■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
危うく乗り遅れる
今日は帰宅する日・・・
ホテルをチェックアウトして空港行きリムジンバス乗り場に向かう。
もう何度も利用しているから慣れてもいいはずなのだが・・・(苦笑)
やっぱり年1回の利用では不安感はぬぐえない・・・(笑)

無事に、“いつものように”・・・バスに乗り大分空港へ・・・
空港ビルに入ったら、驚くほど混んでいた・・・(唖然)
空港会社のカウンターには長蛇の列・・・
今から座席の指定を受けようと並んでいるのだろうか?
近くに出ていた掲示板を見たら、どうも霧のため午前の便は運航を取りやめたらしい。
拙者が乗る便はお昼過ぎの便だが、羽田からの便が折り返しということなので、その羽田からの便が天候次第では着陸するかどうか分からないという。
あらら・・・・拙者はどうしたらいいんだろうか?(大汗)
こういう時に、飛行機に乗り慣れていないと、どうしていいかわからない。
近くの係員に尋ねたら、チケットはあるし、既に座席の指定も取っているので、そのまま搭乗口に向かって良いと言う。
「スキップ」とか何とか言うやつを、ネットでカチャカチャと意味も分からずやってプリントアウトして持ち歩いている。
何が何だかわからんが・・・(苦笑)・・・・とにかく、この長蛇の列に並ばなくていいのなら、大助かりである。(笑)
が・・・飛行機が着陸するかどうかもわからないのに検査場を通って搭乗口に行ってもいいのだろうか?
わからん・・・・

空港内の、いつものレストランで、いつもの窓際の席で昼食を食べ、コーヒーを飲む。
滑走路は閑散としている。
霧ねぇ~・・・一見、ただの明るい曇り空程度にしか思えないのだが・・・・
飛行機の爆音が聞こえるが姿が見えないところをみると、どうも空港上空に霧が低く垂れこめているんだろう。
ここから滑走路は良く見えるんですけど・・・(笑)
上空からは真っ白で滑走路が見えないのだろうか?
それにしても、この近代化された時代に、滑走路が見えないから着陸できないなんて考えられないんですけど・・・
電波誘導の自動着陸装置って付いてないのかね?

到着予定時間が過ぎても飛行機は降りてこない。
ときおり、上空で爆音がするばかり・・・・
空港の上をグルグル旋回しているのだろう。
それにしてもかわいそうなのは、この飛行機に乗っている乗客である。
目と鼻の先に空港があるのに着陸できず30分近くグルグル旋回しているのである。
イライラしているだろうなぁ~
拙者はレストランでコーヒー飲みながら空を見上げているから気楽なものだが・・・(苦笑)

この時間帯に大分空港に来るのは、大阪からの便と、羽田からのJALとANAの2便・・・
3機とも降りてこない・・・
JALでは、福岡空港へ移動して福岡から羽田行きの便に乗った方が良いのではないかという案内のアナウンスを流した。
夕方4時ごろの便に間に合うし、座席にも余裕があるとかって言っている。
え~・・・・福岡に移動するの?
拙者はANAに乗るので、良かったが、もしJALのチケットを買っていたら、このアナウンスに大いに悩まされただろう。
こうなったら腹を決めて、運を天に任せるしかあるまい。
ANAは「天候を確認中」というアナウンスばかりで、他には何の情報もない・・・(汗)
「情報化時代」って本当かねぇ~
世の中、肝心な情報は全く入らず、どうでもいいような“情報”ばかりが氾濫しているような気がしますが・・・(苦笑)

まもなく大阪からの便が着陸した!
プロペラ機である。
続いてJALのジェット旅客機が着陸してきた。
で・・・・うちのANAは?(大汗)

7月1日に東京で伯父の1周忌の法要がある。
今日帰宅して家に泊まり、明日30日に上京して前泊して法事に出かける予定である。
できれば今日中に帰宅したいんですけど・・・(苦笑)
1日の余裕を敢えて設けていたので、最悪の場合にも対応は可能だが・・・・
こういう万が一を想定して、1日くらい余裕を作っておくのは“常識”である。(大笑)

ようやくANAがゴーッという轟音を発しながら着陸した。
が・・・空港内のANAのアナウンスは、天候の状況によっては着陸できない可能性があるので、現在状況を確認中ですとか何とか言っている。
あ・の・ね・・・・すでに空港に横付けしてるんですけど・・・(汗)
外を見てないのかね?

483_convert_20171012174939.jpg

これから乗客を降ろして、燃料を補給して・・・・となると、まだまだ時間がかかるだろう。
とりあえず乗る飛行機は到着したんだから、今日中には帰宅可能だろう。(笑)
これは、亡き伯父のご加護かな?(大笑)

で・・・喫煙所に行ってタバコを吸って時間をつぶし・・・・
更に読書をしながら時間を潰す。
そろそろかなぁ~ちょっと早いけど早めに搭乗口に向かうかぁ~
ということで、検査場の長蛇の列に並び、無事通過して搭乗口へ・・・
と・・・あれ?・・・・
混んでいると思っていた搭乗口はガランとしている・・・(汗)
なんでだろう?
隣りの搭乗口あたりにはたくさん人が集まっているんですけど・・・

飛行機に乗り込んで・・・驚いた!
満席である!
全員が既に座席に座っていて、拙者が乗り込んですぐにドアが閉められた!(大汗)
ということは・・・拙者が最後の乗客?(唖然)
搭乗開始のアナウンスなんか聞いていないんですけど・・・
搭乗口でも「急いでください」とも言われなかったんですけど・・・
心なしか、全乗客から「お前が遅いから出発が遅れたじゃないか!」と責められているような冷たい視線を浴びる。(大汗)
うそぉ~・・・・なんか、すごく偉そうにしているように見えちゃったじゃない!(大汗)
参ったなぁ~
ノンビリし過ぎた!(苦笑)

無事に離陸し・・・・羽田へ・・・・
一時はどうなるかと思ったが、今日中に帰宅出来て良かった。

スポンサーサイト
旅行 | 14:08:02 | Comments(0)
宇佐海軍航空隊の戦跡を歩く
昼食後、時間に余裕がないので、あとはタクシーで回ることにした。
向かうは、宇佐海軍航空隊関連の戦跡・・・・
事前に、それほど詳細に調べたわけではない。
どうせ回り切れないだろうと思っていたので、主だったところだけを見て歩くことにした。

まずは・・・「宇佐空の郷」という施設・・・
ここに宇佐海軍航空隊(宇佐空)の資料が展示されているとか・・・

348_convert_20171001001514.jpg(宇佐空の郷)

353_convert_20171001001558.jpg

室内の中にド~ンと置いてあるのが、宇佐海軍航空隊の隊門・・・
主な展示物は、これだけで・・・(苦笑)
あとはパネル展示・・・
ボランティアガイドの“オジサン”にお話を伺う。
予科練や神風特攻隊の話・・・「おたくは詳しいですねぇ~」とおだてられた。
だから・・・拙者は予科練のあった茨城県から来たんだって・・・
フィリピンでの神風特攻隊の慰霊祭にも参加してるんだって・・・(苦笑)
そんなに詳しいわけじゃないけど、他の人より多少知っているだけ。(笑)

354_convert_20171001001650.jpg

外にある「隊門」はレプリカだそうだ・・・・

356_convert_20171001001721.jpg

この敷地の角が「隊門」跡だそうだが・・・
なんで、ここにレプリカの隊門を置かなかったのかな?

タクシーの運転手さんは、拙者より歳が若いが、連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将(元帥)の大ファンだそうだ。
というわけで・・・意気投合して話が弾んでしまったので、彼のお薦めの場所を回ることにした。(大笑)

次に向かったのは・・・・宇佐空の施設の廃墟・・・・

358_convert_20171005140238.jpg

宇佐海軍航空隊の落下傘整備所跡である。
かなりの廃墟・・・・
一応、市の史跡らしいが・・・
う~ん…もう少し何とかならんかなぁ~

次に向かったのは「城井一号掩体壕」という市の史跡・・・
飛行機を敵の空襲から護るための飛行機用の壕である。
タクシーの運転手さんは、この「掩体壕」というのが、どういうもので、どうやって造るのか・・・そういうことは全く知らないとのこと。
おいうわけで・・・・質問攻めである。(苦笑)
おかげで、おかしなことになった・・・
拙者がタクシーの運転手さんに個人的に講義をする羽目となったのである。
ん?・・・タクシー代を払いながら、教えるのか?(大笑)

371_convert_20171005143026.jpg

近くには慰霊碑があり、その後ろで何やら工事が・・・
どうも造成工事のようだが、タクシーの運転手さんが言うには、ここに宇佐空の資料館が建てられる予定なのだとか・・・
へぇ~そりゃすごい。
完成後に見に来るのが楽しみである。(笑)

376_convert_20171005144456.jpg

直ぐ近くを通る直線道路は、宇佐空の滑走路跡だという。

393_convert_20171005144915.jpg

時刻は午後3時・・・
他にも掩体壕があるらしいが、それらを見て回る時間はないので諦めて次の場所に向かう。
次に向かったのは、「宇佐市平和資料館」・・・・

433_convert_20171005150131.jpg

プレハブ小屋なのには驚いたが・・・
どうやら、この資料館が、あの掩体壕の後ろの土地に移ってリニューアル・オープンするらしい。
ますます楽しみである。

館内を、資料館の方にご説明をいただきながら見学する。

395_convert_20171005152049.jpg

これは「桜花」のレプリカ・・・・


特別攻撃機 桜花一一型

全長6.07m、全幅5.12m、全高1.15m、全重量2.14t
昭和19(1944)年海軍航空技術廠で開発された特攻のための兵器です。
航空隊員が1名乗り込んで機体ごと体当たりするため、人間爆弾とも呼ばれています。
胴体はジュラルミン等の金属、翼はベニヤ板等の木材で作られており、機首部分には重さ1.2tの爆弾が取り付けられていました。
母機である一式陸上攻撃機(一式陸攻)に吊るされて運ばれ、敵艦を発見すると切り離されました。
一式陸攻から放たれた桜花は、尾部にある3本の火薬ロケットを順番に噴射させ、時速600km以上に加速して突入しました。

(説明板より)



こちらは、零戦21型のレプリカ・・・・

409_convert_20171005152142.jpg


零式艦上戦闘機二一型

映画「永遠の0」で使用された「零式艦上戦闘機二一型」の実物大模型です。
鉄製の骨組みに合板を貼り付けて下地を作り、その上からアルミ板お接着し、本物に近い質感が再現されています。
機体表面の沈頭鋲(ちんとうびょう)(※)やコクピットなど、細部にわたり再現されています。
タイヤは本物の「疾風(はやて)」のタイヤを使用しています。
垂直尾翼には第721海軍航空隊(神雷部隊)を示す「721」の番号が記されています。
製作は、有限会社大澤製作所が行いました。

※外版と骨組をつなげる鋲で、空気抵抗を減らす為に平らな頭の物が使われました。

(説明板より)



撮影用のコクピット(操縦席)の模型もあり、ここに座って記念写真の撮影ができる。
う~ん・・・・座ってみたい気もしたが・・・
いい歳した大人が・・・という気もしないでもない・・・・(苦笑)
子供のころから零戦が好きだったが、座るのを諦めた。(大笑)

410_convert_20171005231042.jpg

397_convert_20171005230951.jpg 422_convert_20171005231153.jpg

418_convert_20171005231226.jpg

この資料館は、これらの実物大のレプリカと若干の展示品と解説パネルのみ・・・・
予想以上に早く見終わってしまった。(汗)
時刻は午後3時30分・・・・
まだ少し余裕がある。
ということで・・・このままタクシーを貸し切り状態にし、更に少々遠方まで足を延ばすことにした。(笑)

次に向かったのは「双葉の里」と呼ばれる場所である。
ここは、どうやら横綱の双葉山の生誕地らしい・・・・
銅像があるようなので、銅像の写真を撮りに寄ってみた。(喜)

434_convert_20171006104127.jpg

「道の駅」っぽい感じである・・・

436_convert_20171006104158.jpg

『超六十連勝力士碑』というのが、建物の前にド~ンと建っていた。
う~ん・・・これ・・・何?(汗)
この碑には、63連勝の第4代横綱・谷風、63連勝の第69代横綱・白鵬、69連勝の第35代横綱・双葉山の3人の名が手形と共に刻まれていた。
へぇ~・・・・である。
「横綱・双葉山」って、すごい人なんだ~(苦笑)
「双葉山」という名は、どこかで聞いたことがあるなぁ~という程度・・・
69連勝とは知らなかった・・・(大汗)

資料館を見学する。

446_convert_20171006104243.jpg

455_convert_20171006111121.jpg 457_convert_20171006111157.jpg

見学後、資料館の方にお茶をすすめられ、みんなでしばし雑談。
拙者が茨城から来たと言ったら・・・
横綱・稀勢の里、大関・高安の話で大盛り上がり!(唖然)
みなさん、2人の大ファンなのだという。(汗)
話に熱がこもるのはいいのですが・・・
実は拙者は相撲に全く興味がないのである。(大汗)
だから知識が全くない!(大笑)
しまった・・・やっちまった・・・「茨城県から来ました」なんて言わなければよかった・・・
みなさんの話に付いて行けない・・・(大涙)
他県の方々が茨城出身の力士のことに、やたらと詳しいのに、当の茨城出身の拙者は全く知識がない・・・(大汗)
何を言われてもチンプンカンプン・・・答えようがない・・・
冷や汗ものである。(大涙)

この資料館のすぐ裏手に、双葉山の生家があるというので見に行く。

462_convert_20171006153440.jpg 464_convert_20171006153555.jpg

468_convert_20171006154303.jpg

ここをサラッと見学し・・・・時刻は午後4時30分。
今日の観光は、ここで終了!
意外にも多くの場所を回れたので大満足である。
最寄りの駅までタクシーで向かい、運転手さんとお別れ。

478_convert_20171006155027.jpg (柳ヶ浦駅)

この駅前に蘇鉄が植えられていた。
説明板があったので読んでみたら、この蘇鉄は宇佐海軍航空隊の庁舎の庭に植えられていたものを、戦後、ここに移植したものだという。
最後の最後に、宇佐空の戦跡を見つけて感激!(喜)

このあとは・・・別府駅に向かい、ホテルに戻り、今日の行動を終える。

旅行 | 12:06:50 | Comments(0)
宇佐神宮に行く
前回、“ヤスダさん”にお会いした時に、「史跡好きならば、ここを拠点に少し回ってみてはどうか」と言われた。
病院に訪問するついでに、別府を中心に史跡巡りをしたら・・・ということである。
つまりは・・・ちょくちょく遊びに来て欲しいということかな?(笑)
で・・・この間は、宇佐海軍航空隊に関する新聞記事の切り抜きを送ってきた。
そうなると・・・行かねばなるまい?(苦笑)
わざわざ新聞記事を送って来たということは、ここを見学するついでに病院に顔を出してくれということなのだろう。

というわけで・・・今日は、宇佐に行くことにした。(笑)
ホテルはそのまま・・・
今晩も、もう1泊して明日帰ることにしてある。
まる一日、宇佐周辺を見て歩くことにした。

電車で宇佐駅まで行き、そこからタクシーで宇佐神宮に向かう。
宇佐に行ったら、まずは「宇佐神宮」でしょ?(笑)

204_convert_20170917212136.jpg 206_convert_20170917212221.jpg

208_convert_20170917212546.jpg

宇佐神宮には初めて来たが、さすがは「神宮」っていうくらいだから、結構、広い感じである。



宇佐神宮御由緒

当神宮は全国に4万社あまりある八幡宮の総本宮であります。
神代に比売大神(ひめおおかみ)が馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、欽明天皇32年(571)応神天皇の御神霊が初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を御巡幸ののち神亀2年(725)に亀山の一之御殿に御鎮座になりました。
また天平3年(731)比売大神を二之御殿にお迎えし、のち弘仁14年(823)神託により神功皇后(じんぐうこうごう)が三之御殿に御鎮祭されました。
皇室は我が国鎮護の大社として御崇敬篤く、特に八幡大神が東大寺大仏建立援助のため神輿にて上洛されたこと、また和気清麻公が天皇即位にかかわる神託を授かった故事などは有名であり、伊勢の神宮に次ぐ宗廟、我が朝の太祖として勅祭社に列せられております。

(説明板より)



参道を歩く人は無く・・・・閑散としている。
テクテク歩いていたら、韓国人の団体客たちとすれ違った・・・・
まもなく、小さな可愛い機関車を発見!(苦笑)

210_convert_20170917233020.jpg
(宇佐参宮線26号蒸気機関車)

この機関車は明治24年にドイツで製造された蒸気機関車で、大正5年に開業した宇佐参宮線で使用されていたものだそうだ。
当時は、宇佐神宮に来るのに汽車に乗って来ることが出来たらしい。
宇佐参宮線は昭和40年に廃止されたとのことであるから、そのころには、参拝客は自家用車か観光バスでやって来る人が多くなって汽車に乗る人がいなくなったのかも・・・

224_convert_20170917234336.jpg
(宮本武蔵 誠心直道之碑)

ちかくに「誠心直道之碑」というのが建っていた。
宮本武蔵と言えば熊本県だが・・・なんで大分県の宇佐にこの碑が建っているのかと思ったら、近くに説明板があった。
それによると、「正統兵法二天一流」が宇佐市在住の方が宗家として相伝されたため、熊本から大分の宇佐の地に宗家が移ったためらしい。
以前、福岡県北九州市の小倉城で「誠心直道の碑」というのを見た覚えがある。
この碑を建てた“団体”も二天一流の宗家と名乗っていたが・・・・
更に熊本県の霊巌洞で、二天一流の由来の説明板を見たことがあるが、こちらも別の“団体”で宗家とのこと。
う~ん・・・兵法二天一流というのはいくつもの流派に分かれているのだろうか?
それで、こちらの“団体”はあえて「正統宗家」と名乗っているのか?
よくわからん・・・
まるで和菓子屋の「元祖」「本家」「総本家」みたいな感じなのかな?
若かりし頃、京都の銘菓「生八つ橋」を「本家でもなく総本家でもなく分家で買ってみたい」と言ってお店の人にヒンシュクを買ったことがあるが・・・(大笑)
いったい、どの“団体”が直系なのだろう・・・という気がしないでもないな・・・(大汗)

直ぐ近くに種田山頭火の碑が建っていた!
お久しぶりの山頭火との再会である。(喜)
全国を旅していると、時々、バッタリと山頭火の碑に出会うことがある。
これがなんとも嬉しい・・・

228_convert_20170918224550.jpg (種田山頭火の碑)


種田山頭火

自由律俳人・種田山頭火、本名・正一。
明治15年山口県防府市に生まれる。
早稲田大学を病気中退し帰郷、結婚して父と酒造場を開業する。
一方、荻原井泉水が創刊した新傾向俳句誌『層雲』に投句し入門、やがて同人・選者として活躍した。
大正5年に酒造場は失敗、破産する。
熊本に移り無軌道な酒に浸って市電を止める事故を起こしたのを機に出家得度。
九州をはじめ東北地方まで全国を行乞漂泊の旅を続けた。
ここ宇佐神宮には、昭和4年と13年に訪れており、禅僧でありながらも殊のほか敬虔なおもいで参拝している。
昭和14年四国霊場巡拝を終え愛媛県松山市に「一草庵」を結んだが、昭和15年10月11日同庵に歿した。
山頭火は、花鳥諷詠や季語を約束とする五・七・五の定型俳句とは異なり、「俳句といふものは・・・魂の詩だ、心のあらはれを外して俳句の本質はない」と言い、その人生や俳句においても、より真実なるものを模索し非定型を貫いた。
行乞流転の旅にあって詠んだ数々の日本語独特な口語のリズムを生かした自由律作品は、いまも多くの人のこころを捉えている。

(碑文より)



このすぐ近くに、「神武天皇聖蹟菟狭顕彰碑」というのが建っていた。

249_convert_20170919145925.jpg (神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑)

石碑などに目が行ってしまい、なかなか先に進めない・・・(大笑)
宇佐神宮って・・・まだ先だよね?(苦笑)

259_convert_20170919150402.jpg

境内に大きな池が・・・・蓮の花が咲いていた。

261_convert_20170919150433.jpg 262_convert_20170919150458.jpg

立派な建物を発見!(笑)
なかなかの建物である。

263_convert_20170919150527.jpg

写真の左側が「宇佐神宮儀式殿」で、右端の建物が「宇佐神宮庁」の建物・・・

更に進むと「茅の輪」があった・・・

265_convert_20170919172208.jpg 267_convert_20170919172237.jpg

説明板によれば、この「茅(ち)の輪(わ)くぐり」というのは、盛夏を乗り切る方法の一つなのだそうだ。
茅の輪をくぐることで、心身の穢(けが)れや厄を払う儀式なのだそうである。
以前、水戸藩士の”シミズくん”に付き合って某神社に行った時に、彼は茅の輪をくぐっていたが・・・(笑)
う~ん・・・たぶん彼は穢れていたからやったのだろうが・・・(大笑)
拙者には自分の心身が穢れているという自覚はない。(大笑)
が・・・
周囲を見渡したら誰もいないので、ちょっとやってみるか・・という気になった。
決して拙者は穢れていないのだが・・・(笑)
説明板に書かれている作法によると・・・
まず、正面に立ち一礼をするのだそうだ。
この時に、正月から現在まで健康でいられる感謝を込めるのだそうだ。
次に左回りで一度、茅の輪をくぐる。
その次に今度は右回りで茅の輪をくぐり・・・
と・・・ここまでやっていたら、周囲に参拝者がチラホラと集まっていた。(驚)
ゲゲゲッ!なんとも恥ずかしい・・・(大汗)
しかし、途中でやめるというのもねぇ~・・・・マズイでしょうねぇ~
で・・・最後にもう一度、左回りで茅の輪をくぐり、正面に立って一礼をする。
この時、この夏から来年の正月まで健康でいられますように・・・という願いを込めて一礼するのだそうだ。
よし!他人の視線を散々浴びながら・・・(涙)・・・「茅の輪くぐり」は終了!
これで、来年の正月まで健康でいられるよな?

更に進む・・・・

272_convert_20170919174313.jpg 275_convert_20170919174343.jpg


「宇佐神宮社叢(しゃそう)」
国指定天然記念物

この御(み)山は亀山、また小椋(おぐら)山とも称し、森の大部分はイチイガシ(一位樫)、クスノキを優占種とする常緑広葉樹林でほぼ自然の状態で残されている。
高木層、亜高木層、低木層はほとんど常緑樹で占められているため、四季を問わず緑深い神域が保たれている。
イチイガシは常緑広葉高木で、樹高30mに達し幹の直径が1.5mになるものがある。
樹皮は灰黒褐色であるが、皮目が多く薄片となってはげ落ち波状の模様が残る。
葉には鋭い鋸(のこぎり)歯の表面は光沢があるが下面は黄褐色の短い毛が密生している。
他のカシ類と同様に堅果(どんぐり)が出来る。

(説明板より)



「イチイガシ」・・・ねぇ~
どの木がイチイガシ????
植物に関する知識が全くないので、さっぱりわからん・・・(涙)

更に進むと色鮮やかな門が・・・
あら・・・すごい・・・

277_convert_20170919210741.jpg 279_convert_20170919210811.jpg

この門をくぐると・・・これまたビックリ・・・

281_convert_20170919211535.jpg

あらぁ~この屋根・・・すごいなぁ~
これ・・・・杮葺きかな?
ここを回り込むと・・・そこが宇佐神宮・・・・
これが本殿かな?

295_convert_20170919212458.jpg 285_convert_20170919211635.jpg

これまた素晴らしい建物である。(喜)
この宇佐神宮は、参拝の仕方が他の神社とは違っているらしい。
説明板に「二礼、四拍手、一礼」と書いてあった。

294_convert_20170919212304.jpg

この説明に従い、ニ礼して、パン、パン、パン、パンと四拍手して、一礼・・・・
ところが、他の参拝客はみなさん、パンパンパンパンと猛スピードで四拍手するのである!(驚)
え~!(驚)・・・そうやるのか?
パン、パン・・・と拍手の間にワンテンポ入れるんじゃないのか?
説明文には四拍手のテンポまでは書いてはいない・・・
パンパンパンパン!・・・・では、なんとも気忙しい気がするんですが・・・
本当はどっちが正しい四拍手の仕方なんだろう?
うっかり社務所の人に尋ねるのを忘れた・・・・(汗)

社殿は一つに見えるが、「一之御殿」「ニ之御殿」「三之御殿」と三つに分かれていて、それぞれに賽銭箱がある。
仕方がない・・・三つともお参りするしかない・・・(苦笑)
そのたびに賽銭箱にお賽銭を入れねばならぬ。

社殿の反対側に「宇佐神宮奥宮 大元神社遥拝所」というのがあった。

287_convert_20170919211907.jpg

説明板によると・・・・
『左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)です。宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています』とある。

289_convert_20170919212226.jpg

へぇ~・・・あんな遠くの山が発祥の地ですか・・・・
あそこに行くのは大変だろうなぁ~(大汗)

参拝を終え、帰ろうかなと・・・
途中、「若宮神社」というところに帰路を示す看板があったので、これに従うことにした。

297_convert_20170920161446.jpg (重要文化財・若宮神社)

この帰路は「下宮経由」とのこと・・・・
うまくハメられた・・・(苦笑)

303_convert_20170920162045.jpg (下宮)

この下宮(げくう)も一之御殿から三之御殿の3つに分かれていて、それぞれに賽銭箱が設けられている。
社員旅行のついでに立ち寄ったという感じの他の参拝客が「小銭がなくなったから、俺はパス!」と言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。
やたらと賽銭箱があるので、あっという間に小銭が無くなってしまうのである!(大汗)
こう言っては、失礼かもしれないが・・・・商売上手である・・・(苦笑)
幸い、拙者の財布には、小銭がたんまりあったので助かったが、宇佐神宮に来るときは小銭を十分に用意しておいた方が良さそうである。(大笑)

この境内に兆竹(さましだけ)というのがあった。

302_convert_20170920162114.jpg


兆竹 (さましだけ)

往古、宇佐神宮では神事や豊穣、国家の大事を決する時の神意の卜占を、摂社若宮神社の拝殿にて対馬の卜部が亀甲を焼いて行っていた。
その際、この下の宮境内の竹を用いて熱した亀甲を「冷まし」たといわれる。

(説明板より)


どうでもいいことだが・・・なんで「兆」と書いて「さまし」と読ませるのだろう?
「さましだけ」なら「冷竹」でもいいと思うのだが・・・・(笑)

更に戻って・・・・境内の一角にある公衆トイレのところが喫煙所となっているので、そこで一服・・・(笑)
そこへ、ワーワーキャーキャーと騒ぎながらやって来た一団・・・
韓国人のツアー客たちである。
中年のオバチャンたちは、ほぼ全員が真っ黒いサングラスをかけているという異様な雰囲気・・・(苦笑)
今にも雨が降りそうな、どんよりとした曇り空なのに・・・・真っ黒いサングラスとは・・・ねぇ~
ファッションなんでしょうが・・・
日本人の中年女性には、こういうサングラスをかける人はいないよな。
やっぱり韓国人というのは、感覚的に、どこか違うんだろうなぁ~
それにしても・・・偶然なのかもしれないが、やたらと何組もの韓国人ツアー客に会うんですけど・・・
宇佐神宮は、韓国人に人気のある観光スポットなのか?

時刻は12時を過ぎている・・・
近くに宝物館があるが、ここに行ったら、たぶん拙者のことだからじっくりと見学してしまうかもしれない・・・
そうなると、今日は宇佐神宮だけで終わってしまうような気がする。
それだけでは勿体ない気がしないでもない。
ここは・・・宝物館があることに気が付かなかったということで・・・無視することにする。(大笑)

一服後、更に境内を散策してみる。

「頓宮」というのが、境内のはずれの寂しい場所に建っていた・・・(苦笑)

311_convert_20170920173034.jpg


頓宮

頓宮(とんぐう)は仮殿(かりどの)、御仮屋(おかりや)ともいわれ、当神宮では夏越神幸祭(なごしのしんこうさい)(7月31日~8月2日)が斎行される際に三基の神輿(みこし)(御鳳輦・ごほうれん)がこの頓宮まで御巡幸ののち遷御(せんぎょ)される。
この大祭は明治以前まで御祓会(おはらいえ)御禊会(みそぎえ)とも称されたが、古式による独特な祓いの儀、菅貫神事(すがぬけしんじ)が今も行なわれている。
また現在の頓宮は昭和7年より始まった昭和大造営の折に新築されたものである。
古く元慶4年(880)には33年毎の式年造替が行われ、この頓宮一帯に上宮、下宮、若宮の各本殿と寸分たがわない白木造りの「仮殿」が建てられた。
しかしこの仮殿の造営も中世戦乱のため次第に行われなくなり、延宝8年(1680)には神橋付近に頓宮が造営され昭和初期まで使用された。
尚、宝物殿には我が国最古の建築指図である「宇佐宮仮殿地判指図」(国重文・鎌倉時代)や、「応永の古図」また「宇佐宮絵図」数点が展示されており参考にされたい。

(説明板より)



ここから更に奥に向かい、宇佐神宮の境内の外側に、どうも「和気清麻呂」の碑があるらしい。
ちょっと行ってみるかと、雑草の生い茂る細道を歩く・・・

314_convert_20170920173105.jpg

どうやら、あの木々で鬱蒼とした小山辺りにあるようである。

339_convert_20170920205859.jpg

一歩、足を踏み込んで・・・・唖然!
シマッタ・・・この石段・・・・(大涙)

315_convert_20170920193625.jpg 317_convert_20170920193656.jpg

登るのを諦めて引き返そうとも思ったが・・・・
ここまで来て引き返すのもねぇ~
相変わらずの運動不足による呼吸困難と筋肉痛を伴う“登山”である。(苦笑)
しかも、服装は、いつものようにスーツにビジネスシューズである。(大笑)
こういうところを歩くにはふさわしくない格好である。(大笑)

323_convert_20170920202447.jpg (和気清麻呂公の碑)

まもなく、大きな石碑が見えた・・・・
これが「和気清麻呂公の碑」である。
宇佐八幡神託事件で活躍したということで、大正4年に、この碑が建立されたらしい。
文字は日本海海戦で活躍した東郷平八郎の揮毫である。

更に、奥のほうに神社があるらしいので・・・・
ここまで来たら、もう、ついでということで行ってみる。

332_convert_20170920202550.jpg 329_convert_20170920202521.jpg


大尾山

天平神護元(765)から16年間、現在の上宮があった場所です。
11世紀中頃には参議源資通(みなもとのすけみち)により蓮台寺が創建されました。

(説明板より)


摂社 大尾神社

御祭神 八幡大神

八幡大神は奈良の都の大仏開眼式に臨まれ、宇佐へご帰還ののち、天平神護元(765年)この大尾山にしばしの間鎮座するとの御託宣により山上に本殿を造営、15年間お鎮まりになった。
この間、神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は「宇佐使」として当地に参向、皇統を守護する託宣を受けられた。
大神が本宮へ還御されたのち神勅拝受の聖蹟として八幡大神の御分霊を祀り、大尾神社と称された。

(説明板より)



どうも“神様の話”はよくわからない・・・・(大汗)
帰る途中、もう一つ神社があったので寄ってみた。

337_convert_20170920202650.jpg 334_convert_20170920202618.jpg


末社 護王神社

御祭神 和気清麻朝臣命

神護景雲3年(769年)7月11日、和気公は宇佐使として当地に参向「我国は開闢以来君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神のご託宣を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。
山上の摂社大尾神社附近は神託を受けた旧蹟である。

(説明板より)



滑る落ち葉に神経を使いながら、山を下り・・・・
宇佐神宮に戻り・・・・参道わきの店を覗く。
定休日で閉まっているのか、潰れてしまったのか、シャッターが閉まっている店が何軒もあった。
なんとも活気のない“商店街”であるが・・・
こんなに参拝者がいないのなら、仕方がないかも・・・
またもや韓国人ツアー客たちが、たむろしていたが、彼らがここでお土産を買うとは思えない・・・
そうなるとパッとしないよねぇ~(苦笑)
たまたま覗いたお店に「ふくろうグッズ」があったので、妹へのお土産に一つ購入・・・
でも、お店の人は・・・シラ~ッ・・・・(汗)
まぁ、そうなるのも無理はないか・・・・

時刻は午後1時を過ぎていたので、近くの食堂で遅い昼食をとる。

345_convert_20170920205946.jpg


旅行 | 10:06:55 | Comments(0)
韮山を歩く
今日は、本命の韮山反射炉を見に行く!(大喜)

旅館をチェックアウトして、電車に乗って伊豆長岡駅へ・・・

042_convert_20170819094923.jpg (伊豆長岡駅)

時刻は午前9時半・・・
駅前の観光案内所で情報を収集・・・
反射炉まで歩いて行けないことはないな・・・(笑)
駅から少し離れたところにあるファミレスでコーヒーを飲んで早くも一休み。(大笑)
まずは、落ち着いて・・・今日の行動計画を練らねば・・・

044_convert_20170819095531.jpg

駅からテクテクと歩く・・・・

045_convert_20170819095600.jpg

遠くに、反射炉の“煙突”が見えてきた!
もう、胸ワクワク、ドキドキである!(大喜)

046_convert_20170819103917.jpg

エントランスは資料館になっていて、ほとんど強制的に上映される映像を見させられる。(苦笑)
その後、ボランティアガイドに、これまた半強制的に促されて、建物の外に誘導される。
おかげで、マイペースで見学できない・・・(涙)
外に出て、反射炉の場所まで行く・・・
おお!憧れの反射炉!(大笑)

051_convert_20170819103947.jpg

反射炉は、洋式の大砲の砲身を造るために建設された炉である。
日本各地に遺構が残っている。
初めて見たのは・・・鹿児島(薩摩藩)の反射炉だが、仙厳園の中に土台だけが残っているというものだった。
次に見たのが、山口県(萩藩)の反射炉で、かなり荒れ果てていて雑草に覆われた中で崩れかかっているように見えた。
(今はどうなっているかは知らないが・・・)
その次に見たのが、佐賀県(佐賀藩)の反射炉で、小学校の敷地内にミニチュアの模型が置かれていただけで、わざわざ見に行ってガッカリした・・・(苦笑)
そして、我が茨城県(水戸藩)の那珂湊の反射炉!
これは復元されたものである。
ここには水戸藩士の“シミズくん”と一緒に見に行った。
そして、最後に残ったのが、この韮山の反射炉なのである!
この反射炉だけは、まだ訪れたことがなかったので、やっと念願叶ったというわけ・・・(大喜)
これで主だった反射炉の遺構は“制覇”したと言っていいかな?(大笑)

072_convert_20170819110444.jpg


炉体の構造

炉体の外側は伊豆石積み、内側は耐火煉瓦のアーチ積みとなっている。
また、炉床の下には、半月形の鉄板で覆われた通気用の空間が設けられている。
ロストルと呼ばれる部分に木炭や石炭等の燃料を置き、燃焼させる。
それによって生じた炎と熱が、浅いドーム状に湾曲した天井に反射し、一点に集中することで、材料となる銑鉄を溶かす千数百度の高温を実現する。
熱や炎を反射して鉄を溶かすしくみから「反射炉」と呼ばれたのである。
溶けた鉄は、炉床の傾斜により、出湯口に向けて流れていく。
ひとつの炉で溶かすことのできる銑鉄の量は、約2~3tである。
安政4年(1857)9月、初めて鉄製18ポンドカノン砲を鋳造した際には、鋳造開始から完了までおよそ11時間かかったと当時の記録にある。

(説明板より)



ここでの見学もボランティアガイド主導で「こちらに集まってください!」と強制的である。
拙者は団体客ではない・・・(汗)
「個人での見学はお断り」という貼り紙を見た覚えはないから・・・“命令”に従わなくてもいいでしょ?
他の人たちはボランティアガイドに促されて、一塊になって見学していた。
まぁ~みなさん、なんと素直な方々か・・・(笑)
拙者は一人で別の方向に向かい、彼らが写らないように写真を撮る。
ガイドさんは一生懸命説明してくれるのだろうが、拙者は三歩も歩けば何の話をされたのか忘れるような人間である。
ボランティアガイドの説明を受けている時間が勿体ない・・・(苦笑)

079_convert_20170819145844.jpg

少し離れたところに江川太郎左衛門の銅像があった!
これ、これ・・・この写真を撮るのも今回訪問した目的の一つなのである。(大喜)

この後は、この江川太郎左衛門の家を見に行こうと思う。
で・・・資料館の受付の方に尋ねたら、ここに来るのに駅から歩いてきたと言ったら呆れられた。(笑)
さらに、ここから江川邸まで歩いて何分かかるかと尋ねたら驚かれた・・・(大笑)
「タクシーを呼んであげましょうか?」と言われたが、徒歩で30分くらいなら、歩いてみるのも面白いだろう。
タクシーは遠慮して徒歩で向かう。

教えてもらった近道は「韮山城」の山を、ひと山越すことになる。
平面だと思い込んでいたのだから間抜けである。
普段の運動不足で息が切れる・・・(大汗)
約40分ほどかかって、ようやく江川邸に到着。

152_convert_20170822130118.jpg 088_convert_20170821120853.jpg

敷地内に「役所跡」があった・・・
え?・・・個人の敷地内に?
驚いた・・・

094_convert_20170821121447.jpg (役所跡)


役所跡

韮山代官所の役人が執務した建物のあった場所。
江川邸の周辺には、他にも役人たちの住む長屋や番人小屋、厩(うまや)、牢屋など様々な建物があり、代官役所として一体的に機能していました。
維新後も、明治時代の中頃まで、韮山県庁→足柄(あしがら)県韮山支所→静岡県韮山出張所として地方行政を担っていました。

(説明板より)


098_convert_20170822102742.jpg 108_convert_20170822103022.jpg

109_convert_20170822103123.jpg 110_convert_20170822103154.jpg

屋敷内の展示品などを見学・・・
ボランティアガイドの方からも説明を戴き、その後、庭を見学・・・

122_convert_20170822103800.jpg 125_convert_20170822104009.jpg

庭には、いくつもの蔵があった。
へぇ~・・・・である。
蔵の中も見学できる。
その中で目を引いたのが・・・これ!
「施条機械」!
これは珍しいものである!(大喜)

134_convert_20170822104420.jpg


木製施条機械 江戸時代末期

江川家に伝来した工作機械。
鋳造した銃身の内側に、ライフル(螺旋状の溝)を刻むための装置であると考えられている。
ライフル銃は、それまでの丸玉の銃にくらべて、射程距離・命中率が飛躍的に高いため、幕府にとってもその国産化は急務であった。
幕末の江川家では、西洋式の小銃・大砲の生産を行っており、この機械はそうした必要性から製作されたものであろう。
台座や刃の部分などが欠けていて、完全な形ではないが、国内では他に類例のない機械であり、幕末日本における西洋の軍事関連技術受容のありさまを示す、貴重な資料である。

(説明板より)


130_convert_20170822110644.jpg 131_convert_20170822110712.jpg

ここには、反射炉に関するパネルも展示されていた。
貴重な古写真を見る。
ほぉ~・・・である。(笑)

145_convert_20170822110744.jpg (江川家の井戸)

約1時間ほど見学して次に向かう。
どうも、この近くに江川家の菩提寺があるらしい。
それほど遠くなさそうなので行ってみる。

153_convert_20170822131109.jpg 159_convert_20170822131213.jpg

日蓮宗の本立寺・・・ここに江川太郎左衛門英龍のお墓があるらしい。

155_convert_20170822131145.jpg

江川太郎左衛門の石像があった。
で・・・お墓はどこにあるのだろうと境内をウロウロ・・・・
もしかして、本堂の裏あたりかなと思って坂道を登って行ってみたら・・・あった!

163_convert_20170822131246.jpg (江川家の墓所)

お参りをして・・・帰る・・・・

途中、喉が渇いたので近くのお店に入ってジュースを飲む・・・
と・・・お店のオバサンが「仕事ですか?」と尋ねてきた。
「いえ、観光です」と答えたら、「なんで観光なのにスーツなんて着ているの?」と呆れられた・・・(苦笑)
いいじゃねぇか、何を着ようと・・・(大笑)
拙者はスーツの方が落ち着くんだから・・・
そんな会話から、ちょうど店にいた地元の常連客と、おしゃべりを少々する。
「茨城の人?」と尋ねられた・・・(汗)
「俺は福島出身だから、あんたの話し方でわかるんだよねぇ~茨城でしょ?」と言われてショック!(苦笑)
茨城なまりが抜けていない・・・いくら気取ってもバレバレである。(大笑)
店内の皆さんと楽しい会話をして店を辞する・・・・

さて・・・もう1か所、行きたいところがあったはずなのだが思い出せない・・・
以前、韮山反射炉を見に行ってみたいと、水戸藩士の“シミズくん”に話したところ、「こういう史跡が近くにある」と彼が教えてくれた場所なのだが・・・(汗)
何だっけかなぁ~
源頼朝が配流された場所で・・・「小島」っていう地名だが、実は小さな島じゃなくて・・・
「島流し」のつもりが、全然島流しでもなんでもなく・・・
地名だけで島だと思い込んでいたという間抜けな話・・・だったような気がするのだが・・・
余計なことは覚えていても、肝心なことを覚えていない!(涙)
ようやく断片的に思い出した!
「蛭(ひる)」っていう字が付いていたような気がする・・・
タブレットで調べたら・・・「蛭ヶ小島」というのがあった。
そう!ここだ!(大笑)
次に「蛭ヶ小島」に向かう。

166_convert_20170822141419.jpg 165_convert_20170822141352.jpg

「蛭ヶ小島」・・・・確かに“島”じゃない・・・(笑)

178_convert_20170822141450.jpg

源頼朝と北条政子の銅像・・・
そう、そう、この銅像の写真を撮りたいと思っていたのだ!(笑)
なぜ、ここを訪れないといけないと思っていたのか、ようやく理由を思い出した!(苦笑)
源頼朝と北条政子は、この地で結ばれたのだそうだ。
源頼朝と北条政子と言ったら鎌倉だとばかり思っていたのだが、こんなところで出会ったの?
へぇ~・・・・である。

181_convert_20170822141519.jpg

時刻は午後1時半・・・・
ここにある小さな茶店で、遅い昼食を食べて近くの駅に向かって歩く。

182_convert_20170822142551.jpg

振り返って「蛭ヶ小島」を見てみたが・・・・やっぱり“島”じゃない・・・・(大笑)
徒歩10分程度で「韮山駅」に到着。

183_convert_20170822142702.jpg

予想に反して・・・・小さな駅だった・・・・(汗)
今日はここまで・・・
帰途につく。

旅行 | 09:44:49 | Comments(0)
三島を歩く
以前から韮山の反射炉を見に行きたいと思っていた。
が・・・そう思いながら何年も経っている。(汗)
“思い立ったが吉日”ということで、グズグズ言わず・・・(笑)、思い切って出かけることにした。(大笑)

東京から新幹線で静岡県の三島駅に行き、そこから韮山へ向かうのだが、日帰りは不可能・・・
1泊して、翌日に韮山に行くことにして、今日は三島を歩くことにした。

001_convert_20170815225332.jpg (JR三島駅)

三島駅に降り立つのは30数年ぶりである。
当時の景色が全く思い出せない。(大汗)
30数年も経てば駅前の様子が変わるのも当然か・・・・

三島には日本大学の三島キャンパスがある。
この日大の大学院を受験するために来たのだが、どのあたりに宿泊したのか、大学がどこにあったのかも全く記憶がない。(苦笑)
記憶にあるのは、受験会場の教室だけ・・・
拙者は窓際の席に座って受験した。
合否の発表の日は雪が降っていて、友人の運転する車に乗って結果を見に来た。
で・・・掲示板に自分の名前がなかったことを確認して・・・(大笑)
失意のうちに、友人に慰められながら東京に帰った・・・(大笑)
そういう懐かしい思い出があるのだが・・・・街並みを見ても全く記憶にない・・・(大汗)

033_convert_20170817131055.jpg

この三島を歩くことにしたのには訳がある。
学校が集中しているあたりに野戦重砲兵の記念碑があるらしいので、それを撮影するためである。

三島市立北幼稚園のところに、野戦重砲兵第3連隊の営門と哨舎があった。

004_convert_20170817130829.jpg

005_convert_20170817130957.jpg 012_convert_20170817131023.jpg

そのまま真直ぐ歩いて行くと、ちょうど隣りの三島市立北小学校のあたりに、もう一つのレンガ造りの門がある。
たぶん、ここも野戦重砲兵第3連隊の駐屯地だったのだろう。
門が小ぶりなので、これは通用門か裏門か?

016_convert_20170817132902.jpg

更に歩くと、隣りは三島税務署!(笑)
ここで、税務署の写真を撮影・・・・
偶然にも法人会の会報に載せる記事のネタを拾ったが・・・
さて・・・どういう切り口で記事を書こうか・・・・
この間の神戸税務署は話の展開がすぐに頭に浮かんだが・・・
三島ねぇ~・・・・う~ん・・・(大汗)

017_convert_20170817134515.jpg

ここで道を渡って反対車線を戻る。
途中、日大国際関係学部の前を通ったが、入口を見ても全く記憶が蘇らない。(大汗)

更に進み、日大の隣りの三島市立北中学校のところに営門と哨舎があった。
こちらは野戦重砲兵第2連隊である。
この道路を挟んで、野戦重砲兵第2連隊と第3連隊が向き合っていたのだろう。

029_convert_20170817135137.jpg

この後、駅の反対側に行ってみる。
やっぱり記憶がない・・・(苦笑)

観光案内所で観光マップ等を集め、近くの喫茶店を教えてもらう。
そこでコーヒーを飲み、帰ろうかと思ったら、偶然、チラシが目に入った。

img196_convert_20170818112832.jpg img197_convert_20170818112913.jpg

「ミュシャ」?
どこかで聞いたような名前・・・・
先日、妹と電話で話をしていたら「ミーシャ」だか「ミューシャ」だかが、どうのこうのという話が出た。
もしかして・・・これか?(驚)
チェコの絵で、素晴らしい絵だから一度見るといいとかって言われたんだけど・・・
チラシを見てみたら「後援:チェコ共和国大使館、チェコセンター」とある。
これか!妹が話していたのは!(驚)
喫茶店のオーナーに話を聞いてみたら、「そこにあるのは全部ミュシャの絵です」と言う。
店内に飾ってあった絵は総てミュシャのオリジナルなのだという。(驚)
全然気が付かなかった・・・(大汗)
さらに尋ねたら、この方はミュシャのコレクターで、ミュシャの展示会に自分のコレクションを貸し出しているのだという。
あらら・・・驚きである。
現在も東京の展覧会に貸し出し中で、その展覧会は今日が最終日とか・・・
あっ!そういえば、そういうことを妹に言われたような・・・・(汗)
しまった!・・・ミュシャの絵を見てから、こっちに来ればよかった・・・(涙)
それにしても、この偶然は何だろう?
店内に飾ってあるミュシャの絵を改めて見せていただき“貸し切りの鑑賞会”をして(笑)店を出る。

035_convert_20170818153336.jpg

036_convert_20170818153424.jpg

JR三島駅に隣接する「伊豆箱根鉄道三島駅」に向かい、ここから大仁駅へ向かう。
今日は、温泉宿に宿泊する予定・・・

038_convert_20170818153523.jpg (伊豆箱根鉄道・大仁駅)

「大仁(おおひと)」・・・・・
30年ほど前に伊豆大仁カントリークラブというゴルフ場でゴルフをしたことがある。
生まれて初めて「ゴルフコンペ」というのに出たのが、このコースだったのでよく覚えている。
が・・・駅舎は全く記憶にない・・・(苦笑)
この駅には降りなかったのかな?
それとも電車を使わずに行ったのか?
どうやって行ったのだろう?(笑)

ここからタクシーで温泉宿に向かう。

041_convert_20170818153729.jpg 039_convert_20170818153647.jpg

この旅館・・・かなり古くてオンボロである。(苦笑)
が・・・大浴場は貸し切り状態だったので良しとする。(大笑)

旅行 | 14:24:14 | Comments(0)
湊川神社に行く
今日は帰宅する日だが、その前に1か所だけ行きたい場所がある・・・
「湊川神社」!(笑)
なぜなのか、どうしても寄ってから帰りたい・・・
前回、神戸に来た時にも行こうとしたが、ちょうど雨が降り出したため断念した。
今回、二度目のチャレンジである。(笑)

ホテルをチェックアウトして三宮駅から神戸駅に向かい、神戸駅からブラブラと徒歩で向かう・・・
タブレットの地図を見ていて気が付いた・・・・
前回、「神戸文化ホール」まで来ていたのだが、ここから歩いてすぐのところに「湊川神社」があったのだ!(驚)
あのとき、そのまま歩いていけば、雨が降る前に到着していただろう。
どうしてわけのわからん地下鉄に乗ってウロウロとしちゃったんだろ?(苦笑)
タブレットの地図は表示部分が限られている。
画面をスクロールしなければ、つい、見落としてしまう・・・
ここが紙に印刷されている地図との大きな違い。
紙の地図なら、一目でわかったはずである。
が・・・紙の地図では自分の“現在位置”がわからない・・・(苦笑)
ここが方向音痴の人間のツライところである。(大笑)
何にでも、長所、短所というものはあるものだ・・・

DSCN4593_convert_20170731105314.jpg

DSCN4595_convert_20170731105342.jpg

何やら門の前が賑やかである・・・・なんでだろう?(笑)

まずは、門をくぐってすぐのところにある、楠木正成のお墓に行きお参りする。
この墓碑は徳川光圀が建立したという。

DSCN4598_convert_20170731105422.jpg

すぐ近くに、水戸光圀公の銅像が・・・・
う~ん・・・我がイメージとはかなり違う、グロテスクに見える銅像なのだが・・・
本当は、こういう顔の人だったのかな?(苦笑)
この銅像を造ったのは平櫛田中という人なのだが・・・
以前、この人が造った岡倉天心像を見たことがあるが、やっぱり、どこか“枯れている”という感じの銅像だった。
これが朝倉文夫さんが造ると、また違った雰囲気の銅像になるのだろうが・・・
拙者としては、どちらかというと朝倉さんの造る銅像が好きである。(笑)

順序が違ったが・・・(笑)
ようやく本殿をお参りする・・・

DSCN4608_convert_20170731105538.jpg

なにやら大勢の人が集まって、昇殿されていた・・・
まもなく開式の案内・・・どうも「楠公祭」というのが行われるらしい。

DSCN4614_convert_20170731105637.jpg

本殿参拝後、宝物殿を見学・・・

そして再び本殿に向かう。
この裏辺りに「楠木正成自刃の地」があるらしいのだが、行き方がわからなかったので社務所で尋ねてみた。
と・・・「神職と一緒でなければ中には入れません」と巫女(?)さん・・・
「今日は楠公祭で神職は忙しいので・・・」と言われた。(汗)
「そうですかぁ~・・・・じゃぁ、又の機会に・・・」と話していたら、後ろから「私がご案内しましょう」と神主さん。
あらら・・・お忙しいところ申し訳ない・・・(大汗)
タイミングよく、神職さんにご案内いただけることとなった。

DSCN4620_convert_20170801114434.jpg

この場所が、「自刃の地」らしい・・・
門扉は閉まっていたが、鍵を開けていただき内部へ・・・・

DSCN4619_convert_20170801114407.jpg

ここでお参りをし・・・・神職からお話を伺う。
さらにこの奥のなにもなさそうに見える場所が、どうも「自刃の地」らしい。
今となっては明確ではないのだろうが、どうも、当時の住民の証言に基づいているらしい。
この場所に遺体があった・・・ということか?

DSCN4615_convert_20170801114313.jpg

「今日は楠木正成の命日なんですよ」と神職。
あらら・・・たまたま訪ねたらところなのだが・・・命日でしたか・・・(汗)
それで楠公祭が行われているのだそうだ。
楠木正成は有名な人なので名前だけは知っているが、実は詳細は全く知らない・・・(大汗)
南朝とか北朝とか言われても、その時代には全く興味がないので記憶に残らないのだろう。
例えていえば、田中角栄という人は有名だが、何をした人なのかを知らないのと同じ・・・(大笑)
拙者の場合、田中角栄が自民党なのか社会党なのかも知らないに等しいという無知ぶり・・・(苦笑)
楠木正成さんねぇ~・・・はぁ~・・・????(苦笑)・・・・なのである。

「この湊川神社は、水戸光圀公が楠木正成を顕彰してくれたおかげで出来た神社といっていいと思います」とのこと。
「そう!その光圀さんの茨城県から来ました!」と言ったものの・・・・
命日も知らずにノコノコとやって来たのだから威張れたもんじゃない・・・(大汗)
シマッタ・・・(大汗)
この湊川神社と茨城県、水戸徳川家とは今でも何らかのお付き合いがあるのかどうかとお尋ねしたところ、全く何もないとのこと・・
それもちょっと寂しい話である。
「では、私の方から茨城県知事によく言っておきましょう!」と言ったら笑われた・・・(大笑)

「5年に一度、武者行列をやるので、来年がその年なので、是非、見に来てください」とのこと。
武者行列は、地元で、企画、運営をしたことがある。
見るより“取り仕切る”ほうが拙者は好きなのだが・・・(笑)
「見るんじゃなくて、手伝ってくれと言われたら喜んで取り仕切っちゃうんですけどぉ~」と言ったら、また笑われた・・・

不謹慎かもしれないが、冗談連発で笑いながらの見学となってしまった・・・
ご案内いただいた神職さんには大変失礼をしてしまった。(大汗)
あとになってから・・・反省・・・

駅前に戻り、近くの喫茶店で昼食をとり・・・・帰途につく・・・
今日もまた充実した時間が過ごせた・・・
感謝、感謝・・・

旅行 | 10:39:57 | Comments(0)
淡路島へ行く
昨晩のうちに神戸に来て1泊・・・・
今日は、淡路島の泉家さんのお宅を訪問する。
高速バスに乗り約1時間でお宅に到着・・・・
奥様と大阪在住の娘さんのお迎えをいただいた。
「わざわざ遠くから・・・」と恐縮されたが、泉家さんには、どうしてもお線香をあげたいのである。
時間がかかろうが、カネがかかろうが、どうしても訪問してお線香をあげたいのである。
ご家族には余計な気を遣わせることになって申し訳ないが・・・
自分の気が済まない・・・
泉家さんからは、たくさんのことを学ばせていただいた・・・
どういう形でお礼をすればいいのかが、わからない・・・
お線香をあげて手を合わせる事しかできない・・・
これでご勘弁ねがうしかない。
今回の降って湧いたような戦友会解散が、うまく回避できたのは、もしかして泉家副会長のお陰かも・・・
とりあえず、戦友会は無事に存続できそうですとご霊前にご報告する。
で・・・・ご家族と、しばし思い出話を話する。
あ~やっと気持ちが落ち着いた・・・

ずいぶん昔に、泉家さんから淡路島の観光マップやらの資料を頂いたことがある。
「あんた、史跡めぐりが好きなんだって?是非、淡路島に来なさいよ」と言われて慰霊祭の時に渡された・・・(笑)
資料には泉家さんがいろいろと書き込みをしておいてくれていた。
が・・・それから何年も、そのまま放置してしまい・・・
ようやく2年前にお宅を訪問したが、時間に余裕がなく、そのまま真直ぐ本州に移動してしまった。(汗)
今回は・・・泉家さんから誘われた淡路島の観光をしてから帰ろうと思う。(笑)

タクシーを呼んでもらい、お宅を辞する。
淡路島は交通の便が不便なようなので・・・・(汗)
タクシーで向かうことにした。(笑)
目的地は・・・「高田屋嘉兵衛公園」!(喜)

DSCN4514_convert_20170726193559.jpg

「高田屋嘉兵衛公園」・・・別名は「ウェルネスパーク五色公園」というらしい・・・・
なんで2つも名前を付けるのだろう?
「高田屋嘉兵衛公園」だけでいいと思うんだけどなぁ~(笑)

DSCN4516_convert_20170726193636.jpg

公園内に銅像が・・・・
映画『瀬戸内少年野球団』のモニュメントだそうだ・・・
この映画を見たことはない・・・(苦笑)
だいたい拙者は邦画はつまらないと思っているので、邦画は見ない・・・(苦笑)
だから、何の話なのかは分からぬが・・・
ここ淡路島で撮影されたので、ここにモニュメントを建てたらしい。

DSCN4528_convert_20170726193738.jpg

近くに、もう一つ銅像が・・・・
「日露友好の像」という銅像・・・
高田屋嘉兵衛翁とゴローニン提督の銅像だが、出来がイマイチ・・・・(大汗)
制作者名を見てみたら、ロシア人だった・・・
やっぱりねぇ~・・・・どう見ても日本人が作ったようには見えなかったんだよねぇ~(汗)

DSCN4542_convert_20170726193852.jpg

三笠宮崇仁親王殿下のお手植えの五葉松があった!
ここに殿下もいらっしゃっていたんだ!(大喜)
旅の行く先々で殿下のお手植えの樹木に会うたびに嬉しくなってしまう。
久しぶりにまた殿下にお会いしたような気持ち・・・・
100歳でお亡くなりになられた殿下を偲ぶ・・・・
この五葉松は生き生きと育っているようで安心した。
殿下はここに平成10年4月24日に訪れているらしい。

DSCN4541_convert_20170726193809.jpg

公園内にある「高田屋嘉兵衛顕彰館」を見学する。
この建物には3つの名前が付けられている。
「高田屋嘉兵衛顕彰館」「歴史文化資料館」「菜の花ホール」である。
で・・・・「菜の花ホール」の表記が一番大きく出ている。
うっかりすると、ここが資料館だと気づかずに通り過ぎるところである。
なんで、3つも名前を付けるのかね?(苦笑)

DSCN4560_convert_20170726193918.jpg DSCN4571_convert_20170726194057.jpg

DSCN4561_convert_20170726194026.jpg

以前、北海道の函館に行った時に、高田屋嘉兵衛の屋敷跡を訪れたが、その「屋敷図」が展示されていた。
へぇ~こんなに広い屋敷だったんだぁ~

館内の見学を終え、職員の人と、しばし雑談をして・・・(笑)
次に向かったのは、公園内にあるらしい高田屋嘉兵衛のお墓・・・・
ところが公園の案内図(イラストマップ)があまりにも簡略し過ぎで、おおよその場所は分かるが、正確な道順がわからない。
こんなイラストマップは困ったものだ・・・(大汗)
散々探し回って、ようやく公園の隅に「道標」を発見!

DSCN4576_convert_20170726201937.jpg

この細道を下りて行き・・・ようやく墓所に辿り着いた・・・(大汗)

DSCN4577_convert_20170726202003.jpg

拍子抜けするほど、小さく、質素なお墓である。
弟さんと並んで眠っている・・・・
小さな墓石がチョコン・・・というお墓は高田屋嘉兵衛の遺言でそうなったのか、それとも子孫がケチったのか?(苦笑)
高田屋嘉兵衛は文政10年(1827年)に59歳で亡くなっている。
早いと言えば早いよなぁ~
拙者が57歳ですから・・・・拙者が2年後に死ぬようなものである。
早い!(笑)
高田屋嘉兵衛は、亡くなる10年ほど前に家業を弟に譲って隠居の身となった・・・
この点、拙者も45才を過ぎたところで“隠居”したんだから、同じようなものだが・・・(大笑)
やったことのスケールの大きさは高田屋嘉兵衛には遠く及ばない・・・(大涙)
人間の出来が違うんだろうなぁ~
あ~我が人生を振り返ると・・・後悔ばかりである。(笑)

この公園始発の高速バスが1時間に1本程度の間隔で出ている。
時刻は午後3時40分・・・(汗)
急いでバス乗り場へ向かう。
乗客は拙者一人・・・・(唖然)
これで採算が合うのだろうか?・・・という気がしないでもないが・・・・
次のバス停は「五色バスセンター」・・・・
公園のある高台を下りて、まもなくの場所にある。
と・・・・ありゃ!(驚)
ここは、「高田屋嘉兵衛生誕地」のすぐ隣ではないか!
大きな石碑も建っている!
あらら・・・・
途中下車は出来ないので、車窓から見るしかない・・・(涙)
失敗したぁ~
ここまで歩いてきて、ここから乗れば良かったんだ・・・
「五色バスセンター」なんていう名前だから気が付かなかった・・・
「嘉兵衛生誕地跡前」とかという名前にしておいてくれれば良かったのに・・・・(涙)
いつか、また、来るようか?(苦笑)

高速バスで終点の「三宮バスターミナル」まで行き、徒歩でホテルに向かう。
で・・・・偶然見かけた神社・・・・
ちょっと気になったので立ち寄ってみる。

DSCN4592_convert_20170726202626.jpg

「一宮神社」というらしい・・・
小さな目立たぬ神社である。

DSCN4591_convert_20170726202558.jpg DSCN4586_convert_20170726202529.jpg

ここの手水舎に驚いた!
この“建築物”は大和郡山城主・本多忠直の屋敷の門を移築したものだそうだ。
あらぁ~・・・・である。
すごいものを見つけちゃった!(大笑)
大和郡山城には行ったことがあるので、親近感が湧く・・・(笑)

ここを参拝して・・・ホテルにチェックイン・・・・

旅行 | 10:11:39 | Comments(0)
戦友に会いに行く
今日は我が戦友会の“戦友”に会いに行く日・・・・
ホテルをチェックアウトして、まずは水戸藩士の“シミズくん”へのお土産を買いに行く。
今回、堺に宿泊することを話したら、是非買ってきて欲しいお土産があるという。(笑)

普通は、旅に出てもお土産を買うということは滅多にない。
たまたま土産物屋で見つけて、これは是非食べてもらいたいなぁ~と思った時しか買わないのである。(大笑)
例外は“戦友”の皆さんと、その奥様方・・・
以前は旅先から何十箱とお土産を宅急便で送ったが、その後、鬼籍に入られた方が多くなり今では贈る相手が大激減した。
“戦友”の皆さんはご高齢になられ、もうどこからも手紙も来なければ何も届かないという方が多いようである。
で・・・拙者が旅先からお土産を送ることにした。
突然、自分宛てに宅急便が届いたら驚くだろうし、喜ぶだろう・・・
それに独居老人の場合、宅配業者が訪ねることで安否の確認にも役立つかもしれないと思ってのことである。

我が戦友会の“戦友”は全国各地に散らばっている。
というわけで、日本列島の端に行った時が一番お土産を多く買った・・・(笑)
北海道に行った時は、宅配料金も含めてお土産代が10万円を超してしまった!(大笑)
もう1回北海道に来ることができるほどの金額を使っちゃった!(大笑)
鹿児島県では宅配料金を含めて7万円も使ってしまった!(大笑)
でも、金額の問題ではない・・・目的は喜んでもらえたら嬉しいという、それだけの事である。
カネは天下の回りもの・・・・いつかは何かの形で戻ってくるだろうと信じている・・・(大笑)
だから、いつも運が良いのかもしれない・・・(笑)
お土産のお礼に守っていただいている気がする。

お土産買いは、まず初日にお店を下見する。
で・・・何も買わない・・・(笑)
ホテルに帰って、誰に何を送るかを決めて一筆箋に手紙を書く。
で・・・翌日、同じお店に行く。
「あ~昨日来た人ですね」と言われるが、「どうせ買わないんでしょ」という顔をされる。(大笑)
そこで・・・
「これを5箱、これを10箱、これを3箱、これを5箱・・・」と次々と注文・・・
この時の唖然とした店員さんの顔を見るのが楽しい!(大笑)
送る相手によって品物を変える。
一人暮らしの人に饅頭が36個も入っているお土産を送ったのでは迷惑であろう?
そういうところへは、美味しいものを少しだけ送ることにしている。
「宅急便代の方が高いんですけど、いいんですか?」と店員に言われることがしばしばだが・・・(笑)

全てのお土産に昨晩書いておいた一筆箋を貼ってもらう。
一番大変なのが宅急便の伝票書き・・・
何十枚も書くので、伝票だけを先にもらってコーヒーショップでコーヒーを飲みながら書いたこともある。
懐かしい思い出である。
どのお店でも言われたのが「こんなに買うお客さんは初めてです」・・・(大笑)
申し訳ないからと、飛行機の中で食べてくれとか電車の中で食べてくれと、お土産を頂くことが多い。
それだけで、もう幸せ気分・・・・(喜)
今では送る相手もいなくなり、こんなお土産買いは二度と出来ない・・・(涙)
寂しい限りである・・・・

お土産のお礼状が届くが、これがまた楽しい。
「こんな美味しいものを息子夫婦にはもったいないから、婆さんと二人でこっそりと食べています」という礼状を頂いたときは思わず大笑いしてしまった。
奥さんと二人で別室で、こっそりと食べている姿が目に浮かぶ。(大笑)
確か敦賀に行った時でないかと思うが、羽二重餅を送った時に「何十年ぶりに食べました。昔を思い出し懐かしかったです」と喜んでもらったこともあった。
昔、この方が町内会の旅行で行った時に買ったものと同じだったそうで・・・(笑)
喜んでいただけたら、こちらも嬉しい・・・拙者の方が幸せ気分である。(喜)

今回は、“シミズくん”からお土産を指定されている。
これは、ある意味ありがたい・・・
お土産は何を買おうかなんて悩まなくて済む。(笑)
時間があって指定されたものが買えたら買うが、駄目だったらゴメン!お土産はないよぉ~である。(笑)
今日は午前中、時間が取れたので、彼が希望するお土産を売っているお店に向かう。
お店の場所をネットで調べたらホテルからそれほど遠くはない。
タクシーで行くには近いが、徒歩で行くにはちょっと遠いという微妙な位置にお店がある。(大笑)
時間に余裕があったので徒歩で行くことにした。
で・・・歩いていて気が付いた・・・
この辺りを10年前にウロウロと歩いたことがある!(笑)
拙者の記憶力は“まだらボケ”状態である・・・・
お店に到着して、指定されたお土産を買ったが・・・
お店の人から「賞味期限は本日ですので、気をつけて下さい」と釘を刺された・・・(唖然)
今晩帰宅する予定だが、今晩中に彼に渡して、今晩中に食べろと言うのは酷であろう。
「明日まで大丈夫だよね?」と言ったら「絶対ダメです!今日中に食べてください」と女子店員さん・・・
「自己責任ということで・・・・明日でもいいよね?」と言ったら「今日中に食べてくださいとしか言えません」と頑なである。(汗)
周囲のお客さんからはあきれ顔で睨まれた・・・(涙)
なんという面倒くさいものを指定してくれたのか・・・・“シミズくん”!!!(苦笑)
なんと!水戸藩士“シミズくん”のお土産買いで午前中を丸々潰し・・・(大笑)・・・南海鉄道・堺駅に戻り、駅近くの喫茶店で昼食・・・

DSCN4508_convert_20170710193134.jpg

大阪には我が戦友会の会員が何人かいる。
遺族会員だが従軍経験者でもある“フジイさん”のご自宅が、意外にも堺駅からそれほど遠くないことを昨晩地図を見ていて気が付いた。
電車で移動しようとすると大きく迂回するようなので遠いと思っていたが、徒歩ならば最短コースを歩いて30分くらいで行けるようである。
昨晩と今朝、お電話をしたが、応答なし・・・
残念ながら目と鼻の先に来ているがお会いすることが出来なかった。
まぁ、アポが取れていたら午前中にお土産買いになどできなかったので、ある意味、これはこれで良かったのかも。
“シミズくん”に土産を買ってあげなさいという天命であろう!(大笑)

もう一人の方は戦友で、事前に連絡したのだが、16日は都合が悪いという。
「いやぁ~残念だぁ~」を連発される。(苦笑)
「また大阪に来ることもありますから・・・その時に改めて・・・」と言ったが・・・
相手は今までお会いしたことのない方である。
たぶん90歳は超しているだろうから、「また今度」では会えるかどうか・・・(大汗)

で・・・今回アポが取れたのは戦車第6連隊の戦友である“ショウジさん”。
10年ほど前に慰霊祭でお目にかかっている。
久しぶりの再会である。
堺から南海特急に乗り途中で各駅停車に乗り換えて約30分ほどでご自宅のある駅に到着・・・
駅まで迎えに出ていてくださった。
杖もつかず元気に歩かれているが、お歳を尋ねたら90歳だという。
「あと5年・・・95歳までは生きたいねぇ~」とおっしゃる。
奥様は入院中で一人暮らし・・・
ご自宅にあがって、おしゃべり・・・
この戦友を訪ねるのも、実は戦友会の会報の為でもある。
みなさんご高齢になられ、遠方への外出が出来なくなった。
当然、慰霊祭にも参列できない・・・
これでは戦友会に入っている意味がなくなってしまう。
ならば・・・ということで、拙者が会いに行っておしゃべりして、その様子を「会員訪問記」として会報に載せることにしたのである。
そういう活動をし続けて、ずいぶん経つが・・・
都合が合わず、お会いすることもなく他界された戦友も多い・・・
昨年の内に無理してでも会いに行けば良かった・・・というような後悔は山ほどある。
生存している戦友の数も激減した今、あと1~2年のうちに戦友への訪問記は終末を迎える事になるだろう。

事前のアポ取りの時、「フィリピンへ行ってすぐに終戦になったから、ろくに戦ってないから、話すことは何もないんだけど・・・」とおっしゃっていたので、「とにかく久しぶりに顔を見に行くということで・・・」と、今回は拝み倒しての訪問である。
「お元気なお姿を拝見したらすぐに帰りますから、1時間ぐらい時間をください」とお願いした。
が・・・「話すことは何もない」どころではなく、「話すことが沢山」であった。(大笑)
“ショウジさん”は、少年戦車兵第5期生だという。
たしか、第5期生でフィリピンに行った人はほとんどいなかったと思っていたのだが・・・
というのも、5期生の内、繰上げ卒業した200名ほどがすぐさまフィリピンに派遣されたが、途中で輸送船が沈没しているのである。
たぶん全滅していると思っていたのだが、“ショウジさん”の話では、自分の中隊の乗った輸送船は無事だったが、そのほかの船は全部沈められて同期生は全滅したという。
戦後、フィリピンから生還した第5期生は10人もいなかったようである。
話はトントン弾み「話すことは何もない」どころではなく、メモを取る暇もない・・・(苦笑)
更には「あっ、この話は書かないでね」の連発!(苦笑)
活字にしてはいけない話、オフレコが多すぎる・・・(大笑)
これじゃ会報に「会員訪問記」は書けない・・・(大涙)
「お会いしましたが、話の内容は公開できません」では・・・ねぇ~・・・(涙)
参ったなぁ~(苦笑)
1時間程度の訪問のはずが、3時間・・・・
それでも時間が足りない・・・
が・・・拙者は今日中に帰宅しなくてはならないのである。
今から急いでここを出て新大阪に向かい新幹線で東京へ行って、ギリギリ最終の特急に乗れるかどうか微妙なタイミング。
乗り損ねたら一大事である。
後ろ髪を引かれる思いでご自宅を辞し、帰途につく・・・・
「話すことは何もない」に騙された・・・(大笑)
再度、訪問して、話の続きを聞かねば・・・・(大笑)

旅行 | 10:36:14 | Comments(2)
とんだ勘違い!
今日のメインの用事は・・・「戦車の碑」の写真を撮ること。(笑)
ずいぶん昔に戦車第6連隊の戦友から青野ヶ原というところに戦車の碑を建立した話を聞いたことがある。
年1回発行の戦友会会報の表紙の写真のネタが切れた・・・
今年の会報の表紙の写真に、この「戦車の碑」の写真を載せようかと思った・・・・
で・・・名古屋に行くついでに神戸まで足を延ばしたわけである。

ホテルをチェックアウトして、まずは手近なところにある“史跡巡り”から始める。(笑)
ホテルのすぐ近くにあったのが「宮城道雄生誕の地」碑である。

DSCN4467_convert_20170709145705.jpg DSCN4470_convert_20170709145733.jpg

宮城道雄・・・・どこかで聞いたことがあるような・・・(汗)
どうも作曲家らしいのだが・・・どんな曲を作った人なのかは全然しらない・・・(大汗)

続いて向かったのは「生田神社」・・・・
以前にも、ここを参拝したことがあるので2回目の訪問だが、本来の目的地はここではない。
とりあえず、近くに来たので、参拝する。(笑)

DSCN4473_convert_20170709171836.jpg DSCN4474_convert_20170709171903.jpg

本来の目的地は、この生田神社のすぐ近くにある「神戸税務署」!(大笑)
拙者は「法人会」の広報委員として会報に記事を書いている。
シリーズで書いているコラム記事が「全国税務署巡り」!(大笑)
税務署を巡って何が面白いのかという気がしないでもないが・・・(大笑)
誰も見向きもしない税務署を巡って、税務署を紹介するふりをして、実は近隣の史跡などの紹介をする記事である。(大笑)
大分県の別府税務署の記事では、温泉地ということで「入湯税」についての話を絡ませて書いた・・・
東京の渋谷税務署の記事では、2・26事件の話を絡ませて書いた・・・
「税務署巡り」は、いつも行き当たりバッタリである。
旅行のついでに近くに税務署があれば写真を撮影しておく。
で・・・どんな記事にするかは、後から考える・・・(大笑)
これが、なかなか難しいのである。
話のネタを見つけるのが大変・・・
しかも、この会報は我が地元の税務署の方々も読むので下手な記事は書けない・・・(大笑)
今回は、神戸税務署を撮影しておいて、後から記事を考えることになるが・・・
う~ん・・・どういう記事を書こうか・・・(大汗)
「源平合戦」に絡ませて書いてみようか?(苦笑)

DSCN4478_convert_20170709194723.jpg (神戸税務署)

税務署の写真を撮って・・・・駅に向かう。
とにかく「さんのみや」という町は各線が入っていて交通の便が良いが駅が多いので、田舎からやって来た者にはサッパリわからん。
「三宮」と「三ノ宮」・・・・どの駅に行けばいいんだ?
「三宮」という駅に各線が全部入ってくれていたら駅は一つでわかりやすいのだが・・・
JR、阪急、阪神、神戸市営、神戸高速・・・各駅が微妙な距離感で存在しているので訳が分からん・・・(涙)
ところで、拙者はどの会社の電車に乗ればいいんだ?(大汗)

DSCN4479_convert_20170709205331.jpg

ネットで調べ・・・・「阪急神戸三宮駅」から目的地の「市場駅」へ向かう。
途中で乗り換え、1時間以上もかかってようやく「市場駅」へ・・・

DSCN4482_convert_20170709205436.jpg (市場駅)

あ~・・・・(汗)
ホームしかない・・・無人駅だ・・・・(涙)
タクシーはいないわなぁ~・・・これじゃ・・・・
「戦車の碑」は、某病院の敷地内にあるということまでは調べておいた。
で・・・その病院は現在は名前が変わっていることも調べておいた。
で・・・その病院へ行くわけだが・・・
駅を出て山の方へ坂道を延々と30分ほど歩く・・・
なんかおかしい・・・
こんな山の奥にあるのか?
病院は山を削って造成されたような場所に建っていた。
ん?・・・・こんな急斜面が続くような場所に戦車連隊があったのか?
病院の敷地内を探してみたが「石碑」らしきものが見当たらない。
今日は土曜日・・・
診療時間は終わったのだろうか・・・閑散としていたが、病院内に入り職員の方に尋ねてみた。
と・・・
なんと!病院は名称が変わっただけではなく移転もしていたのである!(驚)
女子職員の方が「その碑は移転前の病院のほうにありまして・・・ここではないんです」と言う。
うそぉ~!(驚)
移転前の病院は、現在は廃墟となっているという。(唖然)
調べが中途半端だった・・・(涙)
まさか移転した新しい病院の方に来てしまったとは・・・
道理で地形的におかしいと思ったんだよなぁ~(苦笑)
「戦車の碑」は今も廃墟となっている敷地内にあると思うが、出入り口は封鎖されていて内部には入れないし、外から写真を撮るのも無理だろうとのこと。
今日は土曜日なので管理部門はお休み・・・
改めて管理部門に連絡をして相談していただければ、敷地への立ち入りの許可がもらえると思うとのこと。
あらら・・・まいったなぁ~
何だかんだと2時間以上もかけてやって来たのに・・・空振りである。(苦笑)
廃墟となっているというのでは、「戦車の碑」も雑草に埋もれていて写真を撮れるような状態ではないのでは?
会報の表紙に「戦車の碑」の写真掲載は断念するしかあるまい。
職員の方にお礼を言って失意のどん底気分で・・・(大笑)・・・・帰途につく・・・・
なんだかんだと往復4時間以上も無駄遣いしてしまった・・・(大泣)

「湊川公園駅」で下車し、駅構内で遅めの昼食をとり「湊川公園」へ・・・・
ここに楠木正成の銅像があることは、前回、神戸に来た時に調べておいたので寄ってみる。

DSCN4491_convert_20170709215057.jpg DSCN4486_convert_20170709215009.jpg

「湊川公園」からテクテクと徒歩で「神戸文化ホール」に向かう。
ここに孫文の銅像があるらしいことも事前に調べておいた。

DSCN4493_convert_20170709215910.jpg (孫文先生の像)

ここから三宮へ戻り、更に大阪へ向かい堺駅に行く。
今晩は堺駅近くのホテルに宿泊する・・・
名古屋、神戸の次は大坂である!(大笑)
今から10年前の平成19年に、ここ堺駅に来ているはずなのだが・・・・駅を降りて周囲を見ても全く記憶が蘇らない。(苦笑)
間違いなく、ここに来ているのだが・・・当時とは違う出口に出てしまったのかも・・・(汗)

DSCN4504_convert_20170709221326.jpg (堺駅南口)

今晩はここで、この間、一緒にパラオで行動した新聞記者の“サイトウさん”と夕食を食べる予定・・・
パラオでは、ゆっくりお喋りが出来なかったので・・・
折角の機会なので、堺駅まで呼び出して・・・(笑)・・・夕食に付き合ってもらう。
駅前の居酒屋で、食事をしながらお喋りをする。
散々飛び回った本日の締めくくりとして充実した時間が過ごせた・・・感謝!(喜)

旅行 | 14:38:56 | Comments(0)
会長宅を訪問する
今日は会長宅を訪問する日・・・・
訪問は午後に・・・ということにしておいたので、午前中は“観光”をすることにする。(笑)

ホテルをチェックアウトして向かったのは・・・愛知県護国神社!
近くに来ているんだから、お参りしなければバチが当たるというものであろう?(苦笑)
英霊にご挨拶せねば・・・
この愛知県護国神社は3回目の参拝となる。
平成15年と平成20年に参拝した。
最後に参拝してから、もう9年も経つのか?(唖然)
かなりの御無沙汰である・・・・

テクテクと護国神社に向かって歩いていたら、「県警本部西」の交差点のところで石碑を見つけた・・・
なんだろうと思って見たら、「野砲兵第3連隊」の碑である。

DSCN4457_convert_20170704165103.jpg

これと同じ碑を9年前に名城東小公園で見たぞ・・・
あれ?・・・9年の間に、ここに移転されたのか?
それとも同じ碑を2つ作って別々の場所に設置したのか?

DSCN4461_convert_20170704170539.jpg

護国神社の桜は満開を過ぎ、散り始めていた・・・
参拝後、境内の奥の方にある各部隊の慰霊碑を参拝・・・
時刻は、まもなくお昼になるので、少し早めの昼食を敷地内にある食堂でとる。

護国神社を出て、更に歩く・・・・
折角の機会である・・・こういう時に歩いて普段の運動不足を解消せねば・・・(苦笑)

名城小学校のところに「説明板」が・・・
その説明板によれば、ここは蘭方医で植物学者でもある伊藤圭介の生誕地らしい・・・
伊藤圭介の銅像は8年前に鶴舞図書館前でお目にかかった・・・(笑)
あ~あの方がここで生まれたのかぁ~

DSCN4464_convert_20170704170724.jpg (名城小学校)

更にテクテクと歩いて行ったら、またまた何やら「説明板」らしきものを見つけた!(喜)
近づいてみたら・・・「西川鯉三郎免許の跡」と書いてある。
この人は振付師らしいが・・・
「免許の跡」って、どういう意味なんだろう?
「生誕の地」とか「自宅跡」とか「稽古場跡」というのならわかるのだが・・・
「免許の跡」ねぇ~・・・わからん・・・(汗)

DSCN4466_convert_20170704170757.jpg (西川鯉三郎免許の跡)

更にテクテクと歩き・・・途中でコーヒーショップに立ち寄ってコーヒーを飲み・・・(笑)
地下鉄に乗って会長宅に向かう。
拙者は我が戦友会の会長宅に訪問したことがない。
よくよく考えてみれば、事務局長の拙者が今まで一度も会長宅を訪問したことがないなんて異常かもしれない・・・(苦笑)

会長は体調不良のため、すでに“終活”に入られたことはメールで知ってはいたが・・・
その徹底ぶりには驚いた。
ご自宅の中は必要最小限のものだけしか残っていない・・・・(汗)
ご自宅の各部屋は家具も何もなくガランとしている・・・
まるで荷物も持たずに昨日引っ越してきました・・・という感じ・・・(大汗)
いやぁ~すごい・・・
拙者も、このくらい徹底して整理をすることが出来たらいいのだが・・・
うらやましい限りである。

会長と拙者は、以前からストレートにズケズケと物を言い合う仲である。
というわけで、変な気づかいをしながら・・・という回りくどい話をすることがない。
で・・・最初に、会長が死んだときの会としての対応についての話である・・・(苦笑)
生き死にの話をストレートに語り合うんだから他人が聞いていたら呆れるかもしれない・・・(大汗)
会長としては、死去したときには会に対して連絡はしないという。
簡単に言うと・・・風の便りで知ってくれ・・・ということらしい。
これはご家族の意向なのだと思う。
葬儀に参列されたり、香典だの供花だのをいただいたら“義理”が出来てしまうので、そうなると後が大変だからすべてお断りしたいということのようである。
いつ死んだのかがわからなければ、そういう義理事は発生しないだろうということか・・・
そういう気持ちはよくわかる。
義理事ができると、正直言って後が面倒なのである。
ご家族としても、父親が亡くなったと同時に戦友会とは縁を切ってしまいたいと思うのも当然である。
これは会長のご家族の方針ということで、その方針に従うことを事務局長として確約する。

で・・・次は本題である今後の会の運営についての話し合い・・・
開口一番に「会を解散します」には、再び驚かされた。(愕然)
自分亡き後の後継者がいるかどうか、会長を引き受けてくれる人がいるかどうかと尋ねられるだろうと想定していたので、この間の会計監査の時に監査役の“シゲミさん”に次期会長を打診したのだが・・・
まさかの一方的な“解散”宣言・・・
これには参った・・・
会長は、ご自身が元気なうちに全てのことに始末をつけてしまいたいというお気持ちらしい。
それが現会長の責任の取り方で、自分が死んだ後のことは知りません・・・という無責任なことはしたくないという気持ちは良くわかる。
が・・・会の実務は事務的な事も会計も、すべて拙者一人でやっているのである。
極端な言い方、失礼を顧みずに言うならば、会長が誰であろうと、仮に会長がいなくても、拙者が元気なうちは会の運営は出来てしまうのである。
実務担当者の拙者が”余命僅か”ということであれば、ちょっと会の運営は難しいだろうから、解散ということもあり得るが・・・そうでなければ慰霊祭の開催も、今まで通りに出来てしまうのだが・・・
拙者の考えを尋ねることなく一方的に「解散」を言われたのには驚いた・・・
まぁ、会長のお気持ちもわからないでもないし・・・ここで議論を戦わせても仕方がなかろう・・・(涙)

もしかしたら、ご自身の葬儀と絡めて会の解散を考えたのかも?
つまり、会自体を解散してこの世から消してしまえば、その後、“元会長”が死亡しても連絡をする義理はない・・・
この世に「会」がないんだから・・・・
しかし、在任中に死亡したり、または会長職を辞した後でも戦友会自体が存続していたら連絡しないわけには行かなくなるかもしれないとの思いからなのかもしれない・・・
だから自分が元気なうちに戦友会を解散してしまおうということなのかもしれない・・・
そう思われるのも無理はないと思う。
が・・・人数は激減したとはいえ会員はいるわけで、毎年、会費を振り込んでくれている。
参列者数が激減したとはいえ、永代神楽祭には毎回必ず参列してくれている遺族会員もいるのである。
戦没者の慰霊をできるだけ続けようという方々がいる以上、そうそう会長の“思い”だけでサッサと解散するというわけには行かないと思う。
我が戦友会は、生還者たちの親睦団体ではなく、戦死した戦友の慰霊をするために生還者と遺族が集まって組織された「慰霊団体」なのである。
それゆえ、「最後の一兵となるまで」慰霊活動は続けると、今は亡き生還者の皆さんとお約束したわけで、会を維持するために拙者が入会し事務局長を引き受けたわけで・・・
つまり・・・会長が死ぬまで続けるというのではなく、拙者が死ぬまでは続けるということなのである。(苦笑)
ということで・・・ここで解散するというのは、ちょっと早すぎる気がしてならない・・・

一応、会長のお気持ちは、それはそれとして頂いて・・・善後策を練って、お考えを覆させることを考えた方が良いだろう。
ということで、会長のお気持ちを聞かせていただき、ご自宅を辞す。

名古屋駅まで戻り、そこから今度は神戸に移動して、今晩は神戸に宿泊することとする。
精神的にドドッと疲れた・・・(大汗)

旅行 | 10:37:12 | Comments(0)
名古屋に向かう
今日から名古屋方面に行く・・・
ここ数年、我が戦友会の会長にお会いしていない。
会長が体調不良のためということもあるのだが・・・
お見舞いと言ったら大げさになるので、会の打ち合わせを兼ねてということで、会長に会いに行くことにした。
で・・・そのついでに、神戸、大阪まで足を延ばしてブラブラと旅をすることにした。(笑)
こうなると、何を目的に出かけるのかと言われてしまいそうだが・・・(笑)

朝、家を出て・・・お昼に東京駅から新幹線で名古屋駅へ・・・

まずは、大好きな史跡巡り!(苦笑)
最初に向かったのは、「中村公園」・・・別名「秀吉清正公園」とも言うらしい。

DSCN4386_convert_20170623172319.jpg

桜が満開である!(喜)

DSCN4388_convert_20170623172352.jpg

この「中村公園」には、ずいぶん昔に一度だけ訪れたことがある。
ずいぶん昔だと思うから・・・25年ぐらい前ではなかろうかという気がするが・・・
とにかく、社会人になって、出張で名古屋に来たついでに立ち寄った覚えがあるのである。
が・・・公園の前まで来たが・・・全く記憶がない!(大笑)
あれ?・・・・である。(汗)

DSCN4391_convert_20170623173157.jpg (豊国神社)

この公園の中に「豊国神社」というのがある。
御祭神は豊臣秀吉である。
この公園に来て豊国神社をお参りしないはずはないのだが・・・・記憶にない!(大汗)

DSCN4392_convert_20170623173352.jpg (豊公誕生之地碑)

すぐちかくに「豊公誕生之地」碑が建っていた。
当然、これも記憶にはない・・・(苦笑)

DSCN4399_convert_20170623173451.jpg

「中村公園」には池もある・・・・が・・・・これも記憶にはない・・・(苦笑)

DSCN4407_convert_20170623173522.jpg (橘中佐碑)

「橘中佐碑」というのを見つけた!
橘中佐とは、日露戦争で戦死した橘周太陸軍中佐のことで、“軍神”である。
が・・・なんで、ここに碑が建っているんだろう?
橘中佐は長崎県の出身である。
また、戦死したときは静岡の歩兵第34連隊の第1大隊長だった。
もしかしたら、明治35年、陸軍少佐の時に「名古屋陸軍地方幼年学校」の校長だったので、それで名古屋に碑を建てたのだろうか?
でも、なんで「中村公園」に建てたんだ?
よくわからん・・・
説明板が設置されていないのが残念である。

DSCN4408_convert_20170623173547.jpg (中村公園文化プラザ)

すぐ近くに「中村公園文化プラザ」という建物が建っていた。
なぜか、この建物だけは記憶にある。
なんでだろう?(苦笑)
この建物の中に資料館があるのだが・・・
もしかしたら、休館日に来てしまい、見学できなかったので、悔しさのあまり、それで記憶に残っているのだろうか?(苦笑)
資料館を見学してみたが・・・当然、記憶にない・・・(苦笑)

DSCN4409_convert_20170623212958.jpg DSCN4410_convert_20170623213022.jpg

DSCN4414_convert_20170623213055.jpg (石田三成自筆密書)

『石田三成自筆密書』(複製)というのが展示されていた。
石田三成の自筆である!(驚)
この密書は石田三成が真田昌幸に徳川家康打倒の構想を伝えたものだとのこと・・・・
「密書」というのは、読んだら燃やしてしまうものだと思っていたが、今の世まで残っていたのか?(唖然)
この密書を受け取った真田昌幸は、このヤバイ代物を大事にとっておいたのか?(汗)
後々、何かに使おうとしていたのだろうか?

他の資料館や博物館では、こういう古文書は、ただそのまま展示されていることが多い。
が・・・ここでは、読み下し文と現代語に訳した文も掲示されているのである。
なんと親切な事か!(喜)
これはすばらしい展示の仕方だと思う。

「中村公園」を出て、すぐ近くにある「妙行寺」に向かう・・・・

DSCN4434_convert_20170623215409.jpg DSCN4431_convert_20170623215325.jpg

この「妙行寺」は加藤清正の誕生の地だそうだ。
ここには初めて来たような気がする・・・
来たことがあるのか、ないのかがわからないなんて、なんと記憶力の悪いことか・・・(涙)

続いて、すぐ近くにある「常泉寺」に向かう・・・・

DSCN4436_convert_20170623215506.jpg DSCN4437_convert_20170623215534.jpg

ここは豊臣秀吉の誕生の地だそうである。
あれ?・・・・「誕生の地」の碑は中村公園にあったのだが・・・
なんでここに碑を建てず、向こうに建てたんだろう?(苦笑)
この「常泉寺」は「中村公園」に隣接するような場所に位置しているので、「この一帯が生誕の地」ということになるのだろうか?
豊臣秀吉が、そんなに広大な屋敷で生まれたとは思えないのだが・・・(苦笑)
この寺の境内に「豊太閤産湯の井戸」というのがある。

DSCN4446_convert_20170623221256.jpg (産湯の井戸)

それにしても、加藤清正と豊臣秀吉ってご近所同士だったのか?(大汗)

時刻は午後4時・・・・
今日は名古屋駅前のホテルに宿泊する。
ここまでは名古屋駅から電車に乗ってやって来たが、帰りも電車では芸がない・・・(笑)
ということで・・・・徒歩で名古屋駅まで向かうことにする。
約1時間歩いてホテルに到着!
う~ん・・・いい運動になった!(笑)

旅行 | 16:05:12 | Comments(0)
帰国!
軽く仮眠をとるが、結構、グッスリと寝たみたい・・・(大笑)
前回、別のツアーで来たときはホテルに宿泊したため、仮眠なんてもってのほか。
寝坊したら大変である!
というわけで・・・マッサージを呼んでマッサージをしてもらいながら時間を潰したが・・・
今回は、“別荘”である!(笑)
寝坊しても誰かが起こしてくれるだろうと「高を括って」熟睡した。(大笑)

荷物の最終チェックと家の中の掃除・・・
といっても、この“別荘”の最高齢宿泊者の拙者は・・・何もしない・・・(笑)
ほとんど、最年少者の“ナカムラさん”が、やってくれた!(喜)
感謝、感謝である。

靴底が無くなった我がトレッキングシューズは、他のゴミと一緒に棄てることにする。
一緒にフィリピンの山岳地帯を歩いた、長年の“戦友”とも、ここでお別れである。
思い出の多い靴なのだが・・・(涙)
スーツケースには余計なスペースはないので、持ち帰れない。
まぁ~持ち帰っても使い物にならない靴だから無駄と言えば無駄なのだが・・・
思い出がねぇ~・・・あるからねぇ~
こういう思い出に執着してしまうところが拙者の欠点でもある。
だから、なかなか自宅も我が部屋も、物が捨てられず片付かないのである。(大汗)

午前1時過ぎ、現地旅行社の送迎車に乗り空港に向かう。
途中で別のアベック客をピックアップ。
どういうわけか、日本人というのは(特にアベックは)、こういう時に挨拶をしない。
我々がいるのが見えないという、“無視”する態度・・・・(唖然)
後から乗り込んでくるのだから会釈くらいあってもいいと思うのだが・・・
わざわざ気を使って席を移動して空けてあげたんだし・・・
「すみません」とか「ありがとうございます」くらいの一言があってもいいと思うが・・・無視である。
まぁ、最近の若い人は、こういうものなのだろう・・・
こういうことにムカッとくるんだから、拙者も歳を取ったものだ・・・(苦笑)

成田行きの便なので、当然、チェックインカウンターには日本人の行列が・・・(汗)
中には、もめてゴタゴタしている連中もいたが・・・・
拙者はスムーズにチェックインを済ませ、手荷物検査もスムーズに通り搭乗口へ・・・
以前と同様、相変わらずの混雑・・・
拙者は、この搭乗口で待つというのが好きではない。
とにかく他の乗客を見ているとムカムカしてきてしまうのである。(苦笑)
横柄な態度のチンピラ風の連中がいる・・・・
馬鹿丸出しで、はしゃいでいる連中がいる・・・・
あ~なんと品(ひん)のない連中か・・・・
そういうのを見るのが嫌なのである。
というわけで・・・拙者は読書をして過ごす・・・(笑)

午前4時55分発、デルタ航空282便で成田に向かう。

DSCN4380_convert_20170601203541.jpg

午前6時30分・・・機内食が出る。
う~ん・・・一応、これが朝食・・・である・・・・(苦笑)

午前9時20分ごろ、成田空港に到着。
荷物を受け取ったら、皆さんにお別れの挨拶をしようと思っていたのだが、みんなの姿が見あたらない。
仕方がない・・・心の中で・・・(大笑)・・・「お疲れさまでした!お世話になりましたぁ~!」と言って・・・(大笑)
空港を出る・・・・

旅行 | 17:34:42 | Comments(0)
靴が“オシャカ”!(驚)
DSCN4310_convert_20170530215907.jpg (我が“別荘”)(大笑)

今日は、パラオ本島の“探索”と“観光”・・・・(笑)
相変わらずお天気はイマイチである。

まずは、第二次編成の戦車隊の戦車が埋没している場所を再訪問して、遺族の“サカイさん”のための「お別れの挨拶」・・・・
続いて、日本人住民がいたという「大和村」の位置の確認の探索をしたが、残念ながら、ここだと明確にはわからなかった。
なにせ、70年以上も前だし・・・今では村は消滅してジャングル化しているし・・・
おおよその位置関係の確認に終わる。

“某所”で珍しいものを偶然見つけた!
今で言うところの「ロードローラー」である!(驚)
こりゃすごい!
・・・・と、大興奮しているのは拙者だけ・・・(大笑)

DSCN4312_convert_20170530215824.jpg

これは、ローラーで道路や滑走路を圧し固める機械である。
軍用のものなのか民間のものなのかはわからない。
以前、ラバウルで、このローラーの部分だけを見かけたことはあるが、車体全体を見たのは初めてである。
しかも、ほぼ原型を留めているのであるから驚きである!
う~ん・・・これ、欲しいなぁ~(大笑)

次に向かったのは「パイナップルの缶詰工場跡地」・・・・
当時はパイナップルを栽培していたんだろうか?
今は、どこにもパイナップル畑らしきものは見当たらないのですが・・・・

DSCN4330_convert_20170530221959.jpg

次に向かったのは、墜落した零戦があるという“某所”・・・・
車を降り、山道を歩くこと30分以上かかるという。

DSCN4331_convert_20170530223109.jpg

この真っ赤な土は、鉄分が含まれているからなのだろうか?
以前、フィリピンの北部ルソン・サラクサク峠でも見たことがあるし、ソロモン諸島のツラギでも同じ色をした土を見たことがある。

DSCN4335_convert_20170530223314.jpg

これは・・・ボーキサイトの山・・・・
ボーキサイトはアルミニウムの原料である。
で・・・日本統治時代は、こういう山を削ってボーキサイトを日本に輸出していたのだろう。

DSCN4334_convert_20170530223236.jpg

途中で見かけた花・・・・
何という名前かは知らない。
蘭の一種か?
それとも金魚草(キンギョソウ)の一種か?
拙者は花は好きだが知識がない・・・(大汗)

この地層も珍しい・・・
赤土の間に黄色の土が・・・
う~ん・・・・
カスタードクリームを挟んだチョコレートケーキ?(大笑)

DSCN4337_convert_20170530223353.jpg


DSCN4332_convert_20170530223533.jpg (途中で見た景色)

歩き始めて30分以上もかけてようやく“現地”に到着する。
なにせ普段の運動不足が効いた・・・・
なだらかな道でも息が切れる・・・(涙)
いやぁ~これが炎天下だったら完全にダウンしていたかもしれない。

DSCN4340_convert_20170530230744.jpg DSCN4357_convert_20170530230923.jpg

丘のなだらかな斜面に不時着したという感じの零戦の残骸・・・・
現地の人の話によれば、1機の零戦が燃えながら飛んできて、ここに不時着したという。
何時頃の話かはわからない・・・
通常なら激突するであろうが、最後の最後まで不時着することを狙って着地したのであろう。
綺麗に不時着している。
しかし、現存しているのはエンジン部分と両主翼と尾翼だけ・・・・
胴体部分は完全に消滅している。
焼け落ちてしまったのかもしれない。
燃えていたのは操縦席のある胴体部分か?
3枚あるプロペラのうち1枚は、曲がりもなく真直ぐに立っている。
ということは、完全にプロペラが止まった状態で不時着したのか?
プロペラが空転であっても回っていたら、必ず内側に曲がっているはずである。
ということは・・・滑空して不時着したものと思われる。
型式は不明・・・・
翼端の形状からすると零戦21型か、22型、52型あたりだろうが・・・
草に覆われていて主翼の翼端に折り畳み機構があるかないかが、よく見えない。
翼端を折り畳める形ならば21型か22型・・・・
折り畳み機構がなければ52型ということになるのだが・・・・

DSCN4365_convert_20170530231149.jpg (仮埋葬地跡)

草に覆われ、ちょっと見づらいが、ここに穴がある。
機体の残骸から少し離れたところにあるのだが・・・
この零戦が墜落(不時着?)した時、地元の住民が駆け付けたらしいが、既に搭乗員は死んでいたという。
この残骸から想像するに、操縦席は火に包まれていたのではなかろうか?
全身やけどで、焼死に近かったのではなかろうか?
そこで地元の人たちが機体から少し離れた場所に穴を掘り、搭乗員を仮埋葬したという。
たぶん戦後のことだと思うが、その後、掘り返されて遺骨は日本に還ったという。
この搭乗員が誰なのかは知らない・・・・
その穴が今も残る。
ここに埋まっていたんだ・・・・お線香をあげて慰霊する・・・・

と・・・・まもなく、一気に雨が降り出してきた!(驚)
拙者はポンチョを着ていて大丈夫だったが・・・・
さぁ!帰りましょう!・・・ということになる。
ところが、歩き出したら何かが足にまとわりつく・・・・
ペタペタと何かが貼りついているような・・・
足を上げてみて驚いた!
靴底が剥がれてめくれているのである!(唖然)

このトレッキングシューズ・・・・
もう15年以上も前に購入したものである。
寿命と言えば寿命なのかもしれない・・・(涙)
ついに靴底が剥がれ落ち、左足は大丈夫だが、右足は靴底のない靴となってしまった・・・(大汗)
しかし、靴は高価なものを買っていて正解だった。
靴底がないのに、靴底があるのである。(大笑)
二重構造か三重構造になっているのだろう。
かなりしっかりしている靴底がまだ健在だった・・・
剥がれ落ちたのは靴底のギザギザの滑り止めの1枚だけだったようである。
雨の中をしばらく歩いてみたが、靴の中に水が入ってこないんだから大したものだ。(驚)

DSCN4368_convert_20170530231321.jpg

土砂降りの雨の中を30分以上もかけて歩いて車のところまで戻る・・・
他の人たちはサッサと歩けるが・・・こっちは靴底が無くなり歩きづらいことこの上ない・・・
滑って転んで、今度は洋服が泥だらけ・・・なんてことになったら最悪である。
慎重に歩けば歩くほど、みんなから置いてけぼりを喰わされ、ほとんど一人で豪雨の山の中をさ迷っている“敗残兵”のようなことになってしまった。(大笑)
そのうち、ジワジワと雨水が靴の中に沁み込んできた!(涙)
もうグズグズ状態である。(大涙)

時刻はお昼・・・・
ここへ来る途中の小さなお店で、各自で昼食を買っておいた。
どこか屋根のある場所で雨宿りをしながら食事をするということで、海岸の方へ出た。
小さな船着き場のある場所で昼食ということになる。

DSCN4369_convert_20170601133451.jpg DSCN4371_convert_20170601133521.jpg

すごい豪雨である・・・・集中豪雨!(驚)

DSCN4373_convert_20170601133549.jpg DSCN4374_convert_20170601133620.jpg

拙者がお店で買ったのは、地元の人の手作りの“お弁当”・・・(笑)
こういう手作りの“お弁当”が店の棚に置いてあったので買ってみた。(笑)
平べったい“おにぎり”の上に平べったいソーセージのようなハムのようなものが乗っていて海苔で巻いてある。
生産者の名前が包んであったサランラップに書いてあったような気がしたが・・・・
これが、なかなか美味しい!
それに、誰か地元の人が作った手作りのサンドイッチ・・・(笑)
これも予想外に美味しかった。
日本人に合う味?(笑)
これに他の人が買ったバナナを1本いただき・・・
これで今日の昼食は終了!(大笑)・・・・安上りである。(大笑)


この豪雨で午後の計画は全て“オジャン”である。(笑)
この土砂降りの中、いや、仮に雨がやんだとしてもドロドロにぬかる中、ジャングルの中を歩くのは無理である。
ということで、急きょ、無難な“観光”に予定を変更!(笑)
パラオの国会議事堂を見学することになった。(笑)

DSCN4375_convert_20170601155213.jpg DSCN4378_convert_20170601155245.jpg

今日の行動は以上!(笑)

“別荘”に戻る途中、町の中のショッピングモールに立ち寄る。
で・・・他の人たちは、店内を見学・・・
拙者は靴探し!(苦笑)
拙者は日本からトレッキングシューズを履いてきていたので、履き替える靴を持ってきていない。
靴一足をスーツケースに入れると、他の物が入り切らなくなるし、スーツケースも大型になってしまう。
というわけで、トレッキングシューズを履いたままだったのだが、こういうことが起こると不便である。
とにかく何でもいいから帰国時に履く靴を探さねば・・・・
とりあえず、靴屋は見つかったが・・・・
置いてあるスポーツシューズの色は、どれもこれも原色で派手な色のものばかり・・・(唖然)
いくらなんでも黄色とか赤とかピンク色の靴を履いて帰国したくない・・・(涙)
さらに値段が高い!
日本円で軽く1万円はする・・・(大涙)
さらに・・・サイズがわからない!(大泣)
全てインチ表示である。
今履いている靴は泥だらけだし足はビショビショである。(泣)
こんな状態で“試し履き”というわけにはいかないだろう。
いやぁ~参ったぁ~(泣)
お店の女子店員に頼んで、足のサイズを測ってもらい、試し履きをせず、適当な靴を買うことにした。
とにかく自宅に帰るまでの“応急処置”である。

続いてお土産屋さんに立ち寄る。
この店には前回、別のツアーで来た時にも立ち寄ったことがある。
ここで皆さんは“お買い物”・・・・
と・・・いきなり停電!(驚)
拙者は洞窟探検用に高輝度のLEDの懐中電灯を持っていたので、これを“ヨコハマさん”に貸し、天井を照らして買い物をするよう指示する。
天井に光を当てると、その反射で結構、周囲が薄明るくなるのである。
拙者は、前回同様、ここでコーヒーを飲むことにして頼んでいたのだが・・・
停電のため、当然、コーヒーメーカーは動かない・・・(苦笑)
回復するまで、しばらくの間、待つこととなる。
この停電は、豪雨のせいなのだろうか?
拙者が子供の頃は、雷雨になると、よく停電をしたものだが、最近は、全くと言っていいほど停電に遭ったことがない。
そういう生活に慣れてしまうと、停電になると不便さを感じるものだが・・・・
なぜか、とても楽しい・・・(大笑)
おお!久々の停電である!真っ暗!(大笑)
こういうこともあるから、この国に来るときは、洞窟探検をしなくとも懐中電灯はカバンの中に入れておいた方がいいかも・・・(大笑)

“別荘”に戻り、シャワーを浴びて、服を着替え、帰国の準備・・・
明日の真夜中に帰国するのである。
少し休んで、夕食に出かける。

067_convert_20170601162650.jpg

“最後の晩餐”である。(大笑)
新聞記者の“サイトウさん”と遺族の“サカイさん”は、この後、夜10時に空港に向かいグアム島経由で帰国する。
我々“別荘”組は、日付が変わった翌日の午前4時過ぎの飛行機で帰国する。
というわけで・・・この“夕食会”をもって、今回のツアーは解散ということになる。
お疲れさまでした。

食後、“別荘”に戻り、帰国の準備と片付け・・・そして仮眠・・・・

旅行 | 21:56:11 | Comments(0)
戦車隊の調査
DSCN4234_convert_20170520152942.jpg

部屋のテラスに出て、朝の一服・・・・(笑)
う~ん・・・今日も天気が悪そうである・・・(涙)

DSCN4237_convert_20170520153158.jpg DSCN4238_convert_20170520153226.jpg
(プライベート・ビーチ)

DSCN4235_convert_20170520153009.jpg

ホテルの目の前の海に、小島が見える。
戦時中、第14師団戦車隊の戦車が、ここから、あの島を標的に射撃の訓練をしたそうだ。
命中率が良く、かなりの腕前だったとか・・・

DSCN4239_convert_20170520153251.jpg

朝食を食べ、出発・・・・

“ナカムラさん”は、あの沖に見える小島まで、カヤックか何かで行って釣りをするので同行しないとのこと。
わざわざ、そのために釣竿を持参してきたそうで、おかげで空港で追加料金を取られたそうだ。(笑)
そこまでして釣竿を持ってきたのに、釣りをせずに帰国するわけにはいかないという。(笑)
「あの島に残る戦車の不発砲弾を踏んでドカン!・・・となるんじゃないか?」とか・・・
「途中でカヤックが転覆して鮫に食われて海の藻屑となるんじゃないか?」とか・・・
「干潮になって潮が引いてしまい、カヤックを担いで帰ってくるようになるんじゃないか?」とか、散々からかう。(大笑)
拙者は釣りは全くしないので、わからないが・・・
好きな人は、どうしてもやりたくなるんだろうねぇ~

DSCN4242_convert_20170521114118.jpg DSCN4240_convert_20170521114049.jpg
(拙者が泊まった「ドルフィンベイ・リゾートホテル)

最初に向かったのは・・・相変わらずの・・・・“某所”・・・(笑)
ここに第14師団戦車隊の戦車が埋没している。
戦闘後、米軍により破壊された日本軍戦車が、ここに“遺棄”された。
拙者は7年前にも、ここを訪れていて、今回が2回目である。
今回は“ヨコハマさん”が金属探知機を持ち込んで、それで埋没している戦車の位置を測定することになっている。

DSCN4255_convert_20170521115041.jpg

この戦車は日本軍の九五式軽戦車・・・
横倒しになって埋まっている。
7年前に来たときは、地表には車輪しか出ていなかったが、ずいぶん表土が流れたのか、車体の一部も地表に現れていた。
米軍の記録によれば、車内に日本兵の遺体を残したまま“遺棄”したとされている。
掘り出して中を確認すれば、ご遺骨を見つけることが出来るかもしれないが、その許可を得るには日本とパラオの政府間で話し合わないと難しいと思う。

DSCN4257_convert_20170521115119.jpg

こちらは、砲塔が無くなって、砲塔の取り付け部だけが地表に現れている九五式軽戦車の車体・・・・

DSCN4264_convert_20170521120400.jpg

こちらは、車輪だけが地表に出ている戦車・・・
たぶん、逆さまにひっくり返って埋まっているのではないかと思われる。
これら地表に現れている戦車の位置の測量などを行う。

ペリリューで戦った戦車隊の戦車は九五式軽戦車17両である。
そのうちの1両は、旧飛行場跡の近くに野外展示され、“観光名所”として使用されている。
ということで、残るは16両ということになる。

地表に出ていないものは、金属探知機で探索するが、2両が重なって埋まっている可能性は否定できない。
金属探知機が反応した地点の測定などをして“ヨコハマさん”が記録を取る。

これらの戦車を掘り出したいものだが・・・・
米軍は戦闘後、撃破した日本軍の戦車の写真を撮影して残している。
掘り出した戦車と、当時の写真を比較して、弾が当たった跡等を比較すれば、どの戦車が何という戦車なのかがわかる。
当時、戦車隊の戦車にはペンキ(?)で、それぞれ名前を書いていたのである。
例えば、隊長の戦車には「さくら」と書かれていた・・・
今では消えてしまっているだろうが、戦闘直後の写真には、戦車を特定するこの名前が写っている。
戦車が特定できれば、乗員が誰だったのかも絞れる・・・
その遺族からDNAの提供を頂ければ、ご遺骨が出てくれば、DNA鑑定で、どなたの遺骨かがわかる・・・
そうなれば、ご遺族に直接、ご遺骨を渡すことが出来る・・・ということになるのだが・・・
そう、うまくいくかどうかはわからないが、できるところまでは、やってあげたいものだと思う。

今日も天気はよろしくない・・・(苦笑)
時々チラチラと雨が降る曇り空である。
が・・・
これが、もし晴れていたら、暑くて仕方がない。
雨模様の曇り空は、ある意味、良かったかも。
バテずに済む。

DSCN4280_convert_20170530134858.jpg DSCN4284_convert_20170530134935.jpg

埋没戦車の位置確認作業を終え、次に向かったのは“某所”・・・
ここの草むらの中にコンクリート製の建物がある。
これが、第14師団戦車隊の弾薬庫跡。

続いて、またまた“某所”に移動・・・(笑)

DSCN4290_convert_20170530135815.jpg

ここは、第14師団戦車隊の駐屯地跡。
この道は戦車が通った道だから・・・「戦車道」と呼んでいいかも・・・
周囲は樹木に覆われ、何が何やらさっぱりわからない。

DSCN4289_convert_20170530135748.jpg (この草の向こうに壕がある)

当時の壕などの配置図に従って測量をしながら駐屯地跡を探索する。
「〇〇から25mのところに本部壕があるはず!」といった具合に、巻き尺で測量しながらの探索である。
で・・・その結果に従い、道から外れジャングルをかき分けて内部に入り込む。(苦笑)

DSCN4286_convert_20170530135545.jpg (戦車隊本部壕)

037_convert_20170530140005.jpg 039_convert_20170530140032.jpg

ここで人骨らしきものを見つける。
「これ、骨じゃないですか?どうですか?」と、またまた呼ばれて駆けつける。(苦笑)
形からいうと頭蓋骨の頭頂部のような気もするが・・・拙者は人骨の専門家ではない。(大汗)
“ヨコハマさん”は、拙者が何でもかんでも知っていると思ってか、鑑定を求めるのだが・・・・(大笑)
う~ん・・・どうでしょう?(汗)
人骨であるという確率は半々かなぁ~(汗)
とりあえず、これもまた、同行しているガイドさんに、日本の厚生省の遺骨収集団が来た時に見てもらうよう頼む。
(この頭蓋骨と思われるものの写真は、あえて掲載しないこととする)

周囲は、かなり岩が崩れ落ちている。
ここに頭蓋骨があるとなると、これらの岩を取り除けば、その下に、もっと人骨が埋まっている可能性が高いということになるが・・・
問題は、何で、ここに人骨があるかということ。
ここは本部壕である。
ここから戦車隊の戦車が出撃して飛行場奪還のため突っ込んで行き、全滅したのである。
その時に誰か本部壕に残っていて、のちに戦死したのか?
それとも、戦闘後に退却した生存者が、ここに立て籠もって戦って戦死したのか?
そのあたりの詳しい資料を見たことがないので、何ともわからない。
そういう戦史を知っていれば違和感はないのだが・・・
“この物体”が人骨であるとすれば、なんで、ここに人骨があるんだろう?
ちょっと違和感を感じる。

続いて、すぐ近くにある「整備隊壕」を探索・・・・

DSCN4295_convert_20170530150226.jpg

「変なものを見つけたんですけど・・・これ、なんですか?」の声・・・・
駆けつけてみると・・・工具がポツンと1個だけ置かれていた。
モンキーレンチである。
これ・・・工具ですけど・・・(汗)
ということは・・・やっぱり、ここは整備隊壕で間違いないということか?
それにしても、モンキーレンチねぇ~
当時、日本軍はモンキーレンチなんか使ったのだろうか?
他には工具類は見当たらない・・・
長さといい、形といい、日本の箸と思われる“物体”が、そばに添えられていた。
ちょっと疑問が残るが・・・当時の配置図と見比べても、ここが「整備隊壕」で間違いなさそうである。

とにかく戦後70年以上も経っているのである。
その間に、いろんな人がこの洞窟陣地に来ているだろうし・・・・
戦闘終了直後に、米軍もここに来ているだろうし・・・
本部壕のすぐ近くに赤さびた未使用の鉄条網の束が放置されていた。
鉄条網(有刺鉄線)のトゲの形状からして、明らかに日本軍のものではない。
いつごろここに放置されたのかは、わからないが、かなりの量の未使用の鉄条網の束である。
こうなると、我々の目に触れる“遺品”が果たして、本当に当時(戦時中)のものかどうか、判断するのが非常に難しい。

DSCN4291_convert_20170530135845.jpg (戦車壕跡)

道路わきの「戦車壕」跡は草木に覆われて、ちょっと見たくらいではわからない・・・
ヤブの中に分け入って、地形を足裏で確認して、ようやくわかる。
ここには戦車2台分の「戦車壕」があった。
戦車壕は“コの字”の形に掘られた戦車の“駐車場”である。(笑)

ちょうど、お昼となったので、一旦ホテルに戻り昼食をとる。

DSCN4297_convert_20170530202825.jpg

魚釣りに行っていた“ナカムラさん”は、無事に魚が釣れたそうで、大漁!
ホテルに頼んで料理してもらい、我々にも一人一匹づつごちそうしてくれた。
いやぁ~申し訳ないねぇ~・・・・散々からかったのに・・・(大笑)
何という魚なのかは知らないが、美味しかった・・・(喜)

DSCN4298_convert_20170530202859.jpg

午後は博物館を見学・・・

DSCN4300_convert_20170530202929.jpg

“ヨコハマさん”が、ここに戦車隊に関する各種資料を提供している。
よくやるなぁ~・・・・大したものである・・・脱帽である。

062_convert_20170530203345.jpg 061_convert_20170530203312.jpg

060_convert_20170530203240.jpg 059_convert_20170530203210.jpg

ホテルをチェックアウトして、ホテルのモーターボートでパラオ本島に戻る。
今回は、同じホテルの宿泊者である初老の外国人御夫妻も一緒・・・・
ドイツ人ぽかったけど、どこの国の人かは知らない・・・(笑)

DSCN4301_convert_20170530205354.jpg (ペリリュー島を離れる)

今日の夕食は、以前に一度だけ行ったことのあるレストラン・・・・
ここの料理・・・・一品の料理の量が馬鹿みたいに多いのである!(大笑)
それで今でもよく覚えている。
今回も同様である・・・(大笑)
いやぁ~懐かしい・・・・この量!(大笑)

DSCN4306_convert_20170530205534.jpg DSCN4305_convert_20170530205508.jpg

我々が泊まった“別荘”は・・・・ごく普通の一般の家である。(笑)

DSCN4307_convert_20170530212153.jpg DSCN4308_convert_20170530212219.jpg

DSCN4309_convert_20170530212254.jpg(拙者の部屋・かなりピンボケ!)(笑)

旅行 | 15:27:35 | Comments(0)
久々のペリリュー島!
“ナカムラさん”が用意してくれた朝食をいただき、“別荘”を出発!
今日は、これからモーターボートでペリリュー島へ向かう。

DSCN4178_convert_20170516104442.jpg

DSCN4180_convert_20170516103403.jpg

青い空に白い雲・・・・エメラルドグリーンと群青色のコントラストの海のはずが・・・
天気が悪い!(涙)
前回は低気圧接近の影響で海が大荒れ・・・
今回は荒れはしなかったが、ペリリュー島の方角に、明らかに雨雲とわかる黒い雲が立ち込めている。
あ~あ~・・・・残念だぁ~
晴れていたら最高の景色なのになぁ~(涙)

DSCN4183_convert_20170516105158.jpg DSCN4184_convert_20170516105224.jpg

パラオ本島を出発して、ちょうど1時間後にペリリュー島に着いたときは・・・雨!(涙)
しかも結構激しい雨である・・・(汗)
拙者は「雨男」ではないはずなのだが・・・
だれか、この中に、“普段の行ないが悪い人”がいるに違いない・・・(大笑)

最初に向かったのはペリリュー州知事のところ・・・
アポを取っておいたらしいが、不在!(苦笑)
まぁ~そんなものでしょう・・・南国では・・・(笑)
仕方がないので、今度はペリリュー島の酋長のところへ挨拶に行く。
酋長とお会いして来島したことを伝え簡単にご挨拶・・・

次に向かったのは、「ペリリュー小学校」・・・

DSCN4215_convert_20170516110653.jpg (ペリリュー小学校)

校長先生にお会いしてご挨拶・・・
リーダーの“ヨコハマさん”が「お土産」の文房具等を用意してきたので、それを贈呈。
校長先生から小学1年生のクラスに寄贈してくれるようにとのお話をいただき、「贈呈式」(?)となる。(笑)

DSCN4217_convert_20170516110719.jpg

突然の訪問客に、「お土産」である。
子どもたちは大興奮!(大笑)
このくらいの子供というのは、どこの国の子供でも本当にかわいい・・・
これが大人になると、犯罪を犯したり戦争を起こしたりしてしまうのだから・・・これが不思議だ。(笑)
いっそのこと、人類はすべて子供だけ・・・となったほうが地球は平和かもしれない・・・(大笑)

拙者が初めてこの小学校を訪問したのは2010年のこと。
あの時も小学1年生のクラスを訪問した。
彼らは、もう“中学生”になっているだろう。
あの時に撮った彼らの写真を焼き増しして持ってくれば良かったと、この時になって気づいた・・・(汗)
しくじった・・・(苦笑)

次に向かったのは、“洞窟陣地”・・・
ペリリュー島観光の“定番”である。

DSCN4219_convert_20170520110916.jpg DSCN4218_convert_20170520110836.jpg

015_convert_20170520131342.jpg 014_convert_20170520131300.jpg

次に向かったのは、「日本人墓地」・・・・
雨の降る中、ここにある慰霊碑の前で「慰霊祭」を執り行う。
拙者は、いつものように三笠宮殿下からいただいた菊花の模様の入った「恩賜のタバコ」を供える。
これは、もうずいぶん前に殿下から頂いたもの。
このところの「禁煙ブーム」(正確には嫌煙ブームか?)のおかげで、宮内庁も「恩賜のタバコ」の生産を中止することとなった。
拙者が戦没者の慰霊をしているのを知って、「これで最後です」ということで、最後の数箱をくださった。
大切に今まで保管していたタバコで、これを持参してお供えしたのだが・・・・
大失敗!
雨の中、迂闊にも、そのままお供えしてしまったのである!!(ゲゲッ!)
あっという間にタバコはびしょぬれ・・・・(涙)
シマッタ!
ビニール袋に入れてお供えすべきだった!
貴重な1箱を一瞬で失うこととなる。(大涙)

DSCN4222_convert_20170520110943.jpg

その後、ホテルにチェックイン・・・
コテージ風のホテルで、拙者は宮司の“タガワさん”と同室。

DSCN4223_convert_20170520111022.jpg

このホテルで昼食をとり、その後、一休み・・・・

DSCN4224_convert_20170520111058.jpg

午後は、日本政府が建てた慰霊碑に向かい、そこで慰霊祭を執り行う。
神主の“タガワさん”は、ここをメインということで、正装して慰霊祭に臨む。
土砂降りに近い雨の中での慰霊祭となり、結構、大変だった・・・・(汗)

DSCN4226_convert_20170520115620.jpg DSCN4225_convert_20170520115548.jpg

次に向かったのは零戦の残骸のある“某所”・・・・
雨のせいで、沼地と化していた・・・(汗)

DSCN4231_convert_20170520115834.jpg DSCN4232_convert_20170520115900.jpg

次に向かったのも・・・“某所”・・・・
とにかく“某所”と書くしかない。
あまり正確な位置を教えると“マニア”に荒らされる可能性がある。
この国が課しているルールというのを守らない“マニア”が結構いる。
まぁ・・・拙者を含め・・・・“マニア”だから、こんなところまでやって来るのだろうが・・・(大笑)
「触るな」「位置を変えるな」「持ち去るな」と言われたら、守るべきだ。
理不尽であろうと、何であろうとルールはルールである。
ルールを無視するような輩には情報は与えるわけにはいかない。
ということで・・・“某所”

この“某所”で、ご遺骨を見つけた。
以前に二度ほど、この“某所”には来たことがあるが、その時は遺骨など見当たらなかったのだが・・・
たぶん落ち葉などで覆われていたのだろう。
その後の風雨で表面が飛ばされたか流されたかして地表に現れたものと思われる。
骨の太さから想像すると、腕の骨のようである。
(あえてご遺骨の写真は載せないことにする)

周囲には薬莢が集中して散乱していた。
この薬莢が日本軍の物かどうかは拙者にはわからない。
一か所に集中しているということは、三八式歩兵銃のような単発式の銃のものとは考えられない。
たぶん、軽機関銃のような連発式のものではなかろうか?
だから一か所に集中して十数発の薬莢が落ちているのではなかろうか?
ここの地形、米軍の進撃方向等々から、このあたりの戦闘状況が想像できる。

周辺を探索・・・
石を積んだ場所・・・「石塁」と呼ぶべきだろうか?
明らかに人工的に造られたものである。
日本軍の第一線陣地跡ではなかろうか?
向いている方向からしても、上陸してきた米軍に向かって「抵抗線」を成している。

相変わらず“ヨコハマさん”から「ちょっと来て!これ、日本軍のものですか?」との声が飛ぶ。
で・・・ジャングル内を飛び回るので・・・写真を撮っている暇がない・・・(涙)

021_convert_20170520132607.jpg

これは、米軍の水陸両用戦車の車輪の一部・・・

026_convert_20170520132712.jpg

飛行機のエンジンとカウリング・・・・
すぐ近くに翼の一部と思われるものもあった。
なんで、こんなところに?・・・・という気がしないでもないが・・・
米軍のものか日本軍のものかは不明・・・・

030_convert_20170520132746.jpg

問題は・・・これ・・・
う~ん・・・これ、どこかで見た記憶があるのだが・・・・
どこで見たんだっけかなぁ~
どこかの戦争博物館とか軍事博物館で見たような気がするのだが・・・
何だっけかなぁ~・・・これ・・・
とうとう思い出せなかった・・・(涙)

今日の“行動”は、以上・・・・
ホテルに戻り、夕食・・・
無理のない余裕のある行動計画なので体調を崩さずに済む。
ありがたい・・・(喜)

DSCN4233_convert_20170520115940.jpg

033.jpg (ホテルから見た夜景)

旅行 | 10:30:33 | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。