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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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『傳記文學 初雁』


序に代へて
   昭和16年4月1日 森 銑三

堀部安兵衛

泉岳寺

細川邸

書賈与兵衛

莅戸太華

真男児佐藤文四郎

小吉の放浪

お栄といふ幼児

雲居禅師

鳥島に漂著した人々

新島ものがたり

細井広沢

亀田窮楽

長崎の亀女

平賀源内遺聞

唐々春

金谷上人御一代記

歌右衛門と高尚

三浦竹渓逸事

久米訂斎逸事

稲葉黙斎

細井平洲

古松軒の旅

山陽と鰐水

崋山と慊堂

進講の日の黙禱

後語

解説
   森先生の「傳記文學」   小出昌洋



先日読んだ『新編 明治人物夜話』と同じ著者、森銑三の著作である。
『新編 明治人物夜話』と比べたら、「伝記文学」と銘打っているだけに、読み物としては、かなり読みやすくはなっている。
が・・・それでも、面白いと感じたのは半分くらいだった。(大汗)


今年の読書:12冊目



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読書 | 23:27:29
『蘭印戦跡紀行』


第Ⅰ部 スマトラ島

第1章 パレンバン ― 神兵の故地を歩く
 パレンバンへ飛ぶ
 空港で出迎えるモド
 レレ・ゴレンの昼食
 蘭印時代の石油産業
 日蘭交渉から開戦へ
 日本軍のパレンバン占領
 プルタミナの誕生
 神兵の故地に立つ
 アンペラ橋
 夜景とカレー
 アグン・モスク
 独立記念館
 スルターン・マフムード・バドルディーン2世博物館
 点心もどき
 3年8ヵ月かかった郵便
 ブン・バルへ
第2章 アチェ ― 大津波まで続いた戦いの世紀
 バンダ・アチェへ
 絶品の蟹麺
 イスカンダル・ムダとアチェ王国
 アチェ戦争
 バイトゥルラフマン大モスク
 ☆にアの字の切手が発行されるまで
 ウジュン・バテ
 分離闘争の30年
 津波博物館

第Ⅱ部 ジャワ島

第3章 ジョグジャカルタ ― 皇軍の行軍ルートを辿る
 ジョグジャカルタへ
 トゥグから南下
 ジョグジャカルタ駅
 迎賓館と鳥居
 フレデブルク要塞
 ワヤンを見る
 王宮とタマン・サリ
第4章 ボロブドゥールのご来光と雲の中のムラピ山
 ボロブドゥールへ
 ボロブドゥール寺院と切手
 サンライズ・ツアー
 ムラピ山は見えず

第Ⅲ部 ロンボク島

第5章 アンペナンの夕陽
 太陽加刷ゆかりの地
 アヤム・タリワン
 市場でワタリガニを買う
 アンペナン中央郵便局
 タマン・マユラ
 グヌン・ペンソン
 エピローグ

あとがき

主な参考文献



本書は、「切手紀行シリーズ」の6番目の本。
戦前、戦中の古い切手や絵葉書などをテーマとした紀行文。
この「切手」が切り口というのが面白い。
ただの紀行文なら、いくらでもあるから面白くもないが・・・
切手や絵葉書などに興味が無い人でも、十分に楽しめる紀行文である。
著者は「郵便学」の学者さん・・・
「郵便学」などという学問があったのか・・・と驚いた。

スマトラ島のパレンバンには、数年前に行ったことがあるので、懐かしく拝見した。
日米開戦早々、日本軍は落下傘部隊をもってパレンバンの製油所を確保した。
その製油所の話と共に、日本占領時代のインドネシアの切手が掲載されている。
南スマトラ州のランドマークの「アンペラ橋」は有名である。
実際に見てみると、ただの大きな橋にしか私には思えなかった。(苦笑)
が・・・切手シートが掲載されていた。
へぇ~やっぱり有名なんだ・・・・
その昔、王宮だったという、現在は博物館となっている建物・・・・
ここへも行ったことがあるが、本書を読んで初めて正式名称を知った・・・(大汗)
「スルターン・マフムード・バドルディーン2世博物館」というのだそうだ。(笑)
このときに見たスルターンの玉座の豪華なのと、当時の衣装の豪華なのは今でも鮮明に記憶に残っている。

同じスマトラ島の北端にバンダ・アチェという場所がある。
戦時中には日本軍も駐留していたし、大昔には「アチェ王国」というのがあったし、オランダ相手に「アチェ戦争」を起こしている。
ちょっと歴史的にも興味があるのだが、残念ながら行ったことはない。(涙)
近年で、その名が出てきたのは地震だろう。
結構、昔から大きな地震が起きているのである。(ほとんどの日本人は気にもかけていないだろうが・・・)
2004年12月26日、マグニチュード9.1の地震が起こり、大津波が起こり、バンダ・アチェの町は壊滅している。
死者数だけでも13万人以上に上っている。
東日本大震災なんて比ではない。(死者数は1/10程度である)
死者数の桁が違うのだが、相変わらず日本人は自分たちの被害だけを取り上げて大騒ぎである。(大汗)

ジャワ島では、ジョクジャカルタの記事が懐かしかった。
が・・・現地に行ったのは38年も前の事である。(苦笑)
全くと言っていいほど記憶に残っていない。(大汗)
博物館好きなのに、博物館に行ったという記憶がない・・・・(大汗)
唯一、鮮明に残っているのは「プランバナン遺跡」である。
私が行った当時は瓦礫の山だったが、掲載されている写真によると、綺麗に復元されている!(驚)
いやぁ~ここには、ちょっとした思い出があるので、また行ってみたいなぁ~
もう還暦を迎えちゃっているし・・・もう無理かなぁ~(苦笑)
「ボロブドゥール遺跡」も同様、ちょっと思い出がある。
あの時と同じ場所で、もう一度写真を撮りたい・・・(笑)
日本占領時代の40セント切手の図柄もなかなか良い。
遺跡より、踊り子の女の子がメインに描かれているような気がするが・・・・(大笑)

最後の「ロンボク島」・・・
バリ島の近くの島だろうか?
私は行ったことがないので、本書で初めて知った。
なかなか面白そうな・・・行ってみたいものである。

本書の良いところ・・・
メジャーな観光地、例えばジャカルタとか、バリ島とかを避けていたことかな?(大笑)
なかなか勉強になる紀行文でした。


今年の読書:11冊目



読書 | 21:57:38
『新編 明治人物夜話』


第1部

明治天皇の軍服
勝海舟の玄関
大西郷の一言
高橋是清の懐旧談
栗本鋤雲の詩
依田学海
信夫恕軒
成島柳北
陸羯南遺聞
天下の記者山田一郎
饗庭篁村
鴎外断片
尾崎紅葉雑記
緑雨の人物
子規居士雑筆
夏目漱石と文芸委員会
露伴翁むだ話
田岡嶺雲の本領
田村西男氏の作品
不遇詩人活東
ダダイスト辻潤
S先生と書物
斎藤精輔氏の自伝

第2部

国周とその生活
談洲楼燕枝の文才
三遊亭円朝
文筆家悟道軒円玉
名子役中村吉右衛門
奴時代の貞奴
畸人呉山堂玉成

第3部

狩野亨吉先生
南天荘学園
三田村鳶魚翁の思出
三村竹清大人
沼波瓊音・岩本素白の面影
偏奇館の或日
石井鶴三さんの画稿
西村真次博士と私
広重の助力者三成重敬氏

編後附言(小出昌洋)



以前から著者の森銑三には興味があり、本書は特に期待して読んだのだが・・・
ちょっと、期待し過ぎたかも・・・(大汗)
「面白い」と「つまらない」が半々かな?(苦笑)
明治の新聞や雑誌などからの引用が多いせいなのかもしれない・・・
どうも読みづらい・・・・
興味のもてる人物と、そうではない人物とがいるからなのかもしれない・・・
本当は、貴重な話が書かれている名著なんだろうが・・・・
自分には合わなかったな・・・(汗)


今年の読書:10冊目



読書 | 22:03:36
『響 菅谷政夫追悼文集』
『響 菅谷政夫追悼文集』
平成3年11月
発行 ネグロス電工株式会社

発刊を祝して
 名古屋大学名誉教授
 日本学術会議会員
 社団法人電気学会会長
   工学博士 家田正之

はじめに
 社長 菅谷よし子

菅谷政夫さんのこと
 神保電器株式会社 取締役会長 阿河範幸
先代社長をお手本に
 有限会社協伸電装工業所 渥美 博
ネグロスのこころ
 一体一如 尼寺春一
先代社長との想い出
 新明電設株式会社 新井 茂
創業記念日にご招待を受けて
 株式会社安藤鍍金 代表取締役
 (現 株式会社安藤化成) 安藤寿照
『ネグロスのこころ』を拝読して
 日本軽鉄株式会社取締役 池谷彰吉
思い出の記
 伊坂喜一郎
深工会での思い出
 深工会同期生 石川俊弥
ネグロス島偶感
 石塚一夫
生き甲斐は“社会への奉仕”
 東京都済生会中央病院外科医長 石飛幸三
菅谷社長を偲ぶ
 日本特殊形鋼株式会社代表取締役社長 市田 晃
誠実の人菅谷社長
 株式会社北陸電機照会代表取締役 稲田徳平
「ネグロス」へのつのる愛着
 因幡電機産業株式会社取締役社長 因幡弥太郎
新製品開発への熱意
 岩崎電気株式会社取締役社長 岩崎満夫
創業社長菅谷政夫氏への追悼
 株式会社上野電気設計事務所代表 上野英夫
二人のS君
 棒友会 宇佐美 栄三
パテントをとった菅谷君
 東和商事株式会社 宇田川 海男
少年の眼
 深工会 内野三郎
“生きとし生ける人のために”と生きた人
故菅谷政夫氏を偲んで思うこと
 日本工業大学機械工学科金属材料研究室 漆原富士夫
健康法をご教授いただいた思い出
 テルヤ電機株式会社代表取締役 江川敬宜
故菅谷社長とネグロス電工(株)
 株式会社啓電社代表取締役 大隈 学
菅谷政夫さんを懐かしむ
 日本化機工業株式会社代表取締役会長
 (東京江戸川ロータリークラブ) 大澤恒也
私とネグロス
 大嶋 正
創業者菅谷社長の思い出
 三晃株式会社 大滝森雄
三回忌に寄せて
 戦友 大槻五郎
菅谷政夫君を追憶して
 尾塚府司
創業者故菅谷社長の思い出
 新星鋼業株式会社常務取締役 加賀谷 達雄
業界に貢献された菅谷社長
 三機工業株式会社参与
 社団法人日本電設工業協会技術委員会副委員長 鹿島事哉
故菅谷社長を偲んで
 丸栄電機工業株式会社代表取締役社長 加藤慶三
故菅谷政夫社長追想記
 近江屋興業株式会社 加藤 憲
故菅谷政夫社長を悼む
 大栄金属株式会社代表取締役会長 加藤幸治
思い出に残る人 ― 菅谷政夫氏
 株式会社昌立製作所取締役会長 加藤博延
商標登録をすすめた菅谷君
 上岡八郎
菅谷政夫君を偲ぶ
 上村元春
会うごとに教えられた菅谷社長
 ツウテン商事株式会社 川崎泰輔
大八車に思う
 有限会社神田製作所代表 神田忠良
創業者故菅谷社長様との出会い
 京都機械工具株式会社 木村 修
泰山木
 木村電気株式会社取締役社長 木村 勝
創成期のネグロスさん
 株式会社東京デリカ 木山茂年
棒友会について
 倉前振作
菅谷政夫前社長を偲んで
 小泉 博
東部電設での菅谷常務理事
 東部電設工業協同組合理事長 国府田 弘治
思い新たに
 戦友 小杉 順
弔辞
 戦友 小谷重行
創業者『菅谷政夫写真集』を頂いて
 株式会社小澤製線所 小林常徳
思い出
 有限会社山栄紙器製作所代表取締役 小林博繁
時間をかけて人生を語りたかった
 愛光電気株式会社社長 近藤久三
菅谷前社長さんを偲んで
 株式会社きんでん営業本部
 エンジニアリング部技師長 齋藤英夫
先代社長の思い出
 野村貿易株式会社鉄鋼部部長代理 坂井信夫
故菅谷社長を偲んで
 株式会社きんでん大阪支社副支社長 坂口正雄
私の誇り「同窓生菅谷さん」
 桜井健司
先代社長の思い出
 弁理士 桜井常洋
故菅谷社長の思い出
 株式会社中北電機会長 佐藤孝一
大器晩成のガンジー君
 深工会 佐藤 勉
菅谷政夫社長との出会い
 株式会社トーエネック(旧 東海電気工事株式会社)
 取締役教育センター所長 三田利保
菅谷社長との思い出
 株式会社イナデン取締役社長 椎名 孝二朗
電話の話し方を教えて頂く
 株式会社篠原プレス代表者 篠原三郎
先代社長の想い出
 島崎 吉太郎
話さなくてもわかる社長さん
 マリア・ドローレス・シュタウブリ
菅谷政夫氏との出会い
 エディス・シュマール
あたたかさとやさしさ
 鈴木惇子
私の師菅谷社長様
 鈴木シャーリング株式会社 鈴木敏夫
故菅谷政夫社長のありし日を偲ぶ
 鈴木電業株式会社会長 鈴木展寧
ネグロス社長の思い出
 有限会社山形電気代表取締役 鈴木雅之
忘れ得ぬこと
 富士見工業株式会社 関口 正
敦(あつ)ちゃんこと菅谷政夫君を偲ぶ
 関口仁助
故菅谷政夫様の思い出
 関原ノリ
思い出
 銭廣克之
先代菅谷政夫社長の思い出
 株式会社エルム電気商会代表取締役 高木信輔
菅谷前社長に私の思いを捧げます
 高木株式会社専務取締役 高木吉行
タマゴ油の実演
 深工会理事 高野 勇
菅谷政夫さん
 高橋ニット株式会社代表取締役 高橋正仁
菅谷さんが渋沢賞を受賞されたことに寄せて
 東光電気工事株式会社代表取締役副社長 竹内 保
ステンレスと錆
 田所テック株式会社専務取締役 田所英生
夢を語られた菅谷社長
 東北電気工事株式会社
 営業本部 営業部 部長 谷村栄造
魂の人・菅谷政夫社長
 伊勢丹会長 露木 清
強い信念
 株式会社日本電商社長 寺脇俊雄
ネグロスさんと比島観音
 戸部電材株式会社代表取締役 戸部 力
戦中戦後の菅谷先輩
 鳥之海 丈之助
ネグロス電工さんの思い出
 カワソーテクセル株式会社副社長 永井和夫
思い出
 株式会社晴美堂代表取締役 中川和夫
弔辞
 友人 中里重隆
継続は力なり
 タイムズ・プレス社 永沢京子
追想
 大晶鋼管株式会社 中島次男
菅谷政夫社長を偲ぶ
 中村国際特許商標事務所所長 弁理士 中村政美
菅谷政夫氏を偲びて
 戦友 中山健吉
菅谷さんを偲ぶ
 深工会 中山 茂
研究熱心の菅谷さん
 那須電機株式会社 那須鶴雄
思い出
 協同電気株式会社社長 西堀 隆太郎
炎天下の少年
 西巻 興三郎
御社名について
 東洋金属株式会社 西村孝之
菅谷さんの思い出
 友人 野口徳治
『ネグロスのこころ』を心に銘じて
 文唱堂印刷株式会社取締役社長 橋本梅吉
菅谷政夫前社長の思い出
 協伸電業株式会社代表取締役 長谷川 健一
ネグロス島慰霊の旅
 戦友 服部良郎
菅谷社長を偲んで
 笠間稲荷神社宮司 塙 東男
兄の顔、思い浮かぶままに
 早川久子
亡き義兄に教えられる
 株式会社早川製作所代表取締役 早川 柳三郎
先代社長との出会い
 株式会社関電工栃木支店 久松 茂
「故菅谷政夫社長の思い出」について
 日本ガルバノ株式会社社長 平野有和
いつでも私の胸に生き続ける菅谷さん
 ハンナー・ファイファー
菅谷政夫さんの憶い出
 日本信託銀行相談役 普川茂保
菅谷さんを偲ぶ
 藤田 寅之輔
菅谷政夫社長の思い出
 藤野プレス工業株式会社 藤野 登美子
ネグロスを生かされし戦友
 服部鉱業株式会社会長 舟見良雄
菅谷政夫さんの思い出
 古川 昇
消えない記憶
 古山芳信
菅谷社長の思い出
 日興証券投資信託委託株式会社副社長 星野 稔
“ネグロス”それは思い出の島の名
 ミツワ電機株式会社社長 堀井秀雄
情熱の火は消えない
 棒友会 牧野忠雄
『ネグロスのこころ』を頂戴して
 ライオン電材工業株式会社社長 松島荘介
出会い
 株式会社松本製作所代表取締役 松本 博
思い出のない菅谷君
 間宮 実
先代社長を偲ぶ“思い出の樹”
 株式会社サンスイ電工代表取締役社長 水上七郎
38年前のタイムカプセルより
 株式会社水越電工社 水越 昌
菅谷政夫さんに捧ぐ
 宮澤章二
社風
 古河電気工業株式会社
 電力事業本部防災部部長 室田城治
菅谷政夫社長さんの思い出
 東四町会会長 室伏 武
故菅谷政夫様を偲んで
 株式会社ニチフ端子工業代表取締役 森 勝久
『ネグロスのこころ』を拝読して
 正二電気株式会社代表取締役 森川隆雄
先代社長の思い出
 森川正次
政夫氏との出会い ― 一期一会
 株式会社弥平治電気商会 諸井仁一
先代社長の思い出
 株式会社エコー電化代表取締役 安原久男
「アッちゃん」のぬくもりが
 友人 柳原正芳
先代社長の思い出
 有限会社山二工業 山口昭和
商品は死なず
 株式会社トーエネック
 (旧 東海電気工事株式会社) 山田武良
菅谷前社長を偲んで
 三菱銀行会長 山田 春
弔辞
 三菱銀行会長 山田 春
菅谷君を偲ぶ
 山田勇蔵
戦争当時の兄
 山本一二三(ひふみ)
思い浮かぶままに
 山本政雄
菅谷社長の思い出
 大阪電機商事株式会社取締役社長 山本正利
先代社長の思い出
 弁護士 横山 寛
故菅谷政夫さんの思い出
 戦友 吉村晃一
先代社長を回想して
 株式会社関電工理事・内線管理部・部長 吉村俊一
旺盛な開発精神
 太平電業株式会社代表取締役社長 米田元治
先代社長との出会い
 三協株式会社営業次長 若井 進

菅谷政夫年譜

編者からひとこと
 平成3年10月 萩野信京



ネグロス電工社、創業社長の人柄がよくわかる追悼文集。
取引関係のみならず、同業者、同窓生、戦友、町内会長、友人等々、色んな人が書かれた追悼文・・・
「追悼文」というと、どうも、型通りのお世辞ばかりではないかというイメージを持っていたが・・・
どの追悼文を読んでも、菅谷社長のお人柄がわかる。
それだけ、皆さんの印象に残る社長さんだったのだろう。
64歳という若さで他界されたのが残念でならない。


今年の読書:9冊目



読書 | 10:52:15
『情報士官の回想』


1 回想のはじまり(大和田への道)

2 謎の潜水艦(硫黄島来襲前夜)
     沖縄か硫黄島か

3 「AN103」暗号を説く
     軍令部付予備学生
     解読

4 開戦時の日米通信諜報戦
     前線部隊の敵信班
        デルモンテの急襲
        「ハーミス」の撃沈
     真珠湾奇襲と米通信解析
        ハワイ作戦南雲部隊編制表

5 ミュドウェー海戦を巡って
     “AF”トリック
     呂暗号を米軍が解読
     戦史『ミッドウェー』随想

6 第一連合通信隊の日々(私の日誌1)
     サンフランシスコから白色閃光
     満月に潜水艦は浮上する
     ラバウル定期便とアメーバ赤痢
     ガダルカナル撤収の偽電作戦
     ソロモン戦の諜報戦訓

7 通信諜報と軍令部特務班
     無線通信と通信諜報
     通信諜報組織の沿革
     日米通信諜報の臨戦態勢

8 系図解析について
     デイヴィド・カーン氏
     通信系図の作成と中枢の発見
     中枢指揮官の動向解析
     高速空母の活動開始
     連合艦隊の大散歩
     「系図の展開力」と「転送電報」
     指揮官呼出符号の継続判定

9 前線・病院往来(私の日誌2)
     呉・第2艦隊・横須賀
     再び、軍令部へ

10 マーシャル来襲の予知
     ホノルル第2放送とCCPF
     エリス諸島の基地航空部隊
     第58任務部隊の特設呼出符号

11 パラオの連合艦隊
     長官の死と通信諜報の宿命

12 マリアナ海戦前夜
     小説『暗い波濤』より
     マリアナからの空襲対応

13 大和田移転(私の日誌3)
     津田英学塾は不適当
     招かれざる客
     レイテ海戦の謎

14 統計解析法の限界と効用

15 対潜情報へ挑戦する

16 戦術場面の特信班(VOICE部隊)

17 暗号
     暗号化の方法と日本語
     暗号の秘匿と言葉
     ストリップ・サイファーについて

18 大和田通信隊の終末(私の日誌4)
     司令の苦悩
     全員絞首刑の噂

回想あとがき
 昭和49年10月 著者

再刊によせて
 昭和60年2月10日 著者


著者は元海軍の情報士官で、暗号解読に任じていた。
本書はその回想録である。
暗号解読といってもそう簡単なものではない。
正確言えば、暗号解読というより通信分析が主だったようである。
私は陸軍の暗号解読担当者とお話をしたことがあり、多少の予備知識は持っていたので面白く読ませてもらった。
かなり専門的な話も載っているので、多少退屈してしまうかもしれないが・・・(汗)
興味のある人にとっては、異色の戦記ということで、楽しめるのではないかと思う。


今年の読書:8冊目



読書 | 20:29:35
『檄文昭和史』


まえがき

1 御聖示を賜りたく (天皇直訴事件)

2 あかつきの共産党大弾圧 (3・15事件)

3 満蒙はわが国の生命線 (満州事変)

4 打て、打て、打て (抗日ビラ)

5 起って真の日本を建設せよ (5・15事件)

6 中国侵略を正当化 (共産党員の転向)

7 君側の奸を斬れ (2・26事件)

8 何というザマです (磯部浅一の獄中日記)

9 ジャーナリスト魂の死 (「他山の石」廃刊の辞)

10 帝国の光栄を保全せむことを (開戦の詔書)

11 出撃の前夜記す (特攻隊員の遺書)

12 死をもって大罪を謝す (阿南陸相の自決)

13 帝国軍人最後の抵抗 (厚木航空隊事件)

14 校長、副校長よ去れ (上野学園闘争)

15 人民政府樹立万歳 (共産党の再建)

16 民主天皇という名のシナリオ (天皇の人間宣言)

17 過ちは繰り返しませぬから (原水爆禁止運動)

18 私たちは5月19日を認めない (声なき声の会)

19 内閣総理大臣佐藤栄作閣下 (ベトナム反戦の焼身自殺)

20 「明日のジョー」の悲しき証明 (よど号事件)

21 もののふの魂はどこへ行ったのだ (三島事件)

22 いまさみしくってしょうがない (少年の自殺)

昭和史略年表

あとがき



「檄(げき)」とは、相手の罪悪などを挙げ、自分の信義を述べて、衆人に告げる文書のことをいうらしい。
本書に収められている22の文書を見ると、「檄文」と言えるのかなと思うものがいくつもある。
私の「檄文」の印象とかけ離れている。
しかし、著者は思考・想念の世界から、行動の世界に飛翔するためのスプリングボードが「檄文」であるという。
そのため、本書に収められた文書は、訴状だったり宣言だったり、遺書だったりと、表現形式が違うが、現実に行動が伴えば「檄文」なのだという視点で本書を著したそうだ。

読んでいて、初めて知ったことも多い。
「天皇直訴事件」「上野学園闘争」など・・・
こういう事件があったのかと驚く。

「原水爆禁止運動」として掲載された「檄文」は碑文である。
『安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから』の文章で有名な碑文を「檄文」として取り上げている。
この碑文を書いたのは当時、広島大学文学部で英米現代詩を教えていた雑賀忠義(さいかただよし)という教授だということを初めて知った。
この碑文は、当時からあまり評判がよくなかったそうだ。(今も評判が悪いと思うが・・・)
誰が誰に対して「過ちは繰り返さない」と言っているのかがわからない・・・というもの。
その真意を本書に書かれているし、その後のことも書かれていて興味深いが、私としては、やっぱり納得のいかない碑文である。

「ベトナム反戦の焼身自殺」はショッキングな話である。
佐藤栄作総理宛の「抗議書」が、本書で取り上げた「檄文」であるが・・・・
首相官邸前の路上で焼身自殺したのは72歳の老人である。
さぞかし過激な人なのだろうと思ったら、まったく、そうではないのに驚いた。
現代では、この人のように淡々と総理に抗議して自殺するような人はいないだろう。
TV番組のコメンテーターのように、総理を誹謗中傷する人は多いが・・・

「少年の自殺」は、16歳の少年の遺書を「檄文」として取り上げられている。
ちょっと考えさせられる事件である。
少年は私より1歳年下・・・福島県のある小さな町で生まれる。
家庭の経済状況はよくなかったのだろうか・・・・中学を卒業して就職のため地元を離れる。
地下鉄工事の雑役夫として働くが、その後、工事現場のコンクリート製水槽の中で自殺した。
その遺書を読むと、彼の気持ちがわからないでもない・・・
自分が上京して裸電球1個がぶら下がっている四畳半のアパートで一人暮らしをし始めたころの寂しさを思い出す。
彼の心中の吐露も、また「檄文」である。

面白い視点からの昭和史だった。


今年の読書:7冊目



読書 | 11:29:03
『史説 山下奉文』


昭和軍閥

青年将校

雪の朝

弾雨の中

東条英機

マレー作戦

シンガポール攻略

ソ満国境

バギオ山中

山を降る

死の宣告

あとがき

文庫版のためのあとがき



今年の読書:6冊目



読書 | 22:29:14
『混迷の知恵』
img287_convert_20210202153503.jpg

『混迷の知恵 遠すぎた島ガダルカナル』
著者 松浦行真
発行所 (株)情報センター出版局
昭和59年8月7日 第1刷
定価 3800円

  歴史を無視する者は歴史に処断される
     元大本営参謀 瀬島龍三

第1部

南進
  蒼穹(そうきゅう)に舞う零戦
  密林を逃亡する自由
とまどい
  “ラバウル陥落”の意味を知る男
  日本の南進を阻止せよ
信頼は力
  愉快な昨日と自信に満ちた明日をもつ提督
  読み解かれるD暗号
表出する矛盾
  陶酔の初春
  “長期持久”か“短期決戦”か
  陸海軍対立の原点
  妥協の産物としての第二段作戦
「応急物動計画試案」
  戦時下の国力を計算せよ
  統一なき世界戦略と惨憺(さんたん)たる国力
  勝利なき戦いへの道
沿岸監視員たち
  親切と同情心による統治
  自分自身がすべてである自由の世界
  勇気の代償
「勝利の計画」
  戦争へのパースペクティブ
  勝つために必要であるなら
凶兆
  破綻の兆候
  幻想の「戦時物動計画」
  “聖戦”をめぐる利権

第2部

田中・服部・辻
  “下剋上”と“幕僚統帥”の構造
  “主戦派”と“回避派”の確執
  ノモンハン事件の戦訓
あらたな展開
  海軍の爆弾的提案
  最初の東京空襲計画
  蹉跌への選択
ポートモレスビー攻略作戦
  察知されていた作戦機密
  憂鬱なる作戦準備
  申し分のない無血占領
  最初のエラー
  決戦前夜の珊瑚海
姿なき最初の海戦
  「祥鳳」の沈没
  過失だらけの海戦
  放たれた矢はとどいた
  寡黙な戦場の花
油断
  ミッドウェー攻略作戦発動す
  緊張の弛緩と慢心
ミッドウェーに散る
  運命の決断
  悪夢の一瞬
  自省なき敗北
戦闘なき戦争
  純情の落日
  陽の目をみる対日反抗作戦
  「リ」号研究作戦とSN作戦
  “危なっかしい”作戦
望楼作戦
  またも辻参謀
  5000キロの感触の落差
  連合軍の不協和音
8月7日
  『汝の敵を知れ』
  再会の明暗
  靄(もや)が動いている
暁の上陸
  ラバウルの逡巡
  戦火なき波紋
  確実な進撃
  史上最初の玉砕
海の夜戦
  夜襲の条件
  “不安と疲労”という名の敵
  幸運とエラーと

第3部

全滅
  希望的観測
  軽率な第一歩
  全滅への序曲
  砂洲を赤く染めて
混迷のとき
  大統領の心がわり
  なしくずしの“ガ島放棄論”
  将軍の一徹
  黙示的な出陣
血ぞめの丘
  快進撃の空洞
  密林というもう一つの敵
  夜は短すぎた
  第二夜・第一グランド
  夜明け、そして転進
逸機
  異端の戦略思想
  “近代戦”の試み
  餓島
  最後の手ぬかり

  錯雑、停滞、過労
  二つの更迭
  棺桶の片隅
  後退、あるいは死への行進
転機
  無情な風聞
  万策つきて体面残る
  虚栄と我執
  達観と義憤
  以心伝心
地獄のなかの真実
  信頼の誕生
  静謐(せいひつ)にして凄絶(せいぜつ)なる越年
  命令は最後の夜にとどいた
奇跡は起きた
  撤退決行
  疑心暗鬼
  夢
  岸辺
  彼我を超えて

資料
  年表
  参考文献

あとがき



著者はサンケイ新聞の論説委員や編集委員を歴任したジャーナリスト。
本書は750ページ以上もの分厚い本で読みごたえがある。
副題には「遠すぎた島 ガダルカナル」と題されているが、ガダルカナル戦のことだけが書かれているわけではない。
ガダルカナル戦に至るまでの日米開戦前に遡って話が及んでいる。
内容はかなりの量の割には非常に読みやすい。
本書は1981年12月1日から1983年5月31日までの1年半にわたってサンケイ新聞の夕刊に連載したものに補筆をしたものなので、そういうこともあり読みやすいのかもしれない。
本書はガダルカナル戦の「戦記」というものではない。
当然、戦史に則しているが、主体となるのは「人間」である。
かといって、誰か一個人を取り上げた「戦記」でもない。

「勝って兜の緒を締めよ」という言葉は誰でも知っているが、実際はどうかというと、すっかり忘れてしまっているのが現実。
謙虚さを失い自己過信や自己陶酔に陥る人がいる。
間違っていると気づいても直すにはプライドが許さないという人もいる。
いざとなったら自己保身に走る人もいる。
「人間」とは、そういうものなのだろう。

誰でもミスは犯すが、そのミスが少ない方が勝つというのが戦史の常識ではないかと思う。
そういう観点からすると、米軍もミスは犯しているが、日本より少なかったから勝ったといえる。

著者の「人間」に対する見解・指摘に私はもろ手を挙げて賛成である。
軍国主義教育がどうのこうの、あれは戦時中の話だから云々、軍人だけが間違っていてその他の人は正しいとか・・・
それはあり得ない話だと思う。
今も昔も変わっていないと私は思う。
「人間」とは、時代が変わろうと、軍人であろうとなかろうと、こういうところがあるのだ・・・ということを知るべきだろう。
それには、本書は非常に適した本だと思う。



今年の読書:5冊目



読書 | 14:03:11
『改訂 谷川士清小伝』
『改訂 谷川士清小伝』
平成15年3月31日 発行
編集発行 津歴史街道構想推進事業実行委員会

谷川士清(ことすが)略伝
谷川士清の旧宅
士清の生きた時代
父と士清幼少時
京都遊学
洞津谷川塾・森蔭社
恒徳堂
日本書紀通証
和訓栞
その他の著書
竹内式部・蓬莱尚賢との交友
本居宣長との交友
藩主藤堂高朗との交友
士清の人となり
その晩年
士清の偉業
福蔵寺・谷川神社・神宮寺
谷川家家系略譜
和訓栞抄
谷川士清旧宅参観案内
参考文献
協力機関・協力者



本書は史跡となっている谷川士清旧宅で購入したもの。
谷川士清(ことすが)は、三重県津の人である。
江戸時代に活躍した人で、本業は医者であるが、国学者でもある。
この人のすごいところは、日本で初めて五十音に配列された国語辞典である『和訓栞(わくんのしおり)』を作ったこと。
逆に言うと、今までは五十音順ではなかったのかと驚く。(汗)
また、『続大日本史私記(とくだいにほんししき)』を著し、我が茨城県・水戸藩の徳川光圀(水戸黄門)が命じて作らせた『大日本史』の中の記述の誤りを一つ一つ指摘した。
本人としては、“あらさがし”というわけでもなく、水戸藩、徳川光圀批判でもなく、あくまでも間違ったことが後世に伝えられては困るということで指摘しただけのようである。
が・・・そう素直に受け取る人も少なかろう。(苦笑)
江戸時代だし・・・よりによって徳川御三家の水戸のやったことにケチをつけたことになるわけで・・・(苦笑)
津の藩主・藤堂高疑に津以外の場所へ出かけることを禁止されてしまう。
自宅謹慎、蟄居というわけではないから、藩としては外部からの圧力で、やむなく形ばかりの罰を与えたのではないかという気がする。

津で有名な人で本居宣長という国学者がいるが、谷川士清より20歳くらい若い。
士清は、宣長とも手紙を介して交流をしていたようである。
で・・・メジャーとなったのは、本居宣長で・・・
マイナーなのは谷川士清・・・・(汗)
もう少し、士清が有名になってもいいのではないかなぁ~と思う。


今年の読書:4冊目



読書 | 21:35:02
『「灯火」菅谷政夫の精神』
『「灯火」菅谷政夫の精神』
平成7年10月 初版発行
編集発行 ネグロス電工株式会社 広報室

発刊に当って  会長 菅谷よし子

『灯火(ともしび)』を読む  大槻五郎

酒と家庭 (昭和36年10月)
パンクした毬(まり)でも (昭和36年10月)
夢を追う (昭和36年11月)
「年とった青年」「若い老人」 (昭和37年1月)
乃木さんの教え (昭和37年2月)
  厳父の強育
  慈母の愛育
  鋼鉄はどうしてつくられるか
2×2=4であることの難しさ (昭和37年7月)
「先輩」と「後輩」 (昭和37年8月)
“儲ける”ということ (昭和37年9月)
発明は難しいものではない (昭和38年2月)
人生はマラソンである (昭和38年4月)
「喜働」 (昭和43年1月1日)
「アングラック」の誕生 (昭和43年4月1日)
戦没した戦友を想う (昭和45年4月11日)
土壌作り (昭和45年9月21日)
アイデアを出してほしい (昭和45年10月10日)
日本の常識・外国の常識 (昭和45年11月2日)
必要のないときには、明かりを消せ (昭和46年1月11日)
恐竜と経営 (昭和46年1月11日)
働く (昭和46年2月8日)
ビス1本も大切に (昭和46年2月15日)
もし、大地震になったら (昭和46年2月22日)
期末賞与は“家”に! (昭和46年3月15日)
“健康”こそ活動の原動力 (昭和46年3月29日)
犬には飼主の性格が現われる (昭和46年4月19日)
靖国神社に初詣でをして (昭和47年2月1日)
湾底中隊の思い出(1) (昭和47年8月1日)
湾底中隊の思い出(2) (昭和47年9月1日)
湾底中隊の思い出(3) (昭和47年12月1日)
  ぼたもち母ちゃん
  「軍人勅諭」の思い出
家に三声あり (昭和48年2月15日)
渋沢賞を受賞して (昭和49年11月)
  あれから丁度20年
  少年の日の夢達成を喜ぶ
  そもそも最初の出発は
  アングルに碍子をつける
  東京電力の山本主任の親切
  上野所長のアドバイス
  名付け親現わる

電気保安に確実な足跡 菅谷政夫氏
渋沢賞(第19回)受賞
《業界の必需品》
(「日刊工業新聞」昭和50年4月11日(金)掲載記事)

今後も改良に全力  菅谷政夫
(昭和50年4月11日(金)日刊工業新聞掲載)

亡き母を偲ぶ ―与えて求めぬその生涯― (昭和50年4月25日)
一致協力、不況を乗り切ろう (昭和51年6月2日)
私の禁煙大作戦 ―寝ている時は禁煙中― (昭和51年6月30日)
   最初の一服は「ほまれ」
   軍隊手帳でバナナの葉を巻く
   1日70本のヘビースモーカーに
   50歳で最後の挑戦
   発想の転換が成功のかぎ
借り方人生から貸し方人生へ (昭和53年4月1日)
   袖すり合うも他生の縁
   なんでも相談出来る先輩を持つ
   借り方人生から、貸し方人生へ
   みんな自分の振り子を持っている
   やる気こそ大きな振り子人生
創業31周年、今年を「新生第1年」としよう (昭和53年6月3日)
― 純粋・無欲がネグロス発展の基 ― 
   会社の歴史を知ろう
   必要は発明の母
   パテントの強さと脆さ
   創業は易く守成は難し
   ネグロス党は「利他主義」
   営業指向の経営
   コストを下げる、報告は数字化
「人間づくり」を宣言 (昭和54年6月2日)
― お客様あってのネグロスです ―
   会社の歴史を知ろう
   ローマは1日にして成らず
   両親の信用の有難さ
   アングラックの売り出し
   パイラックの売り出し
   仲間の電工さんの不便の解消が目的
   営業の充実、製品のコスト下げを狙う
   昭和54年、55年が重大な時期
   営業の目標
   製造、開発の目標
   経理への要望
   お客様あってこそのネグロス
   人間の一生は繰り返しができない
   失敗を恐れるな、失敗を成功へ転化
   人間づくり
創業当時の苦労と教訓 (昭和55年6月7日)
― 大火後の熱海で感じたこと ―
   社名の由来
   理想を大きく持つ
   不渡手形の発生
   正直者の徳
   熱海の大火から大きな教訓
   アングラックの開発
   売れるまでが一苦労
   パイラックはお客様の要望を汲み取ることから生まれた
   お客様の要求されるものを作る
   問屋依存の商売
   当初から見込み生産で即納態勢
   積極的な設備投資
   パテントの強さともろさ
   今後の行き方
   恩田杢先生に学ぶ
わが社の歴史と使命 (昭和56年6月6日)
   会社の歴史
   最初は電気工事を主力に
   電気工事人の心構え
   親のおかげ
   有限会社ネグロス協電社
   アングラック考案
   パイラックのヒントと決断
   鋳物からプレスへ発展したパイラック
   電工仲間の不便を解決するのが何よりの生き甲斐
   全国に販売網
   製造工場の建設
   海外技術の導入
   系列会社の設立
   利益を再投資しながら成長
   会社の歴史を語りつぐ
   コスト低減こそ
   販売拠点づくり
   55年度の設備投資
   低成長下でも勝ち残る
   56年度の展望と夢
   福利厚生施設
   マイコンクラブ
   提案の奨励
   人材の育成
   勝ち残るには
   ネグロス商品の魅力
   ネグロスの使命
人づくりに力を入れよう (昭和57年6月5日)
   従業員1人の電気工事店
   ネグロスの現在あるのはお客様のお陰
   40周年を目指して
   企業経営理念と社是
   創業の精神
   利他主義―「冥土見聞録」
   お客様の要望に応える電気工事を
   人づくり
   第3土曜の交代制休暇
   勝ち残る
経営理念と社是 (昭和58年6月4日)
   アングラックからパイラック
   旧家の家訓
   経営理念と社是
   経営を安上がりにする質量の転換
   売れる商品を造る
   情報の収集と分析
   人材育成・団結
   勝ち残る
お客様あってのネグロス (昭和59年6月2日)
   会社の歴史を知っていただきたい
   昭和22年6月1日開店
   私の生い立ち
   ネグロスの社名
   親の蒔いた種「信」から借金できる
   同業者と違った商売のやり方
   電気工事専業時代
   メーカーへ転換
   あれから30年、いまのネグロス
   社是
   他利主義
   本年度の経営目標
   朗働
恩師・茂田先生と私 (昭和59年10月)
禁煙の輪を拡げよう (昭和59年11月1日)
戦後はまだ終わっていない (昭和60年秋)
お客様に喜ばれる商品をお納めしよう (昭和60年6月1日)
   会社の創業と社名の由来について
気くばり、目くばり、心くばり (昭和61年6月7日)

ネグロス育英会に関する新聞報道
   昭和61年6月13日 読売新聞
   昭和61年6月18日 朝日新聞
   平成1年4月12日 読売新聞

創業の精神 (昭和61年7月)
最期のことば

『学徒日記抄』 心の火を燃やす
『学徒日記抄』掲載について  編集部

『学徒日記抄』を読む  大槻五郎

昭和14年
昭和15年
昭和16年
昭和17年

『学徒日記抄』を読んで  上村元春

菅谷政夫年譜

あとがき  編集部



先日読んだ『ネグロスのこころ』が気に入って、更に読んでみようと思い本書を入手した。
会社の成り立ちについては、何度も同じ話が出てくるので、ちょっと飽きてしまうが・・・
毎年、従業員等に語る創業の精神の話を一気に並べてしまっているせいである。
何度も何度も同じ話が続いてしまうが、微妙に内容に違いがあるので、丁寧に読めばそれなりに面白い。
『ネグロスのこころ』に続いて、こちらに掲載されている菅谷さんの考えにも、大いに共感・・・

『学徒日記抄』は、戦時中、学生時代の日記である。
時代は違うにもかかわらず、これにも共感・・・
こういう若き頃は、時代の違いにかかわらず、同じような思いをするものなのだなぁ~という感じ・・・
他人の日記だが、自分の若き日の頃を思い出した。(笑)



今年の読書:3冊目



読書 | 22:18:09
『硫黄島作戦』



   昭和44年8月
   陸上自衛隊幹部学校長 陸将 大島輝之助

陸戦史集について
   陸戦史研究普及会副会長 陸将補 山次惟貞

はしがき
   昭和45年3月
   陸戦史研究普及会

第1章 作戦の背影

第1節 地誌
 1 小笠原諸島、硫黄列島の概況
     父島
     母島
     気候
     産業
     交通、通信
 2 硫黄列島
     (1)概況
     (2)硫黄島
          地形
          人口
          気候
          明度資料
          産業
          植生
     (3)硫黄島の軍事的な価値
第2節 小笠原の歴史
第3節 戦況の推移に伴う小笠原方面の兵力増強
 1 開戦前の状況
 2 大東亜戦争開戦後の状況
 3 絶対国防圏の設定と小笠原方面の状況
 4 小笠原方面への兵力増強

第2章 硫黄島の作戦準備

第1節 国防圏前衛線の崩壊と中部太平洋方面の兵力増強
 1 米軍のマーシャル進攻と小笠原諸島の兵力増強
 2 第31軍の新設
第2節 小笠原地区集団の作戦準備
 1 作戦計画の概要
 2 伊支隊の硫黄島進出とその作戦準備
     1 方針
     2 指導要領
 3 作戦準備の指導
第3節 第109師団の新設と栗林師団長の硫黄島進出
 1 第109師団の新設
 2 師団長の硫黄島進出
第4節 サイパンの喪失と硫黄島の兵力増強
 1 サイパンの喪失
 2 栗林師団長の作戦準備指導
 3 硫黄島防備方針の変更
 4 サイパン奪回作戦の中止と小笠原兵団の新設
 5 小笠原兵団の増強
第5節 硫黄島の作戦準備の推進
 1 水際拠点と縦深配備
 2 硫黄島戦闘計画の概要
 3 作戦準備の進展状況
     築城作業の困難
     訓練
     対上陸戦闘の思想統一
 4 硫黄島防備訓練要綱の下令
 5 洞窟式交通路構築計画の下令
     目的
     実施要領
     12月初旬ごろの情報見積
     洞窟陣地の状況
第6節 硫黄島の空襲激化と兵団内人事の変更
 1 昭和19年末ごろの全般状況と硫黄島の空襲激化
 2 兵団内の人事の更迭

第3章 米軍の進攻作戦準備

第1節 硫黄島攻略決定の経緯と作戦目的
 1 攻略決定の経緯
     硫黄島攻略構想の芽ばえ
     台湾攻略の変更と硫黄島攻略の決定
 2 作戦目的
第2節 進攻作戦準備
 1 上陸作戦計画
 2 情報
 3 兵站
 4 訓練と予行演習
     進攻準備
 5 米軍の航空攻撃

第4章 米軍の硫黄島上陸と小笠原兵団の対上陸防御戦闘

第1節 米軍の砲爆撃
 1 昭和20年2月上旬ごろの敵情判断
 2 米軍の上陸準備砲爆撃と守備部隊の状況
第2節 米軍の上陸と日本軍の水際陣地の戦闘
 1 上陸前の砲撃
 2 米軍の上陸
 3 日本軍の水際陣地の戦闘
     中地区隊の戦闘
     南地区隊の戦闘
     摺鉢山地区隊の戦闘
     千鳥飛行場の喪失(2月20日)
第3節 摺鉢山の死闘

第5章 主陣地の戦闘

第1節 南地区隊正面の戦闘
 1 南部落第一線陣地の健闘
 2 西地区隊前進拠点の戦闘
第2節 海軍第二御楯特別攻撃隊
 1 特攻隊編成のいきさつ
 2 第二御楯特別攻撃隊の出撃
第3節 元山台地の強化と元山飛行場地区守備部隊の勇戦
 1 元山台地の強化
 2 主陣地南翼の喪失
 3 独立速射砲第12大隊の敢闘
 4 飛行場地区の攻防
 5 兵団司令部の戦闘指導
第4節 第二線陣地の敢闘

第6章 複郭陣地の戦闘

第1節 第二線陣地の喪失
 1 複郭陣地への戦闘転移
 2 大阪山に米軍進出
 3 二段岩守備隊の玉砕
 4 長田挺進斬込隊の勇戦
 5 東地区隊の転用と北地区の防備強化
第2節 栗林兵団長の作戦指導
 1 西戦車連隊の勇戦
 2 大本営の苦衷
 3 栗林兵団長の作戦指揮
 4 海軍部隊の勇戦
第3節 混成第二旅団の総反撃
 1 総反撃の決定
 2 総反撃の部署
 3 総反撃の決行

第7章 最後の戦闘

第1節 北地区拠点の激戦
第2節 東山周辺の戦闘と玉名山付近の遊撃戦闘
 1 東山周辺の戦闘
 2 玉名山付近の遊撃戦闘
第3節 栗林兵団の総反撃
 1 北拠点の死闘
 2 兵団の総反撃
第4節 戦い終わる
 あとがき

付表第1
 硫黄島作戦関係主要史実暦日表
付表第2
 小笠原兵団主要部隊及び幹部一覧表(昭20・2・19 現在)
付表第3
 栗林兵団長の略歴(長野県出身)
付表第4
 海軍硫黄島警備隊の編成及び配置図(昭和20年2月)
付表第5
 米軍進攻部隊編成の概要
付表第6
 硫黄島守備部隊(陸軍)進出状況一覧表
付表第7
 在硫黄島小笠原兵団主要部隊編成の概要
付表第8
 米軍上陸用舟艇諸元表(第2次大戦間)
付表第9
 硫黄島作戦の戦術的要約



以前、一度だけ硫黄島に行ったことがある。
米軍と、退役軍人、遺族たちと一緒に行ったのだが・・・
「そういう手を使うな」と外務省職員に叱られた。(唖然)
日本人は某組織の承諾を受けたうえで慰霊団の一員としてしか島には行けない。
ちなみに、その某組織は、その権限を私物化しているとの批判を聞いたことがあるが・・・
我々は米軍側の慰霊団の一員として硫黄島に行った。
アメリカから誘われたから同行したまでのことで、汚い手を使って島に渡ったわけではない。
文句があるなら、誘った側のアメリカに文句を言うべきだと憤慨したものだ。

当然、米軍関係者と一緒に行動したので、行った場所は米軍の上陸地点や星条旗を立てた摺鉢山だけである。
日本側の陣地等には行かなかったので、日本側の著名な戦跡は見ていないし、そこでの慰霊もしていない。
本書を読んで、なるほどねぇ~と改めて日本軍の戦いぶりを知った。
戦跡を見ていないので、映像は頭に浮かんではこなかったが・・・
唯一、米軍上陸地点の日本軍の水際陣地のコンクリート製のトーチカは見たので、その中に入り、ここにいた兵士のことに思いを馳せた。
錆びついた機銃が海岸線に向いたまま、当時のまま設置されていた。
続々と上陸してくる米軍に、ここから機銃掃射するのは怖かっただろうなぁ~
このトーチカの後ろには逃げ場がないのであるから・・・

出来れば子供達の修学旅行の訪問地にしてもらいたい。
当時のことを想像して、その場所に立って考えることこそが「平和教育」だと思うのだが・・・
日本が朝鮮人にいかに酷いことをしたか(本当かどうかは知らないが・・・)を教えることだけが「平和教育」ではなかろう?(大汗)

当時の硫黄島戦について全体的な流れを知るには本書は非常に有効である。



今年の読書:2冊目



読書 | 22:54:49
『ネグロスのこころ』
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『ネグロスのこころ』
昭和62年10月10日発行
平成元年4月第3版発行
発行所 ネグロス電工株式会社

菅谷政夫略歴

創業3年目のネグロス協電社 店舗全面写真の説明

発刊を祝して
 「ネグロスのこころ」発刊を祝して  江戸川区長 中里喜一
 「ネグロスのこころ」の発刊に寄せて  友人 勝田慎一郎
 「ネグロスのこころ」発刊に寄せて  友人 中里重隆

発刊の辞
 故人を知るよすがに  社長 菅谷よし子

電気工事の専業時代
 社長 菅谷よし子

創業者菅谷政夫 社内報巻頭言葉

『ねぐろす』の創刊に際して (42年6月)
ネグロスのはじまり (42年12月)

企業経営理念の確立 (43年2月)
喜んで働こう (43年4月)
苦難は幸福に入る狭き門 (43年6月)
再度の技術奨励賞に思う (43年8月)
『未来思考室』構想 (43年10月)
険しい状勢を新製品で切り抜けよう (43年12月)

ネグロス電気と電材の合併に期待する (44年2月)
“ネグロス電工”発足す (44年4月)
技術革新に対応と多角経営 (44年6月)
韓国人の印象 (44年8月)
『経営理念』『社是』掲載について (44年10月)
世界の通貨不安・日本・ネグロス (44年12月)

新春の空想 10年後のネグロス (45年2月)
お客様のご要望をさがし出せ (45年4月)
たね銭を大きく育てよう (45年6月)
万国博とネグロス野球部 (45年8月)
万国博と営業倉庫 (45年10月)
流通機構を簡素化する (45年12月)

猪の如く直進し転換する (46年2月)
強い子に育てるには辛抱が大事 (46年4月)
『ツモリ』貯金 (46年6月)
「製品から商品へ」アイデアだけでは売りものにならない (46年8月)
全員営業マンとなって不況を乗り切ろう (46年10月)
お客様あっての企業 (46年12月)

今年こそ試練の年 (47年2月)
“運(うん)・鈍(どん)・根(こん)・感(かん)・間(かん)”を諸君に贈る (47年6月)
挙式費用を節約し早くマイホームを (47年8月)
企業も英才教育が必要か (47年10月)
はた(側)らく(楽) (47年12月)

今年は丑(うし)(牛)年 (48年2月)
他社からスカウトされるような人に育てたい (48年4月)
ハノーバーメッセで自信を得る (48年6月)
ドイツ気質(かたぎ) (48年8月)
地球の有限資源のぜいたくな消費は許さるべきか (48年10月)
石油問題で世界の孤児になるなかれ (48年12月)

今年こそ信用確立のとき 混乱の時こそ正直と誠実を (49年2月)
新入社員に贈る5つの言葉 (49年4月)
西独の物価は去年と同じ (49年6月)
雑草の生き残るみち 工業所有権を活用しよう (49年8月)
生活設計の目標を (49年10月)

渋沢賞を受賞 (50年2月)
プロに徹しよう (50年4月)
反省と計画の時点にしよう (50年6月)
今こそ精神文明の復活を (50年8月)
三浦善一氏著「経営一言集」から (50年10月)

資格を取ろう (51年6月)
物質文明繁栄の陰に精神文化の荒廃が (51年8月)
社内報は心の通い合うベルト役 (51年10月)
偽造事件について 「工業所有権」こそ最大の権利 (51年12月)

昭和52年 年頭所感 (52年2月)
社会大学に入学して よい足あとを残そう (52年4月)
今年はネグロス流人材育成を第一としよう (52年6月)
3年曲線と10年曲線 (52年8月)
ネグロス島訪問 亡き戦友の冥福を祈る (52年10月)
“ぶらんこ”はすぐに大きくは振れない (52年12月)

塞翁が馬 (53年2月)
利他主義はネグロス党のバックボーン (53年4月)
『経営一言集』(三浦善一著) この書は私の座右の書です (53年6月)
ねじからばねへ 優秀性が比較立証された日 (53年8月)
新製品を早くお米にしよう (53年10月)
先ず目標を立てよう (53年12月)

日当り産業になるために努力しよう (54年2月)
あなたの人生は あなた自身の努力にある (54年4月)
やさしい商売 むずかしい (54年6月)
社内報は親孝行のもと (54年8月)
仕事の場が無数にあり 仕事のチャンスが無限にある会社 (54年10月)
過去の経験を生かして80年代も若い力で乗り切ろう (54年12月)

杢流経営法に学ぶ (55年2月)
若者よ大きくはばたいて翔んで行け (55年4月)
「若しあの時・・・」生か死かの運命の微妙さを考える (55年6月)
ライバル西ドイツに負けるな (55年8月)
隠れた先覚者 小林虎三郎 (55年10月)
55年度「発明奨励賞」を頂いて (55年12月)

未開発商品の開拓と視野を拡げよう (56年1月)
事業の基礎をつくった10代から20代の貴重な体験 (56年3月)
メーカーの責任を自覚し よりよい資材を開発したい (56年6月)
ささやかな民間外交 (56年7月)
作り勝手より使い勝手 (56年9月)
戦争当時の夜学生 (56年11月)

有言実行 (57年1月)
獅子はわが子を谷に突き落とす (57年3月)
ネグロスの原点をたずねて (57年5月)
お役に立てた喜び(新幹線にご採用) (57年7月)
幸、不幸の別かれ道は心の持ち方次第 (57年9月)
国際化に生きよう (57年11月)

国際化に生きよう (58年1月)
利他主義に徹した一日本人家族のオイスカ精神
  勤労を尊ぶ日本の心を呼び戻そう (58年3月)
ハノーバーとパリでみたこと (58年5月)
商売も戦争、勝ち残ろう!! (58年7月)
自分を大きくするのは自分しかない (58年9月)
なーぜなぜ問答 (58年11月)

斜陽化から脱出の年 (59年1月)
ネグロスの人づくり (59年3月)
一日も早くお米化しよう (59年5月)
現場の声を聞き出そう (59年7月)
心友を作ろう (59年9月)
全食のすすめ (59年11月)

今こそ原点に立ち戻るべき時期 (60年1月)
貸し方人生を目指そう (60年3月)
正しい判断は正しい情報から (60年7月)
あずかっている運命 (60年9月)
アングラック発売30周年記念行事始まる (60年11月)

成人式を真剣に受け止めよう (61年1月)
これからの勉強で人生がきまる (61年3月)
財団法人・ネグロス育英基金発足す (61年5月)

編集後記
  編集 萩野信京



私が「ネグロス」というのを知ったのは、小学校低学年の頃だったと思う。
祖父の家へ遊びに行ったとき『ねぐろす』という冊子が置いてあった。
「ねぐろす」とは変な名前だなと思い、祖父に尋ねたら・・・
「ネグロス」はフィリピンの島の名前なのだそうだ。
このネグロス島から戦後帰ってきた人が自分が作った会社に「ネグロス」という名前を付けたという。
ネグロス電工という立派な会社なんだぞ・・・と祖父が言ったことを覚えている。
が・・・それでも、外国の島の名前を付けるなんて変なことをするなぁ~と思った・・・(苦笑)

さらに、祖父はその会社に招かれたことがあったという。
駅に降り立ったら、黒塗りの立派な車が迎えに来たので驚いたという。
で・・・会社に行ったら、従業員を集めて、この会社の人が「この人は俺の親父である」とか何とか言ったらしい。
祖父は、「嬉しかったなぁ~」と言っていたが、私には不思議でならなかった。
本当の親子じゃないのに何で「親父」って言ったんだろう?(大笑)
ますます、私の頭に「ネグロス」の名前が刻まれた。(汗)

その後、私が「ネグロス」に出会ったのは、入社した自分の会社の工場内にネグロス電工の電線支持器具などが使われているのを見た時で、いやぁ~懐かしいなぁ~と再び出会った「ネグロス」の文字に嬉しく思った。
数年前にネグロス島に戦跡訪問と戦没者の慰霊に行ったが、なぜかその時には「ネグロス電工社」の名前を思い出すことがなかった。何でだろう?(大汗)
ところが、先日、ふと、突然思い出したのである・・・
この会社と、祖父とはどういう関係があったのだろう?
祖父に「会社をぜひ見てもらいたい」と招いて「親父です」と紹介したのは、創業社長の菅谷政夫さんではなかろうか?
というわけで・・・古書店から本書を取り寄せて読んでみることにした。

そこで知ったこと・・・
祖父は大戦末期にフィリピンで戦っていたが、その場所はルソン島である。
ネグロス電工の創業者の菅谷さんは同じフィリピンでもネグロス島で全く場所が違う。
祖父は騎兵出身、菅谷さんは高射砲大隊所属の砲兵で、兵科も違うから接点が全く見当たらない。
しかも、年齢は祖父は当時45歳ぐらいだったが、菅谷さんは22歳~23歳ぐらいである。(汗)
おかしいなぁ~・・・接点が見当たらない・・・
何で会社に招かれたり、「親父です」などと言われたのだろう?(汗)
謎である・・・

本書は、社内報の「ねぐろす」に創業社長の菅谷政夫氏が書いた巻頭の記事を集めたものである。
私がこの社内報を読んだ当時、私は小学生だったから、読んでも何が書かれていたのか分からなかったのだろう。
内容は全く記憶にない・・・(苦笑)
今回、改めて読んでみて、なるほど、祖父が言う通り立派な人だったのだなぁ~と思った。
昭和の時代に書かれたものなのに、今でも充分通じる話が多いのである。
菅谷氏の考え、価値観は大いに賛同できるものばかりである。
内容を全く覚えていないはずなのに、なぜか懐かしいなぁ~という感じ・・・(苦笑)

残念なことに、菅谷氏は昭和61年に63歳でお亡くなりになっていることを初めて知った。
祖父より先にお亡くなりになっていたのである。(驚)
63歳は、いくらなんでも早すぎる・・・
私が60歳だから、なおさら、そう思うのだろうが・・・

いい話がたくさん載っていて、現代の経営者にも勉強になる良い本だと思う。


今年の読書:1冊目



読書 | 00:09:42
『戦艦「大和」反転の真相』


私はその場に居た

第1章 海軍軍人への道
 少年時代
 兵学校受験で腕試し・伊藤整一中佐との出会い
 海軍兵学校へ
 御召艦「比叡」
 2・26事件と桜花神雷部隊
 支那事変
 猛訓練

第2章 航空時代の到来と駆逐艦「初雪」の激闘
 戦機迫る
 マレー沖海戦
 エンドウ沖海戦で英艦を撃沈
 ジャワ上陸作戦で魚雷誤射?
 連戦連勝の終わり

第3章 ソロモン諸島の攻防
 命令違反の代償
 「初雪」、ソロモンの戦いへ
 ネズミ輸送中にレーダー射撃を受ける
 「初雪」から「金剛」へ

第4章 「大和」乗艦ヲ命ズ
 世界最大の巨艦に乗艦
 日本海軍式砲術
 絶対国防圏に迫る米軍

第5章 運命のレイテ沖海戦
 台湾沖航空戦の幻
 捷1号作戦、発動
 突入部隊、ブルネイを出撃
 旗艦を「大和」に変更
 シブヤン海に米軍機来襲
 囮作戦成功
 水平線上マスト7本見ゆ

第6章 栗田艦隊、反転す
 反転命令下る
 謎に包まれた電文と反転の真相
 「大和」を降りる

第7章 終戦
 空母「鳳翔」から第3航空艦隊参謀へ
 大戦末期と終戦
 戦後を生きて

おわりにかえて―未来の日本へ―



著者は平成30年当時で104歳という元海軍士官。
昭和19年、レイテ沖海戦ではレイテ湾に殴り込みをかける戦艦大和の副砲長だった方である。

フィリピンのレイテ島に米軍が上陸した時・・・
連合艦隊は総力を挙げて、レイテ島に殴り込みをかけた。
レイテ湾の敵輸送船団に攻撃をかけるのは、戦艦大和を中心とする主力艦隊・・・
この作戦を成功に導くために、米軍を引き付ける囮部隊として空母を中心とする小澤艦隊があり・・・
そのほか、別動隊として西村艦隊、志摩艦隊がレイテに向う。

作戦はうまくいき、さぁ、レイテ湾に突入するぞ・・・という寸前に戦艦大和を中心とする主力艦隊は反転・・・(驚)
戦場を離脱してしまったのである!
これが世にいう“謎の反転”である。
栗田司令官も幕僚も戦後、この“謎の反転”について何も語らずこの世を去っている。
「敗軍の将、兵を語らず」「言い訳は言わない」とは一見、恰好が良いように見えるが・・・
多くの将兵が、この作戦のために戦死しているのである。
別動隊の西村艦隊はスリガオ海峡に突入して、米艦隊の待ち伏せを受け全滅した。
これにより米艦隊を十分に引き付け、大和など主力のために貢献することができたわけであるが・・・
この時、撃沈された戦艦「山城」は1500名ほどの乗組員のうち、生存者は10名だけだった。
以前、このスリガオでの戦没者慰霊祭に参列したことがあるが・・・
主力艦隊の反転により彼らの貢献は全くのムダとなったのではないか?
彼ら多くの将兵たちを無駄死にしたのは、誰のせいだろう?

この絶好のチャンスを逃した“謎の反転”について書かれた本は結構あるが・・・
どうもシックリといかない・・・(汗)
肝心なところがボヤかされている気がしてならないのである。

本書の著者は、当時、戦艦大和の艦橋で、この反転の決断に立ち会っていた。
当然、ここまで来ての反転には抗議をしたらしい。
こういうゴタゴタした艦橋の様子を明確に書いた本には今まで出会ったことがない。
著者は、戦後70年以上、このことに沈黙していたが、年齢も104歳となり、最後の“生き証人”として真相を公表することにしたという。
その内容は、私が思っていた通りの内容だった。(大汗)
やっぱりねぇ~・・・である。

本書を読んで驚いたもう一つの話がある。
ガダルカナル島の話だが・・・
これも通説とは違う話で、まさかという話・・・
通説では、日本軍がガダルカナル島に飛行場を作って、それが完成するかしないかの時に米軍が上陸して飛行場を奪われたことになっている。
が・・・実際は、飛行場には零戦12機が進出したらしいが、その隊長が居住施設が完備されていないと文句を言って、勝手に後方に引き上げてしまったという。
で・・・翌日、ガダルカナル島の近くのツラギが米軍の攻撃を受け玉砕、次いでガダルカナル島に上陸し、その後、ガダルカナル島は“餓島(がとう)”と呼ばれるほどの悲惨な戦場となる。
ツラギにもガダルカナルにも慰霊に行ったことがあるが・・・
今回、経緯を知り、なんたることか・・・という思いである。
そのまま零戦隊が駐留していたら、早期に敵を発見できたかもしれないし・・・そのまま制空権を確保していれば、当初の戦況も違ったものになっていたかもしれない。
この隊長の責任は重いだろうが、誰もそのことを指摘していない。
命令に反して勝手に兵を引き上げたことを隠蔽している・・・ということになるだろう。

このガダルカナル島での事も、レイテでの反転も、中身は同じ・・・
そして事実を隠し、その後、責任を追及されないのも・・・同じ・・・
軍隊は「官僚組織」である。
自己保身と命令違反、嘘と誤魔化し・・・困ったことに現在の「官僚組織」にも受け継がれているようである。
104歳の著者は、そのことも危惧している。

今更、過去をほじくり出して「真相」をバラしても意味はないと思う人もいるかもしれないが・・・
嘘と誤魔化しで固められた歴史から学ぶと、間違った“教訓”を得ることになりはしないか?
以前から私が想像していた“反転の原因”と著者の証言が一致したことは、ある意味驚きである。

反転を進言した人物がいる・・・
当時の状況からして、その人物が電報を改竄したに違いない。
本人は死にたくなかったのだろう・・・その気持ちはわからないでもないが・・・(汗)
そして、その進言を幸いとして、乗っかった連中がいる。
で・・・若い連中の抗議を自分の肩書と階級で押さえつけ・・・反転・・・
この瞬間、多くの犠牲となった将兵は無駄死にとなった。
そして、戦後、関係者は口を閉ざすか、適当な理由を上げて誤魔化した本を出す・・・

この人物の名は、本書ではハッキリと書かれている。
そして彼は戦後、参議院議員となり、平成元年に他界している。
彼は、その間、一言も当時の話はしていないようである。
なんでジャーナリストは彼に尋ねなかったのだろう?
やっぱり国会議員が相手では、気が引けたのだろうか?
それが、この人の“手”だったのかもしれない・・・(大汗)

著者には、104歳まで生きていただき、貴重な証言を残してくださったことに感謝である。


今年の読書:80冊目



読書 | 21:50:25
『サイパン島作戦』



   陸上自衛隊幹部学校長・同修親会長 陸将 坂本 力

はしがき
   昭和53年2月
   陸上自衛隊幹部学校・修親会編集委員長 陸将 渡辺茂政

第1章 作戦の背景

 第1節 太平洋方面の戦況の推移
   1 外郭要地攻略作戦の失敗
   2 連合軍の反攻開始と日本軍の守勢への転換
 第2節 南洋諸島及びマリアナ諸島の概況
          気象衛生
          行政
          交通
          通信
 第3節 サイパン諸島の地誌
   1 概況
   2 地形・気象・住民等の状況
          山地
          平地
          河川
          海岸
          気象
          気温
          風向
          雨量
          給水
          日出・日没
          住民
          都市
          飛行場
          港湾
          交通
          通信
          衛生
          産業
 第4節 中部太平洋方面の戦備強化
   1 離島防衛の在り方
   2 戦備強化

第2章 連合軍の反攻激化と日本軍の絶対国防圏の設定

 第1節 連合軍の反攻激化
   1 中部太平洋への進攻計画
   2 連合軍の反攻激化
 第2節 絶対国防圏の設定
   1 設定の経緯
          敵情判断の概要
          作戦指導の大綱
   2 新作戦方針の発令(絶対国防圏の設定)
 第3節 前衛線への兵力増強
 第4節 国防圏前衛線の崩壊
   1 ギルバート守備隊の玉砕
   2 マーシャル前衛線の崩壊
   3 マリアナの危機
 第5節 マリアナの防備強化
   1 絶対国防圏への兵力増強
   2 トラック大空襲
   3 マリアナ、カロリン(トラック等)の防備検討
   4 船舶の不足
   5 ブラウン(エニウェトク)の喪失
   6 マリアナの本格的な防備決定
   7 第31軍及び中部太平洋方面艦隊の新設
          国軍・一般の情勢

第3章 サイパン島の防衛作戦準備

 第1節 海軍部隊によるサイパン島防備
 第2節 対上陸防御の戦闘要領
   1 島嶼守備隊戦闘教令
   2 第31軍の防備計画と作戦指導
 第3節 陸軍部隊のサイパン進出と初期の配備
   1 第13師団先遣隊
   2 第29師団歩兵第18連隊
   3 サイパン集成守備隊の編成
   4 第31軍司令部、第1派遣隊等の到着と配備
          第1派遣隊
          高射砲第25連隊
          戦車第9連隊
          独立工兵第7連隊
   5 第1派遣隊の作戦準備
          防空配備
   6 牛山隊及び第9派遣隊等の上陸
          牛山隊
   7 第14師団のパラオ転用
          第14師団
   8 海軍部隊の増強
 第4節 第43師団のサイパン到着
   1 第43師団の動員
   2 第一次輸送部隊のサイパン到着
   3 第43師団第二次輸送部隊等の遭難
          サイパン島陸上守備部隊到着・転出概況表
 第5節 第43師団の作戦準備
   1 師団主力の展開
          敵情判断
          師団の作戦構想
   2 主要部隊の展開と配備
          歩兵第135連隊
          歩兵第136連隊
          第1派遣隊
 第6節 築城
   1 第31軍の築城計画
   2 築城の進捗状況
   3 阻害要因
   4 上陸時の築城程度
          水際陣地
          砲兵陣地
          司令部等
          偽装
          弾薬・燃料の集積所
          後方陣地

第4章 米軍のマリアナ攻略計画と準備

 第1節 マリアナ攻略構想の決定経緯
 第2節 作戦軍の編組と指揮関係
 第3節 サイパンの上陸計画
   1 上陸計画の概要
          上陸計画の概要
   2 上陸作戦用装備
 第4節 作戦準備
   1 訓練と予行
   2 目標への移動と準備作戦

第5章 日本軍の「あ」号作戦準備と米軍の上陸準備

 第1節 「あ」号作戦計画と準備
   1 作戦計画策定の経緯
   2 「あ」号作戦計画の概要
          日本軍の採るべき方策
          当面の作戦指導方針
          連合艦隊の「あ」号作戦計画の骨子
   3 海軍の「あ」号作戦準備
   4 陸軍の「あ」号作戦協力
          命令の要旨
 第2節 渾(こん)作戦
   1 連合軍のビアク島進攻
   2 作戦経過の概要
   3 第31軍司令官のパラオ方面の作戦指導
 第3節 米軍の上陸準備砲爆撃
   1 6月11日、米軍に制空権を奪われる
   2 6月12日、航空基地等の破壊
   3 6月13日、艦砲射撃開始
   4 6月14日、本格的な陣地破壊射撃
   5 対艦艇射撃
   6 上陸海岸の偵察
   7 大本営の敵情判断

第6章 水際付近の戦闘

 第1節 上陸及び対上陸戦闘
   1 上陸(達着)前後の状況
   2 上陸直後の昼間逆襲
 第2節 水際陣地の戦闘
   1 左地区隊(オレアイ正面)
   2 チャランカノア正面(西小地区隊)
   3 ススペ岬守備部隊の勇戦
   4 アギーガン岬周辺の健闘
          アギーガン岬の勇戦
   5 日本軍砲兵の善戦
 第3節 日本軍の反撃
   1 軍及び師団の作戦指導
   2 6月15日夜(第1夜)の逆襲
          オレアイ北方地区の夜襲
          チャランカノア地区の夜襲
          オレアイ東南地区の斬込み
   3 米軍海岸堡の拡大強化
   4 6月16日夜(第2夜)の日本軍主力の反撃
          反撃計画の概要
          失敗の要因
 第4節 水際防御の崩壊
   1 ヒナシス山周辺の戦闘
   2 米軍団司令部の上陸

第7章 海空の決戦(マリアナ沖海戦)

 第1節 決戦までの第1機動艦隊の行動
   1 「あ」号作戦決戦用意
   2 「あ」号作戦決戦発動
 第2節 基地航空戦力等の消耗
   1 マリアナ基地に対する米軍の奇襲
   2 決戦までの基地航空部隊の出撃
   3 決戦時における協力
   4 潜水艦の協力
 第3節 機動部隊の決戦
   1 日本艦隊のギマラス出撃
   2 決戦第1日の状況
   3 旗艦大鳳の沈没とその影響
   4 決戦第2日の状況
   5 決戦の終末
 第4節 「あ」号作戦失敗の要因

第8章 大本営及び第31軍の作戦指導

 第1節 大本営の作戦指導
   1 上陸初期の大本営の判断
   2 サイパン奪回作戦
          「ワ」号作戦の準備
          奪回作戦を断念
   3 サイパン放棄の決定
 第2節 第31軍の作戦指導
   1 軍内部隊のサイパン増援
   2 軍司令官の苦衷
   3 大本営の指導
   4 第43師団司令部の移動
   5 増援の要請
   6 戦訓速報
          戦訓報告

第9章 タポーチョ山地域の戦闘

 第1節 戦闘経過の概要
   1 6月18日から21日の状況
   2 6月22日から25日の状況、タポーチョ山周辺の戦闘開始
          22日
          23日
          24日
          25日
   3 6月26日から30日の状況
          26日
          27日
          28日
          29日
 第2節 局地における日本軍の善戦(勇戦)
   1 163高地の死闘
   2 ナフタン守備隊の奮戦
   3 タポーチョ山周辺の山地戦
 第3節 局地における米軍の戦闘
   1 「死の谷」の戦闘
 第4節 最終防御陣地への離脱
   1 最終防御陣地への離脱
   2 最終抵抗線の占領

第10章 最後の総攻撃

 第1節 総員玉砕の決心
   1 玉砕の決定
   2 命令及び訣別電報
          軍旗奉焼
          命令
          訣別電報
   3 総攻撃直前の攻防
 第2節 守備部隊の玉砕
   1 高級指揮官の自決
   2 総攻撃の決行
          総攻撃の構想
          突撃開始
 第3節 米軍の北部地区の掃討

第11章 在留邦人の活動

 第1節 作戦準備間の行動
 第2節 防衛召集と住民の協力
 第3節 婦女子のひき上げ(非戦闘員の疎開)
 第4節 戦闘間における住民の行動
   1 住民の戦場避難
          6月11日
          6月12日
          6月13日
          6月14日
          6月15日
   2 住民の作戦協力
 第5節 総攻撃後の在留邦人の悲劇
   1 総攻撃に参加
   2 マッピ岬の悲劇
   3 米軍の日本人(民間)対策

あとがき
   マリアナ諸島等遺骨収集実施状況

主要参考文献

付表1 サイパン島陸軍地上兵力一覧表(昭和19年6月15日ごろ)
付表2 作戦全般暦日表
付表3 サイパン島作戦戦況推移表
付表4 上陸作戦用舟艇等諸元表
付表5 米軍の上陸要領(一般)
付表6 日米両軍航空機性能諸元表
付表7 日米両軍の戦力比較と損害(サイパン作戦のみ)



私がサイパン島に行ったのは・・・もう20年以上も前のことである。
斎藤師団長が自決した“地獄谷”の洞窟に行きたかったが、場所が分からず行けなかったのが今もって心残り・・・
斎藤義次中将は、私の祖父の上官だった方である。
“黒木大隊”の慰霊碑にお参りしたら、後日、戦友会から令状が届いた。
黒木大隊の戦友会も、もうすでに解散してしまっているんだろうなぁ~

我が戦友会に関係する部隊は、サイパン島で玉砕した独立戦車第3中隊・・・
我が戦車第10連隊から抽出して編成された部隊で、総員は94名、生還者は1名だったとされている。
この唯一の生還者は、“バンザイ突撃”の際、意識を失い米軍の捕虜となった。
戦後、捕虜になったことを恥じて戦友会にも生還していることを知らせなかったという。
ところが、自分の部隊の遺族が、本隊が全滅したフィリピンに毎年慰霊に行っていることを新聞で知った。
全く違う場所で慰霊をされては戦友が浮かばれないということで、思い切って戦友会に連絡をしてきたという。
おかげで真相がわかり、関係遺族は翌年からサイパン島へ慰霊に行くことになったという。
この唯一の生還者は、その“証言”の翌年に他界されたという。
ギリギリでの貴重な証言だった。

20数年前、私はこのことを知らなかったので、この部隊の慰霊をすることはなかった・・・
もう一度、サイパン島に行って、慰霊をしてあげたい・・・と思うが・・・
実現できるかなぁ?(大汗)

本書は、サイパン戦を知るには、結構わかりやすい本だと思う。
各部隊の細かいところは別として、ザックリと知るにはいい。



今年の読書:79冊目



読書 | 00:39:03
『本能寺の変 431年目の真実』


プロローグ 【問題だらけの本能寺の変の定説】

第1章 作り上げられた定説

第1章 誰の手で定説は作られたか
 勝者が流布した偽りの真実
 秀吉の宣伝の書『惟任退治記』
 改竄された愛宕百韻
 改竄の動かぬ証拠
 宣伝書に込めた秀吉の意図
 秀吉伝説を作った『太閤記』
 光秀伝説を作った『明智軍記』
 権威付けた細川家記(かき)
 定説を固めた高柳光寿神話
第2章 定説とは異なる光秀の経歴
 将軍義昭(よしあき)の足軽衆
 細川藤孝の中間(ちゅうげん)
 フロイス証言の信憑性
 幕府奉公衆としての出世
 義昭を離れ信長のもとへ
第3章 作られた信長との不仲説
 史料が記(しる)す親密な関係
 『甫庵信長記』が作った相克
 矮小化された二人の人物像

第2部 謀反を決意した真の動機

第4章 土岐氏再興の悲願
 愛宕百韻に込めた祈願
 土岐氏の栄枯盛衰
 愛宕百韻を完全解読
 太田牛一が書き換えた愛宕百韻
 なぜ脇句・第三も改竄されたのか
第5章 盟友・長宗我部の危機
 利三(としみつ)兄弟と長宗我部の絆(きずな)
 長宗我部氏と土岐氏
 四国問題の鍵を握る石谷頼辰(いしがいよりとき)
 畿内・四国同盟に訪れた危機
第6章 信長が着手した大改革
 織田家の長期政権構想
 信長の「唐(から)入り」
 信長のコンキスタドール
 これが謀反の真の動機

第3部 解明された謀反の全貌

第7章 本能寺の変はこう仕組まれた
 6月2日の未解明の謎
 光秀の兵が出した答
 家康・順慶呼び出しの謎解き
 織田信忠見落としの謎解き
 安土城進軍の謎解き
 信長の油断の謎解き
第8章 織田信長の企(くわだ)
 天正10年の作戦発動
 家康領の軍事視察
 なぜ「家康討ち」なのか
 信長の最期の言葉
 本能寺から脱出した黒人小姓
 彌介が伝えた信長の最期
 安土城の密室での証人
第9章 明智光秀の企(くわだ)て
 謀反の決意と模索
 光秀の決断「時は今」
 吉田兼見の偽証
 光秀が奏上した「家康との談合」
 談合にいたもう一人の人物
 藤孝が発した警告
 成就するかに見えた謀反
 狂いだした歯車
 山崎の敗北、そして滅亡
第10章 徳川家康の企て
 作られた伊賀越えの苦難
 謀殺された穴山梅雪
 天正壬午(じんご)の乱の策動
 動かさなかった西陣
 手間取った光秀将軍
 注目すべき津嶋への陣替
 山岡兄弟の奇妙な行動
 イスパニア商人が残した証言
 安土城放火の真犯人
第11章 羽柴秀吉の企て
 早過ぎる中国大返し
 準備されていた和睦
 秀吉が待望した光秀決起
 謎の「杉原殿」
 破格の論功行賞
 細川藤孝の決断
 秀吉の巧みな情報操作
 三者による秘密の封印

第4部 叶わなかった二つの祈願

第12章 祈願「時は今あめが下なる五月かな」
 明智氏による土岐氏再興
 春日局の異例の取り立て
 落ち延びた光秀の子供
 時を継ぐもの
第13章 祈願「国々は猶(なお)のどかなるとき」
 豊臣秀吉の唐入り
 千利休切腹の真実
 関白秀次切腹の真実

エピローグ 【本能寺の変の定説を固めた国策】

謝辞

付録
 1⃣本能寺の変「日表」(変前)―日差は本能寺の変までの日数
              (変後)―日差は本能寺の変からの日数
 2⃣光秀「年表」―年差は本能寺の変までの年数

参考文献



「本能寺の変」とは、明智光秀が織田信長を討った事件・・・
誰もが知っているという有名な事件である。
が・・・なぜ主君の織田信長を討ったのだろう?
なぜ、信長はむざむざと、あっけなく討たれたのだろう?
光秀が、これほどの“大冒険”をするには、相当の理由があるのだろうということで、怨恨説等々が「定説」となっているが・・・
これに異議を持ち出したのが本書である。
「歴史捜査」と称して、各種の文献などから、その真相に迫る。
たしかに・・・今までの「定説」は、ちょっとおかしいぞ・・・(汗)
本書に書かれている話の方が“真実”に近い気がするなぁ~
なかなか説得力のある話で面白かった。


今年の読書:78冊目



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