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野牛重兵衛

Author:野牛重兵衛
会社を実質的に自主廃業し『自由人』となる。
自ら『脱藩浪士』と名乗り自由な日々を生きることにした。
常陸国在住
57歳
今もって独身!(笑)
これからも独身!(大笑)

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『嘘だらけの日米近現代史』


はじめに―番犬様との付き合い方を考えよう!

第1章 捏造だらけのアメリカ建国神話
        第1節 ワシントンは架空の人物?
        第2節 かたちばかりのモンロー主義
        第3節 ただの極悪人だったリンカーン

第2章 知られざる日米の蜜月 1839~1908
        第1節 小国アメリカからの使者ペリー
        第2節 ハワイをめぐる攻防戦
        第3節 アメリカと見た「坂の上の雲」

第3章 世界大戦の勝者はソ連だった 1908~1945
        第1節 世界史的災厄をもたらしたウィルソン
        第2節 日英米の「恨み」の三角関係
        第3節 笑いが止まらないスターリン

第4章 敗者としてのアメリカ 1945~1960
        第1節 GHQは“落ちこぼれ”の吹き溜まりだった
        第2節 朝鮮戦争で翻弄されるアメリカ
        第3節 民主主義は二の次だったアメリカ

第5章 冷戦期の“お利口さん” 1960~1990
        第1節 ケネディが火をつけたキューバ危機とベトナム戦争
        第2節 「負け犬」カーターと「闇将軍」角栄
        第3節 冷戦に勝利したレーガンとブッシュ

第6章 アメリカよ、世界を返せ! 1991~2011
        第1節 アメリカ・コンプレックスの正体
        第2節 おい、クリントン、世界を返せ!
        第3節 実は何もできなかったブッシュJr.
        第4節 「テキトー」なオバマ

おわりに―神田うのは日本一の右翼か?

付録 アメリカ盛衰史


今年の読書:33冊目



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読書 | 21:57:43 | Comments(0)
泉家さん逝く・・・・
淡路島在住の“戦友”である泉家(いずみや)さんの息子さんからお電話を頂いた・・・・
嫌な予感が的中した!(涙)
10日にお亡くなりになったという。

19日に靖国神社で我が師団の永代神楽祭がある。
その出欠回答のハガキが届いていたが、ご高齢のため欠席、代理で息子さんが出席ということだった。
本人自筆のハガキである。
いつもより少し文字が乱れていたが・・・・
タイミングからいって、この出欠回答のハガキを投函して直ぐにお亡くなりになったようである。
あ~ショック!(涙)

で・・・葬儀の方は、今日が通夜式で、明日が告別式だという!(大汗)
なんということか・・・・
今からでは親父を置いて淡路島には向かえない・・・
今からでは留守中に親父の面倒を見てもらうヘルパーの手配も間に合わない・・・(涙)
残念ながら、葬儀には参列できない・・・
泉家さんは我が戦友会の副会長なので、急ぎ会長に報告をして、供花の手配の許可を頂く。

泉家さんは98歳でお亡くなりになられた。
氏は母一人子一人の家庭環境で育ち、戦地から帰って来て、母親の面倒を見た。
お母さんは97歳でお亡くなりになったそうで、2年前にご自宅を訪問したとき「母親の死んだ歳を越してから死にたい」とおっしゃっていた。
「あと1年ですから十分、大丈夫ですよ!」と言ったのだが、まさか本当に母親の死んだ歳を追い越してすぐにお亡くなりになるとは・・・
これは喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・
ある意味、こんな幸せなことはないかもしれない・・・
自分の願いが叶ったのだから・・・・
「万歳!」と喜んであげるべきか?
欲を言ったらキリがないが・・・できれば100歳でも110歳でも、長生きしてほしかった・・・

息子さんの話では、亡くなる前に永代神楽祭のための玉串料を準備してあったたので郵送するとのこと。
そこまで手回しをしていたとは・・・・驚きである。

泉家さんは“運の強い人”だった・・・
北部ルソンの山岳地帯にいた時、本部から一人、情報将校を差し出せと命令が来た。
この時、泉家さんは見習士官・・・
大隊の中から、泉家さんが選ばれ、単独でジャングルの中を3日かけて本部に向かった・・・
この時、本人は部隊に残って戦友たちと一緒にいたかったらしいが、命令である・・・従わねばならない。
しかし、この時点でジャングルの中を移動するというのは自殺行為に近い・・・
いつ山の中でフィリピンゲリラに襲われるかわからないのである。
単独行動ではなおさらである。
仲間と一緒に残っていたいと思うのも無理はない。
拙者も現地に行ったことがあるが・・・一人でこの山中を歩くのは嫌だ・・・(苦笑)
大隊の陣地を出発して3日後に本部に到着・・・
電話で無事に到着したことを知らせようとしたが応答がない・・・
陣地のある方角を見たら・・・黒煙が上がっていたという。
泉家さんが出発してまもなく、大隊は米軍の攻撃を受けて全滅してしまったのである。
生き残ったのは・・・3日前に陣地から移動した泉家さんだけ・・・
命令とは言え残酷である。
「戦友と一緒に死にたかった」とおっしゃったことがある・・・
大隊の中で、一人だけ生き残ってしまったという寂しさからか、それとも生き残った罪悪感からの言葉なのだろうか?
人の運命は分からない・・・・
もしかしたら部隊は米軍の攻撃を受けても持ちこたえ、多くの兵が生還し、泉家さんはジャングルの中でフィリピンゲリラに襲われて人知れず戦死していたかもしれないのだ。
当時としては、そちらのほうが確率が高かったのではあるまいか?
「貧乏くじ」を引いたように見えても、わからんものである・・・
神のみぞ知る・・・か?

拙者が住む茨城県は、やたらと地震が多い・・・(苦笑)
大小さまざまな揺れが年がら年中起こっている。(笑)
「地震速報」がテレビで流れると、必ずと言っていいほど泉家さんからお電話がかかってきた。
「お~い!大丈夫かぁ~?頑張れよぉ~!」
これが恒例となり、テレビで「地震速報」が流れたら、すぐにコードレスフォンを手元に置いて“待機”することにした。(大笑)
身内でもないのに、いつも気にかけてくださっていた・・・
これからは地震が起こっても、もう電話がかかってくることはない・・・(涙)
なんとも寂しい・・・・

先日、名古屋に行った時に会長から戦友会解散の方針を聞かされた。
その直後、神戸に向かったので、ついでに淡路島へ行き泉家副会長に報告しようかとも思ったのだが、行かなくてよかった。
あの時に行っていたら、最後にもう一度お会いできただろうが、解散するしないのゴタゴタを知らせることになる。
そういう心配をかけることなく済んだのだから、あの時に会いに行かなくて良かったと思うべきか?
何も知らず、この世を去ることになったので、良かったかもしれないと思う。
それにしても、このタイミング・・・・
なんというタイミングだろうか・・・という気がする。
戦友会の解散の問題については、天国から見守っていただくということで・・・
他の会員と話し合って、いい結論を出したいと思う。

心からご冥福をお祈りする・・・

日記 | 21:57:42 | Comments(0)
『評伝 真崎甚三郎』


はじめに

その1 昭和史の主役たち

1 天皇、その四つの顔
2 吉田山の誓い
     ―青年貴族の野望―
3 バーデン・バーデンの盟約
     ―天皇制軍閥の起源―
4 昭和維新の原点
     (1)青年将校運動
     (2)教育者・真崎甚三郎少将の登場
5 軍人真崎の形成
     (1)その歴史的土壌と精神的風土
     (2)生いたちから陸大卒業まで
     (3)中堅将校として
     (4)真崎軍事課長
     (5)颯爽!真崎師団長

その2 荒木・真崎(皇道派)時代

1 荒木陸相の留任劇
2 荒木と真崎
     人事異動
3 黒いかげり!天皇と真崎
     (1)天皇と秩父宮
     (2)天皇と真崎
4 大将昇進と次長の辞任

その3 颱風の眼・真崎大将

1 突風!真崎陸相の辞任
2 林陸相の誕生
3 ふたたび、青年将校運動について
4 軍の政治介入宣言
     ―陸軍パンフレット問題―
     (1)軍の企図
     (2)真崎教育総監の危惧
     ―真崎と永田の決定的瞬間―
5 無血クーデター・天皇・天皇機関説事件
     ―国体明徴運動―
6 元凶を追放せよ!
     ―真崎教育総監の罷免―
     (1)荒木より真崎だ!
     ―四面楚歌の真崎教育総監―
     (2)真崎教育総監追放の経過
          ①いつの頃から
          ②具体的な進行
     (3)罷免劇の首謀者たち
          ①永田鉄山軍務局長の場合
          ②林陸相の場合
          ③皇族総長の効用
          ④そのとき天皇は
     (4)真崎罷免の反響

その4 痛恨!昭和維新は成らず
―厚かった天皇の壁―

1 真崎将軍の登場
2 ふたたび、天皇と真崎
3 軍事参議官会同と説得工作
4 勇将・真崎あり!
5 天皇の素顔
6 秩父宮の立場
7 この事件の本質
8 偉大なる天皇の威力

その5 狡兎死して走狗烹らる
―軍独走態勢の礎石―

1 粛軍と政治介入
2 政治裁判としての暗黒裁判
     ―裁かれるものは何か―
3 天皇と青年将校
4 真崎裁判
     (1)真崎逮捕拘禁の法的根拠
     (2)獄中生活
     (3)無罪判決
     (4)つきまとう幻想

その6 落ちた偶像
―世論の残忍性―

1 湖底の竜
2 最後の抵抗―近衛上奏文
3 余喘をたもつ
     極東軍事裁判
4 隠されたる真価
     真崎の遺稿
5 執念の勝利
     (1)真崎のファミリー
     (2)愚真の終焉
     (3)天皇と真崎二世(長男秀樹)
     ―歴史の悲劇―

真崎甚三郎略年譜

参考引用文献一覧表

あとがき


私は真崎甚三郎という人に、いいイメージを持っていなかった。
どうしても“卑怯な男”というイメージがあるのである。
2・26事件で青年将校たちをけしかけておきながら、いざとなったら知らぬ存ぜぬ・・・
裁判にかけられたが、無罪放免・・・・
狡猾だなぁ~と思っていたのだが・・・・
本書を読んでみて、おや?・・・という印象を受けた。
真崎甚三郎の評伝だから、多少、えこひいきして書かれているのだろうという先入観を持って、否定的に読んだとしても・・・おかしい・・・・私の今まで持っていたイメージと違うのである。
これは、どうしたことだろうか?
「なるほどねぇ~」という点がいくつもある。
いつ、どこで悪いイメージを植え付けられてしまったんだろう?(苦笑)
“通説”が果たして“真実”を語っているかどうか・・・
本書は一読の価値ありの本だと思う。


今年の読書:32冊目



読書 | 09:51:38 | Comments(0)
つに57歳!
今日は拙者の誕生日!(涙)
昔なら、誕生日が来るのが嬉しかったが・・・
最近は・・・・ちょっと・・・ねぇ~・・・・である。(苦笑)
え~と・・・俺は何歳になるんだ?(汗)
最近は、自分の年齢もわからなくなってきた・・・(大汗)

東京から姪っ子たちがやって来て、拙者の誕生日を祝ってくれた!(喜)
本当にありがたいことである。
毎年、毎年、申し訳ないねぇ~・・・である。

DSCN4511_convert_20170716211658.jpg

今年のバースデーケーキは一番下の姪っ子の手作りである!(大喜)
初めて自分でスポンジケーキを焼いたそうで・・・・
それを東京から持ってきたのだが、「カバンに入り切れなかったので縦にして入れてきた」と言う・・・
「なぬ?縦にして入れた?」(唖然)
どうりで心なしかケーキがUの字に曲がっているわけだ・・・・(大笑)
押し込んだのか?・・・(大汗)
デコレーションのイチゴとオレンジは何故か拙者がスーパーで買わされる羽目に・・・
ん?・・・俺が買うの?(大笑)
チョコレートでプレートを作ったらしいが・・・
何て書いたのやら・・・・クサビ形文字である・・・・(大笑)
「うまく書けなかったんだよねぇ~」と姪っ子・・・
拙者は歳は取っているが、古代ペルシャ人というわけではない・・・・クサビ形文字は読めない・・・(大笑)
ロウソクの数が足りない・・・
「仏壇のロウソクを使ってもいいかなぁ~」と姪っ子・・・
「馬鹿!それだけはやめろ!」(大笑)
「やっぱり駄目かぁ~・・・そうだよねぇ~」

なぜか、親父がニコニコ顔・・・・
やたらと喜んでいる。
「ほぉ・・・・誕生日?誰の?俺のか?」と親父・・・
「親父は何月生まれだっけ?」
「ん?6月だけど・・・」
「今は5月だぞぉ~」
「ん?じゃ、誰の誕生日なんだ?」(真顔)
「俺だよ!息子の俺の誕生日!」(怒)
「なぁ~んだ・・・そうかぁ~」
「なにそれ・・・」(唖然)

今年も楽しいバースデーパーティとなった。
姪っ子たちに感謝、感謝、大感謝である!(大喜)

日記 | 21:10:24 | Comments(0)
タケノコ堀り!
今日は毎年恒例の「タケノコ堀り」である。
“ウメちゃん”の奥さんの実家の山でのタケノコ掘り・・・
「勝手知ったる他人の山」・・・である。

ところが、今年は気候のせいなのか、例年のようにタケノコが出ていない。
いつもなら1日で100本くらいは掘り、掘りつくしたと思っていても、2~3日経ってまた行くと、また100本近くが顔を出しているというありさまなのだが・・・・
今年は、ほとんど見当たらない。
それどころか、山のあちこちにタケノコを掘った跡の穴がある!
穴の深さから想像するに、“売るため”に掘った奴がいるようだ。

個人で食べるために近所の人が勝手に1~2本掘っていくのは黙認しているが・・・
商売として掘るのは許せない。
他人の土地であることを知っていながら勝手に入り込んで何十本も掘っていく奴がいる。
一度、現場を押さえて掘ったタケノコ全部を分捕ったことがある。(大笑)
小ずるいジジイだったが・・・
またあの野郎か?(怒)

今年はどこでもタケノコは不作だそうで、タケノコの値段が上がっているそうだ。
ということで“密漁”して(笑)・・・売り飛ばそうという奴が出てくるのは無理はないかも。
こういう小ずるい奴は・・・穴を掘って埋めて・・・(大笑)・・・「ミイラ取りがミイラ」ならぬ「タケノコ泥棒がタケノコの肥料」にしてやりたいくらいである・・・(大笑)

今年は不作ではあったが、それでもタケノコ泥棒が見逃したタケノコを30本ぐらいは掘った・・・(苦笑)
年に一回の“重労働”はこれで終了!(大笑)
お疲れさまでしたぁ~

日記 | 22:31:48 | Comments(0)
『ルソン日記』


まえがき

1 それまでの経過(昭和20年5月12日まで)

2 ラロのおとり陣地(5月13日~6月19日)

3 難行軍(6月20日~6月27日)

4 天然洞窟陣地 (6月28日~7月28日)

5 遊撃地点二四〇〇高地 (7月29日~8月12日)

6 終戦 (8月13日~8月27日)

7 俘虜収容所 (「ルソン日記」補遺)

あとがき


本書はフィリピン従軍記・・・
しかし、「わが部隊」「わが中隊」という書き方なので、どこの部隊なのか、なかなかわからない。
自分の部隊名を明記しない、こういう書き方をする従軍経験者が結構多い。
最初に明記してくれれば、あの部隊の話かと、すぐわかるのだが・・・
ハッキリと部隊名を知られてはマズイことでもあるのだろうか?

戦史の“参考書”としては『戦史叢書』というのがあるが、これは、どちらかというと参謀や指揮官クラスの“お偉いさん”の証言を基に書かれた「戦史」ではないかと思う。
そのため、自己保身のためか、自己弁護とも受け取れるような記述や、明らかに間違っている(事実とは異なる)ような記述、つじつま合わせの話なども見受けられ、現場の第一線で戦っていた人からは「戦史叢書をあまり信用してはいけない」と忠告されたことがある。
たしかに、そういう部分があるのを私自身、いくつも、確認している。
たぶん、どこかの参謀の証言を基に書いたのだろう、「あそこへ移動しろと命令したから、この部隊はあそこへ移動して、あそこで全滅した」とこうことで「記録」されているが、実際には命令通りに移動できず、全く別の場所で全滅していた・・・という事例を確認したことがある。
これでは『戦史叢書』を参考に現地に慰霊に行くご遺族には甚だ迷惑、失礼ということになるのだが・・・
また、「戦闘記録」でも、案外、怪しい記述が多い・・・
たとえば・・・「1000発の砲弾を敵に浴びせた」と記述されている戦闘では、生還者の話では、当時、1000発もの砲弾は持っていなかったとか・・・
私の祖父が戦った戦場では、山頂に陣取る米兵に対し、山頂まで坑道を3本掘って爆薬を仕掛けて吹き飛ばしたという記述になっているが、実際は坑道は1本だけで、しかも爆薬ではなく軽機関銃を撃ちまくって米兵を山頂から追い払っている。
それをやった人から直接聞いた話だから間違いはない。
「あの当時に爆薬なんてもう残っていなかったんだから、爆薬で吹き飛ばせるわけはないだろう!」と怒っていた。
負け戦が続く中、戦意(戦威)高揚のため「景気のいい話」に仕立てたものが、そのまま記録として残ってしまったわけである。
公刊戦史といわれる『戦史叢書』が、こういう内容なのだから、他の角度からも見なくてはならないと思う。
そういう意味では、第一線で戦った一兵士の記録(日記)は、貴重な「戦史」だと思うが、なぜか、部隊名を明記しないものが多い・・・
この方の場合は、話の内容から、第103師団(駿兵団)の独立歩兵第180大隊に所属していた方ではないかと思うが・・・

この方が戦った場所は、私がよく行く北部ルソンの山岳地帯の更に北の方で・・・
一度は、こっちの方まで足を延ばしてみたいものだと思っていた地域である。
それゆえに、興味深く読ませてもらった。


今年の読書:31冊目



読書 | 23:51:19 | Comments(0)
『東大落城』


プロローグ
     17名の女闘士
     三島由紀夫からの電話

第1章 任命
学園紛争の嵐が最高潮に達した昭和43年11月、香港から帰国したばかりの筆者に1枚の辞令が下りた。「警備第1課長ヲ命ズ」

     香港からの帰国
     西条巡査部長の殉職
     「警備第1課長ヲ命ズ」
     アウト・レインジ戦法
     タイム・リミット
     警備戦術の大転換
     警備新戦術研究会
     情報攪乱の神経戦
     危機一髪の集会潜入
     佐藤総理への直訴

第2章 出動
学園自治を原則に機動隊による封鎖解除を拒む大学当局。一方、全共闘側の「東大解体」の執念は凄まじい。加藤一郎学長代行の決断は?

     催涙ガス大量使用作戦
     日大「千早城」の陥落
     東大卒を機動隊に投入
     「上智大方式」の誕生
     プレ安田講堂四大事件
     1・9東大両派乱闘事件
     三つ巴の決起集会
     機動隊出動要請
     動員解除か?
     ニトロとリベット銃
     大鉄球作戦
     決戦の朝

第3章 包囲
昭和44年1月18日午前7時5分、医学部の攻防から学園紛争天王山の戦いの火ぶたは切られた。そして林健太郎監禁事件の真実

     青い溶岩流
     「医学部中央館」攻略
     催涙ガス使用開始
     「ニトロ発見」
     脱出していた革マル派
     東大紛争の発火点
     奇々怪々の金権大学
     堕ちた大学教授たち
     東工大の「警備計画」
     林文学部長監禁事件
     「只今、学生を教育中」
     全学園紛争の天王山

第4章 突入
火ダルマになった機動隊員、黒煙につつまれる列品館、法学研究室にはガソリンがまかれる。さらには神田地区でも不穏な動きが・・・・・

     炎と白煙の修羅場
     列品館へ!
     隊員たちの胸の内
     炎上する警備車
     ヘリコプター作戦
     焦土戦術
     列品館陥落
     「法研」攻防戦
     死守した史料、文化遺産
     落書だらけの教授室
     深夜の脅迫電話
     総監室では拳銃着装
     “警備戦国時代”の武勇伝
     早くも“二正面作戦”か・・・・・

第5章 激闘
“本丸”安田講堂攻めが始まった。学生側の抵抗は予想以上に激しく負傷者が続出、夕暮れ迫るなかついに作業中止命令が出される。

     要塞化した“安田城”
     「本気で東大をぶっつぶす」
     史上初の催涙ガス液散布
     無法状態の神田地区
     安田講堂一番乗り
     炎に包まれる工作班
     記念写真を撮る教職員
     作業中止命令
     荒城の月

第6章 落城
早朝6時30分、攻撃再開、次々と突入口から暗闇の講堂内へ飛び込む隊員たち。石塊、火炎ビン攻めに耐え一歩一歩前進してゆく。

     “食パン”作戦
     攻撃再開
     大理石の直撃弾
     充満する都市ガス
     “銀ヘル”との闘い
     “学生死亡”のデマ情報
     命がけの食糧搬入
     一歩一歩前進
     誤れる陣頭指揮
     午後3時50分、大講堂制圧
     東大のいちばん長い日

第7章 終熄
敷石はがし作戦をもって72時間の死闘は幕を閉じる。後日、奏上した秦野警視総監に対する昭和天皇のお言葉は意外なものだった。

     神田地区へ転進
     庶民はどちらの味方だったのか?
     機動隊員を助けた学生
     “瘦せ細る”各隊
     階級章では動かない
     深夜の激闘
     敷石はがし作戦
     道路損壊罪?
     秦野流“スクイズ”サイン
     代表課長会議の大激論
     住宅ローンで弁当代を
     “不実の恋人”東大全共闘
     まだ「終わり」ではなかった。
     「軍隊」と「市民警察」の間
     離職者ゼロの意味するもの
     昭和天皇のお言葉

エピローグ
     戦後史の中の安田講堂事件
     真の「反権威闘争」だったのか?
     新たな連帯意識を求めて
     “東大病”の克服
     平成世代との断絶

あとがき

解説 早坂茂三(政治評論家)


東大安田講堂の攻防は有名な事件である。
あの時、最後の最後に、追い詰められた学生たちの中から何人かが飛び降り自殺をしていたら、その後の展開は大きく変わっていたかもしれない。
が・・・彼らは、散々騒いで壊して火炎瓶を投げて…大人しく捕まった・・・
捕まっても絶対にひどい目にはあわないという“読み”だっからだろう。
呆れたのは東大の学生たち・・・
こっそりと途中で撤退していたのである。
戦力の温存とか再起を図るとかもっともらしいことを言って“逃げ出した”
さすがは東大生・・・「エリートは自己保身と要領の良さを本分とすべし」・・・のいい例である。
ワリを喰ったのは応援に駆けつけて講堂に最後まで立て籠もっていた私大生たちである。
「正直者は馬鹿を見る」・・・そのものである。
この安田講堂に最後まで立て籠もってひどい目に遭った日大生の話を又聞きしたことがある。
気が付いたら東大の連中がいない!
今もって、あの時の東大生たちには恨みがあるという。
その後の“内ゲバ”などは、そういうことも原因の一つであったのかもしれない。

いつも思うのが、成田空港開港反対の運動・・・・
なぜなのかはしらないが、なぜか学生たちがデモ行進をし、火炎ビンを投げ、管制塔を破壊した・・・
あの時の学生たち・・・今では、いい歳をしたオッサンになっていると思うが・・・
間違っても、新婚旅行や海外旅行、海外出張に成田空港は利用してないよね?
と・・・言いたくなるのである。(笑)
自分たちが反対していた空港を利用なんかしないよね?
成田空港に行くたびに、ついつい周囲をキョロキョロしてしまうのである。(大笑)

「東大をぶっ潰す!」と騒いで火炎瓶を投げていた連中は、まさか自分の子供を東大なんかには進学させていないよね?(笑)
誰か、その後の過激派連中の行動を調べて本にしてくれないかと思う。
ちゃっかり自分の子供を東大に進学させたり、素知らぬ顔で成田空港を利用してるんじゃないのかなぁ~?
そういう気がしてならないのである。
所詮、「学生運動」なんて、そんなものなのだろうと思う。
だから、今では「学生運動」なんていう言葉は死語同然になってしまっているのだろう。
今の学生は・・・“運動”はしない・・・・
これは“世代”の問題というわけではないという気がする・・・

学生時代、私は学長と学長室で一対一で談判をしたことがある。
大学改革をぶち上げて激論を戦わした。
当然、合法的で、礼を失しないようにした、“まともな”直談判である。
今になって思えば笑ってしまうのだが・・・
授業料値上げに反対していたのは学長の方で、学費が多少高くなっても教育水準を上げろと言っていたのが私なのである。(大笑)
私が左翼の学生たちと違うのが、こういうところ・・・(笑)
今では、こんなことを訴えるような学生は皆無だろう・・・
ちょっと寂しい気がしないでもない・・・・

当時、あの安田講堂で“戦って”いた元学生たちは、本書を読んでどういう感想を持っただろうか?
自分たちがやったことを「若気の至り」の一言で片づけてしまっているのだろうか?

本書の「解説」は早坂茂三氏・・・・
田中角栄の秘書で有名だった人で、一度だけお会いしたことがある。
一緒に寿司を食べた記憶がある。
お亡くなりになってから、もう何年経つだろう?
懐かしい“声”に触れた・・・・
変なところで感激・・・・(苦笑)


今年の読書:30冊目



読書 | 21:51:52 | Comments(0)
『エジソンに消された男』


謝辞

第1部
     1 はるかな手がかり
     2 1930年、リーズ
     3 1889年、リーズ
     4 1889年、ウェスト・オレンジ
     5 成功
     6 失踪
     7 行方不明
     8 エジソン氏の新発明
     9 疑惑

第2部
     1 トラスト
     2 水に浸った銀板写真
     3 歴史は作られる

第3部
     1 始まり
     2 ピート・バルブ
     3 パリ包囲戦
     4 美術学校
     5 芸術と科学
     6 技術の魔術
     7 アメリカ

第4部
     1 パノラマ
     2 最初の実験
     3 鮫から逃れて
     4 奇妙な出来事
     5 マイブリッジ
     6 エジソンの特許
     7 第一撃

第5部
     1 特許戦争
     2 1887年―89年、パリ=リーズ
     3 構想
     4 庭
     5 三番目のシナリオ
     6 手品
     7 ありそうもないシナリオ

第6部
     1 既視感(デジャヴ)
     2 令状
     3 陰謀
     4 失踪Ⅱ
     5 世紀末
     6 失踪の謎
     7 最後のひとコマ

年譜

参考文献



補遺 写真・映画をめぐる主要発明家略歴

あとがき

索引


“世界の偉人”というと、必ずその一人に名前が挙がるのがエジソンではないかと思う。
そのエジソンに“消された”人がいるという題名の本なのだから、読まないわけには行くまい。

フランス人のオーギュスタン・ル・ブランスという人が1880年代末に映画撮影機と映写機を発明したらしい。
そして、フランス中部の町からパリを経由してアメリカのニューヨークに“世界初の映画の上映”をするために向かった。
1890年9月16日の事である。
列車に乗りパリに出発するところは目撃されているが、その後、忽然と姿を消した。
パリには到着していないらしい。
ということは・・・列車の中で姿を消したのか?
一般には「失踪」ということになるだろうが、本人に失踪するような原因は見つからない・・・
何らかの犯罪に巻き込まれたのではなかろうか?
何人もの探偵が雇われ調査をしたが、何の痕跡も見つけられず、彼の“失踪”は、今もって謎となっている。
そして・・・その“失踪”からまもなくして、エジソンが「映画」を発明したという。
なんだろう・・・このタイミング・・・・

発明家はエジソンだけではなく、多くの発明家がいたらしいのだが・・・
エジソン自身の命令によるのか、彼の取り巻き連中の勝手な行動によるものなのか、特許の訴訟を起こしたり、圧力をかけたり、アイディアを盗んだりということがあったようである。
となると・・・この“失踪”も怪しいということになるかも・・・
エジソンはプライドが高く、自分より先に誰かに発明をされると面白くない・・・というところがあったようである。
子どもの頃に読んだエジソンの伝記とは、ちょっとイメージが違う・・・(汗)
そういわれてみれば、エジソンの肖像写真を見ると、ずるがしこい男に見えないこともないなぁ~(苦笑)

一切の痕跡も残さず、忽然と“神隠し”にあったように姿を消したフランス人発明家・・・
その死体も何も見つかっていない・・・・
まもなくしてエジソンが似たような発明品を発明したとなると、証拠がなくとも何らかの関わりがあったのではないかと疑いたくなるのは当然だろう。
真実を探ろうとする家族の前に立ちふさがる“厚い壁”・・・・
これは何を意味するのか?

翻訳本なので、私にとっては、言い回しなど、ちょっと読みづらい所、分かりづらい所が多々あったが・・・
なかなか面白い本だった。


今年の読書:29冊目



読書 | 01:23:28 | Comments(0)
『嘘だらけの日中近現代史』


はじめに―歴史に学ぶ中国人のあしらい方

第1章 嘘だらけの古代「中国」史
        第1節 中国史は繰り返す
        第2節 孔子は建前、本音は韓非子の「余計な奴は殺せ」
        第3節 「インテリヤクザ」諸葛孔明の真実
        第4節 「中国五千年」というコケおどし

第2章 欧州に翻弄された「清」と抗った「日本」
        第1節 民族問題は「明」にあり
        第2節 アヘン戦争で眠り続けた清と目覚めた日本
        第3節 明治政府の凄腕外交と朝鮮の悲劇
        第4節 決着としての日清戦争

第3章 動乱大陸「中華民国」
        第1節 『ラストエンペラー』の大嘘と孫文のインチキ革命
        第2節 帝国主義者にして愛国者・石井菊次郎に学べ!
        第3節 「二十一か条」というプロパガンダに騙されるな
        第4節 アメリカに振り回される日本

第4章 満洲事変で騙される日本
        第1節 「排英排ソ」のち「排日」
        第2節 中華民国の無軌道が満洲事変を引き起こした
        第3節 嘘つきチャイニーズのプロパガンダの手口
        第4節 最強だった帝国陸海軍は日本外交に敗北した

第5章 お人よしすぎる日本人
        第1節 わがまま放題の溥儀と満洲国
        第2節 暗躍する中国共産党
        第3節 支那事変が「日中戦争」ではない理由
        第4節 「大」「虐殺」を定義する
        第5節 「夷を以て夷を制する」の精髄

第6章 究極の中華皇帝!毛沢東の野望
        稀代の暴君・毛沢東

第7章 中国の悪あがき
        第1節 敗戦後の「媚米」と「親ソ」の行方
        第2節 三角大福のマヌケな死闘
        第3節 中国の資金源と化した日本銀行

終章 アベノミクスと中国崩壊の予兆
        日本の未来はあなたが決める

おわりに―闘いは、続く


本書は面白い書き方をしている。
「通説」をまず記して、それに対する解釈と、それが間違っていることを述べるという書き方。
こういう書き方も面白い。
一方的に「中国は嫌いだ」的な書き方の本もあるが、「通説」との比較は面白い。
著者の言い分は、どれもこれも納得できる。
チャイニーズが嘘つきなのは、もう常識と言っていい話だろうし・・・
彼らは「騙す奴より騙される奴が悪い」と本気で思っているんだろうし・・・
嘘も100回言い続ければ本当になる・・・と思っているんだろうし・・・
中国とは、中国人とはそういうものだと思うが、厳密に言うと、もしかしたら「中国共産党」が、そういう連中であって、中国共産党に毒されていない中国人は本当は「いい人」なのかもしれない・・・という気がしないでもない。
そういう中国人を見つけるのは至難の業だとは思うが・・・


今年の読書:28冊目



読書 | 23:54:08 | Comments(0)
不法就労者、全国ワースト1位!
茨城県内で昨年1年間に摘発された不法就労者は2,038人・・・・
2年連続で全国最多となったという!
相変わらず、何をやっても全国ワースト1位の茨城県!(笑)
さすがである!(大笑)

不法就労者の職業は、摘発された全体の7割が農業従事者だという。
“農業県”の茨城では農業の人手不足が深刻ということなのだろうが・・・
以前、茨城の農家から逃げ出した中国人女性と会ったことがある。(苦笑)
彼女の話では、労働条件が過酷だったという。
早朝の真っ暗なうちから真夜中まで働きづめだったという。
しかも、給料は安い・・・
業者にピンハネされていたらしい・・・
で・・・休日に、わずかな小遣いをもらう程度だったそうで・・・
それに耐えきれず“脱走”したという。
当然、“脱走”後は、不法就労者として都会の中に隠れて生活をしている。
日本にやって来たときは“合法就労者”だったのだろうが・・・
こういう労働基準法違反が明確なコキ使い方をする農家にも問題があるのではなかろうか?
茨城県の恥だから、こういう農家は厳罰に処するべきではなかろうか?
こういう農家が不法就労者を助長しているのではなかろうか?

不法就労者の国籍は、思った通り中国人が最も多く716人だったという。
続いてタイ、インドネシア、ベトナムと続く。
「安い労働力」・・・ということなのだろうが、実際に雇うほうは安いカネを払っていないかもしれない。
中間搾取する斡旋業者に問題があるのかもしれない。
そうだとしたら、不法就労者を取り締まる以上に、ピンハネ業者を取り締まるべきかもしれない。

もぐりの斡旋業をしていた中国人女性を知っている・・・
この人は日本人と結婚して合法的に日本に在住していたが、中国からの不法就労者の斡旋をしていたらしい。
警察に摘発されたのちは、姿を見ないから・・・・中国に帰ったのかもしれない。
彼ら「合法居住外国人」の中には、カネの為なら違法行為をやる連中もいる。
カネを稼ぐのが目的で日本にやって来て、日本人との結婚もカネ稼ぎの手段の一つなのだから当然だろう。
日本人が“甘い”と言われるのも当然かもしれない。

茨城県が不法就労者全国ワースト1位というのは、別の視点で見ると大いに褒めるべきことかもしれない。
このデータは「摘発件数」なのである。
つまり、茨城県警は、まじめに一生懸命仕事をした結果、これだけの不法就労者を摘発したと言えるのではなかろうか?
だから「数字が上がった」わけで・・・・
摘発を怠けている、他の都道府県警では摘発件数が上がらないからワースト順位には載らないのではなかろうか?(笑)
茨城県だけにやたらと不法就労外国人が集まっているわけではあるまい?
どこの都道府県にも、こういう外国人はたくさんいるはずで、摘発されないから目立たないだけではなかろうか?
3年前は東京都がワースト1位だったはずだが・・・急に不法就労外国人がいなくなったわけではあるまい?(苦笑)

「ワースト1位」という汚名返上ため摘発はしないようにしよう・・・なんていう本末転倒な事だけは茨城県警には避けていただきたいものである。
大いにワースト1位の座を守っていただきたいものである。
がんばれ!茨城県警!・・・と言いたい!(笑)

エッセイ | 22:28:54 | Comments(0)
『空母機動部隊』


まえがき

1 創生期の航空母艦
       航空母艦とは
       世界最初の新造空母「鳳翔」
       海軍航空の第一歩
       幻の2番艦「翔鶴」
       初期の軍用機呼称
       空母「鳳翔」の原計画
       「カンパニア」と「フューリアス」
       搭載予定の飛行機
       米海軍は石炭船を改造
       誤り伝えられた「鳳翔」の起工日
       発着艦実験を開始
       「鳳翔」への発着実験に成功
       発着艦設備と方式
       日本海軍は洋上索敵を
       英海軍は対潜作戦指向

2 軍縮条約の落とし子たち
       空母の大型化を招いた軍縮条約
       条約下の各国空母兵力
       大型艦を小型化して空母へ
       アイランド型と“雛段”型
       緊急発進にカタパルト
       三層の発着甲板を採用した「天城」型
       強力な砲煩(ほうこう)兵装を搭載
       高角砲も重視
       特色あるフランス空母
       ロンドン条約で新たな制限
       米海軍は航空巡洋艦を企画
       米海軍小型空母「レインジャー」
       多連装対空機銃の登場
       第1航空戦隊、上海沖に出撃

3 高角砲の発達
       初期の高角砲
       12センチ高角砲
       両用砲の開発
       12.7センチ連装高角砲
       高射装置の開発
       長砲身の高角砲
       噴進砲の開発

4 理想型空母の追求
       イギリスの新鋭空母「アーク・ロイアル」
       「ヨークタウン」建造に見る米海軍戦略思想の転換
       「友鶴」転覆事件と第4艦隊事件
       「蒼龍」を改設計、日本空母基本型となる
       日本海軍、優秀な中型空母群を建造
       「加賀」「赤城」にも大改装
       戦後まで就役した「エセックス」型
       強固な防御構造を採用
       英海軍「イラストリアス」で装甲飛行甲板を初採用
       「大和」に次ぐ巨艦「ミッドウェイ」型
       重防御空母「大鳳」
       艦隊防空思想の発達
       直衛艦の建造
       「秋月」級建造計画
       超「秋月」型計画

5 大戦前夜、空母量産時代
       特設航空母艦とは
       昭和6年、艦隊の航空化を計画
       日本海軍の空母増強すすむ
       機動航空部隊、実現す
       開戦の年、艦隊の大拡張を決定
       米・英も空母を大量産
       重巡改造の軽空母
       大型客船改造空母
       米、船団護衛用空母を建造
       船団自衛用のMACシップ

6 第二次大戦、航空戦力の激突
       英海軍、緒戦で二大空母を失う
       英空母、仏・伊主力艦の襲撃に成功
       太平洋戦争開幕で航空優位確立
       空母兵力の再建めざす
       伝統的な泊地襲撃戦略
       史上最大最強の機動部隊、ハワイを襲う
       艦隊航空隊の用法の違い
       敵主力艦撃沈に賭けた日本
       小型空母「祥鳳」と「龍驤」の最期
       大型、小型、いずれが有利か
       勝敗を決した技術格差

7 ジェット機と空母の時代へ
       ジェット・エンジンの登場
       艦上機のジェット化で重量増加
       日本海軍は発進用ブースターを案出
       英海軍、蒸気射出機を開発
       アングルド・デッキの出現
       英空母のジェット機母艦化
       アングルド・デッキを全面採用
       空母建造より大型陸上機を
       朝鮮戦争で空母大活躍
       対空兵装は今やミサイルが主力

8 空母機動部隊の将来は?
       対潜用空母の出現
       揚陸作戦用に輸送ヘリ空母
       V/STOL機母艦の出現
       対潜巡洋艦というソ連の新艦種
       ソ連、航空ミサイル戦艦を建造
       マイクロ化、その行きつく先は
       空母よ、いずこへ行く

あとがき


今年の読書:27冊目



読書 | 09:52:18 | Comments(0)
戦友に会いに行く
今日は我が戦友会の“戦友”に会いに行く日・・・・
ホテルをチェックアウトして、まずは水戸藩士の“シミズくん”へのお土産を買いに行く。
今回、堺に宿泊することを話したら、是非買ってきて欲しいお土産があるという。(笑)

普通は、旅に出てもお土産を買うということは滅多にない。
たまたま土産物屋で見つけて、これは是非食べてもらいたいなぁ~と思った時しか買わないのである。(大笑)
例外は“戦友”の皆さんと、その奥様方・・・
以前は旅先から何十箱とお土産を宅急便で送ったが、その後、鬼籍に入られた方が多くなり今では贈る相手が大激減した。
“戦友”の皆さんはご高齢になられ、もうどこからも手紙も来なければ何も届かないという方が多いようである。
で・・・拙者が旅先からお土産を送ることにした。
突然、自分宛てに宅急便が届いたら驚くだろうし、喜ぶだろう・・・
それに独居老人の場合、宅配業者が訪ねることで安否の確認にも役立つかもしれないと思ってのことである。

我が戦友会の“戦友”は全国各地に散らばっている。
というわけで、日本列島の端に行った時が一番お土産を多く買った・・・(笑)
北海道に行った時は、宅配料金も含めてお土産代が10万円を超してしまった!(大笑)
もう1回北海道に来ることができるほどの金額を使っちゃった!(大笑)
鹿児島県では宅配料金を含めて7万円も使ってしまった!(大笑)
でも、金額の問題ではない・・・目的は喜んでもらえたら嬉しいという、それだけの事である。
カネは天下の回りもの・・・・いつかは何かの形で戻ってくるだろうと信じている・・・(大笑)
だから、いつも運が良いのかもしれない・・・(笑)
お土産のお礼に守っていただいている気がする。

お土産買いは、まず初日にお店を下見する。
で・・・何も買わない・・・(笑)
ホテルに帰って、誰に何を送るかを決めて一筆箋に手紙を書く。
で・・・翌日、同じお店に行く。
「あ~昨日来た人ですね」と言われるが、「どうせ買わないんでしょ」という顔をされる。(大笑)
そこで・・・
「これを5箱、これを10箱、これを3箱、これを5箱・・・」と次々と注文・・・
この時の唖然とした店員さんの顔を見るのが楽しい!(大笑)
送る相手によって品物を変える。
一人暮らしの人に饅頭が36個も入っているお土産を送ったのでは迷惑であろう?
そういうところへは、美味しいものを少しだけ送ることにしている。
「宅急便代の方が高いんですけど、いいんですか?」と店員に言われることがしばしばだが・・・(笑)

全てのお土産に昨晩書いておいた一筆箋を貼ってもらう。
一番大変なのが宅急便の伝票書き・・・
何十枚も書くので、伝票だけを先にもらってコーヒーショップでコーヒーを飲みながら書いたこともある。
懐かしい思い出である。
どのお店でも言われたのが「こんなに買うお客さんは初めてです」・・・(大笑)
申し訳ないからと、飛行機の中で食べてくれとか電車の中で食べてくれと、お土産を頂くことが多い。
それだけで、もう幸せ気分・・・・(喜)
今では送る相手もいなくなり、こんなお土産買いは二度と出来ない・・・(涙)
寂しい限りである・・・・

お土産のお礼状が届くが、これがまた楽しい。
「こんな美味しいものを息子夫婦にはもったいないから、婆さんと二人でこっそりと食べています」という礼状を頂いたときは思わず大笑いしてしまった。
奥さんと二人で別室で、こっそりと食べている姿が目に浮かぶ。(大笑)
確か敦賀に行った時でないかと思うが、羽二重餅を送った時に「何十年ぶりに食べました。昔を思い出し懐かしかったです」と喜んでもらったこともあった。
昔、この方が町内会の旅行で行った時に買ったものと同じだったそうで・・・(笑)
喜んでいただけたら、こちらも嬉しい・・・拙者の方が幸せ気分である。(喜)

今回は、“シミズくん”からお土産を指定されている。
これは、ある意味ありがたい・・・
お土産は何を買おうかなんて悩まなくて済む。(笑)
時間があって指定されたものが買えたら買うが、駄目だったらゴメン!お土産はないよぉ~である。(笑)
今日は午前中、時間が取れたので、彼が希望するお土産を売っているお店に向かう。
お店の場所をネットで調べたらホテルからそれほど遠くはない。
タクシーで行くには近いが、徒歩で行くにはちょっと遠いという微妙な位置にお店がある。(大笑)
時間に余裕があったので徒歩で行くことにした。
で・・・歩いていて気が付いた・・・
この辺りを10年前にウロウロと歩いたことがある!(笑)
拙者の記憶力は“まだらボケ”状態である・・・・
お店に到着して、指定されたお土産を買ったが・・・
お店の人から「賞味期限は本日ですので、気をつけて下さい」と釘を刺された・・・(唖然)
今晩帰宅する予定だが、今晩中に彼に渡して、今晩中に食べろと言うのは酷であろう。
「明日まで大丈夫だよね?」と言ったら「絶対ダメです!今日中に食べてください」と女子店員さん・・・
「自己責任ということで・・・・明日でもいいよね?」と言ったら「今日中に食べてくださいとしか言えません」と頑なである。(汗)
周囲のお客さんからはあきれ顔で睨まれた・・・(涙)
なんという面倒くさいものを指定してくれたのか・・・・“シミズくん”!!!(苦笑)
なんと!水戸藩士“シミズくん”のお土産買いで午前中を丸々潰し・・・(大笑)・・・南海鉄道・堺駅に戻り、駅近くの喫茶店で昼食・・・

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大阪には我が戦友会の会員が何人かいる。
遺族会員だが従軍経験者でもある“フジイさん”のご自宅が、意外にも堺駅からそれほど遠くないことを昨晩地図を見ていて気が付いた。
電車で移動しようとすると大きく迂回するようなので遠いと思っていたが、徒歩ならば最短コースを歩いて30分くらいで行けるようである。
昨晩と今朝、お電話をしたが、応答なし・・・
残念ながら目と鼻の先に来ているがお会いすることが出来なかった。
まぁ、アポが取れていたら午前中にお土産買いになどできなかったので、ある意味、これはこれで良かったのかも。
“シミズくん”に土産を買ってあげなさいという天命であろう!(大笑)

もう一人の方は戦友で、事前に連絡したのだが、16日は都合が悪いという。
「いやぁ~残念だぁ~」を連発される。(苦笑)
「また大阪に来ることもありますから・・・その時に改めて・・・」と言ったが・・・
相手は今までお会いしたことのない方である。
たぶん90歳は超しているだろうから、「また今度」では会えるかどうか・・・(大汗)

で・・・今回アポが取れたのは戦車第6連隊の戦友である“ショウジさん”。
10年ほど前に慰霊祭でお目にかかっている。
久しぶりの再会である。
堺から南海特急に乗り途中で各駅停車に乗り換えて約30分ほどでご自宅のある駅に到着・・・
駅まで迎えに出ていてくださった。
杖もつかず元気に歩かれているが、お歳を尋ねたら90歳だという。
「あと5年・・・95歳までは生きたいねぇ~」とおっしゃる。
奥様は入院中で一人暮らし・・・
ご自宅にあがって、おしゃべり・・・
この戦友を訪ねるのも、実は戦友会の会報の為でもある。
みなさんご高齢になられ、遠方への外出が出来なくなった。
当然、慰霊祭にも参列できない・・・
これでは戦友会に入っている意味がなくなってしまう。
ならば・・・ということで、拙者が会いに行っておしゃべりして、その様子を「会員訪問記」として会報に載せることにしたのである。
そういう活動をし続けて、ずいぶん経つが・・・
都合が合わず、お会いすることもなく他界された戦友も多い・・・
昨年の内に無理してでも会いに行けば良かった・・・というような後悔は山ほどある。
生存している戦友の数も激減した今、あと1~2年のうちに戦友への訪問記は終末を迎える事になるだろう。

事前のアポ取りの時、「フィリピンへ行ってすぐに終戦になったから、ろくに戦ってないから、話すことは何もないんだけど・・・」とおっしゃっていたので、「とにかく久しぶりに顔を見に行くということで・・・」と、今回は拝み倒しての訪問である。
「お元気なお姿を拝見したらすぐに帰りますから、1時間ぐらい時間をください」とお願いした。
が・・・「話すことは何もない」どころではなく、「話すことが沢山」であった。(大笑)
“ショウジさん”は、少年戦車兵第5期生だという。
たしか、第5期生でフィリピンに行った人はほとんどいなかったと思っていたのだが・・・
というのも、5期生の内、繰上げ卒業した200名ほどがすぐさまフィリピンに派遣されたが、途中で輸送船が沈没しているのである。
たぶん全滅していると思っていたのだが、“ショウジさん”の話では、自分の中隊の乗った輸送船は無事だったが、そのほかの船は全部沈められて同期生は全滅したという。
戦後、フィリピンから生還した第5期生は10人もいなかったようである。
話はトントン弾み「話すことは何もない」どころではなく、メモを取る暇もない・・・(苦笑)
更には「あっ、この話は書かないでね」の連発!(苦笑)
活字にしてはいけない話、オフレコが多すぎる・・・(大笑)
これじゃ会報に「会員訪問記」は書けない・・・(大涙)
「お会いしましたが、話の内容は公開できません」では・・・ねぇ~・・・(涙)
参ったなぁ~(苦笑)
1時間程度の訪問のはずが、3時間・・・・
それでも時間が足りない・・・
が・・・拙者は今日中に帰宅しなくてはならないのである。
今から急いでここを出て新大阪に向かい新幹線で東京へ行って、ギリギリ最終の特急に乗れるかどうか微妙なタイミング。
乗り損ねたら一大事である。
後ろ髪を引かれる思いでご自宅を辞し、帰途につく・・・・
「話すことは何もない」に騙された・・・(大笑)
再度、訪問して、話の続きを聞かねば・・・・(大笑)

旅行 | 10:36:14 | Comments(2)
大楠公六百年斎行記録之碑
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大楠公六百年齋行記録之碑

昭和九年建武中興六百年ニ會シ湊川神社社頭新装成ル十一月兵庫縣竝神戸市ノ官民胥謀リ六百年大祭奉賛會ヲ起シ至誠恭敬ヲ■シテ大祭ヲ齋行シ公ガ精神ノ宣揚時勢ノ匡救ヲ策シテ各種ノ記念事業ヲ議決シ役員ヲ委嘱ス十年一月祭費ヲ勧募スルヤ神戸市會ハ率先資金獻納ヲ可決シ尋テ兵庫縣亦獻資朝野ノ有志競ウテ之ヲ翼賛シ崇敬ノ實豫期ノ額ヲ超ユ神徳■焉民心感奮明ニ祀典ニ顕現ス事 天聴ニ達シ祭■料若干ヲ下賜各宮殿下亦幣帛ヲ獻ス大祭ハ五月二十五日ノ正辰ヲ以テ奉行ス其ノ前祭後儀尚荘重殷盛ヲ極ム天之ニ幸シ期間多ク快晴真ニ神人感■上下和楽克ク奉仕ヲ終ル殊ニ大祭當日海軍軍楽隊ハ呉鎮守府ヨリ来リ列シ吹奏ヲ奉事シ軍艦天龍特ニ警備ノ為扇港灣頭ニ投錨ス参列ノ縉紳實ニ四千五百名二十六日神輿東ハ灘區に幸シ一夜輦ヲ大倉山行宮ニ駐ム市民歓呼シ各種ノ演技ヲ奉奏ス翌日更ニ西方須磨ヲ巡シテ還幸扈衛ノ官民三千有餘鹵簿ノ編成供奉ノ調度悉ク新制ナリ蓋シ前古未曾有ノ盛観沿道奉拜ノ人ヲ以テ■ム
嗚呼 公ノ英霊昭和聖代ニ更生シ神縁愈々厚ク幽契益々深キヲ想フ洵ニ恐懼感激ニ堪ヘス■■別録ニ在リ即チ要ヲ■刻シ敢テ後業ニ傳フト云爾

昭和十年八月

大楠公六百年大祭奉賛會長 勝田銀次郎

(碑文より)


【兵庫県神戸市兵庫区・湊川公園】



史跡 | 16:12:48 | Comments(0)
大楠公銅像建設碑
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大楠公銅像建設碑

昭和十年五月二十五日大楠公六百年祭ヲ神戸市ニ擧行スルニ當リ其史蹟地ニ公ノ神威ヲ讃仰スヘキ形像ナキヲ遺憾トシ■陣四十年ノ恩澤ヲ報謝スル為我社其唱首トナリ朝野官民多數ノ翼賛援助ヲ得兵庫縣民ノ總意ヲ求メ零碎ノ資金ヲ多數ノ浄財ニ仰キ公奮戰ノ遺蹟タル湊川公園ニ公ノ銅像建設ノ擧ヲ發表シタル■募財ニ應スルモノ約十五萬人其資参萬貮百貮拾貮圓四十八銭ニ達ス銅像ノ原型ハ帝國美術院會員齋藤素巌氏ノ製作ニ係り武装武具ノ考證ハ東京關保之助氏臺座ハ神戸石松石材工業所臺座表面ノ文字ハ神戸市長勝田銀次郎氏ノ敬書裏面ノ撰文ハ我社ノ手二成リシモノヲ漢詩人成田松坡氏ノ謹書セルモノ地鎮祭ハ昭和十年三月二十日除幕式ハ同年五月二十二日之ヲ擧行同七月一日ヲ以テ神戸市ニ寄贈シタルモノナリ記シテ建設ノ由来ヲ明カニス

昭和十年七月  神戸新聞社

(碑文より)


【兵庫県神戸市兵庫区・湊川公園】





史跡 | 15:05:33 | Comments(0)
とんだ勘違い!
今日のメインの用事は・・・「戦車の碑」の写真を撮ること。(笑)
ずいぶん昔に戦車第6連隊の戦友から青野ヶ原というところに戦車の碑を建立した話を聞いたことがある。
年1回発行の戦友会会報の表紙の写真のネタが切れた・・・
今年の会報の表紙の写真に、この「戦車の碑」の写真を載せようかと思った・・・・
で・・・名古屋に行くついでに神戸まで足を延ばしたわけである。

ホテルをチェックアウトして、まずは手近なところにある“史跡巡り”から始める。(笑)
ホテルのすぐ近くにあったのが「宮城道雄生誕の地」碑である。

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宮城道雄・・・・どこかで聞いたことがあるような・・・(汗)
どうも作曲家らしいのだが・・・どんな曲を作った人なのかは全然しらない・・・(大汗)

続いて向かったのは「生田神社」・・・・
以前にも、ここを参拝したことがあるので2回目の訪問だが、本来の目的地はここではない。
とりあえず、近くに来たので、参拝する。(笑)

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本来の目的地は、この生田神社のすぐ近くにある「神戸税務署」!(大笑)
拙者は「法人会」の広報委員として会報に記事を書いている。
シリーズで書いているコラム記事が「全国税務署巡り」!(大笑)
税務署を巡って何が面白いのかという気がしないでもないが・・・(大笑)
誰も見向きもしない税務署を巡って、税務署を紹介するふりをして、実は近隣の史跡などの紹介をする記事である。(大笑)
大分県の別府税務署の記事では、温泉地ということで「入湯税」についての話を絡ませて書いた・・・
東京の渋谷税務署の記事では、2・26事件の話を絡ませて書いた・・・
「税務署巡り」は、いつも行き当たりバッタリである。
旅行のついでに近くに税務署があれば写真を撮影しておく。
で・・・どんな記事にするかは、後から考える・・・(大笑)
これが、なかなか難しいのである。
話のネタを見つけるのが大変・・・
しかも、この会報は我が地元の税務署の方々も読むので下手な記事は書けない・・・(大笑)
今回は、神戸税務署を撮影しておいて、後から記事を考えることになるが・・・
う~ん・・・どういう記事を書こうか・・・(大汗)
「源平合戦」に絡ませて書いてみようか?(苦笑)

DSCN4478_convert_20170709194723.jpg (神戸税務署)

税務署の写真を撮って・・・・駅に向かう。
とにかく「さんのみや」という町は各線が入っていて交通の便が良いが駅が多いので、田舎からやって来た者にはサッパリわからん。
「三宮」と「三ノ宮」・・・・どの駅に行けばいいんだ?
「三宮」という駅に各線が全部入ってくれていたら駅は一つでわかりやすいのだが・・・
JR、阪急、阪神、神戸市営、神戸高速・・・各駅が微妙な距離感で存在しているので訳が分からん・・・(涙)
ところで、拙者はどの会社の電車に乗ればいいんだ?(大汗)

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ネットで調べ・・・・「阪急神戸三宮駅」から目的地の「市場駅」へ向かう。
途中で乗り換え、1時間以上もかかってようやく「市場駅」へ・・・

DSCN4482_convert_20170709205436.jpg (市場駅)

あ~・・・・(汗)
ホームしかない・・・無人駅だ・・・・(涙)
タクシーはいないわなぁ~・・・これじゃ・・・・
「戦車の碑」は、某病院の敷地内にあるということまでは調べておいた。
で・・・その病院は現在は名前が変わっていることも調べておいた。
で・・・その病院へ行くわけだが・・・
駅を出て山の方へ坂道を延々と30分ほど歩く・・・
なんかおかしい・・・
こんな山の奥にあるのか?
病院は山を削って造成されたような場所に建っていた。
ん?・・・・こんな急斜面が続くような場所に戦車連隊があったのか?
病院の敷地内を探してみたが「石碑」らしきものが見当たらない。
今日は土曜日・・・
診療時間は終わったのだろうか・・・閑散としていたが、病院内に入り職員の方に尋ねてみた。
と・・・
なんと!病院は名称が変わっただけではなく移転もしていたのである!(驚)
女子職員の方が「その碑は移転前の病院のほうにありまして・・・ここではないんです」と言う。
うそぉ~!(驚)
移転前の病院は、現在は廃墟となっているという。(唖然)
調べが中途半端だった・・・(涙)
まさか移転した新しい病院の方に来てしまったとは・・・
道理で地形的におかしいと思ったんだよなぁ~(苦笑)
「戦車の碑」は今も廃墟となっている敷地内にあると思うが、出入り口は封鎖されていて内部には入れないし、外から写真を撮るのも無理だろうとのこと。
今日は土曜日なので管理部門はお休み・・・
改めて管理部門に連絡をして相談していただければ、敷地への立ち入りの許可がもらえると思うとのこと。
あらら・・・まいったなぁ~
何だかんだと2時間以上もかけてやって来たのに・・・空振りである。(苦笑)
廃墟となっているというのでは、「戦車の碑」も雑草に埋もれていて写真を撮れるような状態ではないのでは?
会報の表紙に「戦車の碑」の写真掲載は断念するしかあるまい。
職員の方にお礼を言って失意のどん底気分で・・・(大笑)・・・・帰途につく・・・・
なんだかんだと往復4時間以上も無駄遣いしてしまった・・・(大泣)

「湊川公園駅」で下車し、駅構内で遅めの昼食をとり「湊川公園」へ・・・・
ここに楠木正成の銅像があることは、前回、神戸に来た時に調べておいたので寄ってみる。

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「湊川公園」からテクテクと徒歩で「神戸文化ホール」に向かう。
ここに孫文の銅像があるらしいことも事前に調べておいた。

DSCN4493_convert_20170709215910.jpg (孫文先生の像)

ここから三宮へ戻り、更に大阪へ向かい堺駅に行く。
今晩は堺駅近くのホテルに宿泊する・・・
名古屋、神戸の次は大坂である!(大笑)
今から10年前の平成19年に、ここ堺駅に来ているはずなのだが・・・・駅を降りて周囲を見ても全く記憶が蘇らない。(苦笑)
間違いなく、ここに来ているのだが・・・当時とは違う出口に出てしまったのかも・・・(汗)

DSCN4504_convert_20170709221326.jpg (堺駅南口)

今晩はここで、この間、一緒にパラオで行動した新聞記者の“サイトウさん”と夕食を食べる予定・・・
パラオでは、ゆっくりお喋りが出来なかったので・・・
折角の機会なので、堺駅まで呼び出して・・・(笑)・・・夕食に付き合ってもらう。
駅前の居酒屋で、食事をしながらお喋りをする。
散々飛び回った本日の締めくくりとして充実した時間が過ごせた・・・感謝!(喜)

旅行 | 14:38:56 | Comments(0)
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