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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『大エルミタージュ展』を見に行く
昨日は「近代史検証会」の“お勉強”のため上京・・・・
いつものように一泊・・・・(笑)

で・・・今日は・・・
『大エルミタージュ美術館展』を見に行くことにした。
場所は森アーツセンターギャラリーとのこと。
六本木ヒルズの森タワーにあるというのだが、拙者は行ったことがない。
六本木ヒルズってどこだ?(大汗)

西洋絵画は、いつも上野の西洋美術館でばかり見ているので、そのほかの場所には行くことがない。
が・・・今回は思い切って行ってみた。
地下鉄を降りてからもオロオロ、ウロウロ・・・・
ビルに入ってからもオロオロ、ウロウロ・・・である。(苦笑)
他のイベントもあったようなので、その観客とごちゃまぜ・・・
いったい、どの列に並べばいいんだ?
入口はどこだ?(大汗)
係員に尋ねながら、ようやく目的地に到着!(大笑)

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実は、この展覧会・・・正直言って、あまり期待はしていなかった。
「オールドマスターの傑作が勢ぞろい」と銘打っているのだが、果たしてどんなものやら・・・(苦笑)
で・・・実際に見てみたら・・・
いい!とてもいい!(大喜)
拙者は技術的な事は全く知らない。
ただ、拙者の好みに合えば「いい絵」で、好みに合わなければ「ダメな絵」と判断している。(大笑)

こういう展覧会では、一つか二つ、下手をすれば半分以上が「好みではない絵」ということが普通なのだが・・・
この「大エルミタージュ美術館展」に出展されている絵は、どの絵も拙者の好みの絵だったのである!(驚)
こういうのは初めてである!
いやぁ~嬉しくなっちゃうなぁ~
オロオロ、ウロウロしながら来た甲斐があったというものである!(笑)

エルミタージュ美術館というのは、ロシアのサンクトペテルブルクにあるという・・・・
う~ん・・・・行ってみたいなぁ~(笑)
じっくりと鑑賞するとしたら何日かかるだろう?(苦笑)

大満足で帰途につく・・・・

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日記 | 14:28:56 | Comments(0)
ロジャー・ムーアさん逝く・・・
イギリスの映画俳優であるロジャー・ムーアさんが23日にお亡くなりになったという。
拙者の好きな俳優さん・・・・
残念である。
享年89歳・・・・
我が親父と同い年である。

初めて、ロジャー・ムーアさんを見たのは、ずいぶん昔のことで・・・
『セイント』という“天使”の絵が出てくるテレビドラマを見た時だったと思う。
主人公が「サイモン・テンプラー」という名前だということを憶えているから・・・
正確には『セイント天国野郎』というドラマだったのではないかと思うが、ストーリーは全く覚えていない。
小学生の頃に見たドラマだから仕方がない・・・(笑)
何やらスパイドラマみたいな感じで、世界を股にかけて活躍する“怪盗”というドラマだったような気がする。
のちの007のジェームス・ボンドっぽい感じだったような気がする。
とにかく格好良かったという印象しか残っていない。

その後、ロジャー・ムーアさんを見たのは、中学生の時・・・
東京新宿の映画館で007の映画を見た。
007シリーズ第8作目『007 死ぬのは奴らだ』(1973年)だったが、あまり記憶に残っていない。
いまでも映画のプログラムを持っているので、映画館で見たことは見たんだろうが・・・・
久しぶりに懐かしく思い、その映画プログラム(パンフレット?映画冊子?)を探したのだが、なぜか見つからなかった。
確かに、以前、我が部屋の中で見かけたのだが・・・(大汗)
捨てちゃったのか?(大汗)



その次に見たのは第9作目『007 黄金銃を持つ男』(1974年)で、ロジャー・ムーア主演の007シリーズの中では、これが拙者の一番好きな作品。
香港やタイが舞台となっていた・・・
いつか行ってみたいなぁ~と思っていたら、10年もしないうちに大学の海外研修団員として香港とタイに行く機会を得た。
生まれて初めての海外が、007の映画の舞台だったことが嬉しかった。
世界中を股にかけて飛び回るっていいなぁ~などと思っていたが、まさかその後、自分も海外に頻繁に行くようになるとは夢にも思っていなかった。
どこか、この007の映画の影響を受けているのかもしれない・・・(大笑)
国内旅行は『寅さん』シリーズの影響で、海外旅行は『007』シリーズの影響か?(大笑)



ロージャー・ムーアさんは007シリーズのうちの7作品に3代目ジェームス・ボンドとして出演している。
ちょうどあの頃は、拙者が映画館通いをしているような時期だったが、彼がジェームズ・ボンド役を降りた後は、映画館では007シリーズの映画を見ていないような気がする。(笑)

映画プログラムを探してみたら、3作分だけ見つかった・・・
そんなわけないんだよなぁ~・・・全作持っていたはずなんだけどなぁ~(大汗)

第12作『007 ユア・アイズ・オンリー』(1981年)

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第13作『007 オクトパシー』(1983年)
この映画も思い出深い・・・
舞台はインド・・・
で・・・この頃、拙者もインドに1カ月近くいたのである。(笑)

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第14作『007 美しき獲物たち』(1985年)
これがロジャー・ムーアがジェームズ・ボンド役で出た最後の作品である。
最新作は2015年の『007 スペクター』、24作目の作品である。
6代目ジェームズ・ボンドとしてダニエル・クレイグが演じている。

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ロジャー・ムアさん・・・・若いよなぁ~
中学生の頃、思わず親父の顔と見比べ、同じ歳なのに、この差は何だろうかと思ったものである。(大笑)

映画俳優というのは、ある意味、幸せな商売かもしれない。
ほぼ永遠にその姿を残すことが出来るのである。
ただし、その俳優さんの一番いい時期の姿だから、その後の加齢による衰えた姿を見られたくはないという苦痛は伴うかもしれないが・・・
どっちがいいのかなぁ~
スクリーンに残るのと、残らないのとでは・・・・

実は拙者はハリウッド映画に“出演”したことがある。(大笑)
某戦争映画の中で・・・・ワシントンD.Cのアーリントン墓地でのワンシーン・・・・
画面のど真ん中に拙者の後姿が写っている。
ハッキリ言って邪魔である。(大笑)
自分で23歳の時の自分の後姿を映画の中で見るというのは、非常に不思議な気分である。(大笑)
プロである映画俳優さんたちは、どういう気持ちでスクリーンの中の自分の姿を見てるのだろう?
特に“若かりし頃”の自分の姿の場合は・・・

89歳かぁ~
親父の顔を見ながら思う・・・・89歳にもなると、ロジャー・ムーアさんとの差は、それほどなくなったな・・・(苦笑)

ロジャー・ムーアさんが演技が上手だったかどうかは専門家ではないのでわからないが・・・・
とにかく格好良かった・・・
真似できるものなら真似をしたかった・・・(大笑)
また会いたくなったら、映画を見ようかな。

ご冥福をお祈りする・・・・

日記 | 17:09:24 | Comments(0)
永代神楽祭で打ち合わせ
今日は我が戦友会の永代神楽祭の日・・・
いつものように前泊して靖国神社に向かう。

今回集まったのは、拙者を含めて5名・・・・
当初は7名のはずだったが、直前に2名がキャンセル。
そのうちの1名は確か96歳になると思うが、戦友の方で体調不良・・・
無理もないよなぁ~
もう一人は泉家副会長の息子さん・・・
代理出席の予定だったが、泉家さんが急逝したため参列できなくなった。
これはやむを得ない・・・

今回集まったのは、2名が戦没者遺族、2名が物故者遺族、1名が賛助会員・・・
“戦友”の皆さんがまだご存命の時に「俺たちが死んだあとはどうするんだ?あんた一人だけになるんじゃないか?苦労をかけて申し訳ないなぁ~・・・」と何度も言われたことがある。
そのたびに「一人になっても続けますから気にしないでください」と拙者は答えていた。
本気で一人になっても出来る限り続けようという気でいたのである。
で・・・今年は拙者を含めて5名!(喜)
他の人は「たった5名ですか?」と笑うかもしれないが・・・
拙者にとっては、こんな嬉しいことはない!
一人じゃないのである!(大喜)

毎回、拙者がベラベラとくだらないお喋りをするのが常なのだが・・・
今回はそういうわけにはいかぬ・・・
先日、会長から戦友会解散の方針が出され、その直後に、まさかの副会長の急逝である。(涙)
今後のことを皆さんと打ち合わせをしなければ・・・
なんとも気が重い・・・

我が戦車第2師団は、フィリピンで終戦まで山奥に立て籠もって戦い続けた部隊である。
その部隊の戦友会が、そうそう安易に解散などしていいのだろうか?
拙者には、そういう“プライド”がある・・・
トコトン戦った部隊なのである。
我々もトコトン頑張って、彼ら戦車第2師団の将兵と師団の指揮下で戦った配属部隊の将兵の霊を慰めてあげるべきではなかろうか?
戦友会を続けると、経済的な破綻につながるわけではなし、命を奪われるということもない・・・
戦友会を続けると自分の生活が駄目になってしまうというのなら解散もやむを得まいが・・・
年に1回の永代神楽祭に参列するくらいの事は、やってやれないわけではあるまい。
が・・・これは拙者の我がままか?
拙者一人だけが「絶対解散などしない!」と頑張るのは、戦友会を“私物化”することになりはしないか・・・
悩むところである。

本年度スタート時点での会員数は40名・・・
そのうちの10名が“戦友”である。
会員は全国に散らばっているため、なかなか上京してくるというのは難しい。
が・・・それでも皆さん、年会費を納入してくださっている。
これは“託されている”と解釈していいのではないだろうか?
「参列は出来ないが、よろしくおねがいします」ということではなかろうか?
ならば、続けてあげねば・・・と思うのである。
“戦友”はご高齢になり外出すること自体が難しくなっている。
この方々が一人でもご存命の間は、“託されている”と思って慰霊を続けてあげたい。

またまた一方的ではあるが、今回参加された方々に拙者の“思い”を語らせていただいた。
“マエダ”会長の戦友会解散の方針を覆すには、次期会長を選出することである。
“マエダ会長は、もう会長職を引き継いでくれる人はいないだろうと勝手に思い込んで、自分の代で始末をつけるということで解散を言い出しているのだから、会長職を引き継ぐ人がいるなら会は解散しなくてもいいいだろう。
ということで・・・説得工作・・・(苦笑)

実務はすべて拙者がおこなっている。
拙者の代わりをしてくれというのでは負担が大きく二の足を踏まれても仕方がないが・・・(苦笑)
こういっては、失礼になるが、会長と副会長である。
特に何をするというわけでもなく、“名前だけ”なのである。(苦笑)
案内状等を作成して発送し、出欠のとりまとめをするのも拙者・・・・
会費の徴収と会計業務をするのも拙者・・・・
原稿を書いて編集して会報を発行するのも拙者・・・・
対外的な交渉事も拙者・・・である。
会長も副会長も特に何もしなくていいのである。(笑)
が・・・事はそうそう簡単ではないらしい・・・(涙)
どうしても“長”の付く役職には抵抗を感じるのだろうか?
なかなかすんなりとは話は決まらない・・・(汗)

一応、旅団長のお孫さんである“シゲミさん”に会長を・・・
機動歩兵の大隊長の息子さんである“ヤナギモトさん”に副会長を打診する。
“シゲミさん”にはこの間の会計監査の時に打診したが固辞されたので、その気持ちは良く分かっているのだが・・・
状況がさらに切迫しているので、もう一度再考してくれるように頼む・・・
“ヤナギモト”さんは“シゲミさん”が会長職を継いでくれるなら副会長になってもいいと内諾を得た。
“シゲミ”さんには精神的負担を与えてしまうが・・・なんとか再考を願う。

人事の引き継ぎタイミングは拙者の独断で・・・
“マエダ”会長がお亡くなりになるまでは引き継がないとした。(苦笑)
これまた“マエダ”会長にも精神的プレッシャーをかけてしまうことになるので申し訳ないが・・・(大汗)
死ぬまで会長をやっていただく・・・(苦笑)
それまでは副会長職は欠員のままで続ける。
で・・・・“マエダ”さんがお亡くなりになった時点で、新会長と新副会長の就任とする・・・
なんだかんだと、一方的に皆さんにプレッシャーをかけてしまうが、これも英霊の為と思って我慢していただきたい・・・(汗)

「いい答えを待っています」と下駄を預け・・・(苦笑)
無事に永代神楽祭を終えて解散・・・・
いつも以上にクタクタ・・・クラクラ・・・フラフラである・・・(笑)

帰宅後、夜、早速、”シゲミ”さんから「次期会長職を引き継いでもいい」とのお電話を頂いた!(大喜)
大感激である!!
これで“ヤナギモト”さんも副会長を引き継いでくれるから一件落着である。(大喜)
皆さんのご協力、ご厚意に感謝、感謝である。
不祥事や悪評などで皆さんにご迷惑をおかけしないように拙者自身が気を引き締めねば・・・・
“マエダ”会長に早速連絡して、次期役員人事を伝え、戦友会解散のお考えを撤回してくれるようお願いする。
あ~よかったぁ~
気分が晴れた!
感謝、感謝!

日記 | 15:08:53 | Comments(0)
泉家さん逝く・・・・
淡路島在住の“戦友”である泉家(いずみや)さんの息子さんからお電話を頂いた・・・・
嫌な予感が的中した!(涙)
10日にお亡くなりになったという。

19日に靖国神社で我が師団の永代神楽祭がある。
その出欠回答のハガキが届いていたが、ご高齢のため欠席、代理で息子さんが出席ということだった。
本人自筆のハガキである。
いつもより少し文字が乱れていたが・・・・
タイミングからいって、この出欠回答のハガキを投函して直ぐにお亡くなりになったようである。
あ~ショック!(涙)

で・・・葬儀の方は、今日が通夜式で、明日が告別式だという!(大汗)
なんということか・・・・
今からでは親父を置いて淡路島には向かえない・・・
今からでは留守中に親父の面倒を見てもらうヘルパーの手配も間に合わない・・・(涙)
残念ながら、葬儀には参列できない・・・
泉家さんは我が戦友会の副会長なので、急ぎ会長に報告をして、供花の手配の許可を頂く。

泉家さんは98歳でお亡くなりになられた。
氏は母一人子一人の家庭環境で育ち、戦地から帰って来て、母親の面倒を見た。
お母さんは97歳でお亡くなりになったそうで、2年前にご自宅を訪問したとき「母親の死んだ歳を越してから死にたい」とおっしゃっていた。
「あと1年ですから十分、大丈夫ですよ!」と言ったのだが、まさか本当に母親の死んだ歳を追い越してすぐにお亡くなりになるとは・・・
これは喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・
ある意味、こんな幸せなことはないかもしれない・・・
自分の願いが叶ったのだから・・・・
「万歳!」と喜んであげるべきか?
欲を言ったらキリがないが・・・できれば100歳でも110歳でも、長生きしてほしかった・・・

息子さんの話では、亡くなる前に永代神楽祭のための玉串料を準備してあったたので郵送するとのこと。
そこまで手回しをしていたとは・・・・驚きである。

泉家さんは“運の強い人”だった・・・
北部ルソンの山岳地帯にいた時、本部から一人、情報将校を差し出せと命令が来た。
この時、泉家さんは見習士官・・・
大隊の中から、泉家さんが選ばれ、単独でジャングルの中を3日かけて本部に向かった・・・
この時、本人は部隊に残って戦友たちと一緒にいたかったらしいが、命令である・・・従わねばならない。
しかし、この時点でジャングルの中を移動するというのは自殺行為に近い・・・
いつ山の中でフィリピンゲリラに襲われるかわからないのである。
単独行動ではなおさらである。
仲間と一緒に残っていたいと思うのも無理はない。
拙者も現地に行ったことがあるが・・・一人でこの山中を歩くのは嫌だ・・・(苦笑)
大隊の陣地を出発して3日後に本部に到着・・・
電話で無事に到着したことを知らせようとしたが応答がない・・・
陣地のある方角を見たら・・・黒煙が上がっていたという。
泉家さんが出発してまもなく、大隊は米軍の攻撃を受けて全滅してしまったのである。
生き残ったのは・・・3日前に陣地から移動した泉家さんだけ・・・
命令とは言え残酷である。
「戦友と一緒に死にたかった」とおっしゃったことがある・・・
大隊の中で、一人だけ生き残ってしまったという寂しさからか、それとも生き残った罪悪感からの言葉なのだろうか?
人の運命は分からない・・・・
もしかしたら部隊は米軍の攻撃を受けても持ちこたえ、多くの兵が生還し、泉家さんはジャングルの中でフィリピンゲリラに襲われて人知れず戦死していたかもしれないのだ。
当時としては、そちらのほうが確率が高かったのではあるまいか?
「貧乏くじ」を引いたように見えても、わからんものである・・・
神のみぞ知る・・・か?

拙者が住む茨城県は、やたらと地震が多い・・・(苦笑)
大小さまざまな揺れが年がら年中起こっている。(笑)
「地震速報」がテレビで流れると、必ずと言っていいほど泉家さんからお電話がかかってきた。
「お~い!大丈夫かぁ~?頑張れよぉ~!」
これが恒例となり、テレビで「地震速報」が流れたら、すぐにコードレスフォンを手元に置いて“待機”することにした。(大笑)
身内でもないのに、いつも気にかけてくださっていた・・・
これからは地震が起こっても、もう電話がかかってくることはない・・・(涙)
なんとも寂しい・・・・

先日、名古屋に行った時に会長から戦友会解散の方針を聞かされた。
その直後、神戸に向かったので、ついでに淡路島へ行き泉家副会長に報告しようかとも思ったのだが、行かなくてよかった。
あの時に行っていたら、最後にもう一度お会いできただろうが、解散するしないのゴタゴタを知らせることになる。
そういう心配をかけることなく済んだのだから、あの時に会いに行かなくて良かったと思うべきか?
何も知らず、この世を去ることになったので、良かったかもしれないと思う。
それにしても、このタイミング・・・・
なんというタイミングだろうか・・・という気がする。
戦友会の解散の問題については、天国から見守っていただくということで・・・
他の会員と話し合って、いい結論を出したいと思う。

心からご冥福をお祈りする・・・

日記 | 21:57:42 | Comments(0)
つに57歳!
今日は拙者の誕生日!(涙)
昔なら、誕生日が来るのが嬉しかったが・・・
最近は・・・・ちょっと・・・ねぇ~・・・・である。(苦笑)
え~と・・・俺は何歳になるんだ?(汗)
最近は、自分の年齢もわからなくなってきた・・・(大汗)

東京から姪っ子たちがやって来て、拙者の誕生日を祝ってくれた!(喜)
本当にありがたいことである。
毎年、毎年、申し訳ないねぇ~・・・である。

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今年のバースデーケーキは一番下の姪っ子の手作りである!(大喜)
初めて自分でスポンジケーキを焼いたそうで・・・・
それを東京から持ってきたのだが、「カバンに入り切れなかったので縦にして入れてきた」と言う・・・
「なぬ?縦にして入れた?」(唖然)
どうりで心なしかケーキがUの字に曲がっているわけだ・・・・(大笑)
押し込んだのか?・・・(大汗)
デコレーションのイチゴとオレンジは何故か拙者がスーパーで買わされる羽目に・・・
ん?・・・俺が買うの?(大笑)
チョコレートでプレートを作ったらしいが・・・
何て書いたのやら・・・・クサビ形文字である・・・・(大笑)
「うまく書けなかったんだよねぇ~」と姪っ子・・・
拙者は歳は取っているが、古代ペルシャ人というわけではない・・・・クサビ形文字は読めない・・・(大笑)
ロウソクの数が足りない・・・
「仏壇のロウソクを使ってもいいかなぁ~」と姪っ子・・・
「馬鹿!それだけはやめろ!」(大笑)
「やっぱり駄目かぁ~・・・そうだよねぇ~」

なぜか、親父がニコニコ顔・・・・
やたらと喜んでいる。
「ほぉ・・・・誕生日?誰の?俺のか?」と親父・・・
「親父は何月生まれだっけ?」
「ん?6月だけど・・・」
「今は5月だぞぉ~」
「ん?じゃ、誰の誕生日なんだ?」(真顔)
「俺だよ!息子の俺の誕生日!」(怒)
「なぁ~んだ・・・そうかぁ~」
「なにそれ・・・」(唖然)

今年も楽しいバースデーパーティとなった。
姪っ子たちに感謝、感謝、大感謝である!(大喜)

日記 | 21:10:24 | Comments(0)
タケノコ堀り!
今日は毎年恒例の「タケノコ堀り」である。
“ウメちゃん”の奥さんの実家の山でのタケノコ掘り・・・
「勝手知ったる他人の山」・・・である。

ところが、今年は気候のせいなのか、例年のようにタケノコが出ていない。
いつもなら1日で100本くらいは掘り、掘りつくしたと思っていても、2~3日経ってまた行くと、また100本近くが顔を出しているというありさまなのだが・・・・
今年は、ほとんど見当たらない。
それどころか、山のあちこちにタケノコを掘った跡の穴がある!
穴の深さから想像するに、“売るため”に掘った奴がいるようだ。

個人で食べるために近所の人が勝手に1~2本掘っていくのは黙認しているが・・・
商売として掘るのは許せない。
他人の土地であることを知っていながら勝手に入り込んで何十本も掘っていく奴がいる。
一度、現場を押さえて掘ったタケノコ全部を分捕ったことがある。(大笑)
小ずるいジジイだったが・・・
またあの野郎か?(怒)

今年はどこでもタケノコは不作だそうで、タケノコの値段が上がっているそうだ。
ということで“密漁”して(笑)・・・売り飛ばそうという奴が出てくるのは無理はないかも。
こういう小ずるい奴は・・・穴を掘って埋めて・・・(大笑)・・・「ミイラ取りがミイラ」ならぬ「タケノコ泥棒がタケノコの肥料」にしてやりたいくらいである・・・(大笑)

今年は不作ではあったが、それでもタケノコ泥棒が見逃したタケノコを30本ぐらいは掘った・・・(苦笑)
年に一回の“重労働”はこれで終了!(大笑)
お疲れさまでしたぁ~

日記 | 22:31:48 | Comments(0)
軍馬の慰霊祭
今日は、軍馬、軍犬、軍鳩の合同慰霊祭の日・・・・
例年通り前泊して、靖国神社に向かう。
この慰霊祭と、5月に開催される我が戦友会の永代神楽祭にだけは、立場上、絶対遅刻するわけにはいかないので、いつも前日に上京してホテルに宿泊することにしている。

昨年から、軍馬の慰霊祭の中心だった騎兵第14連隊からは拙者以外に誰も参列する人がいなくなった・・・(涙)
騎兵第15連隊を代表して参加されていた会長の葦名さんもお亡くなりになってしまったので、この部隊からの参列者もいない・・・
騎兵第11連隊もしかり・・・である。
たとえご存命の方がおられても、皆さん90歳を超しているからご高齢のため外出できないのだろう・・・・無理もない・・・
今年はどうなるのだろうと、ちょっと心配したが・・・お一人だけおられた!(喜)
確か・・・騎兵第13連隊の方である!
我が騎兵第14連隊とは同じ騎兵第1旅団隷下の部隊の方である。
以前より、お顔を存じ上げていたのでご挨拶したところ、家族の反対を押し切って無理して来たという。(苦笑)
高齢なので行くなと家族に反対されたらしい。(汗)
「そういうわけなので、来年は参列できないと思います」とおっしゃる・・・・
返す言葉もない・・・(涙)

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毎年、この4月第一日曜日は天気が悪い。
雨が降ることが多いのであるが、今年は珍しくお天気がいい!(大喜)
久しぶりに屋外で、馬の銅像の前での慰霊祭となる。

我々“代表者”は、リボンを付けて最前列に座る。
玉串奉奠をするのが“代表者”の役目である。
が・・・ついに自分が“代表者”格になったら非常に不便となった・・・(大汗)
一昔前は、最後列に座って式典の様子などの写真が撮れたのに、自分が最前列に座ることになったため、自由に写真が撮れなくなってしまった。
しかも、まさか後ろを振り返るわけにもいかぬので、どれほどの人が集まっているのかもわからない・・・(苦笑)
我が騎兵関係者が他にもいるのかどうかもわからない・・・(涙)
とにかく、神妙に座って開会を待たねばならぬ。
開会までの、この時間が苦痛・・・(苦笑)
何事が始まるのかと、“道行く”一般の参拝者たちが、我々にカメラを向けたりスマホを向けたりして撮影するのである。(苦笑)
う~ん・・・・“さらし者”状態である・・・(大涙)
なんとも恥ずかしいんだよねぇ~(苦笑)

無事に玉串奉奠の役を終え、式典は終了・・・・
一緒に“代表”を務めた方とも、今日でお別れである。
「また来年お会いしましょう!」と言いたいけど、それを言って良いのやら悪いのやら・・・(汗)

実は、この4月第一日曜日には、愛知県の三ヶ根山で比島観音の例大祭が開催されている。
同じ日の同じ時間での開催なので、拙者は、こちらの“お役目”があるので、比島観音のほうには、もう何年も参列していない。
以前は、軍馬の慰霊祭は4月7日頃に開催されていたので、「4月第一日曜日」にぶつかることは滅多になかった。
そのため、比島観音の例大祭に参列した後、どこかを数日ブラブラと旅をして(大笑)、日程の調整をして最後の日に靖国神社に立ち寄って軍馬の慰霊祭に参列してから帰宅したのだが・・・
(下手をすると1週間ちかくの国内旅行となるが・・・)(大笑)
軍犬、軍鳩との合同慰霊祭になってからは、「4月の第一日曜日」と決められてしまったために、それ以来、比島観音には参拝していない。

ところが、来年、この比島観音の例大祭が最後を迎える事となったのである。
役員の高齢化と跡継ぎを作ることが出来なかったため、もう例大祭の開催が出来なくなったのである。
で・・・来年で幕を閉じる・・・・
「あんたが手伝ってくれたらなぁ~」と以前から言われていたが、どうしようもない・・・
体を二つに割って同じ日に別々の場所に行くなんて不可能である。(大笑)
どうして関係者の子孫で「俺がやります!」という人が現れないのか・・・・(涙)

来年、最後を迎えるにあたり、フィリピンで戦った部隊の事務局長としては、立場上、最後の例大祭には参列しなければなるまいが・・・
そうなると、こちらの軍馬の慰霊祭に参列できなくなる。
今回参列してくださった“戦友”は、ご高齢のため来年は無理なようだ・・・
となると、来年は騎兵関係者の“代表”の参列は無くなることになる・・・
いやぁ~参ったなぁ~(大汗)
どう頭をひねっても、いい案が浮かばない・・・・
今からもう来年の心配である・・・
溜息しか出ない・・・・

慰霊祭の後、池袋へ向かう・・・
今日は、この後、姪っ子が指導しているお茶の水女子大付属高校の合唱部の発表会があるのである。
これに顔を出して、帰宅する。

日記 | 23:29:24 | Comments(0)
『シャセリオ―展』を鑑賞
昨晩は東京に一泊した。
で・・・・そのまま帰宅するのも芸がないので・・・(大笑)
今日は、上野公園へ向かい、“美術鑑賞”と洒落こむことにした。(笑)

上野公園を歩いていたら若い女の子に声をかけられた。
なにやら野外コンサートのようなものを開くので聴いて行って欲しいという。(汗)
時間は10分程度だという。
一瞬、何のことやらわからず戸惑ったが・・・(苦笑)
どうせ、急ぐ旅でもないし・・・(大笑)
聴いていくことにした。

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場所は「上野の森美術館」の前・・・
へっ?・・・・こんな場所で?(苦笑)
演奏が始まったら、これが、なかなか素晴らしい!
へぇ~すごいものだ・・・
拙者は楽器など全く扱えないから、うらやましい・・・
う~ん・・・こんな風に演奏が出来たら、さぞかし気持ちがいいだろうなぁ~と思ったりする。

彼らは東京芸大出身の演奏家たちらしい・・・
「ぱんだウインドオーケストラ」のメンバーらしい・・・
また、変な名前をつけたものだと思ったが、なかなかのオーケストラらしい。
チラシも頂いた・・・(笑)

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気持ちのいい、素晴らしい演奏を聴いて・・・・
次に向かったのが、いつもの「国立西洋美術館」!(大笑)
『シャセリオー展』を鑑賞する。

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今日は、生演奏を聴き、絵画を鑑賞し・・・
いつになく更に充実した時間が過ごせた!(大喜)

日記 | 21:07:16 | Comments(0)
「勇会有志会」の解散
今日は「勇会勇志会」の会合に出るため上京する。
「勇会」というのは仙台で編成された第2師団の秘匿名である。
本来は第2師団が正式名だが、防諜上の観点から秘匿名を付けたのである。
たとえば、東京の第1師団は「玉」、京都の第16師団は「垣」、姫路の第10師団は「鉄」といった具合で、仙台の第2師団は「勇(いさむ)」という秘匿名だった。
この部隊はガダルカナル島の戦いで壊滅的な打撃を受けたが、その後再編成してビルマで戦っている。
以前、ガダルカナル島に行った時に、「勇会」が建立した慰霊碑をお参りしたことがある。

この「勇兵団」の戦友会が「勇会」・・・・
しかしながら、この戦友会は、すでに解散したそうで、その後、有志だけが集まり「勇会有志会」というのを作って活動していたそうである。
昨年の末に従軍経験者(情報関係)からの紹介で、この会合に初めて参加した。
が・・・・
その入会(?)早々、会を解散する話が出された・・・(唖然)
なんというタイミングか・・・(苦笑)

この会には結局3回ほど参加したが、今日が、その「解散式」の日である。
「勇兵団」の名が消えてしまうのは残念だが、やむを得ないだろう。
この会は、いわば「親睦会」のような感じ・・・
僅かな回数の参加でしかなかったが、従軍経験者の参加者は2名、あとは若い人たちばかりである。
この人たちは戦没者の遺族でもなければ、従軍経験者の遺族でもない。
まったくの“有志”なのである。
従軍経験者から体験談を聞き、それを大学で利用している大学の講師やら、戦史研究家などが会員にいる。
そのため、従軍経験者が高齢になり、会合に出られなくなるということでは、もう“お役御免”ということで、会合を続ける意味はないということになるのだろう。
従軍経験者から話を聞くというのが目的の「親睦会」である以上、やむをえない。

対して拙者が関わっている戦友会は、生還者(従軍経験者)、遺族、賛助会員からなる「慰霊団体」である。
親睦よりも戦死した戦友の慰霊をすることを目的として結成された戦友会である。
たとえ、生還者が誰も参加できなくなっても、残る遺族と賛助会員で「慰霊」は続けるのである。
戦没者の慰霊に”期限”は・・・ない・・・
ここが我が戦友会と、この会との大きな違いである。
会の目的が違うんだから仕方がないか・・・・解散とは残念だが・・・

わずかな期間のお付き合いだったが、大変お世話になった。
感謝、感謝である。

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日記 | 09:46:53 | Comments(0)
戦車隊関係者宅を訪問
今日の午後は、同じ茨城県にお住いの方に会いに行く。
先日、パラオを訪問したが、この時に埋没している「第二次編成の戦車隊」の戦車を確認してきた。
で・・・この戦車隊の隊長さんは戦後生還されたが、他界していて、息子さんが水戸市におられると、新聞記者の“サイトウさん”から教えられた。
同じ茨城県在住なんだから、一度会って来たらどうかと勧められたのである。

そこで、今回、初対面なのだが、ご自宅を訪問することにした。
今回の旅の様子も報告しなくてはならないだろうし・・・・(笑)

いろいろと、お話を伺っていて大きな疑問が・・・
それは、この方のお父さんは、もともと戦車兵出身ではなかったのだそうだ。
突然、戦車隊の隊長に任命されたのだそうである。
そういうことってあるのだろうか?
戦車のことも、戦車の運用も、戦車戦の戦い方も知らない人が隊長になるなんて・・・(唖然)
この方は、もとは防毒隊(?)にいた化学の専門家である。
どうして戦車隊の隊長に任命されたんだろう?
敵の毒ガス攻撃に対処する部署の人が・・・・
息子さんも、そのことが不思議だったそうである。
考えられるのは、隊長という職務に就ける階級の人が他に見当たらなかったから・・・という程度の理由。
部隊を率いるには“将校”でなくてはならない。
しかし、将校と言っても、少尉や中尉では、小隊規模しか指揮できない。
少なくとも大尉以上の階級でなければ「部隊長」にはなれない。
ということで・・・当時、大尉だった、この方が選ばれたのかもしれない。

もしくは・・・
ペリリュー島では水戸の歩兵第2連隊が全滅した・・・・
その仇討ちの意味も含めて水戸出身の、この方を隊長に選んだのかも・・・
しかし、軍が、そんなセンチメンタルな人事をするだろうか?(苦笑)
どうみても適材適所とは思えない人事なのだが・・・

それにしても、自分の専門外の部隊の隊長になるというのは、大変なご苦労をされたに違いない。
ご存命の時に、是非、お話を聞きたかった・・・
なにせ、現地で臨時に編成された戦車隊である。
島内の戦車をかき集めた、お互いに顔も名前も知らないというような部隊である。
ペリリュー島が陥落し、次はパラオ本島に米軍が来るんじゃないかという緊張した中で、“烏合の衆”に近い部隊をまとめるのは大変だったのではなかろうか?

もう一つ、驚いたのが、戦時中の資料!
よく、これだけの資料を終戦後に持ち帰ったものだと驚く。
普通は収容所で没収されておかしくないのだが・・・・
当時の原資料をキチンと整理して保管されていた。
これにはびっくりである。

隊長さんが作成したこれらの資料を見ると、かなり几帳面な方だったようである。
また肝の座った人でもあったようである。
資料から、そのお人柄が滲み出てくる・・・・
隊長になるにふさわしい人物だったのだろう。
部下の把握に一生懸命だったことがわかる。
これらの資料を見せていただきながら1時間ほど、おしゃべりをして辞する。

隊長さん・・・ご存命の時に一度でもいいからお会いしたかったなぁ~
当時の資料から、そのお人柄が見えるのである・・・

日記 | 20:58:16 | Comments(0)
同窓会の役員会
今日は、大学の同窓会の茨城県支部の役員会・・・(笑)
久しぶりの役員会なので・・・
さて・・・何を打ち合わせればいいのか、すっかり忘れてしまっている。(苦笑)
責任感の有無が顕著に表れる瞬間である。(大笑)

昨年の同窓会開催後の役員の打ち合わせでは、何の話をしたんだっけ?(大汗)
いやぁ~こんなに記憶力が悪くなるとは思ってもみなかった・・・(大汗)
頭の中は真っ白である!(大笑)

たしか、手帳に何か書き留めたと思うのだが・・・・
年が変わると手帳も変わるので・・・(笑)
今使っている手帳を見ても意味はない・・・
こりゃだめだ・・・・
ということで、今回は「役員会」のノートを用意した。
役員会の打ち合わせは、すべてこの1冊に書き込むことにする。
そうすりゃ、何年たっても大丈夫である。
どうして、こういう簡単なことを思いつかなかったんだろうねぇ~(汗)

大学の同窓会となると、小・中学校の同窓会と違って、卒業生は同じ地域から通っていたわけではない。
大学の中に同じ茨城県出身の同級生がいるというのは珍しい・・・・
縦のつながりも横のつながりも薄いのが大学の同窓会ではなかろうか?
在学中から部活やゼミで一緒だったというなら別だが、その可能性は低い。
世代の違う、何のつながりもない人たちを「同じ大学の卒業生だから」というだけで、集まってもらうというのは、なんとも難しいのである。
政治家になろうと選挙にでも出るつもりでもなければ、「同窓会」などに出る必然性を感じることはない・・・(大笑)
この参加者数が少ないというところが毎年、頭を痛めるところである。(涙)
なんとかして、毎年、少しづつでもいいから参加者を増やすようにせねば・・・
となると・・・そういう面倒くさいことは、すべて、自然と副支部長の拙者に押し付けられるわけで・・・(涙)
責任重大・・・・

次回の役員会は9月と決まった・・・
次回の役員会で「なんの話でしたっけ?」などと言わないように気をつけねば・・・(大笑)

日記 | 20:56:46 | Comments(0)
現像できないフィルム
先日、物置部屋を整理していたら、つぶれかかった段ボール箱が出てきた。
中身を確認したところ、大学時代のものが詰まっていた。
大学を卒業後、下宿にあったものを適当にダンボール箱に詰めて実家に戻ったのだが、それが、そのまま30年以上も放置されていたのである。(苦笑)
すっかり忘れていた・・・・(大汗)

まさしく「タイムカプセル」である。(大笑)
懐かしいものが、いくつも出てきたが・・・
その中に、1個・・・未現像のカメラのフィルムが入っていた。
なんで現像していなかったのだろう?
何を撮ったのだろう?
まったく記憶がない・・・・(大汗)

というわけで、カメラ屋さんに持って行って現像を頼んだのだが・・・
なんと!
現像は不可能とのことで、メーカーから戻ってきたという。
30年以上も前の古すぎるフィルムは、現像するための薬品が、もうないので現像できないというのである。
カラーではなく白黒になってもいいんですけど・・・(苦笑)
多少ピンボケになっても、人物が写っているのか、何かの景色が写っているのかがわかればいいんですけど・・・(苦笑)
それでも駄目だという。
千年も二千年も前のフィルムというわけじゃないんですけど・・・(大笑)
たった三十数年前のフィルムなんですけど・・・
現像液の薬品が変わってしまっているので、昔のフィルムは現像できないとは、なんと不便な事か・・・・
“進歩”も良し悪しだよなぁ~

こんな調子じゃ、現在、DVDなどに記録しているようなものも、そのうち数年後には再生する機械がこの世にありません・・・なんてことになって見ることが出来なくなるんじゃないか?

結局、このフィルム・・・・棄てるしかない・・・
何が写っているのかは永遠の謎となる。(涙)
あ~気になるなぁ~(苦笑)

日記 | 23:08:10 | Comments(0)
恒例の会計監査
今日は我が戦友会の年に一回の恒例の会計監査・・・
いつものように前泊し、いつもの新橋駅前で監査役に監査していただく。
会計監査の方は、いつものようにスムーズに承認を頂き早々と終了!(笑)
決して“形式だけ”の監査というわけではないのだが、特に問題が生じるような会計処理がないので早々と終わってしまうのである。(大笑)

その後は雑談・・・(笑)
現在、我が戦友会の会長は連隊長の御子息である“遺族”が就任している。
が・・・昨年から病気療養中である。
ということで、万が一の“辞任”を想定して、次期会長を考えておかねばならない。
この“人事”が、なかなか難しい・・・
拙者が思う適役は、旅団長のお孫さんで“遺族会員”である、現在監査役をしていただいている“シゲミさん”なのだが・・・
ちょっと打診してみたら、固辞されてしまった。(涙)
“シゲミさん”だったら誰もが納得する人事だと思うのだが・・・

どうしても嫌だと言われたのでは、無理強いするわけにはいかない。
ある程度の“方向性”を決めておくと、イザという時に混乱しなくていいのだが・・・・
残念である・・・・

さて・・・“イザというとき”にはどうすべきか・・・
次期役員のなり手がいないというのは、頭の痛い問題である。

日記 | 20:55:09 | Comments(0)
年会費の請求
今日は、やっと時間が取れたので・・・(苦笑)
戦友会の年会費の請求書を作成して会員に郵送する。
その数・・・・38通!(大笑)
いやぁ~会員が減ったなぁ~
一昔前は、軽く100通以上を作成して郵送したんだけどなぁ~
寂しくなっちゃったなぁ~
それでも、拙者を含めた39名の会員のうち、従軍経験者である“戦友”が10名もいらっしゃる。
しかし、毎年、この年会費の請求をお送りすると、かならず何名かの会員のご家族から連絡が入る・・・
「父はすでに他界しております」の連絡・・・・
これがツライ・・・・
あ~嫌だなぁ~・・・・今年は何名から連絡が入るんだろう?
心臓に悪いんだよなぁ~・・・これ・・・

日記 | 10:01:45 | Comments(0)
無事に帰国しました!
本日、無事に帰国しました!(笑)

寝不足と疲れのせいか・・・・

声がかすれてしまって、自分の声がうっとうしい・・・(苦笑)

歳のせいか?(大笑)

日記 | 22:04:02 | Comments(1)
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