■プロフィール

野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
56歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

■最近の記事
■月別アーカイブ

■カテゴリー
■FC2ブログランキング
■ブロとも申請フォーム
■最近のコメント
■小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

■ブログ内検索

■リンク
■RSSフィード
■FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
『傷痕 ルソンの軍靴』


第1部 南溟への航跡
 征旅―「虎の子兵団」(昭和19年12月19日)
 MT船―吉備津丸(12月20日)
 防人(さきもり)の歌―南下の船団(12月21、22日)
 北回帰線―台湾沖(12月23~26日)
 魔のバシー海峡―砂浜に立つ(12月27~29日)

第2部 「勝利か、死か」
 北サン上陸―椰子林のしめ飾り(12月30、31日)
 「銃を貸せ」―中隊長と兵(昭和20年1月1日)
 艦砲射撃―「敵船団北上す」(1月5日~8日)
 夜陰の靴音―再び北サンへ(1月9日)
 米比軍ゲリラ(USAFIP=NL)(1月14日)
 倒木と地雷と―「虎」ボントックへ(2月7日~11日)

第3部 ルソン山岳州に死す
 「虎」兵団とルソン戦線―(昭和20年1月~2月)
 三角拠点、ボントックの放棄(2月~3月)
 中継点、セルバンテスの攻防(3月10日~4月3日)
 カヤンの丘―陣中閑あり(4月)
 タクボの先陣―彼我の戦闘地名(4月末)
 霧と硝煙―タクボ陣地(5月10日~15日)
 死命を制す―斬込み戦法(5月16日~20日)
 迂回作戦―戦場のミステリー(5月17日~5月末)
 「戦陣訓」―その生と死(5月)
 逆転の推移―峠の群像(5月下旬)
 たこ壺の月―赤禿台地占領(5月26~30日)
 散華―林集成中隊(5月31日~6月3日)
 陣地喪失―タクボに死す(6月4日~14日)
 敗走―追走(6月14日以降)
 悲風万里―峠に立つ

第4部 報復「死の行進」
 軍旗奉焼―ブルブル山(20年8月)
 下山・武装解除―バクロンガン部落(9月13日)
 雨の収容所―ボントック道90キロ地点(9月13、14日)
 アレンに似た娘―柵の内と外(9月14、15日)
 「死の行進」―虚と実(9月16日)
 マンカヤン・バイパス―別名コッパー・ロード(9月17日)
 「ユーノーワッチ」―セルバンテス渡河(9月18日)
 タクボへの葬列―ベッサン・パス(9月19日)
 山霊―長恨・峠の戦記
 アメリカ兵―4号線ブタック(9月20日)
 「人間万事」―4号線スヨ(9月21日)
 イロコスを南下―3号線ゲリラ地帯(9月21日以降)
 無蓋車―北サンフェルナンド(9月22日)
 余録

あとがき

主要参考資料


著者はフィリピンのルソン島山岳地帯で戦った第19師団(虎兵団)・歩兵第73連隊第1大隊第2中隊の兵士・・・
本書は、その方のフィリピン上陸から終戦後までの体験談である。
ただ自分の体験談だけという狭い範囲の話だけではなく、広く当時の戦闘状況等につても言及しているので、当時の様子を知ることができるので、結構読みやすいのではないかと思う。

この方が戦った戦場のうちに「タクボ峠」という場所がある。
以前から、その名は聞いたことがあるが、実際に現場に行ったことはない。
私がよく行く山岳地帯とは、少し地域がずれている。
いつか、機会があったら歩いてみたいと思う。


今年の読書:26冊目



スポンサーサイト
読書 | 22:46:13 | Comments(0)
『帰らぬ空挺部隊』


あかね雲

奥山道郎という男

日向路

運命の島サイパン

特攻隊選出

潜入諜報員

必殺の戦法

往く年来る年

挫折

出戻り

硫黄島

天号作戦

再度唐瀬原へ

第6航空軍

義号作戦認可せらる

訓練には制限がない

作戦計画

遺書

本日の予定

只今突入

余録

幽魂

面影

附録
 戦死者人名
     義烈空挺隊
     第3独立飛行隊
     飛行第60戦隊
     義烈空挺隊直協中飛行場爆撃の岩橋機
     義烈空挺隊直協北飛行場爆撃の田畑機
     飛行第110戦隊


本書の著者は、騎兵第14連隊の戦友会の会長さん。
そういうわけで、以前から存じ上げている方である。
日中戦争時には中国大陸で騎兵として戦っていたが、その後空挺部隊に移った方。
戦友会の集まりに参加したときに、会長さんから上座に座るように言われた・・・(汗)
私は戦友会の中では最年少者なので「末席に座らさせていただきます」と断ったら・・・叱られた。(大汗)
戦後生まれなのだから当然、末席に座るべきだと思ったのだが・・・
「あんたは、上座に座りなさい!」と怒鳴られた。
他の方々から「田中会長は怖いんだよ~俺たちとは違ってバリバリの陸士出だからねぇ~」と慰め(?)られたことを覚えている。(苦笑)
今ではいい思い出である。
厳しい怖い会長さんだが、いつも私を気遣ってくれた。
・・・・が、すべて“命令”口調である。(笑)
さすがは陸士(陸軍士官学校)出身者は違うんだなぁ~と思っていたが・・・
本書の著者略歴を見て驚いた。
戦後は陸上自衛隊に入って退職された時は、「陸将補」という階級である。(汗)
いわゆる「将軍」・・・・偉い人だったんだぁ~・・・である。(苦笑)
今頃になって知るとは申し訳なし・・・
「足腰が弱って外出できなくなった」と聞かされて、もう何年経つか・・・・
もうお会いする機会はないだろう。
あのビシビシッとした命令口調が聞けないのは寂しい・・・
先日の「軍馬の慰霊祭」・・・
ある意味、強迫観念から参列している。
田中会長から、後ろから「あんたが継承しないで誰がやるんだ!参列せよ!」と怒鳴られるような気がして欠席できないのである。(大笑)

本書は沖縄戦に投入された陸軍空挺部隊(義烈空挺隊)の戦史である。
確かご本人は本部要員だったので実戦には参加したことがないというようなことを、おっしゃっていたと記憶している。
決死の作戦に参加して命を捧げた戦友たちの記録を後世に残してやらねば・・・という思いで書かれたのだろうと思う。
自分の自慢話などは一切排除した純粋な「戦史」である。
田中会長らしい・・・
著者の田中さんの顔を思い浮かべながら読んだ・・・・


今年の読書:25冊目



読書 | 01:26:41 | Comments(0)
『下士官たちの戦艦大和』


第1章 不運なる星の下に
        見張り員の絶叫
        意外なる盲点
        怪情報ながれる
        内地への別れ
        陰鬱なる制裁

第2章 栗田艦隊、出撃す
        悲愴なる総員集合
        出撃前夜の宴
        ギンバイ三すくみ
        時すでに遅し
        大混乱のなかで

第3章 激闘の陰にあるもの
        機関科の少年兵
        巨大なる柩
        もはやこれまで
        伊沢兵長の最後
        厳しき海軍の掟
        最後の力をしぼって

第4章 何のための厳しき訓練か
        まぼろしの勲章
        1本のロープ
        舷窓からの脱出
        生死の別れ道
        総員退去は幻か
        地獄の蓋

第5章 軍艦旗はためきて
        危険なる配置
        「愛宕」が沈む
        脳裏に浮かぶ光景
        葬送ラッパ
        悪い前兆

第6章 「大和」シブヤン海を行く
        レイテへの道
        大艦巨砲の出番
        不気味な沈黙
        一瞬の駆け引き

第7章 執拗なる敵襲に抗して
        長い時間のなかに
        ただ1機の味方機
        巨艦、潰えるとき
        屍を越えて
        暗い海に

第8章 炎の海の死闘の末に
        第一発見者
        血書の嘆願書
        大きな黒い影
        白刃の下に立つ
        巨砲、火を吹く
        戦闘旗なびて

第9章 生と死をみつめて
        奇妙なる時間
        重大なる決断
        “ヤラレタ!”
        敗者の愁訴
        2本の航跡
        戦い敗れて

第10章 地獄の島に死せず
        落日のセブ基地
        留まるも進むも死
        敵兵の銃口
        異常なる点景
        悲しき兵隊

終章 惨たる敗北のなかから
        栗田艦隊の終焉
        反転への証言
        勝敗の分岐点

文庫版のあとがき


本書は「戦艦大和」と銘打っているが、本書の半分ぐらいは、著者が乗り組んでいた重巡洋艦「愛宕」の話である。
こうなると、ちょっと題名と内容が違うのではないか?・・・・という違和感を感じざるを得ないが・・・
意外にも「大和」より「愛宕」のほうが、よくわかった点では、良かったかも・・・


今年の読書:24冊目



読書 | 19:44:45 | Comments(0)
軍馬の慰霊祭
今日は、軍馬、軍犬、軍鳩の合同慰霊祭の日・・・・
例年通り前泊して、靖国神社に向かう。
この慰霊祭と、5月に開催される我が戦友会の永代神楽祭にだけは、立場上、絶対遅刻するわけにはいかないので、いつも前日に上京してホテルに宿泊することにしている。

昨年から、軍馬の慰霊祭の中心だった騎兵第14連隊からは拙者以外に誰も参列する人がいなくなった・・・(涙)
騎兵第15連隊を代表して参加されていた会長の葦名さんもお亡くなりになってしまったので、この部隊からの参列者もいない・・・
騎兵第11連隊もしかり・・・である。
たとえご存命の方がおられても、皆さん90歳を超しているからご高齢のため外出できないのだろう・・・・無理もない・・・
今年はどうなるのだろうと、ちょっと心配したが・・・お一人だけおられた!(喜)
確か・・・騎兵第13連隊の方である!
我が騎兵第14連隊とは同じ騎兵第1旅団隷下の部隊の方である。
以前より、お顔を存じ上げていたのでご挨拶したところ、家族の反対を押し切って無理して来たという。(苦笑)
高齢なので行くなと家族に反対されたらしい。(汗)
「そういうわけなので、来年は参列できないと思います」とおっしゃる・・・・
返す言葉もない・・・(涙)

DSCN4384_convert_20170619095216.jpg DSCN4385_convert_20170619095240.jpg

毎年、この4月第一日曜日は天気が悪い。
雨が降ることが多いのであるが、今年は珍しくお天気がいい!(大喜)
久しぶりに屋外で、馬の銅像の前での慰霊祭となる。

我々“代表者”は、リボンを付けて最前列に座る。
玉串奉奠をするのが“代表者”の役目である。
が・・・ついに自分が“代表者”格になったら非常に不便となった・・・(大汗)
一昔前は、最後列に座って式典の様子などの写真が撮れたのに、自分が最前列に座ることになったため、自由に写真が撮れなくなってしまった。
しかも、まさか後ろを振り返るわけにもいかぬので、どれほどの人が集まっているのかもわからない・・・(苦笑)
我が騎兵関係者が他にもいるのかどうかもわからない・・・(涙)
とにかく、神妙に座って開会を待たねばならぬ。
開会までの、この時間が苦痛・・・(苦笑)
何事が始まるのかと、“道行く”一般の参拝者たちが、我々にカメラを向けたりスマホを向けたりして撮影するのである。(苦笑)
う~ん・・・・“さらし者”状態である・・・(大涙)
なんとも恥ずかしいんだよねぇ~(苦笑)

無事に玉串奉奠の役を終え、式典は終了・・・・
一緒に“代表”を務めた方とも、今日でお別れである。
「また来年お会いしましょう!」と言いたいけど、それを言って良いのやら悪いのやら・・・(汗)

実は、この4月第一日曜日には、愛知県の三ヶ根山で比島観音の例大祭が開催されている。
同じ日の同じ時間での開催なので、拙者は、こちらの“お役目”があるので、比島観音のほうには、もう何年も参列していない。
以前は、軍馬の慰霊祭は4月7日頃に開催されていたので、「4月第一日曜日」にぶつかることは滅多になかった。
そのため、比島観音の例大祭に参列した後、どこかを数日ブラブラと旅をして(大笑)、日程の調整をして最後の日に靖国神社に立ち寄って軍馬の慰霊祭に参列してから帰宅したのだが・・・
(下手をすると1週間ちかくの国内旅行となるが・・・)(大笑)
軍犬、軍鳩との合同慰霊祭になってからは、「4月の第一日曜日」と決められてしまったために、それ以来、比島観音には参拝していない。

ところが、来年、この比島観音の例大祭が最後を迎える事となったのである。
役員の高齢化と跡継ぎを作ることが出来なかったため、もう例大祭の開催が出来なくなったのである。
で・・・来年で幕を閉じる・・・・
「あんたが手伝ってくれたらなぁ~」と以前から言われていたが、どうしようもない・・・
体を二つに割って同じ日に別々の場所に行くなんて不可能である。(大笑)
どうして関係者の子孫で「俺がやります!」という人が現れないのか・・・・(涙)

来年、最後を迎えるにあたり、フィリピンで戦った部隊の事務局長としては、立場上、最後の例大祭には参列しなければなるまいが・・・
そうなると、こちらの軍馬の慰霊祭に参列できなくなる。
今回参列してくださった“戦友”は、ご高齢のため来年は無理なようだ・・・
となると、来年は騎兵関係者の“代表”の参列は無くなることになる・・・
いやぁ~参ったなぁ~(大汗)
どう頭をひねっても、いい案が浮かばない・・・・
今からもう来年の心配である・・・
溜息しか出ない・・・・

慰霊祭の後、池袋へ向かう・・・
今日は、この後、姪っ子が指導しているお茶の水女子大付属高校の合唱部の発表会があるのである。
これに顔を出して、帰宅する。

日記 | 23:29:24 | Comments(0)
『真相を訴える』


序文 (保阪正康)

はじめに

1.戦犯裁判の始まる前夜
       1 お訣れ演芸会の夜、特使来たる
       2 軍の解体・戦犯の追及始まる
       3 インド軍マンロー大尉の深き配慮
       4 集団撤収・豪州軍との折衝
       5 日本弁護団に入る

2.戦犯裁判の苛烈さに直面する
       1 Oh the Cnanges ― Murder(訴因―殺人)
       2 重高伍長決断す・裁判への疑惑
       3 怒涛の死刑宣告と死刑囚の面影
       4 毒のある不安と望郷の夢
       5 大坪大尉、収容所に散華す
       6 ある死刑囚の手記
       7 死刑囚の心の旅路

3.戦犯法廷内外の種々相
       1 尼さん邑爆撃さる―戦争と平和の姿
       2 ある日曜日に―アプソン収容所長の肖像画
       3 公判廷の明暗・ドイツ降伏記念日
       4 東洋の恥と悔いと悲しみ
       5 中国人集団と台湾義勇兵
       6 日・中の隠れたる志士たち

4.続けざまの死刑執行―人々はいかに死んでいったか
       1 最後の独房「白亜牢」
       2 うち続く刑の執行・同囚の憂悶
       3 人は何故、毅然と死ねるのか
       4 光教会と奥座牧師・片山大尉

5.戦犯の坩堝の中で
       1 弁護団騒然・血腥い朝
       2 ニューギニアの一兵士の訴因
       3 敗戦下の人と馬の挿話
       4 絞首台を検分してきた男―相沢伍長
       5 飛ぶや三途の花吹雪
       6 再審事件の後遺症
       7 平石伍長、無心に砂文字を描く

6.今村将軍の苦衷とさむらいたちの願い
       1 今村将軍の自裁
       2 地獄の底の万華鏡
       3 鮮烈な愛のかけ橋
       4 ある豪軍の准将と少佐と伍長
       5 さむらいたちの死と鮮血の抗議
       6 悲願の不死鳥・恩讐を越えて
       7 刑の執行やまず
       8 重労働旋風・今村大将の述懐
       9 原爆で母を、今戦犯で父を

7.ラバウルの自然と豪軍将校との交流
       1 監督将校・シールズ大尉
       2 弁護団の閑日・好日
       3 軍需品調査・ガーク大尉との交流
       4 第二次調査・その自然と人物
       5 国際赤十字社代表来たる
       6 ラバウルの地震・心なき人間模様
       7 タバコ欠乏の悲喜劇・巨大な龍巻

8.逝くもの還るもの
       1 復員船の最終便来たる
       2 山本大尉、最後の碁を楽しむ
       3 山口・土池遺書と李琳彩の血書
       4 伊東中将ら一転無罪となる
       5 内地に潜入したM中佐の苦難行
       6 復員船還る朝、平石伍長散華す

9.ラバウル戦犯裁判情勢転換の兆し
       1 豪陸軍省マックベン少佐来たる
       2 私の担当最後の裁判
       3 最後の裁判終了後の所感

10.戦犯裁判初期の酷烈さ
       1 ボルネオ方面の暗い嵐
       2 モロタイ・豪北方面の惨状
       3 ラバウルの早期受刑者

11.帰国の決意と最後の責務
       1 ガーク情報・足止め部隊解放
       2 新弁護団、内地より来たる
       3 白亜牢に描かれた最後の絶叫
       4 詩人工藤少佐の遺したもの
       5 遺書工作と戦犯埋葬地の確認
       6 帰還準備完了・収容者とのお訣れ

12.筑紫丸入港す・復員航路

13.その後の戦犯事情
       1 残っていた今村・安達将軍たちはどう部下に殉じたか
       2 その後のラバウルの戦犯事情
       3 マヌス島の戦犯事情

あとがき


今年の読書:23冊目



読書 | 23:49:25 | Comments(0)
格安旅行社の破綻
「てるみくらぶ」という格安旅行社が破産した。
報道によれば、このため、約3万6千人の旅行契約者が影響を受けるというが、実際に影響を受ける利用者数は約9万人になるという。
なんだか、よくわからない話だが・・・(苦笑)
これだけの“お客さん”がいて破産するというのだから、かなりいい加減な経営をしていたのではなかろうか?
すでに旅行代金を支払った人は、破産のおかげで旅行には行けないわ、カネは戻ってこないわ・・・だろうし・・・
すでに旅行している人は、現地で路頭に迷うこととなるだろう。
これは「ひどい話だ」ということになるのだろうが・・・
もしかしたら、会社だけを一方的には責められないかも・・・
「お客さん」の方にも問題があったのではなかろうか?

何にでも「適正価格」というものがあるはずである。
「安ければいい」というものではあるまい?
少しでも安い方がいいというのは“人情”だが・・・
いくらなんでも、これはおかしい・・・とは思わないのだろうか?
そういう“常識”を最近の人は持ち合わせていないのだろうか?
「ババ抜き」の“ババ”を誰が引くのか・・・(笑)
自分が利用するときは、まだ大丈夫・・・と思っているのだろうか?
あまりにも価格の安すぎるパックツアーなんて、絶対危ないと思うんですけど・・・(笑)

というわけで・・・私はこの旅行社を利用したことがない。
最初から候補から除外している。(苦笑)
まぁ、私の旅行の目的や内容が、ある意味、特殊だから、こういう旅行社では対応できないだろうと思っているからだが・・・(大笑)

「お客様は神様です」という言葉があるが、本気で信じている人がいたら、ちょっと危ない・・・(大笑)
“客”の中には、我がまま、非常識な連中も多い。
そういう“客”のニーズに応えていたら資金繰りにも苦労することになるだろう。
1泊5千円程度のビジネスホテルに高級ホテル並みのことを要求し、ホテルのサイトに文句のコメントを書き込むバカも多い。(汗)
こういう「文句を書き込む」奴にまともな奴はいない。
この旅行社が、こういう連中の顔色を窺って価格を決めていたとしたら、そりゃ、破産もするだろう。

その昔・・・
我が社が製造していた部品の単価値下げの要求が取引先からあった。
常識外れの値下げ額である。
どう逆立ちしたって無理・・・「適正価格」を下回っている。
唯一の方法は、材料の質を落とすこと・・・(大汗)
安い材料は、当然、品質も不安定である。
だから安いわけなのだが・・・(苦笑)
問題は、拙者が作っている部品は車のエンジンに使用される部品なのである。
絶対品質を落とすわけにはいかない。
お客さんはローンを組んで何百万円もする車を買うのである。
そのエンジンの品質を落とすわけには行かない。
エンジンの耐久性に問題が生じるのである。
担当者は「納車するときに問題がなければそれでいい」と暗に低品質の材料を使用することを要求してきた。
この要求に逆らえば、今後、仕事が回ってこなくなることは明らかである。
いわゆる・・・・“干される”ということになる。
が・・・ローンを払い終わっていないのに車のエンジンがおかしくなってもいいのだろうか?
納車する時さえ良ければ、1年後、2年後はどうなってもいいのだろうか?
大企業さんは“政治力”でなんとでも誤魔化せると思っていたようだが・・・
“製造業”のプライドが許さない。
というわけで・・・要求を断り・・・干され・・・・廃業することにした。
いいかげんな物を作るくらいなら、商売をやめた方がいい・・・

どうして、この旅行社の社長は、そういう判断が出来なかったのだろう?
無理をした結果、多くの人に迷惑をかけることになったのである。
もっと早い段階で手が打てたはずである。
大企業から「安売り」を強要されたわけではあるまい?
価格でしか判断しない馬鹿な客の顔色を窺い過ぎた結果ではなかろうか?
価格は自分たちで決められたはずである。
放漫経営でもしないかぎり、破産せずに十分やって行けたはずだと思うのだが・・・

経営者も悪いが、客にも問題があるのではあるまいか?
私は、どちらにも同情する気は起らない・・・

エッセイ | 21:03:22 | Comments(0)
『日本人、台湾を拓く』


私と胸像との対話  許文龍
 後藤新平像
 八田與一像
 羽鳥又男像
 浜野弥四郎像
 新井耕吉郎像
 鳥居信平像
 新渡戸稲造像
 松木幹一郎
 磯永吉・末永仁像

胸像に歴史認識を重ねて―許文龍氏と日本人  平野久美子(ノンフィクション作家)

後藤 新平
台湾近代化のプロデューサー
山岡淳一郎

   特別統治か内地延長か
   「生物学の原理でやる」
   大風呂敷の公債案
   笑いと涙の阿里山踏査
   都市の運命を握る「道路と下水道」
   土地改革を断行
   追い込まれた製糖産業

新渡戸 稲造
糖業発展のテクノクラート
楠木 榮

   台湾への道のり
   後藤新平との出会い
   糖業振興をめざす
   理想を描いた意見書
   次の飛躍へ

浜野 弥四郎
近代水道を敷設した都市の医師
稲場紀久雄

   新天地
   墓碑銘

鳥居 信平
環境型の二峰圳を生んだ土木の匠
平野久美子

   台湾の荒蕪地へ
   寝ずに描いた設計図
   原住民の懐に飛び込んで
   自然と折り合う地下堰
   近代科学に触れた原住民
   ふたつの農場を開墾
   日本農学賞を受賞
   地道な調査とひらめき
   嘉南大圳より早い輪作導入
   信平を突き動かしたものは?

八田 與一
嘉南大圳を築いた水利の匠
片倉佳史

   台湾南部に広がる大平原
   嘉南平原の水がめ、そして灌漑用水路
   金沢生まれの技師、台湾へ赴く
   台湾南部の実情を前に決意を新たにする
   各界から注目を集めた壮大なプラン
   そして、世紀の一大工事が始まった
   工事方法も斬新だった
   仕事に打ち込める環境を創りあげる
   烏山頭隧道の事故と殉工碑
   十年越しの夢、水路が完成する
   八田與一の銅像秘話
   30年にわたって暗闇の中に置かれていた
   3年輪作制―完成後にも組合の努力は続いた
   大洋丸の沈没、そして宮地末彦氏の手記
   八田夫妻の墓碑と外代樹夫人の死
   今も人々から敬愛される技術者

磯 永吉と末永 仁
蓬莱米を作り上げた農学者
早川友久

   台湾、米の供給基地として
   台湾の米の問題点
   日本種米か在来米か
   品種改良への第一歩
   台湾農事報の記事から
   出会いと勉励の日々
   竹子湖に原種田を設置
   広がる内地米の栽培
   その米の名は「蓬莱米」
   現場に生きた磯と末永の軌跡
   インドを救った蓬莱米

松木 幹一郎
電力利用を広げた企業家
山岡淳一郎

   やり残した電力事業
   後藤新平との師弟関係
   台湾電力、再建への道
   水力発電所の完成
   事業家としての評価

新井 耕吉郎
台湾紅茶を育てた農業の匠
手島 仁

   『躍進群馬県誌』の記載
   郷里・利根郡東村園原
   「文武鍛えし美少年」
   魚池紅茶試験支所最後の日本人支所長
   「故技師新井耕吉郎紀念碑」
   許文龍氏による胸像の建立
   郷里での胸像除幕式
   日月潭の観光スポット

羽鳥 又男
古都・台南を守った市長
手島 仁

   上州人気質
   生い立ち、そして群馬県・富士見村
   群馬県のキリスト教
   上州キリスト教徒の大同団結
   クリスチャン・羽鳥又男
   羽鳥重郎と台湾恙虫病の発見
   羽鳥人事と長谷川清総督
   愛の行脚
   戦時下の文化財保護
   軍官民合同クリスマス
   釈放要求運動
   国際基督教大学(ICU)
   珊瑚寺関係者の英断
   世に知られざる徳人
   義を重んじ恩に感じる気質

関連台湾史年表

初出一覧

執筆者紹介(掲載順)

写真資料提供


今年の読書:22冊目



読書 | 23:30:19 | Comments(0)
『連合艦隊戦訓48』




本書を読み始めてまもなく、なんとなく読んだことがあるような気がしていたが・・・・(苦笑)
内容は全く覚えていない。
が・・・どうしても気になったので調べてみたら、平成23年9月16日に読んでいた!(大笑)
何十年も前のことというわけではない・・・
たかが5~6年前のことなのだが・・・
全く内容を記憶していないとは・・・(大汗)
初めて読んだような気になっているようでは、チョットまずいな・・・(涙)
あまりの記憶の悪さに自己嫌悪・・・・気分はブルーである・・・


今年の読書:21冊目



読書 | 22:46:42 | Comments(0)
『シャセリオ―展』を鑑賞
昨晩は東京に一泊した。
で・・・・そのまま帰宅するのも芸がないので・・・(大笑)
今日は、上野公園へ向かい、“美術鑑賞”と洒落こむことにした。(笑)

上野公園を歩いていたら若い女の子に声をかけられた。
なにやら野外コンサートのようなものを開くので聴いて行って欲しいという。(汗)
時間は10分程度だという。
一瞬、何のことやらわからず戸惑ったが・・・(苦笑)
どうせ、急ぐ旅でもないし・・・(大笑)
聴いていくことにした。

DSCN4383_convert_20170612110627.jpg

場所は「上野の森美術館」の前・・・
へっ?・・・・こんな場所で?(苦笑)
演奏が始まったら、これが、なかなか素晴らしい!
へぇ~すごいものだ・・・
拙者は楽器など全く扱えないから、うらやましい・・・
う~ん・・・こんな風に演奏が出来たら、さぞかし気持ちがいいだろうなぁ~と思ったりする。

彼らは東京芸大出身の演奏家たちらしい・・・
「ぱんだウインドオーケストラ」のメンバーらしい・・・
また、変な名前をつけたものだと思ったが、なかなかのオーケストラらしい。
チラシも頂いた・・・(笑)

img183_convert_20170612111620.jpg

気持ちのいい、素晴らしい演奏を聴いて・・・・
次に向かったのが、いつもの「国立西洋美術館」!(大笑)
『シャセリオー展』を鑑賞する。

img184_convert_20170612111922.jpg img185_convert_20170612111959.jpg

今日は、生演奏を聴き、絵画を鑑賞し・・・
いつになく更に充実した時間が過ごせた!(大喜)

日記 | 21:07:16 | Comments(0)
「勇会有志会」の解散
今日は「勇会勇志会」の会合に出るため上京する。
「勇会」というのは仙台で編成された第2師団の秘匿名である。
本来は第2師団が正式名だが、防諜上の観点から秘匿名を付けたのである。
たとえば、東京の第1師団は「玉」、京都の第16師団は「垣」、姫路の第10師団は「鉄」といった具合で、仙台の第2師団は「勇(いさむ)」という秘匿名だった。
この部隊はガダルカナル島の戦いで壊滅的な打撃を受けたが、その後再編成してビルマで戦っている。
以前、ガダルカナル島に行った時に、「勇会」が建立した慰霊碑をお参りしたことがある。

この「勇兵団」の戦友会が「勇会」・・・・
しかしながら、この戦友会は、すでに解散したそうで、その後、有志だけが集まり「勇会有志会」というのを作って活動していたそうである。
昨年の末に従軍経験者(情報関係)からの紹介で、この会合に初めて参加した。
が・・・・
その入会(?)早々、会を解散する話が出された・・・(唖然)
なんというタイミングか・・・(苦笑)

この会には結局3回ほど参加したが、今日が、その「解散式」の日である。
「勇兵団」の名が消えてしまうのは残念だが、やむを得ないだろう。
この会は、いわば「親睦会」のような感じ・・・
僅かな回数の参加でしかなかったが、従軍経験者の参加者は2名、あとは若い人たちばかりである。
この人たちは戦没者の遺族でもなければ、従軍経験者の遺族でもない。
まったくの“有志”なのである。
従軍経験者から体験談を聞き、それを大学で利用している大学の講師やら、戦史研究家などが会員にいる。
そのため、従軍経験者が高齢になり、会合に出られなくなるということでは、もう“お役御免”ということで、会合を続ける意味はないということになるのだろう。
従軍経験者から話を聞くというのが目的の「親睦会」である以上、やむをえない。

対して拙者が関わっている戦友会は、生還者(従軍経験者)、遺族、賛助会員からなる「慰霊団体」である。
親睦よりも戦死した戦友の慰霊をすることを目的として結成された戦友会である。
たとえ、生還者が誰も参加できなくなっても、残る遺族と賛助会員で「慰霊」は続けるのである。
戦没者の慰霊に”期限”は・・・ない・・・
ここが我が戦友会と、この会との大きな違いである。
会の目的が違うんだから仕方がないか・・・・解散とは残念だが・・・

わずかな期間のお付き合いだったが、大変お世話になった。
感謝、感謝である。

DSCN4381_convert_20170610232031.jpg

日記 | 09:46:53 | Comments(0)
戦車隊関係者宅を訪問
今日の午後は、同じ茨城県にお住いの方に会いに行く。
先日、パラオを訪問したが、この時に埋没している「第二次編成の戦車隊」の戦車を確認してきた。
で・・・この戦車隊の隊長さんは戦後生還されたが、他界していて、息子さんが水戸市におられると、新聞記者の“サイトウさん”から教えられた。
同じ茨城県在住なんだから、一度会って来たらどうかと勧められたのである。

そこで、今回、初対面なのだが、ご自宅を訪問することにした。
今回の旅の様子も報告しなくてはならないだろうし・・・・(笑)

いろいろと、お話を伺っていて大きな疑問が・・・
それは、この方のお父さんは、もともと戦車兵出身ではなかったのだそうだ。
突然、戦車隊の隊長に任命されたのだそうである。
そういうことってあるのだろうか?
戦車のことも、戦車の運用も、戦車戦の戦い方も知らない人が隊長になるなんて・・・(唖然)
この方は、もとは防毒隊(?)にいた化学の専門家である。
どうして戦車隊の隊長に任命されたんだろう?
敵の毒ガス攻撃に対処する部署の人が・・・・
息子さんも、そのことが不思議だったそうである。
考えられるのは、隊長という職務に就ける階級の人が他に見当たらなかったから・・・という程度の理由。
部隊を率いるには“将校”でなくてはならない。
しかし、将校と言っても、少尉や中尉では、小隊規模しか指揮できない。
少なくとも大尉以上の階級でなければ「部隊長」にはなれない。
ということで・・・当時、大尉だった、この方が選ばれたのかもしれない。

もしくは・・・
ペリリュー島では水戸の歩兵第2連隊が全滅した・・・・
その仇討ちの意味も含めて水戸出身の、この方を隊長に選んだのかも・・・
しかし、軍が、そんなセンチメンタルな人事をするだろうか?(苦笑)
どうみても適材適所とは思えない人事なのだが・・・

それにしても、自分の専門外の部隊の隊長になるというのは、大変なご苦労をされたに違いない。
ご存命の時に、是非、お話を聞きたかった・・・
なにせ、現地で臨時に編成された戦車隊である。
島内の戦車をかき集めた、お互いに顔も名前も知らないというような部隊である。
ペリリュー島が陥落し、次はパラオ本島に米軍が来るんじゃないかという緊張した中で、“烏合の衆”に近い部隊をまとめるのは大変だったのではなかろうか?

もう一つ、驚いたのが、戦時中の資料!
よく、これだけの資料を終戦後に持ち帰ったものだと驚く。
普通は収容所で没収されておかしくないのだが・・・・
当時の原資料をキチンと整理して保管されていた。
これにはびっくりである。

隊長さんが作成したこれらの資料を見ると、かなり几帳面な方だったようである。
また肝の座った人でもあったようである。
資料から、そのお人柄が滲み出てくる・・・・
隊長になるにふさわしい人物だったのだろう。
部下の把握に一生懸命だったことがわかる。
これらの資料を見せていただきながら1時間ほど、おしゃべりをして辞する。

隊長さん・・・ご存命の時に一度でもいいからお会いしたかったなぁ~
当時の資料から、そのお人柄が見えるのである・・・

日記 | 20:58:16 | Comments(0)
同窓会の役員会
今日は、大学の同窓会の茨城県支部の役員会・・・(笑)
久しぶりの役員会なので・・・
さて・・・何を打ち合わせればいいのか、すっかり忘れてしまっている。(苦笑)
責任感の有無が顕著に表れる瞬間である。(大笑)

昨年の同窓会開催後の役員の打ち合わせでは、何の話をしたんだっけ?(大汗)
いやぁ~こんなに記憶力が悪くなるとは思ってもみなかった・・・(大汗)
頭の中は真っ白である!(大笑)

たしか、手帳に何か書き留めたと思うのだが・・・・
年が変わると手帳も変わるので・・・(笑)
今使っている手帳を見ても意味はない・・・
こりゃだめだ・・・・
ということで、今回は「役員会」のノートを用意した。
役員会の打ち合わせは、すべてこの1冊に書き込むことにする。
そうすりゃ、何年たっても大丈夫である。
どうして、こういう簡単なことを思いつかなかったんだろうねぇ~(汗)

大学の同窓会となると、小・中学校の同窓会と違って、卒業生は同じ地域から通っていたわけではない。
大学の中に同じ茨城県出身の同級生がいるというのは珍しい・・・・
縦のつながりも横のつながりも薄いのが大学の同窓会ではなかろうか?
在学中から部活やゼミで一緒だったというなら別だが、その可能性は低い。
世代の違う、何のつながりもない人たちを「同じ大学の卒業生だから」というだけで、集まってもらうというのは、なんとも難しいのである。
政治家になろうと選挙にでも出るつもりでもなければ、「同窓会」などに出る必然性を感じることはない・・・(大笑)
この参加者数が少ないというところが毎年、頭を痛めるところである。(涙)
なんとかして、毎年、少しづつでもいいから参加者を増やすようにせねば・・・
となると・・・そういう面倒くさいことは、すべて、自然と副支部長の拙者に押し付けられるわけで・・・(涙)
責任重大・・・・

次回の役員会は9月と決まった・・・
次回の役員会で「なんの話でしたっけ?」などと言わないように気をつけねば・・・(大笑)

日記 | 20:56:46 | Comments(0)
『比島山中 彷徨記』


比島山中彷徨記

薄野抄(比島戦線秘話)

敗残の賦

あとがき



本書の著者は、第63兵站病院の衛生兵で、マニラ東方の山中で終戦を迎えた。
その方の実体験に基づいた小説仕立ての体験記である。
「あとがき」には「幾分、虚構も混入」と書かれているが、どの部分が「虚構」なのかは、はっきりしないので、想像するしかない。
特にショッキングで悲惨な記述の部分が、そうなのかもしれない。
著者はマニラ東方高地の「ワワダム」というダムの更に奥地にいたようである。
私は、この「ワワダム」までは行ったことがあるが、そこから先の奥地には足を踏み入れることができなかった。
とてもじゃないが入り込めるような場所ではない。
そういうところで飢餓と戦いながら終戦までいたのかと感無量・・・
小説仕立てではあるが、ほぼ事実に即して書かれていると思う。
現地の風景が目に浮かぶ・・・


今年の読書:20冊目



読書 | 00:27:08 | Comments(0)
現像できないフィルム
先日、物置部屋を整理していたら、つぶれかかった段ボール箱が出てきた。
中身を確認したところ、大学時代のものが詰まっていた。
大学を卒業後、下宿にあったものを適当にダンボール箱に詰めて実家に戻ったのだが、それが、そのまま30年以上も放置されていたのである。(苦笑)
すっかり忘れていた・・・・(大汗)

まさしく「タイムカプセル」である。(大笑)
懐かしいものが、いくつも出てきたが・・・
その中に、1個・・・未現像のカメラのフィルムが入っていた。
なんで現像していなかったのだろう?
何を撮ったのだろう?
まったく記憶がない・・・・(大汗)

というわけで、カメラ屋さんに持って行って現像を頼んだのだが・・・
なんと!
現像は不可能とのことで、メーカーから戻ってきたという。
30年以上も前の古すぎるフィルムは、現像するための薬品が、もうないので現像できないというのである。
カラーではなく白黒になってもいいんですけど・・・(苦笑)
多少ピンボケになっても、人物が写っているのか、何かの景色が写っているのかがわかればいいんですけど・・・(苦笑)
それでも駄目だという。
千年も二千年も前のフィルムというわけじゃないんですけど・・・(大笑)
たった三十数年前のフィルムなんですけど・・・
現像液の薬品が変わってしまっているので、昔のフィルムは現像できないとは、なんと不便な事か・・・・
“進歩”も良し悪しだよなぁ~

こんな調子じゃ、現在、DVDなどに記録しているようなものも、そのうち数年後には再生する機械がこの世にありません・・・なんてことになって見ることが出来なくなるんじゃないか?

結局、このフィルム・・・・棄てるしかない・・・
何が写っているのかは永遠の謎となる。(涙)
あ~気になるなぁ~(苦笑)

日記 | 23:08:10 | Comments(0)
恒例の会計監査
今日は我が戦友会の年に一回の恒例の会計監査・・・
いつものように前泊し、いつもの新橋駅前で監査役に監査していただく。
会計監査の方は、いつものようにスムーズに承認を頂き早々と終了!(笑)
決して“形式だけ”の監査というわけではないのだが、特に問題が生じるような会計処理がないので早々と終わってしまうのである。(大笑)

その後は雑談・・・(笑)
現在、我が戦友会の会長は連隊長の御子息である“遺族”が就任している。
が・・・昨年から病気療養中である。
ということで、万が一の“辞任”を想定して、次期会長を考えておかねばならない。
この“人事”が、なかなか難しい・・・
拙者が思う適役は、旅団長のお孫さんで“遺族会員”である、現在監査役をしていただいている“シゲミさん”なのだが・・・
ちょっと打診してみたら、固辞されてしまった。(涙)
“シゲミさん”だったら誰もが納得する人事だと思うのだが・・・

どうしても嫌だと言われたのでは、無理強いするわけにはいかない。
ある程度の“方向性”を決めておくと、イザという時に混乱しなくていいのだが・・・・
残念である・・・・

さて・・・“イザというとき”にはどうすべきか・・・
次期役員のなり手がいないというのは、頭の痛い問題である。

日記 | 20:55:09 | Comments(0)
次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。