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■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
60歳・・・還暦である。
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)
今さら、もう無理!(大笑)

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二宮尊徳先生の像
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二宮尊徳と相馬の仕法

天明と天保の両度の大凶作で、ほとんど貧困のどん底に落ちて、もがいた当時の相馬中村藩の人々に、生きる光と力を与えてくれたのが二宮尊徳であった。
幸いすでに藩主益胤が、世に「文化の厳法」といわれている藩政刷新の道を文化年間から開いてくれていた。
そこへ新しく二宮の「興国安民の法」を採用することにきまり、藩の仕事として弘化2年(1845)から、次々に相馬全域の各村々に実施されていった。
これが相馬で言う「御仕法(ごしほう)」である。
二宮の方法は、単なる農村の改良などという程度のものではない。
ひろい世界観と人生観の中から生まれた徳を以て徳に報いる「報徳」というおおらかな指導理念によるもので、至誠、分度(ぶんど)、勤労、推譲(すいじょう)という4つの徳目を実行することを柱としていた。
この新しい方法をとり入れた相馬には、仕法のもっともよき理解者であった藩主の充胤(みちたね)、藩主の師慈隆(じりゅう)が居り、家老には草野正辰(まさとし)、池田胤直(たねなお)、熊川兵庫(ひょうご)が居り、実際に仕法を指導する者には富田高慶(たかよし)、齋藤高行、荒至重(むねしげ)ら多士済々であった。
この人々が愛郷心に燃え、心を合わせて和(わ)の精神で全力を注ぐことおよそ30年、明治になって相馬の仕法は完成したのである。
二宮仕法を実施した所は全国に数多いが、とくに相馬ではほとんど理想的に行なわれたので今でも仕法遺跡が多く残っているのは偶然ではないのである。

(説明板より)


【福島県相馬市・中村城跡】



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銅像 | 20:21:56 | Comments(0)