鬱陶しい・・・・
おとなしく寝るしかないな・・・(涙)

が・・この部屋・・・広くて落ち着かぬ・・・(大汗)
参ったぁ~(涙)
あっという間に午前1時半である!(苦笑)
寝るときには、各部屋の空調を止め、電気を消して・・・と歩き回る羽目に・・・
う~ん・・・広いと不便だなぁ~(笑)
スイッチが多すぎる・・・どれがどれのスイッチだ?(苦笑)

旅行 | 14:44:18 | Comments(0)
「地震教育園」に行く
時刻はお昼を過ぎた・・・・
腹ペコである。(苦笑)

確か、台中には「国会議事堂」があったと思うのだが・・・・
学生時代、海外研修団で訪問したような記憶がある。
が・・・建物は全く覚えていない・・・(苦笑)
椰子の木の並木のようなものがあり、そこを歩いたかバスの窓から見たか・・・
その景色しか記憶にないのである。
たぶん、歩いたような気がするのだが・・・
もう30年以上も前のことだからなぁ~
それでなくとも記憶力が悪いのであるから、思い出したくても思い出せない・・・(笑)
で・・・時間があったら、そこに立ち寄ってみてくれとガイドに頼んだ。

それは、それとして・・・
何時まで経っても昼食にありつけない・・・(汗)
車は延々と走る・・・
もう1時間も走っているんですけど・・・・(汗)
腹ペコなんですけど・・・

ようやく到着したのが・・・「旧・台湾省議会議事堂」!
「ここですよね?来たかった場所は・・・」とガイド・・・
それはそうなんだけど・・・その前に昼食だろ?(唖然)
もう午後1時を過ぎてるんですけど・・・(汗)
議事堂は、現在は議事堂としては使われていないとか・・・
ちょうど建物の前で何かのイベントの準備中でごった返していた。
「写真、撮らないんですか?」とガイド・・・
そんな気は起らない・・・(苦笑)
イベントのテントや機材が山積みになっているところを撮っても仕方がなかろう?
それより早く飯を食わせてくれ・・・(苦笑)

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「台湾省議会議事堂」の周囲には住宅街が広がっていた。
かなりの広さの住宅街である。
どうも職員住宅のようである。
が・・・現在、議会としての機能を失っているため職員数も減ったのだろう。
空き家が目立つ・・・
その一角に“市場”があった。

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「政府員工」という文字が見えるから・・・たぶん、これは「政府職員」という意味ではなかろうか?
「第三供應市」という文字も見える・・・
「供應」は「供給」と同じ意味かな?
拙者が幼い頃、近所に「きょうきゅう」と呼んでいた市場があった。
大人になってから分かったのだが、近くの大企業の工場に勤める人たち向けの「販売所」で、今で言えば、「スーパーマーケット」のようなもので、「きょうきゅう」は正しくは「供給所」ということだったらしい。
ここは、それと同じようなものなのだろう。
政府職員用の「供給所」・・・「スーパーマーケット」というわけなのだろう。
ガイドが、ここで昼食を食べようと言う。
拙者に異論があるわけがない・・・腹ペコである。(苦笑)

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“市場”の内部は、ガランとして客らしき人はチラホラ・・・閑散としている。
食堂は、まだ午後1時半だというのに、もう店仕舞いの準備をしている店が何軒もある。(汗)
昔は賑わったのだろうが・・・今では、ここを利用する人もいないんだろうねぇ~

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ここで、ようやく昼飯にありつく。(喜)

今日は、夕方の新幹線で台北に戻るのだが・・・今は午後2時・・・
さて・・・どうする?
「今から地震教育園にご案内します」とガイド・・・
拙者としては、全く興味がないのだが・・・(汗)
そういう施設に行くくらいなら博物館に行きたいんですけど・・・(汗)
今回の旅の目的は「霧社事件」ということでガイドには話してある。
じっくりと見て歩き、調べたり勉強したいと話してあるんだけどなぁ~
絶対行きたい関連史跡などの場所は指定しておいたが、細かいところはわからないのでガイドに任せたのが間違いだったかも・・・
早々と午前中に「川中島」が終わってしまい、午後が丸々空いてしまった!(涙)

「地震教育園」などには興味はないと何度言ってもダメ・・・
どうしても拙者を連れていきたいらしい・・・(涙)
というわけで・・・根負けして行くこととなる。

約1時間後、「九二一地震教育園区」に到着・・・
ここは、1999年9月21日に、台湾中部で起こった大地震で被害を受けた学校を、そのままの状態で保存して「地震教育」としている施設のようである。
ちょうど、この学校がある場所に断層が走っていたらしい。

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地震に関する展示館(?)
学生たちのグループがいくつもやって来ていた。
拙者としては、たいして興味がないので、ササッ~と軽く流して見る。
拙者の欠点の一つは「気を取り直して・・・」ということができないところ・・・(大笑)
来たくて来たわけでもなく、ほとんど無理やり連れて来られ、貴重な半日を、ここで潰すのかと思っただけで腹が立つ。
折角だから、気を取り直してじっくり見て勉強しよう・・・・なんていう気にはなれないのである。(大笑)
それじゃ勿体ない・・・これもいい経験と気分を切り替えられないところが我が欠点の一つである。
というわけで・・・「面白くない!」と思いながら見てるんだから・・・テンションが上がるわけがない。(大笑)
ササッ~と適当に流して、何が書いてあるのかなんて・・・読まない・・・(大笑)

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これを見たとき、しばらくの間、これが何なのかがわからなかった。(大汗)
ようやく、これが学校の運動場の“トラック”で、地震のせいで隆起してしまったものだということがわかった。
それにしても、この中途半端な屋根は何だろう?
しかも固定するワイヤーが何本も地面に打ち込まれていて、見づらいことこの上ない・・・
これじゃ、この運動場の隆起のスケールがさっぱりわからないのではないか?(怒)
誰がこんな屋根の設計をしたんだろう?

崩壊した学校の校舎も見学することができる。

DSCN3934_convert_20170326201615.jpg (教室)

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この中途半端な屋根・・・・
太い柱とワイヤーが邪魔!
あ~あ~!!(怒)・・・どうしてこういう展示の仕方をするかねぇ~
ガイドが「すごいでしょう?」と、しきりに尋ねるのだが、ご機嫌斜めの拙者の頭の中は“文句”しかない・・・・(大笑)
「どこの馬鹿がこんな中途半端な屋根と柱を設計したんだ?これじゃ、崩壊の凄さが半減だよ!柱が邪魔!」(怒)
もっと大きなドームで覆ってやれば、崩壊した校舎と隆起したグラウンドが、そのままの状態で見ることができるだろうに・・・
勿体ない展示の仕方をしている・・・としか思えない。
見ていると、そっちの方が気になって腹が立つばかり・・・である。(苦笑)
困った性格だと自分でも思う・・・(大笑)

30分程度見学して施設を出る。
じっくりと本気で見学したら1時間以上は必要だろうが・・・(苦笑)
興味がないから・・・あれも、これも・・・パス!(大笑)

ここに来る途中、「亜州大学」という看板を見た。
この大学・・・英語に訳すと、「アジア・ユニバーシティ」となる。
つまり、拙者の母校と同じ名前!(大喜)
というわけで・・・ここに立ち寄ってもらい、校門あたりで記念写真を撮ろうと思う。
う~ん・・・こりゃ、我が同窓会の支部長への土産話になるぞ。(笑)

行って見たら・・・・ありゃ!
校門なんてものがない!(汗)
いきなり、この建物である!(驚)

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どこかの国の国会議事堂か?・・・・と思わせる建物である。(笑)
あららぁ~・・・・である。
ここには図書館と管理部門、それに「国際学院」(インターナショナル・カレッジ)と「創意設計学院」(カレッジ・オブ・クリエーティブ・デザイン)が入っているらしい。

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で・・・ちょっと敷地内を散策・・・(笑)

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ガイドが「安藤忠雄が設計した建物があるという話を聞いたことがあるので、ぜひ見てみたい」と言う。
へぇ~日本人建築家の安藤忠雄が設計したの?
じゃ・・・あれかな?(苦笑)

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この大学には「現代美術館」という建物がある。
それが安藤忠雄氏が設計した建物・・・・
「知ってたんですか?」とガイド・・・
「いや、この人の設計は、いつもコンクリートの打ちっぱなしみたいな建物だから、すぐわかる」(大笑)と拙者・・・
ガイドは「すごい!すごい!」と大興奮だが、拙者は全く興味はない・・・(苦笑)
実は、拙者はこの人が設計した建物が好きではないのである!(笑)
これは“好み”の問題だから、どうしようもない・・・
例え日本で有名な建築家が設計したと言われても嫌いなものは嫌いなのである。(大笑)

大学の看板があったので、看板をバックに記念撮影!
はい、これで目的は達成!(大笑)
さっさと台中駅に向かう。

DSCN3965_convert_20170329143050.jpg (台中駅)

駅の喫煙コーナーで、まずは一服・・・(大笑)

時刻は午後4時・・・・
我々は午後5時の新幹線で台北に帰る。
それまで時間があるので・・・
駅構内のファミリーレストランでコーヒーとケーキを食べて時間を潰す。

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旅行 | 12:58:52 | Comments(0)
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